桜の花びらが風に舞い、春の陽光が真新しいアスファルトを照らす。
高校の入学式。中学時代の「準備」を終えた俺――久磨誠は、再び同じ制服に身を包んだハジメと共に、校門を潜っていた。
「結局、高校も一緒だね、クマくん」
「当たり前だろ。お前を一人にしたら、どんなトラブルに巻き込まれるか分かったもんじゃないからな」
冗談めかして言ったが、それは俺の本心だった。高校二年生のあの「召喚」の日まで、あとわずかしかない。俺の肉体は中学時代の苛烈な特訓を経て、もはや現世の高校生とは思えないほどの厚みと覇気を纏っていた。服の上からでも分かる分厚い胸板、そして鍛え上げられた四肢。周囲の新入生たちが、俺の姿を見ては「留年した格闘家じゃないか?」と囁き合っているのが聞こえる。
式典が終わり、校舎の裏手。人影のまばらな桜の樹の下で、俺は雫に呼び出されていた。
彼女もまた、中学時代よりもさらに凛々しく、そしてどこか大人びた美しさを湛えていた。だが、今の彼女の瞳には、武人としての鋭さではなく、一人の少女としての震えるような決意が宿っていた。
「……クマくん。私ね、ずっと言わなきゃいけないって思ってたの」
雫は、俺から贈ったウサギの根付を握りしめ、真っ直ぐに俺を見上げた。
「道場で、あなたが私を『女の子』として見てくれたこと。八重樫の跡取りとしてじゃなく、私自身の努力を認めてくれたこと……。それが、どれだけ私の救いになったか分からないわ」
「雫……」
「私、あなたの隣で剣を振るのが、世界で一番安心するの。だから……これからも、ずっと。あなたの隣にいても、いいかな? 友達としてじゃなくて……一人の女の子として、あなたのことが、好きなの」
それは、原作の運命さえも塗り替える、彼女の魂の叫びだった。
前世の俺は、画面越しに彼女の孤独を見ていただけだった。だが今、目の前にいるのは、俺が三年間共に汗を流し、その心を溶かしてきた生身の少女だ。
俺は無意識に、彼女の細い、けれど鍛えられた肩を抱き寄せていた。
「……ああ。俺も、お前の隣は譲るつもりはないよ。異世界だろうが地獄の底だろうが、お前が隣にいるなら、俺は最強でいられる」
「……っ、バカ……。こんな時まで、かっこいいことばっかり言って……」
雫の瞳から涙が溢れ、俺の胸に顔を埋める。その温もりを感じていた、その時だった。
「――何をしているんだ、二人とも!」
静寂を切り裂くような怒声。振り返れば、そこには顔を怒りに染めた天之河光輝が立っていた。その後ろには、困惑した様子の白崎香織もいる。
「雫、離れるんだ! そいつは……そんな素行の怪しい男に、君が誑かされるなんて!」
「光輝くん……! 違うわ、これは私の意志で――」
「いいや、雫は優しすぎるから分からないんだ! クマ、お前だ。中学から見ていたが、お前のその不気味な鍛錬も、南雲という『無能』とつるんでいることも、全てが雫に相応しくない!」
光輝の言葉は、相変わらず自分の正義が世界の中心であると疑わない、傲慢さに満ちていた。
俺は雫を背中に隠し、光輝の前に一歩踏み出した。身長差は頭一つ分。俺が放つ威圧感に、光輝が一瞬だけ怯んだのを俺は見逃さなかった。
「光輝。お前の『正義』は、いつも誰かを見下すことで成り立ってるな。……雫を『守るべき弱者』扱いするな。彼女はお前よりずっと強く、そして自分の心に正直だ」
「な……っ! 凡才の分際で、俺に説教する気か!」
「凡才で結構。俺は凡才だからこそ、泥を啜ってでも、守りたいものを守る術を学んできた。……お前のその綺麗な手じゃ、本当に大切なものは掴めないぞ」
火花が散るような視線の応酬。
香織が慌てて割って入り、その場は辛うじて収まったが、俺と光輝の間の亀裂は、修復不可能なほどに深まった。
校舎を見上げれば、そこには呆れたようにこちらを見ているハジメの姿があった。
俺は彼に軽く手を振る。
(……ごめんなハジメ。少し予定より早く、周りが騒がしくなっちまった)
だが、これでいい。
雫の思いを受け取り、光輝との決別を終えた。
あとは、来るべき「その時」を待つだけだ。
中学時代の貯金。そして、雫というかけがえのない絆。
俺のステータスには表示されない「覚悟」が、今、完成しようとしていた。