イナズマの女帝 作:主要人物の実姉概念が流行ってほしい人
その日、私は雷門中サッカー部に入ってから、最も鬱屈とした気分になっていた。
理由は二つ。
一つは、結局完成することのなかった『イナズマ落とし』。
壁山の跳躍力に関する鍛錬にさほど意識を向けていなかったことが災いした。いや……はっきり言って私が察せたかも不明だが。
高所恐怖症。それさえ最初に聞いていれば、まだやりようもあっただろうに、試合も間もない頃になって聞かされてもどうしようもない。
代わりの土台となる者を見繕う暇もなく、試合当日はやってきた。
さて、理由の二つ目だが……。
「車! 車だコケ! 俺、初めて見たコケ!」
「タイヤが四つチタ! 帝国のでっかい車とは違うチタね」
「中は機械でいっぱいゴリ!」
失念していた。野生中はこういう連中が集まった学校だと。
雷門中から片道数時間。遠路遥々来てやれば、そこは車も碌にない田舎も田舎。この者たちのことはどうでも良いが、帝国の趣味の悪い装甲車を常識と捉えないでほしい。
何故かついてきた雷門の車に寄って集る獣の如き連中に白い目を向けつつも耐えようとしていたが――早々に限界を迎える。
「湿気も気候も我慢ならん、余はバスに残る。貴様らは好きに戦え」
「いきなり何言ってるのお姉ちゃん!?」
暑苦しくて敵わない。そのうえ、あの連中と付き合わねばならないなど、考えるだけで億劫になる。
さして乗り心地が良くもないバスに戻ろうとするも、春奈が私を引き留める。
「ほら、みんなにとって初めてのフットボールフロンティアなんだし、お姉ちゃんがいた方が不安がないでしょ? それに、練習の成果も見届けないと!」
「最たる成果になる筈だったイナズマ落としは白紙になった。余が見る価値のある試合になると?」
「うっ……」
呻きを零す壁山。バスの中でも私に何かを言いたげに、幾度も視線を向けてきていたが、ついぞ言い訳はなかった。
あったところで私が聞き入れる用意もない。
既に怒りは通り越し、呆れ、或いは無の境地に至っているが、彼を赦したところで『イナズマ落とし』が完成する筈もなし。
結局のところ、彼らは切り札のない状態で、格上の野生中と戦うしかないということだ。
「き、きっと大丈夫よ! みんな練習頑張ってきたし、壁山くんだって、ジャンプ力は十分なんだから! ここぞって時にやってくれる筈なの! だから、ね? 一緒に応援しよう?」
「……お前がそこまで言う理由もないだろうに。まったく……行くぞ」
「逆にプレッシャーがかかるっす……」
「音無さんに甘すぎないかしら、彼女……」
バスに乗りかけていた片足を引っ込めて、いつもより重い足取りで野生中のグラウンドへと向かう。
都会の喧騒は遠く、大自然に囲まれたコート、といえば聞こえは良いが、その実、到底集中できるような環境ではない。
日差しを遮るものはなく、湿気も強く、虫も多いときた。およそ最悪の環境ではないか。
雷門中サッカー部の練習場所である河川敷も決して良くないとはいえ、ここほどではない。むしろ、ここを知っていればあちらはまだ耐えられるというものだ。
「すごい数の観客だな……フットボールフロンティア、って感じがするぜ!」
「全部、野生中の応援だけどな……」
「アウェイな上に、俺たちの応援に来てくれる人なんていないでやんすからね……」
辺りの観客の大半は、野生中の制服を着ている。彼らも物好きなものだ。通学にも苦労するだろうに、この学校。
大して、雷門中の応援は皆無。たとえ彼らの勝利を願う者がいたとして、こんな場所にまで来る義理もないだろう。
「いや! 俺たちの応援だっている! ほら!」
一層冷めた気分で、円堂が指す方に目を向ければ――そこには三人の、小学生と思しき子供たちがいた。
それに一際大きな反応を示したのは壁山であった。
「さ、サク!?」
「兄ちゃん! 応援に来たよ! 今日の試合、絶対勝ってね!」
「あれがお前の兄ちゃんか!?」
「そうだよ! あの帝国に勝ったんだ! 今日もすっごい活躍してくれるって!」
