はらぺこヴァンパイア 作:棗の
「今日の授業、大変だったよね。お疲れ様」
うまく言えていたかは分からないが、梓は困ったように笑った。
「ありがとう。由佳のおかげでなんとかなったよ。早くもっと先の時代の授業になってほしい」
由佳はにっこりと笑い返した。
わたし、梓の役に立てた。
わたしは梓に必要とされてる。
もう要らないって言われなかった。
「そうだよね! あの先生、暑苦しいし厳しいからわたし嫌い。梓が頑張って教科書の写真から目を逸らしてるのも、なんか変な目で見てるし」
優しい梓の代わりも含めて、由佳は怒って見せた。
もし梓を一発でも叩こうものなら、「セクハラされた」って言ってこの学校から追い出してやる。
周りの子たちもあの教師を嫌っている人が多い。期末テストも難しそうだし、煙草臭い。
この世からいなくなってほしい男の一人だった。
「あはは。怪しいって思われるのも無理ないよ。教会の写真って、ほんとは落ち着くものだし」
「そんなことどうでもいいの。梓が嫌な思いをしてるってだけでヤダ。梓も、世界史の授業休んだりしてもいいと思うけど。成績いいし」
まだ期末テストの時期じゃないからわからないが、梓の授業中の態度やノートの取り方から、絶対頭がいい人だと確信していた。
そういう噂もたくさん立っている。
わたしの恋人はすごく頭がいい。恋人として誇らしい気持ち。
「ちゃんと教えてくれてるし、私だけサボるのはよくないよ」
今度こそもっとちゃんと勉強して、パパやママを安心させたかった。
前は特別成績が悪いわけではなかったけど、良いわけでもなかったし。
由佳はじいっと梓を呆れた目で見て、「まじめだよねぇほんと」とため息をついた。
「そういうところも梓の好きなとこなんだけど……頭が良くて、きれいで、可愛い」
「あ、ありがと。……あ、その指輪、つけてくれてるんだ」
ここまで約五分。やっと梓が気付いてくれた。
由佳は「もちろんだよ」と言って、梓の指に自分の指を絡めた。
「梓からのはじめてのプレゼントだもん。一生大事にするよ」
「そ、そんなに……もっとちゃんとしたのがよかったかも」
「そしたら、また今度デートするときに欲しいな。あずさ♪」
とびっきりの甘えた声で、梓を上目遣いで見上げて言った。
「う、うん。わかったよ」
よかった。
梓に嫌われてない。
それに、プレゼントの約束までされちゃった!
次は何をもらえるんだろう。
香水とかもらっても嬉しい。お揃いの香水をつけてデートしたい。
出来れば服とか、チョーカーとかいいかも。
”私のものだ”って主張されたい。
梓から「由佳は私のものだから」なんて言われたら、心臓発作で死んじゃうかもしれない。
実は独占欲強いタイプだったらって思うと、体の奥が熱くなる。
梓はヴァンパイアだし、首筋の噛み傷とかが一番いいのかも。
お前は私のものだって主張されてるみたいでどきどきする。
梓に嫌われてない。もうデートしないって言われなかった。
それだけで今日は最高の一日になった。
「梓にもらったネックレスもつけてるよ。ほら」
由佳は夏服の首元をずらして、金色のネックレスのチェーンと、猫のシルエットを見せた。
ネックレスにしたのはこういうのも狙いだった。
梓の赤い目が、ネックレスの横の、由佳の首筋を捉えた。
牙の見える口が僅かに、何かを言いたげに動いた。
健康的できれいな首。噛んだらおいしそう。
「う、うん、そ、そうだね」
梓は目を逸らした。
由佳は噛んじゃダメ。
そんな関係になりたくない。
由佳はますます楽しくなって「ねぇあずさぁ」と甘えた声で首筋を見せつけた。
梓が照れてる。やっぱりヴァンパイアなんだ。
そんなことよりも気になるのは、わたしの”メッセージ”に気付いてるかってこと。
ネックレスを付けてるアピールして、梓にもつけてもらう作戦。
梓に直接「付けて」って言う、わがままな女にはなりたくない。
梓に嫌だって言われたら死んじゃう。
もうこれ以上、梓に拒絶されたくない。
それにこういうのは、梓が自分からつけるからこそ意味があるから。
だから見せびらかして、遠回しに「わたしもつけてるから梓もつけて」ってアピールしたい。
梓は鈍感だけど頭がいいから、きっとわかってくれるはず。
「梓もちゃんと持ってるよね? ネックレス」
「う、うん。もちろん」
梓が目を逸らしたまま答えた。
