はらぺこヴァンパイア 作:棗の
何か月かぶりのまともな滞在で、
梓はその夜、夢を見た。
夢のように過去を再び見た。
自分が怪物になった日。
去年の3月頃。
高校一年生の、16歳の誕生日のちょっと後。
まだ受験は先だけど、勉強しなくちゃと思って通っていた塾の帰り。
時刻はたぶん21時ぐらいだっただろう。
突然、後ろから誰かに襲われた。
襲われた、という感覚もなかった。
いきなり口を塞がれ、首に冷たい何かが当たったと思ったら、弾けるように痛んで、ふうっと視界が暗くなって、そして死んだ。
確かに死んだのだろう。
次に起きたとき感じたのは、強烈な頭痛と飢餓。
たぶん明け方だろう。
おなかすいた。
たべものはどこ?
人が近くにいる——そう思った途端に体が自然と動いて、近くを歩いていたジョギング中の男の人の首に噛みついて、殺した。
男の人の首を、まるで犬みたいに骨が見えるまで何度も噛んだ。
出てくるものをたくさんこぼしながら飲んで、そこで、自分が何をしたか気づいた。
ぼんやり光る街灯の下、住宅街の端っこで、血だまりの中に自分は座っていた。
ヴァンパイア。
ゲームや映画に出てくる、人の血を吸う怪物。
自分は一度死に、蘇り、そうなったのだと気付いた。
なぜなのかはわからない。ただ、自分がそう呼ばれる存在になったとわかった。
そこでそいつは現れた。
真っ黒いひょろひょろの、のっぺらぼうの犬みたいな異常な存在。
「我々ブラックドッグは、
「このままその死体が見つかれば、あなた様は追われる身となるでしょう。我々と取引しませんか」
「千円。我々にお支払いいただければ、その死体を消しましょう」
考えるより前に、千円札を財布から出して渡した。
冗談みたいに死体と血溜まりは消えた。
その異形の、真っ黒いごみ袋みたいなぺらぺらの体の中に、血だまりごとしまい込まれて消えた。
「では契約いたしましょう。あなたのお名前は?」
梓は、声が出せなかった。
後で分かったけれど、ヴァンパイアは呼吸していないから、人間と声の出し方が違っていた。
梓は財布から血まみれの手のままで学生証を出して、ブラックドッグに見せた。
「
そう言って、小さなメモにどこの国の番号かよくわからない番号を書いて、すうっと消えた。
梓は誰も何もなくなった場所から立ち上がって、空を見る。
向こうの方が白んできていた。
それに気づいた途端、体が震え始める。
太陽だ。
浴びると死んじゃう。
梓は家まで驚異的な速さで走った。自転車と同じかそれよりも早かった。
マンションのエントランスのガラス扉を開けて、ふっと壁にかかった鏡を見た。
それは自分ではなかった。
白い肌、赤い瞳、長い牙。
似ているけれど違う自分の顔。
三浦梓の仮面をかぶって、すごくうまい人がメイクをしたような、不自然な顔つき。
そして、見慣れた学生服に飛び散った、無数の血。
三浦梓の学生服を着た、三浦梓に似せて作った人形みたいな真っ白い肌の、血まみれの殺人犯。
そうだ。
梓は一度だけ友達と行った漫画喫茶に転がり込んで、個室の中でスマホを見た。
7時45分。
血まみれのスマホに、パパとママからたくさんの不在着信があった。
でも声も出せないし、なんていえばいいのかもわからなかった。
助けて。人を殺しちゃった――なんて言う資格があるわけなかった。
ざあざあと降る雨がなぜかすごく怖くて、カーテンを閉めて、日が沈むまでずっと震えていた。
私はもう別の何かになっていた。
犯罪者にもなって、家に帰る資格なんかないと思った。
そこからは、自分の体に振り回された。
怖い物はたくさんあった。
心臓も動いてないし、呼吸もしてない。
シャワーも浴びれない。
雨が怖い。鈴の音が怖い。
十字架が怖い。神社が怖い。
そしてなにより、すごく、おなかがすく。
おなかがすくと、
一人目を殺して五日後あたり。まだ声も出せなかった頃。
”獲物”を探して隠れながら歩くうち、気が付くと、自宅のマンションのエントランスにいた。
(パパなら帰ってくる時間が分かるから、襲うのも簡単簡単)
そんなことを思っていた。
思うはずもないのに、空腹の私は思っていた。
たまたま別の人が通りかかったから、その人を襲って、食べて、満たされて。
