はらぺこヴァンパイア 作:棗の
外はだいぶ暗い。
真っ暗ではないが、梓にとっては皮膚がちりちりする程度で我慢できる明るさ。
梓は私服姿だった。
学校のあと、メイクと服を整えてもう一度外出していた。
モスグリーンのベレー帽に白いリボンブラウスのトップス、ネイビーのGパン。
黒のハイソックスにストラップ付きの黒いローファー。肩掛けの黒いミニバッグ。
「久々に来たねーここ。
横にいる
地下鉄グリーンラインの駅の一つ、センター
駅前に広がる巨大複合施設と、その周りに立ち並ぶ真新しいマンションが特徴的な駅。
学校から電車一本で行けるところにある映画館といえばここだった。
「だよね。千夏ちゃん、遠回りなのにありがとう」
「いいのいいの。あたしもちょうど映画行きたかったし。それに……ね」
笹川が微笑を浮かべて、後ろを振り返る。
二人に遅れて地下鉄駅を出た、一人の男子生徒を見た。
ワックスで固めたツーブロックに、リネンレーヨンのネイビーの半袖シャツ、淡いブラウンのアンクルパンツ、黒のスニーカー。
首からは細いシルバーチェーンのネックレスを下げている。
服装とは裏腹に、その顔は俯いている少年。
眼前にいる片思いの人が、あまりにも綺麗すぎて見れなかった。
普段の制服を100点だとするなら、私服は300点はあった。
普段隠れている体のラインが見える服装。
噂通りの体型で、高校生には見えない。
寄せ集め感のない、上から下まで全体のバランスを考えたコーディネート。
控えめで恥ずかしがり屋だと思ったら、服はアクティブ寄りだった。
メイクも昼と全然違う。
三浦梓の目に淡く紅色のアイシャドウが塗られていて、赤い目がさらに強調されている。
人形みたいと言われる昼の三浦の姿はそこには無い。
白い肌を活かした異次元の美少女がそこにいた。
夕暮れの闇を跳ねのけるように、白い肌が淡く輝いていた。
「梓ちゃん、私服めっちゃおしゃれだよね……
笹川が梓を見て言った。
大人びた子だとは思っていたけれど、私服だと高校生に見えない。大学生みたいだった。
「あ、ありがとう……千夏ちゃんだけ制服でごめんね」
梓は恥ずかしそうに目を伏せた。
おしゃれな千夏ちゃんとのお出かけだし、ちゃんとした格好しないとと思って来たけれど、浮いていないか心配だった。
さっきから色んな人にチラチラ見られていて、なんだか居心地が悪い。
怪物が人間に紛れていて、みんな嫌だと思ってるのかな。
「気にしてないよ。この辺制服の子多いし」
中村はカースト上位二人の会話を、後ろから呆然と眺めていた。
言う事はいくつか決めていたつもりだが、全く何も言い出せない。
そもそも女2に男1なんて組み合わせ、人生で一度も経験が無かった。普段と違う高級なヘアワックスの香りがやけに鼻に障る。
「……で、中村からは梓ちゃんに何かないの?」
笹川が呆れたように言って、後ろで立ち止まる男へ振り返った。
梓もそれにあわせて振り返った。
「あ、え……み、三浦。その、きれい、だと思うぞ俺は」
中村が顔を赤らめて、心の底からの思いを口にした。
梓もなんだか照れてしまって、顔を逸らした。
雑踏の声が遠のき、男女がお互いに照れる時間が数秒流れた。
「……出だしは好調かもね」
笹川が楽しそうに笑って言った。
三人は歩き出し、駅と複合施設をつなぐ広場に出る。
笹川と梓が並んで歩き、その少し後ろを中村が歩く形だった。
「じゃあ、映画行くよ。何見るんだっけ中村」
笹川が後ろを振り返って聞いた。
「あ、あれだよ。ええっと――」
「『夏の終わりの花火』だったよね。確か」
梓が今日の夕方の会話を思い出して言った。
テレビでもよく話題になる青春ものの映画で、梓が好きな男性俳優が出ているはずの映画。
笹川が小さく首を振って、中村は赤い顔で黙り込んでしまった。
「梓ちゃん……こういう時は誘った側に花を持たせてあげるの」
笹川が小声で梓に言った。
「えっ……そうなんだ。中村くんごめんなさい」
梓は律儀に中村の方を向いて、ぺこりと頭を下げた。
見た目に合わない子どもっぽい仕草に、中村もどう反応していいかわからず、「い、いや別に気にしてない」と返しただけだった。
また一つ、三浦のことを知れた。
明らかにこういう場に慣れていない。
