はらぺこヴァンパイア 作:棗の
金曜日の昼休み。
遮光カーテンを引いたスペースに、梓・
梓以外の手元には各々の昼食があった。
三人の中で誰も、梓の机の上に何もないことに疑問を感じる者はいなかった。
だから気にせずにご飯を食べるし、誰も「一口食べる?」とは言わなくなった。
梓は牙の見えない微笑を浮かべて、談笑する三人の友達を眺めていた。
「ねぇあずさぁ、昨日の夜話したVlog見てくれた?」
由佳が甘えた声で対面の梓に話しかける。
由佳の手元には小さなパンが四つ入った菓子パンが一つだけ。
少しずつつまんで食べていた。
「うん。見たよ。あの人の家すごいよね。インフルエンサーの人なの?」
「そうだよ。企業からお金とか家電とかいっぱいもらってるんだって……それで生活できちゃうのかな」
「できそうだよね。憧れちゃうかも」
「あずちんならインフルエンサーなれちゃうよぉ。めっちゃ可愛いし」
梓の左隣の八坂が言った。
手元には小さな弁当箱があり、おかずとご飯が詰め込まれていた。
「ありがとう。
インフルエンサーなんて、犯罪者の自分には似合わないと思っていた。
ちょっとだけ考えたけれど、目立つのは好きじゃないし。
「あずちんにいわれると照れるよぉ。私でもできるかなぁ?」
「あんたはもうちょっと勉強してからね」
梓の右隣の笹川が、八坂の方を見ずに言った。
手元にはプラスチックパックに入ったサラダと小さな弁当箱があった。
由佳は笑顔を貼り付けたまま、梓に見えない所で机の脚を蹴った。
「梅雨明けしたしほんと毎日暑いよねぇ。日差しも強くなってきたし」
「そうね。日焼け止め強いのに替えないと」
由佳が「そうだね」と相槌を打つ。
一時期のような一触即発はなくなって、よそ行き用の笑顔を浮かべていた。
「あずちんって日焼け止めはしてる?」
「うん。外国の強いやつだけど使ってるよ」
嘘だ。今の肌に塗っても意味がないから使っていない。
「外国のやつって使うと肌白くなっちゃうんだよねぇ。あずちんだと元々白いし、大丈夫ってこと?」
「そうそう。こういう時に得だよね」
すらすらと嘘が口から出てくる。
「早く涼しくなってほしいよね……今年は何回、観測史上最大って言葉が出るんだろう」
「あれって毎年言ってるよね最近」
笹川の言葉に、由佳が笑って言う。
笹川と由佳の視線が交差して、次いで梓を見た。
梓も「そうだね」と言った。
「暑いとイベント中止になっちゃうし嫌になるよねぇ。ロックフェス、今年はやるといいんだけど」
「今年も行くつもりなんだアレ。彼氏と?」
「そそ。
八坂は心の底から楽しそうに笑った。
「ハイハイ。楽しんできて」と笹川が呆れて言って、梓もそれに曖昧な笑顔で応じた。
「梓ちゃんはロックフェス興味ある?」
「うん。だけど……太陽がね」
「そうだよね! 梓には危ないよ!」
由佳は八坂をじっと睨んで、梓に笑いかけた。
「夜の水族館とかどう?
由佳が菓子パンを片手に、身を乗り出して梓に言葉をぶつけた。
「聞いたことあるかも……今度みんなでいきたい。早紀ちゃんはどう?」
「え、いや二人で――」
「私はもちろん大丈夫だよぉ。デートの予行演習になるし」
由佳の言葉を遮って、八坂が笑って言った。
「あたしも梓ちゃんの誘いならオッケー。由佳、それでいいよね?」
由佳は三人に見えない所で拳を握りしめて、「も、もちろん。いいよ」と作り笑いで返した。
「よかった! みんなで遊びに行けるの楽しみ。来週の土曜日でもいい? 学校終わりだと
「明日でもいいよぉ。明日土曜日だし」
八坂の笑顔に、梓が困ったように笑った。
「明日……はごめん。用事があるの」
由佳がパンを食べる手を止めた。
それは知らない梓の情報。
明日、何をするの?