そして、気づいた。
たとえパパでもママでも、きっと殺しちゃう。
二度と家には近寄らないと誓って、隣の県まで行った。
スマホに何度も連絡が来たけど、一度も返さなかった。
一生懸命スマホで調べた。
スマホにはSIMカードっていうカードが入ってて、それがあると警察に居場所がばれちゃうことがあるって。
頑張って取り出して、SIMカードを壊したら、スマホが圏外になった。
フリーWi-Fiにたまたま繋げたら繋がって、そこでたくさん調べた。
私はもう犯罪者だった。
二人も人を殺したから。
たくさん物を盗んだし、信号無視も、器物損壊もした。
三人目を殺すときに悲鳴で警察を呼ばれ、必死で隣の市まで夜通し逃げて。
四人目を殺すときから、口を塞いで、隠れるように殺すようになった。
事前に下見をして、防犯カメラの位置も確かめた。
グーグルマップと夜中の下見で何度も場所を覚えて、殺しやすい場所を覚えた。
そこを通る人を殺すようになった。
五人目からは、殺したその日に近くに泊まれるようになった。
警察が増えてきたら別の区や県に夜通し走って移動した。
六人目を殺す頃には、今の生活サイクルが出来上がっていた。
人殺しを重ねるごとに、警察官が町中に増えて、何日もお金を払って漫画喫茶の個室で震えてることもあった。
警察官の見回りが増えすぎて、近寄れない駅も増えた。
そうして殺し続けて、12人。
怪物になっておよそ一年。梓は逃げ続けている。
両親の愛情から。
愛しい我が家から。
積み重なる罪から。
時刻は現在に戻る。
梓は6時間経って目を覚ました。
嫌な夢を見た。
目をこすると、薄い赤色の涙がついていた。
ヴァンパイアが流す、人間の血みたいに見える嫌な涙。
タオルにつくとなかなか落ちないし、頬につくと血を流してるみたいで、嫌味かと思ってしまう。
自分の血はこんなきれいな色じゃない。黒くて汚いオイルみたいな色なのに。
さっき見た夢が本当に夢ならどれほど良かっただろう。
全部全部あったこと。一年前にあった過去の再生。
私が人間からヴァンパイアに変えられたことも。
私がいまヴァンパイアであることも。
私が人を殺し続けたことも。
全部全部、本当にあったこと。
楽しい夢をあんまり見なくなった。
もっとファンタジーで、ふわふわしたカワイイ夢を見たかった。
ネットで楽しい夢を見る方法を色々調べて実践したけど、目を瞑って、体感で数分——現実時間で一晩たって目が覚める以外変わらない日が多かった。
ヴァンパイアは、眠る必要が無い。
起きたい時間を念じて寝れば、その時間まで体が止まって、起きる。
夢だって、ほんのたまにしか見ない。
全部嫌な夢ばかりだけど。
起き上がって、コインランドリーに行って、洗濯物を回収した。
「はぁ…………」
ホテルに泊まってやるべきことは早くも終わった。
後は三日間、ここでのんびりできる。
支払いは部屋の中の機械で現金でするらしい。
チェックアウトも誰にも声をかける必要が無いらしいから、明け方に出て、別の漫画喫茶か、地下街の喫茶店とかに行けばいい。
やるべきことが終わったけれど、やりたいことが浮かんでこない。
胸の奥が重くて、ちょっと気持ちを解くと、おととい雨の中殺した男の人が浮かぶ。
なんて名前だったんだろう?
家族はいたのかな?
あのお金で何を買うつもりだったんだろう?
もしかして子どもへのプレゼントとか――
「……考えない。考えたって、何も変わらない」
自分の醜さに向き合うことも、確認することも全部つらい。
お腹が空いたから殺したなんて、どうやって罪を償えるんだろう。
お腹が空いて人を殺す人なんて誰もいない。
自分が怪物だから、そんなことをしているだけ。
梓はベッドに倒れこんで、ただ時計を進めるためにいることにした。
「試しに、寝れるだけ寝てみようかな……。チェックアウトの日の0時ぐらいまで」
やることと言えば、自分の体を使った実験ぐらいしかない。
今回の内容は、”どこまで眠れるか”。
そのまま永眠しても、それはそれでよかった。
梓は窓がしっかり遮光されていることを確認して、電気を消して布団をかぶり、目を閉じた。
そうして三日間、死体のように動かなくなる。