そしてそれが、たまらなく男心をくすぐる。
「梓ちゃんは普段どんな映画見るの?」
「パパが見てる映画を一緒に見てることが多いよ。海外もののSFとか、邦画の家族ものとか」
「梓ちゃんご両親と仲いいもんねー。友達と映画とかって行く?」
「うーん……あんまり。私こういう体質だし、夜しか動けないから」
アルビノの三浦梓として振舞うのもだいぶ板についてきて、嘘と本当が自然と混ざる。
「夏だと日が長いし、動ける時間も減るよね。この前早紀と
「そうそう。
「横浜の方で遊ぶのもありかもね。よく行くお店とかある?」
「サンリオのお店は見かけたら行くこと多いかも。昔から好きなんだよね。学校用の鞄につけるキーホルダーとか探してて」
「梓ちゃんサンリオ好きなんだ……実は部屋とか、結構カワイイ系だったりする?」
「うーん、どうだろう……インスタで見かけるすごい人に比べると全然かも。ベッドにぬいぐるみ置いてるぐらい」
梓がちょっと恥ずかしそうに笑う。
「置いちゃうよね。あたしもさ、ディズニーランド行った時に買ったぬいぐるみがベッドの中に段々増えてきちゃって」
「ベッドの中って置きやすいもんね。中学の頃とかもっと多かった」
大人っぽい千夏ちゃんでも、ぬいぐるみ好きなんだ。なんか親近感。
高校生になってぬいぐるみって子どもっぽいかなと思ってたけど、安心した気分。
ディズニーはママが好きだし私も映画は色々見たけれど、サンリオのほうが好き。
梓と笹川がそうやって笑いあう間に、笹川は目線を後ろに流した。
中村は頷いて、まだ知らぬ三浦情報を静かに覚える。授業の時よりもずっと集中していた。
「梓ちゃんって
「そうだよ。全校生徒で50人もいない小さなところだったけど」
「すっごい地方の学校だよね。向こうの友達とかとは連絡とってる?」
「そんなにかな。人がいないから。こっちでたくさん友達作れたらいいと思ってる」
中学は嘘だが、連絡を取っていないのは本当のことだった。
生前にいた高校で、放課後も遊ぶほど仲の良かった女子は数名しかいないし、自分の安否を気遣っていた人は一人しかいなかった。
そしてその子とは、いまだに連絡を取っていない。
「梓ちゃんならたくさんできるよきっと。ね? 中村もいるし」
「あ、う、うん。そうだね。中村くん、ごめんね。私たちだけ喋ってて」
梓は歩調を緩めて、梓と笹川の間に入ることを促すように手を振った。
しかし、中村にはそんなことできるはずもなかった。
「梓ちゃん……」
笹川が呆れたように呟いて、中村の横に歩み寄った。
眉をしかめて、真っ赤な顔の男に小声で言う。
「いつまで後ろ歩いてんの? 主役の片割れがそれじゃあやりづらいんだけど」
「わ、わかってる。笹川と三浦の間なんか入れるわけないだろ」
笹川もかなり美人な部類で、淡く香る女の子の香りに心臓の鼓動が早まってしまう。
「梓ちゃんと二人で横並びよりは楽でしょ。ほらこっち来て」
笹川はひらひら手を振って、梓の横に戻った。
その逆の隣に、中村が並んだ。
中村は梓よりちょっと背が低いぐらいだった。
梓はとりあえず、こくりと首を傾けて、中村に笑顔を向けてみた。
中村は赤くなった顔を逸らした。
「中村くんも、映画に誘ってくれてありがとう。部活の後で疲れてるのにごめんね」
「い、いや別に、疲れてはない。俺まだバンド組めてないし……」
中村が用意していた話題なんて、一つも出せはしなかった。
話題の流れに乗って言えることは色々あるはずだった。
「最近出たハリウッドのSF映画を見たか」とか、「横浜駅には俺もよく行く」とか、そういう話はできる流れだった。
「そっか……バンド、組めるといいね。私の友達に楽器できる人がいたらよかったんだけど」
そして自分の返答も全くよくなかった。
申し訳なさそうな笑顔を向けられるだけになってしまった。
「早紀ちゃんとか、
早々に意中の人の興味は、自分から外れた。
今日のお出かけのことを、由佳は知らない。
由佳にはわかってもらえたけれど、なんだか中村を嫌っている雰囲気があったから誘えなかった。
友達同士だってわかってもらういい機会だと思ったけれど……なんだか、伝えるとよくないことが起こる気がしたから。
私、不誠実なことをしてるのかな?