由佳はその反応にむっとして、梓の腕を引いた。
なんだか見たくない物を無理やり見せてる気がして不安になっちゃったから。
梓はわたしの首筋に夢中なはず。ヴァンパイアだから。
「ちゃんと見て。わたし、ネックレスしてるよ」
由佳は鎖骨とブラの肩紐が見えるぐらいに、シャツの襟元をずらした。
梓は由佳の首筋と、そこに沿う金色のチェーンを見た。
おいしそうな首。
噛みたい。
「……だめ。そんなことしないで。由佳を噛むつもりはないって言ったでしょ」
梓は目をつむって、口を閉じて、由佳の襟をただした。
梓の冷たい指が、首筋近くに触れて、由佳の胸元で猫の意匠が揺れた。
敏感な部分の近くに冷たい指が這って、ぞくりとおなかの下が熱くなる。
梓に触れられた部分から熱が広がって、もっと下の、気持ちいい所を触ってほしい欲求が溢れてくる。
だけど、口には出せなかった。
土曜日にデートをぶち壊しにした自分の醜さが顔に絡みついて、「ごめんごめん」と言うに留まった。
「ネックレスは部屋にあるよ。ちゃんと飾ってる」
「よかった。捨ててたらわたしが死んじゃう」
由佳は半分以上本気の口調で言った。
梓の部屋、どんな部屋なんだろう。
意外とパステル調っぽいカワイイ系の部屋なのかも。
サンリオが好きらしいし、あのペンギンのぬいぐるみがあるのかな。
それともヴァンパイアの部屋だし、黒一色で棺桶があったりするのかな。
梓は棺で寝たりしないって言ったけど、実は好きなのかも。
梓が部屋に帰る度に、わたしとの思い出を感じてくれてる。それだけで救いになる。
「首も、あんまり見せたりしなくていいから。ね?」
「……梓は好きだと思ったんだけど。噛みたくなるでしょ?」
梓はふうっと息を吐いて、首を振った。
「由佳とそういう関係になりたくないから。由佳とは、その……こ、恋人同士だけど、そういう関係になりたくない」
”噛みたい”ってことは否定しない梓。やっぱり好きなんだ。
「ほんとに?」
梓が照れてる。
クールな梓が反応するのは、やっぱりヴァンパイアに関すること。
「本当に。言ったでしょ? 人を噛んだりしないって」
「……わたし以外の誰かに噛みついたりしてるわけじゃないよね」
由佳は胡乱な目で梓を見つめたが「誰にもしてないよ」と梓は笑って言った。
「や……
「してないよ。友達だもん」
梓が嘘をついているようには思えなかった。
だけど、気持ちがざわざわして、中村と梓が一緒にいる可能性を、ほんの一パーセントでも許せはしなかった。
「中村くんってたしか、梓に告白したんだよね。梓はどう思ったの?」
だから、ちょっと探りを入れてみた。
梓は赤い目を宙に迷わせて「ただの友達だよ」と答えた。
「よく知らないし……LINEで喋ったりはしてるけど」
由佳は湧き上がる衝動を抑え「そ、そうなんだ」と言ってみせた。
「早紀とか、
「どうって……LINEで話したりはしてるよ。千夏ちゃんのバイト先のことを聞いたり。千夏ちゃん、スーパーでバイトしてるんだって。レジ打ちも品出しもできるってすごいよね」
それは由佳の知らない情報だった。
由佳の知らない所で、梓は他の女の子と喋っている。
梓のスマホの中までは分からない。もしかして、八坂と千夏以外の色んな女の子と関係を持ってるのかも。
梓は男女どっちにも人気がある。
わたしから梓を奪うかもしれない人はたくさんいる。
許せない。
「そ、そうなんだー! わたし知らなかったな」
「私もバイトするかもしれないし、紹介してもらうかも。千夏ちゃんがいれば安心だし……」
梓はご機嫌だった。
由佳、笹川、八坂、自分の四人で仲良くいたい。ずっとずっと。
由佳は恋人だけど、やっぱりみんなで仲良くしたい。
みんなで遊びに行きたいし、友達の話で笑い合いたい。
その一心で梓は笑顔で話していた。
一方の由佳は、燃え盛る嫉妬を、理性で押さえこんでいた。
つい最近ぶち壊しにしたばかりなのに、またやりたくない。これ以上梓から嫌われたくない。
「早紀ちゃんと遊びに行くときも、駅の中で探してくれるって言ってくれたの。私、太陽の光がダメだし……お昼でも、ビルの中とかならデートできるかも」
梓に悪気が無いことなんてわかってる。
梓は、お昼にデートの提案までしてくれてる。
たとえそれが八坂の情報だとしても。
八坂のお下がりだとしても!