作り笑いを忘れて梓をじいっと見ていた。
「そっか。来週の土曜日なら大丈夫。早紀は?」
「私もおっけー。ゆかっちは?」
由佳がひきつった笑いで「大丈夫だよ」と早口で言った。
「よかった。じゃあ来週の土曜日で。由佳、ありがとう」
梓は赤い目を細めて由佳に笑いかけた。由佳もつられて口元だけで笑ったが、目は笑っていなかった。
そうやって初めての四人お出かけの日が決まって、梓はご機嫌のまま放課後まで過ごした。
ホームルームが終わって、クラスメイトが各々立ち上がり帰っていく。
梓はぼんやりと考えに耽る。
やっぱりみんな仲良くが一番。私のせいでグループが壊れたりしたくなかった。
由佳のせいかも、って少しだけ思うときもあるけど……私がヴァンパイアじゃなければ、そんなことなかったはずだし。
お出かけするなら、
だけど昨日千夏ちゃんに『中村はデートのつもりで来てるからわかってあげて。梓ちゃんにその気があればだけど』って言われたから、良くないのかも。
中村くんは私の斜め前の席にいる。周りにいる男の子たちと喋ってる。
あの後、中村くんからLINEがきた。
『今日は来てくれてありがとう 三浦が良ければまた遊びに行きたい』
私は『またお願いします。傘も明日返すね』って返したけど、それでよかったのかな。
傘も返そうとしたら断られたし。
デートのつもり、って言われたし、断るべきだったのかな。
私、不誠実なことしてるのかも。
恋愛とかわからないのに、デートのつもりで来てる人を遊んでるだけなのかな。
だけど、中村くんのこと何も知らないし、二人っきりじゃないから大丈夫なのかも。
人間だった頃に、もうちょっとまともな恋愛をしとけば良かったのかな。
中村くんと千夏ちゃんと映画に行ったのは楽しかったけど……私のせいで帰る前に気まずい空気になっちゃった。
中村くんは私がヴァンパイアだって知らない。当たり前。
だからご飯に誘ってくれるのも、特に変な事じゃない。
私が嘘でも、一緒に食べたいって言えばよかったのかな。
雨だってそう。
表情に出さずに「お手洗いに行ってくる」とか言えばよかった。
ヴァンパイアができないことはたくさんあるけど、その一つも私は解決出来てない。
「そういう生き物だから」ってパパは言ってくれた。私が悩んでもどうしようもないことだって。
悩んでいるというより、悔しいし、辛いって気持ちの方が強いのかも。
「梓。一緒に帰ろ」
気が付くと、梓の隣に由佳がいた。
二人の時と違う、余所行き用の笑顔の表情だった。
中村の席から梓が見えないように立っているが、梓はその位置取りの意味に気付かなかった。
梓は頷いて、リュックを担いで由佳と共に教室を出た。
去っていく背中を、中村が何も言えずに見ていた。
教室を出て、昇降口に行く前に由佳がそっと梓の手を握った。
ぎゅっと強めに握って、歩く方と反対に引いた。
「由佳?」
「……お昼のあれ。わたしは梓とデートのつもりだったんだけど」
むっとした顔で梓を見上げて由佳が言った。
由佳は歩く速度を落とした。
梓と二人きりの時間は、この教室から校門の外の車までの数分しかない。
恋人同士の時間が、それだけしかない。
一秒でも長く、梓と一緒にいたい。
「え? それなら二人の時に言えばいいんじゃないの?」
あの場で二人だけの約束を取る理由が、梓にはわからなかった。
みんなで水族館に行くのは楽しいことのはず。
それにみんなで行くなら、浮気とか関係ないはずだった。
由佳はじいっと梓の顔を見て――呆れたようにため息をついた。
梓は優しすぎるからわかってないのかな。
あの場でデートの約束をしたら特別感が出るのに。
全然わかってくれてない。きっと本心で言ってる。
通話のことだってそう。
わたしが特別だって教えたかったのに、梓が八坂を褒める流れになっちゃった。
いけない。また感情的になってる。
今の梓にそんなことしてもダメ。堪えないと。
「……ごめん。わたしがちょっとピリピリしてた」
ぺこりと由佳が頭を下げた。
「え、う、うん。いいけど……」
話すうちに昇降口に着いて、梓と由佳は靴を履き替えた。
由佳はそのまま梓に腕を絡め、無理やり笑って見せた。
家で練習した、大好きな人用の笑顔を作った。
「梓、最近楽しいことあった? 今日なんかご機嫌だったから」
由佳が急に話題を変えるのはよくあることだけれど、すこし怖かった。
ヴァンパイアについて何か秘密を握ったのかもしれないと思ってしまって。
でも、そんなふうに疑うのも失礼だとも梓は思っていた。
「うん。毎日楽しいよ。みんな優しくしてくれるし、遊びにも行けるから」
「来週の土曜日のことだよね。梓って水族館のどこがすき?」
「今週の土曜日何する気なの」と聞きたい気持ちを抑え、由佳は尋ねた。
「イルカとかアザラシとかのショーが一番好き。友達と見に行ったりしたよ」
「わっ……わたしも! 夜にショーってやってるのかな」
嘘だ。由佳の好きなコーナーはくらげのコーナーだった。
イルカのコーナーは嫌いだ。
昔、家族でイルカショーに行った時、顔に水がかかってパパが怒りだして、ママと大喧嘩になって帰ることになったから。