「……今日は梓ちゃんと中村が主役だからね」
笹川は大きなため息をついて、呆れ気味に言った。
「主役?」
「……中村の気持ちも汲んであげて。梓ちゃん」
笹川は、想像以上にこのアルビノの友人が鈍感で驚いていた。
恋愛なんて興味がなさそうな心優しい友人は、興味がないがゆえか無垢だった。
本気でこのお出かけが”友達みんなで映画を見る会”だと思っている節すらあった。
梓が語った”昔の彼氏”が、あまりいいヒトではなかったことはすぐに気づいた。
だから梓には、きっと恋愛経験もほとんどないと踏んでいた。
それゆえに、他者からの恋愛感情にも疎かった。
間違いなく、ここに
大嫌いな中村と梓が一緒にいることで、遊びにいくどころではなくなるし――もしかすると立役者の自分に掴みかかってくるかもしれない。
梓は多くを語らないが、学校に行けていることすら奇跡というアルビノにとって、今のこの生活をどこまで続けられるのかもわからないのだろう。
笹川自身は特に持病もなく、適当に生きているつもりだった。
そんな友人は、自分よりも何倍も、何十倍も苦労して、自分と同じに見える生活をしている。
ならば友人の自分ができることは、それを手伝うことだと笹川は思っていた。
お節介かもしれないけれど、この友人には、もっと幸せを感じてほしかった。
三人は、映画館の入り口までやってきた。
チケット売り場の上部には小さなモニターが複数あり、上映時間と映画の名前がいくつも書かれている。
知らない高校の制服を着た学生や、スーツ姿の社会人もいる。
「あの人、なんか目赤くない……?」
「肌めっちゃ白い……何人……?」
その雑踏の中から、無遠慮な声が聞こえてくる。
笹川が顔を曇らせ、中村が眉をしかめた。
梓はミニバッグから黒いキャップを取り出し、深めに被った。
「やっぱり目立っちゃうよね」
梓は笹川に笑いかけた。
笹川は静かに頷いて、梓と共に券売機から離れた。
中村はその二人に代わって前に出て、いち早く上映予定を確認した。
時間を見て、振り返って言った。
「次の上映、10分後だから間に合いそうだぞ」
笹川が小さく頷いて、梓は笑って「よかった」と言った。
それだけで中村の心臓の鼓動が早まって、目を逸らしてしまう。
「チケットってどうやって買うの?」
「ここの券売機で……中村、梓ちゃんの分も買ってあげてよ」
笹川は教えようとして、中村に目配せした。
中村は慌てて近寄ってきて、梓の横で券売機の画面をスクロールさせる。
指に汗をかいていてうまく画面が動かなかった。
何度か画面が上下に揺れて、18時45分開演の『夏の終わりの花火』の行を見つけて押した。
一般1名になっているところを、学生1名に切り替えて、学生3名に切り替えた。
ここが”学生2名”になる日が来てほしいと願いながら。
座席を選ぶ画面が出てきて、中村は両端の横並び三列で空いている席を取った。
精算画面に移り、3名で3000円と表示された。
中村が財布を取り出して、3000円を券売機に入れた。
梓が小さく「あっ」と声を出したので、振り返って「俺が払うから」と早口で言った。
「あ……ありがとう。中村くん」
意中のアルビノ少女が自分に向けて笑ってくれるだけで、中村からすれば五割は目標を達成したようなものだった。
券売機から出た券を梓に差し出した。
券を通じて、白い指先と自分の指先が触れ合う。
その一瞬が、中村にとっては数十秒にすら感じた。
「ありがと。後で払うから」
笹川も中村から券を受け取り、それぞれの手に券が渡った。
そうして、映画館の中へ。
淡い天井からの光に照らされた、ひな壇状に等間隔に配置された座席。
梓が思わず「わぁ……」と声を上げた。
「すごい……天井ってあんなにギザギザになってるんだ。知らなかった」
梓の目には、天井に施された凹凸のある防音加工の隙間がぼんやりと光って見えていた。
笹川が不思議そうに言う。
「梓ちゃん、すっごい目がいいんだね……あたしには見えないよ」
梓が慌てて口をつぐんだ。
人間には見えないものが、ヴァンパイアには見えているようだった。
笹川が一番奥に座り、梓もその横に座った。
通路側の席が、空いていた。
中村には、梓の白い手が通路側の席にはみ出ているように見えた。
まるで、待っているように。
どくんと大きく、心臓が鼓動する。
ここで手を握る?
