はらぺこヴァンパイア 作:棗の
天気は晴れ。ヴァンパイアにとって嫌な天気。
梓は今日も、インスタグラムを眺めていた。
今日も世界史の授業で、聖なるものから逃げるのに必死だった。
だから自分に甘くする。
手元のスマホでは、”おいしそうな人リスト”の人間たちがめまぐるしく流れていく。
若い男の人が多いけど、女の人も増えてきた。
時々、同い年ぐらいの女の子が入ってて、そっとブックマークを外す。
「へへ……」
おいしそうな人間たちの首筋に、牙を舌で舐めた。
結局考えても、”やるべきこと”は一つも減らない。
インターネットで調べてみたけど、血液の入手方法なんて相変わらず無い。
Amazonにそれっぽいものがあったけど、売買が禁止されてるものが置いてるはずない。ただでさえ貴重なお金を、そんな詐欺に使うわけにもいかない。
献血車からの窃盗なんて、絶対ダメ。これ以上罪を重ねたくない。
次のコーンポタージュは、まだだいぶ先。
他に血を得る方法と言えば。
「……
ぴたりとスワイプが止まって、カメラロールに指が動いた。
カメラロールの一番上には、由佳と二人で撮った写真があった。
デートの終盤、ロープウェイの中で撮った写真。
自分にもたれかかる由佳の首筋が、白く綺麗に光って見えた。
由佳なら、血をくれるかも。
頼んだらきっと、噛ませてくれる。
もし由佳からも血をもらえるなら、ママの負担も減らせる。
「……だめ」
インスタグラムを開きなおして、別の”おいしそうな人”に意識を向けた。
夏服の女子大生の首筋をじっと見て、そこに牙を沿わす妄想に耽る。
私は由佳の恋人。
ヴァンパイアと食べ物の関係になりたくない。
そんなこと、由佳は望んでない。
そんなの、好きって気持ちじゃない。
まだ考えている途中だけど、それだけは間違いないことだから。
「……梓、今いい?」
「きゃぁっ!?」
いきなり声をかけられて、思わず悲鳴を上げてしまった。
振り向くと、泣きそうな由佳がいた。
左手を体の前に出したまま固まっている。
梓の腕を掴もうとしていたようだった。
左手の小指に、ピンクゴールドのリングが光っていた。
「あ、ご、ごめん。由佳、驚かせてごめん」
「う、ううん……こ、こっちこそごめんね。いきなり、話しかけて。迷惑だったよね」
梓はスマホをしまって、小さく手招きした。
由佳はいつもよりもゆっくりと、梓の横の壁に体を預けた。
由佳は、涙ぐんだ目で梓を見上げた。
「……ほ、ほんとに、話しかけて大丈夫だった?」
「うん。大丈夫だよ。インスタ見てただけ」
「ほんとに?」
「ほんとだよ」
昨日も今日も、由佳は元気が無くて、授業の合間の休みにずっと顔を伏せていた。
由佳は、すごく落ち込んでる。
土曜日のデートのことだと思う。
原因はともかく、デートが台無しになったのは私のせい。
梓はすうっと息を吸って、気持ちを切り替えようとした。
「その……梓、土曜日のことなんだけど」
そうすると、由佳が先に口を開いた。
「改めて、本当にごめんなさい。わたしが悪かった。すごく悲しくて、気持ちが止まらなくて、怒っちゃった」
梓も慌てて「私の方こそ」と言った。
由佳は少しだけ笑って、言葉を続けた。
「梓に浮気する気がないなんてわかってる。梓はやさ……
梓は頷いた。
やっぱり由佳は、早紀ちゃんの話をするときだけなんか変だ。
ただ、他の女の子だからってだけじゃない。
……もしかして、早紀ちゃんのこと、苦手なのかな。
そうじゃないって思いたいけど。
「だけど……さ。わたしがすごく悲しかったし寂しかったことは、わかってほしい」
由佳は少しだけ怒りをこめて、刺すように言った。
「う、うん。それはわかってるよ。ごめんね」
レズビアンの人たちでも友達と恋人の区別はするし、由佳は悲しいと思ったんだ、と思うことにしていた。
「……梓は、さ」
由佳が梓から目を逸らした。
泣き腫れた目を宙に泳がせて、震える唇で言葉を紡いだ。
「わたしのことは、恋人……だと、思ってるよね。友達、じゃ、ないよね」
由佳の言葉に、梓はこくりと頷いた。
「う、うん。そのつもり。私が恋人っぽく出来てるかはわからないけど……」
それは梓の本心だった。
たとえキスをしても、密着しても、良い雰囲気の所にいて熱っぽい言葉をぶつけられても、心は動かなかった。
だからこそ、好きの気持ちを確かめようとがんばっていた。
それは、自分が異性愛者だからではないと思う。
自分がヴァンパイアだから。人殺しの怪物だから、神さまに罰を受けたから思っていた。
そんなこと言いたくはないけど、伝わってほしかった。
「……恋人っぽく、ね」
由佳は笑っていなかった。
ただ、苦い感情を
由佳の中でまた一つ、疑念が確信に変わってしまった。
わたしの恋人は、わたしのことを恋人として愛してくれていない。
溢れる感情をぶつけてくれない。
夜中に寂しくなっても、体を求めてくれない。
レズビアンではないから。ストレートだから。
わかっていたことだけれど、気付いてしまうとすごく悲しくなる。
ネットで調べたけれど、大人のレズビアンの人たちは、好きになった相手がストレートだった場合、諦める人が多いらしい。
浮気されるか、拒否されるかのどちらかしか未来がないから。
だけど、諦めるという選択肢はない。
一目惚れした時から、そんなものは存在しない。
だからもっと、梓のことを知らないと。
全部全部知って、梓の好きな女になればきっと奇跡が起きるはずだから。
体も、心も、梓の理想の人になれば、梓はきっとわたしに振り向いてくれる。
わたしなしじゃ生きられなくなってくれる。
絶対に離れない関係になれる。
きっと奇跡は起きるから。
何にもいいことがない人生に、一つぐらい奇跡が欲しい。
「由佳? あの、えっと」
梓はまた、言ってはいけない言葉を言ったと直感した。
恋人らしく出来てるか分からない、なんて感想言うべきじゃなかったかもしれない。
二度と言わないようにしようと思った。
由佳と一緒にいると、気が抜けて、嘘で固めた三浦《みうら》梓じゃなくなってしまうときがある。
確かに由佳はヴァンパイアのことを知ってるけど、知らないこともたくさんある。気を付けないと。
「ううん。なんでもない。ごめんね」
由佳は鉛のように重くなった首を上げて、梓の顔を見上げた。
涙でじんわりとゆがんだ視界の中でも、淡い赤の目が光っている。
その目が自分を見てくれているだけで、奇跡はまだ起きるって信じられる。
そう信じるしか、もう道はない。