「やってるといいな。シャチとか、くじらとかも好きなんだよね。海洋生物っていうのかな」
「どうなんだろ? くらげのコーナーとかはどう?」
「好きだけど通り過ぎるぐらいかな。きれいだよね」
由佳は奥歯を噛んだ。
どうして好きな人と好みが合わないんだろう。
わたしが悪いのかな。わたしがひねくれてるからなのかな。
「う、うん。そうだよね。熱帯魚とかはわたし好きだよ」
「熱帯魚いいよね。きれい」
梓が笑って言ったけれど、”恋人らしく”合わせてくれたのか、本心なのかはわからなかった。
心の底に、不信の芽が確かに根付いていた。
「白と黒のしましまの子が好きなの。エンゼルフィッシュっていうんだけど……すごくロマンチックな名前だよね」
「そうなんだ。見てみたいかも」
「一緒に見に行こうよ! ね? 抜け出して二人でさ」
首筋をちょっと見せるように、首を傾けてにっこり笑って誘惑した。
梓は困ったように笑った。
「みんなでいこうよ。一緒に行ってるんだし」
由佳の心の底で、どす黒い炎がまた燻り始める。
わかってる。浮気したいわけじゃない。
ただ友達同士のお出かけだから言ってるだけ。
わかってる! ちゃんとデートもできる。
わたしは梓が大好き。
梓のこと悲しませたくない。捨てられたくない。
「そっ、そ、そう、だね。よ、四人で行こうよ」
梓は由佳の笑顔に、安堵の笑みを浮かべた。
よかった。ちゃんと話せばわかってくれた。
やっぱり私が由佳に流されるままになっていたのもよくなかった。
嫌われるかもって思っていたけど大丈夫だった。
相変わらず恋人らしさが何かわからない。
だけど由佳は私のことを大好きって言ってくれるから、私もできるだけ答えたいし、ずっと関係を続けたい。
「そ、それならさ。日曜日はわたしと二人でデートにしよ。ね?」
そう思った矢先に、できないことが来た。
「……ごめん。日曜日は外に出られない。家族と過ごす日にしてるから」
まだアンチライトのことを言いたくはなかった。
あの怪しい人外のことや、薬を使って今の生活を維持していることは言いたくなかったから。
日曜日は忙しい日って前に伝えたはずなんだけど、どうしてまた聞いたんだろう?
「…………そ、そっか」
由佳は奥歯を噛んで、それでも笑って見せた。
日曜日は家族といる日ってことは知ってる。それでも聞いた。
家族よりも、友達よりも、恋人を優先してほしかったから。
どうしてわかってくれないんだろう。わたしは梓が世界一大事なのに、梓にとっては家族の次なのかもしれない。
そんなに毎週、親と出かけるなんてありえない。
わたしだって、一か月に一回パパとママとファミレスに行って、それ以外の日はお家で遊んだり友達と遊んでた。
パパとママも遊ぶ時間が必要だからって言われたから。
パパは競馬場によく行っていたし、ママはどこにいるか知らないけど遊びに行ってた。
不審な所はたくさんある。でも、怒っちゃダメ。
失敗したばかり。デートを台無しにしたばかり。
冷静にならないと。
「そ、それならさ。明日の夜は? 明日のお昼は予定あるなら夜デートしようよ」
由佳はひび割れた笑顔の仮面を貼り付けて、明るく振舞おうとした。
由佳にとって今や一週間は六日間しか無く、土曜日こそが最も輝ける一日だった。
天気予報を見る時もまず土曜日を確認していた。
土曜日は、梓が自分だけのものになる日。
いつもは夜だけだが、その日だけ一日中、梓が自分のものになる。
明日は土曜日。天気は雨だけど、夜にはきっと止むはず。
梅雨が明けたとか明けていないとか、煮え切らないニュースばかりで誘うのもためらっていたら、梓が何か別の予定を入れてしまっていた。
敗北感。
誰かに梓を取られちゃった。
だけど、まだ諦めるのは早い。
もし雨だったら梓は一日家にいるし、起きてから寝るまでずっと通話つなぎっぱなしのお家デートでもいいかも。
「……ごめん。明日は用事があるの」
そんなデート計画が、早速打ち砕かれた。
「あ、雨なのに? 雨の日って梓動けないんじゃ」
「動けないわけじゃないよ。パパの車で出かけるから」
ここにきて新たな登場人物が出てきた。
梓にはママもいるしパパもいる。
それは当たり前のことのはずなのに、
昇降口を出て、正門を出て曲がる。
残りもう1分もない。その先にはあの怖い梓の母親が待ってる。あの人の近くで喋りたくない。
湧き上がる感情を抑えて、笑顔を貼り付けて言葉を梓へぶつける。
「ど、どこに? 買い物?」
「ボランティアの説明会に行くの。動物の保護施設のボランティアをしたいから。体験参加が夜になるかもしれなくて」
そういえば、前のデートの時にそんなことを言っていた。
ボランティアなんてする意味がわからない。
わたしのことは誰も助けてくれない。本当に困ってる人の所になんか届かないことばかりの、偽善まみれの活動。
梓はわたしにだけ優しいわけじゃない。
誰にでも優しい。犬や猫にすらも。
そんなところが好きだけど嫌い。
わたしだけの梓でいてほしいのに。
土曜日は梓がいない。日曜日も会えない。
恋人同士なのに土日もまともにデートできない。