……なるほど。体格はともかく、顔つきは良く似ている。
よりにもよって今日の試合に、弟が応援に来てしまった訳だ。
いや……僥倖だな。彼らは雷門中に幸運を呼び込んだ。
「――壁山。今日の試合、フォワードに上がれ」
「へ? ……うぇええ!? ふ、フォワードっすか!?」
「イナズマ落としを主軸に攻めよ。空中戦を警戒されれば、染岡が打てば良い。ドラゴンクラッシュは既に、野生中の防御に対抗できる威力に仕上がっている筈だ」
「で、でもイナズマ落としは……っ!」
なおも物怖じする壁山を視線で黙らせる。元より、これが本来計画していた戦法だ。無駄にならないならば、それに越したことはない。
「弟が貴様に憧憬を抱いているならば、あの者の瞳に映る貴様は常に、理想の兄でなければならぬ。それが、貴様が如何に恐れても逃げられぬ、上に生まれた者の努めと知れ」
「お姉ちゃん――」
……まったく。春奈の前でこのような当たり前のことを口にするのも、いささか決まりが悪いのだが。
つまりはそういうこと。私が女帝である以前に春奈と有人の姉であるように、彼もまた雷門中サッカー部の一員である以前に、あの子供の兄なのだ。
弟妹の理想であること、その理想を穢さぬことは、兄姉となった瞬間から課せられる義務。
なれば、壁山がこの試合で無様を晒すなど、到底許されることではない。
「……兄としての……分かりました。やってみるっす……!」
「それで良い。土門、壁山の代わりにセンターバックに入れ。少林寺はベンチだ。状況次第で貴様を入れて攻撃を厚くする」
「は、はいっ!」
戦法は決まった。帝国でディフェンスを学んでいた土門であれば、空いた穴を十分に埋められる。
とはいえ、特にミッドフィールダーにはこれまでとは異なる動きをしてもらう必要がある。
中盤の選手を減らした動きは学ばせてはいるものの、不慣れであることは否めない。
「円堂、この試合は想定よりも苛烈な攻撃になるだろう。当然ながら貴様が要だ。前線に繋ぐ好機を逃すな」
「もちろんです! そのための練習だったんですよね!」
自信満々とばかりに拳を握る円堂に小さく頷く。
特に前半の攻めは苛烈となる。ゆえに、どれだけこちらが試合のペースを掴めるかだ。
コートに駆けていく面々を見送り、ベンチへと腰かける。当然のように、雷門が隣に座ってきた。執事は立たせたままなのか。
「ちょっと驚いたわ。あなたにもお姉さんとしての自覚があったのね」
「自覚のない兄姉などいるまいよ。それがどれだけ自分にとって大きなものであるかの差でしかない」
「天上天下、唯我独尊とばかりのあなたがそれを言うってだけでなんだか奇妙な気分になるわ……」
再三だが失礼なやつだ。二つの価値観が共存できぬ謂れもあるまいに。
まあ、この程度の言葉が発破になるならばそれで良い。そういうものは、得意ではないのだ。
「さあいよいよ始まります! フットボールフロンティア一回戦! 雷門中対野生中の試合です! 実況は今回も私、角馬圭太でお送りします!」
「将棋部は暇なのか?」
突如湧いてきた相変わらずの実況者。一切気配がなかったぞ、こいつ。
そもそも、フットボールフロンティアの地区予選には実況などいない。
驚いて硬直する雷門を無視しつつ呆れの視線を向ければ、角馬は声を抑えて答えてきた。
「ええはい。小生、将棋部よりも実況を本懐としておりまして。雷門中あるところ小生あり、という気概でございます! まあ地区予選限定の実況となりますが」
「……貴様、よもや角馬王将の縁者か」
「角馬王将は小生の父です! 小生、全国やプロを舞台に実況を務める父の背中を追って――と、自分語りはここまでに。野生中ボールからのキックオフです!」
始まった試合に視線を移しつつ、なんとも言えない気分で納得する。
角馬王将、フットボールフロンティアの全国大会において実況と解説を務める、あの業界において日本屈指の存在らしい。
試合がテレビ放送される訳でもあるまいに、実況を自ら買って出るのはその血の運命ということか。