いや、そんなことできるわけがない。
段階を飛ばしすぎだ。
現実を見ろ。
身の程知らずはイタい奴だ。
俺はまだ、「ただの友達」なだけ。
中村は梓と逆方向に寄って席についた。
隣の梓は赤い目が目立たないよう、深めに帽子を被っている。口元は笑っていた。
周りはまだざわついていて、上映まで数分あるようだった。
ちょっと傾けば肩が触れる距離の、アルビノ少女を見た。
あり得ないぐらいに綺麗だった。
真っ白い肌には何の傷も染みもない。北海道で見た新雪に似ている気がした。
帽子から出た黒髪もさらさらしていて、何の癖もついていない。
赤い目も、深紅色の宝石のように見える。
アルビノの人は全員目が赤いわけではなく、梓の深紅の目はアルビノの中でも相当に珍しいらしかった。
そんな少女に今、自分は片思いしていて、このデートで仲を深めようとしている。
身の程知らずなのだろう。
そのまま女優にすらなれそうなほど、この少女はとんでもなく可愛く美しい。
ここで気持ちで負けてはいけない。
まだ周りの人がざわついている中、なんとか距離を縮めたかった。
「み、三浦」
呼びかけると梓が振り向いた。帽子のつばの下の赤い目がこちらを見ている。
吸い込まれそうなほどに綺麗な赤い目が、自分を見ていた。
「きょ、今日は来てくれてありがとう。体調は大丈夫か?」
「うん。私の方こそありがとう。大丈夫だよ。ちょうど見たい映画だったから嬉しかった」
「三浦ってこういう学校ものも好きなのか?」
「うーん、普通かな……主演の人が好きだから」
じわりと中村の胸が痛んだ。
主演の男性俳優は自分のような凡人高校生とは違う、塩顔の大人の男性。
笹川が「はぁっ」とため息をついて、小声で梓に言う。
「梓ちゃん……中村がどうしてここにいるかわかってる?」
「えっ……中村くんが映画に誘ってくれたから、だよね?」
「そうだけどそうじゃないよ……」
この友人は大人びた見た目とは裏腹に、恋愛に関しては初心者というレベルではなかった。
わざとやっているのか一瞬勘ぐってしまうほどだが、心優しいこの友人がそんなことをするはずもない。中村がちょっと気の毒になってくる。
中村がまた何か切り出そうとしたとき、照明が消えて映画のCMが始まった。
映画の本編が始まり、三人は無言で映画を見ていた。
映画の内容は、事前に中村がレビューサイトで調べた通りだった。
男女4人のグループの中で、それぞれ片思いのままに夏休みに入って、夏休みのイベントを通じてお互いに意識していく映画だった。
まるで今の自分と三浦みたいだと中村は思い、この映画を選んだ。
これを見て、何かを思ってくれれば良いと思って。
ただ、映画の中の両想いの男女と違い、三浦はきっと自分に片思いすらしていない。
良くて友達、悪くてクラスメイトの一人としか思っていないだろう。
画面の端にたまに映る名無しの学生の一人が、自分かもしれない。
中村は大画面から目を外し、隣に座る梓を見た。
梓は自分の方なんて見もせずに、帽子をずらして赤い目で画面を見ている。
宝石のような赤い目が左右に動いている。
中村の席に、僅かに梓の白い手がはみ出していた。
この手を握れば、少しは意識してもらえるのだろうか?
三浦は重度の冷え性で、手がとても冷たいらしい。
その手を温めようとすれば、意識してくれるのかもしれない。
それは自分の夢へのチケットかもしれないし、夢を終わらせるスイッチかもしれない。
数秒の迷い。
中村は首を振った。
手を握るなんて有りえない。
それで得られるのは、身の程知らずの馬鹿の称号だけ。
笹川に場を整えてもらったのに、ロクに喋ることも出来ない凡人の自分には、過ぎた行為だ。
中村はため息をついて、映画に意識を戻した。
幸いにも映画自体は面白く、みじめな気持ちを深める時間にはならなかった。