梓だってきっと、心の中で比べてるんだ。
「八坂はこういうこと言ったけど、由佳はこう言うんだ」って。
わたしのほうが絶対に八坂より梓を喜ばせることができるのに。
……許せない。
許せない!
「……わたしが一番だもん」
感情が理性を凌駕した。
「えっ?」
由佳はぎゅうっと梓の腕を握って言った。
「わたしが一番なの! 梓の一番! わかってるでしょ!?」
ほんの少しだけ、心の中の嵐から暴風が溢れて口をついていた。
梓がちょっと驚いた顔をした。
「それは……わかってるよ」
「わかってない! わたし言ったよね!? 浮気だよって!」
また蒸し返そうとしてる。
成長してない自分に嫌気がさす。
梓は一瞬怯んで、「由佳はそう思うんだよね」と冷静に返した。
「そうだよ!」
梓は一呼吸置いて、由佳の目を見た。
伝えれば、きっとわかってくれるから。
「……由佳、よく聞いて。由佳のことは一番大事だし、恋人だと思ってる」
梓は尊敬する父が自分を諭すときのように、落ち着いて言う。
「だけど、千夏ちゃんや早紀ちゃんも大事な友達なの。由佳とお付き合いは続けたいけど、友達とも一緒にいたい。それが私の思い」
由佳の心に、その言葉が突き刺さった。
「あ……ぇ……」
八坂と梓が話してる間にわたしはどうすればいいの?
その間の悲しみを梓は分からないの?
梓はわたしと話せなくて、悲しくないの?
わたしが他の人と話しているのを見て、嫌な気持ちにならないの?
おかしいよ。
絶対おかしい。梓おかしいよ!
由佳の中に、二つの選択肢があった。
ここで梓に気持ちを全部ぶつけて、二度とそんなこと言わないでって気持ちで満たすか。
土曜日と同じ轍を踏まないように、ぐっと飲み込んで、分かったふりをするか。
燃え盛る気持ちと、凍り付いた気持ち。
「…………う、うんっ。わかった。わたしが悪かったよ。ごめんなさい」
これ以上梓に嫌われたくはなかった。
わたしが気持ちを飲み込めば済むことだから。
梓は優しいから言わないけど、わたしが怒るたびに迷惑してる。
わたしだってわかってる。
子どもっぽいし、面倒くさい女だって。
大丈夫。八坂はともかく千夏は大丈夫。わたしから梓を奪ったりしない。
大丈夫。離れない。
梓は恋人だから。梓はきれいで可愛い人だから。浮気なんて考えてない。
ただの友達として言ってるだけ。
わたしを見捨てるわけじゃない。わたしを捨てて他の女の所に行くわけじゃない。
わたしに気持ち悪いって思ってない。梓はそんな人じゃない。
わたしの好きな人はそんな汚い人じゃない。
わたしが一番だから。
わたしが恋人だから。
梓はわたしだけのものだから。
「ううん。私の方こそごめんね。由佳は悲しかったって気付けなかった。デートの時は、由佳のことだけずっと考えるから。ね?」
梓はにっこり笑って、力の抜けた由佳の手をぎゅっと握った。
ちょっと恥ずかしいけど、指を絡めて恋人繋ぎにした。由佳の手が震えていた。
梓はふうっと安堵の息を吐いた。
よかった。わかってくれた。
由佳は恋人。他の人は友達。その気持ちこそが大事。
由佳以外と手を繋いだりしないし、ヴァンパイアのことも話さない。
そうすればきっと、次のデートはうまくいくから。