この分では、勝ち進めば以降も彼は付いてくるのだろうと予感しつつ溜息を一つ。そうしているうちに、野生中は相変わらずの速度で早くも攻め上がっていた。
「野生中フォワード水前寺、物凄い速さであっという間にゴール目前! 最初のシュートを――見事円堂が防いだ! しかしボールが高く打ち上がった先にはミッドフィールダー大鷲がいる!」
ゴールバーすれすれのシュートをどうにか弾いた円堂。
防がれることまで予期していたのだろう。打ち上がったボールを、猛禽の如く跳躍した別の選手が既に捉えていた。
大鷲なる選手は空中で一度姿勢を整え、空を蹴るように加速してボールに頭を叩きつける。
「コンドルダイブ!」
高空からの急襲、速度に特化した一撃にすぐさま円堂は対応しようと駆け出す。
しかし、大鷲の必殺技は本命ではない。あらぬ方向へと飛んでいったボールに、さらに別の選手が合わせに行った。
「ターザンキックゥ!」
蔦に掴まることで大きく揺られた巨体の選手が、勢いそのままに『コンドルダイブ』の一撃にぶつかった。
シュートチェイン、というほどに威力は乗っていないが、別の必殺技によって無理やり軌道を変更するなどという小賢しい戦法を、よもやあの連中が使ってくるとは。
不意を突かれた円堂は咄嗟に体を捻って切り返す。
あれの対処は難しいが――彼は握り込んだ拳に炎を纏わせ、体を捻る勢いに乗せて叩きつけた。
「熱血パンチ!」
辛くも防いだ。ところが、野生中の攻撃がそれで終わる筈もなし。
ゴールを奪えなかったと悟れば、すぐにボールに群がって、手負いの獲物にとどめを刺すが如く攻めかかる。
蛇のように静かに迫ってきたフォワードは、先の円堂よりもしなやかに体を捻り、シュートへと移行した。
「スネーク――ショット!」
「野生中、立て続けに三度目のシュート! これは――!」
這うような軌道のシュートに円堂は食らいつき、何とか『熱血パンチ』を合わせる。
しかし、猛攻を前にして反応が僅かに遅れた。あのシュートを防ぐには、いささか足りない。
それを何よりも理解しているのは円堂自身だろう。歯を食いしばり、腰を落として――まだ諦めまいと、左の拳を握り込む。
「まだまだあっ!」
僅かに削がれた勢いは、遅れた反応を取り戻した円堂。
なおも彼を押し込んでゴールに至ろうとするシュートに対して、彼はもう一度、左手での『熱血パンチ』を叩き込んだ。
今度こそ勢いを完全に喪失し、弾かれたボール。これにはシュートを放ったフォワードも目を見開き驚愕を露わにした。
それでもなお、猛攻が終わる訳ではない。
俊足でこぼれ球を拾った水前寺が再度シュートのため、足を振り上げる。
――そして初めて、ディフェンス陣の対処が間に合った。
「させるかよ! キラースライド!」
「何っ――!?」
駆けてきた土門が繰り出した、高速のスライディング。
帝国が広く選手たちに伝える必殺技でもって、土門はボールを奪い取った。
転がったボールを、今度こそ円堂が掴み取る。ようやく、雷門中は野生中の最初の攻撃を防ぎ切ったのだ。
「ナイス土門! 助かったぜ!」
「おうよ。そっちもナイスセーブ。さて、攻撃だけど……壁山のやつ、本当に大丈夫か?」
土門の不安は尤もだが……もはや心配はなかろう。
今の猛攻の中で、壁山はフォワードの位置から不安げに、何度もディフェンスへと戻ろうとしていた。
それは、フォワードに立つというプレッシャーからではない――もちろん、僅かにそれも含まれていようが、何よりも円堂に負担を掛けまいと思ってのこと。
仲間を想い、勝利を欲し、そして活躍しようとしている。
一度奮起したのであれば、下らない恐怖に呑まれることもない。円堂もそう思ったようで、強気に笑って見せた。
「おう! 俺は信じてる――いっけえ、壁山! 豪炎寺!」
一気に前線へと蹴り出されたボール。
壁山の走りに躊躇いはない。今の円堂のセーブが、より強く背中を押したのだろう。
蹴り上げられたボールに向けて、壁山と豪炎寺は高く跳躍する。それを、野生中の小柄なミッドフィールダーも追った。
「高く上がったボールに向けて壁山と豪炎寺がジャンプ! これは新しい必殺技か!? ――おぉっと、すかさず野生中鶏井も追っていく!」
「空中戦じゃ負けないコケ!」
「どうかな――やるぞ、壁山!」
「はいっす!」
凄まじい跳躍力で豪炎寺たちの上を行ったミッドフィールダー、鶏井。
しかし、彼の限界をもさらに超えるボールの高さに戸惑い、二人への警戒が疎かになった。
そうしているうちに、壁山は体を反らした。より盤石な、彼にしかできない土台となるために。
面食らった様子の豪炎寺も、すぐにその動きに合わせる。壁山の腹に足を乗せて、二段目の跳躍で鶏井の遥か上空へと辿り着いた。
「これが、俺たちの――」
「――――イナズマ落としっ!」
オーバーヘッドから叩き込まれたシュートは、一筋の閃光となり、まっすぐに野生中のゴールへと突き刺さった。
……あのような体勢を思いつくとは。咄嗟の機転も馬鹿にはできないな。
本番に強いタイプというのは、これだから。鍛錬においてはひどく厄介だが、その分、試合で私を愉しませてくれる。
「ゴールッ! 前半八分! 早くも雷門先制点! 新必殺技『イナズマ落とし』が、見事に決まりました!」
これで勢いは付いた。一方で、怒涛の攻めを防がれ、得意の空中戦でも上を行かれたことで、野生中は決定的に戦意を挫かれただろう。
流石に、ここまでの展開は想定していなかったが、早くも勝ちへの大きな布石を置くことが出来たならば、それで良し。逆転のきっかけになるような不安要素はない。
「なんとまあ……ようやく、まともに見られるチームになったみたいね」
コートを――思わずとばかりに壁山たちに駆け寄る円堂を見ながら、苦笑交じりに感心を零す雷門。
それから、遠くで飛び跳ねて喜ぶ、壁山の弟だという少年。
会場の最悪な環境を忘れられる、僅かな満足感を覚えつつ、私は再会される試合に目を向ける――もう、それも必要ないだろうが。
――さて、そんな風に、危なげなく快勝を果たし、一回戦を突破した翌日。
一日経っても興奮冷めず、勝利に湧く面々をやや煩わしく思いつつ、次の試合に向けて思考していた時だった。
サッカー部の部室に一切の遠慮なく踏み入ってくる来客があったのは。
「雷門夏未――今日からサッカー部のマネージャーを務めさせてもらうわ。どうぞよろしく」
別に邪魔にはならないだろうが、サッカー部に対して一層の干渉をしてくるのではないかと、頭を痛めずにはいられない。
どうか私の邪魔はしないでほしいと、嵐の如きその出来事を前に、溜息を零すしかなかった。
【不破煌雅】
姉として弟妹が恥に思わぬ姿で在り続けるというのは、自立した幼い頃から一貫した価値観。
女帝であることの自尊心よりも、そちらの方が彼女にとってよほどモチベーションとなることは言うまでもない。
ちなみに現状、帝国戦以降は一度も雷門サッカー部のユニフォームに袖を通していない。
基本的に活動時はマネージャー組のジャージ(黒)を着用しており、試合にもそもそもユニフォームを持参していない。
如何に絶望的な試合になっても、選手として女帝の力を貸すことはないという意思表明でもある。
【雷門夏未】
不破煌雅の行動に頭を痛めるのが最近の悩み。
不破煌雅の頭を痛めつけるのが最近の趣味。(本人は否定)
【雷門中VS野生中】
フットボールフロンティア一回戦の対戦カード。
雷門中にとっては数十年ぶりのフットボールフロンティア出場であり、現在の雷門チームにとって初の公式戦。
本来ディフェンダーである壁山をフォワードに配置したことにより防御力が不足するも、早々に『イナズマ落とし』の得点により雷門中がペースを掴む。
野生中も負けじと必死の攻撃を仕掛けるが、得意の空中戦で上を行かれた動揺からか冷静さを欠き、攻め切ることができなかった。
対する雷門中はディフェンス陣が一丸となってゴールを死守、野生中の防御の薄さを突くカウンターを主体とし、4-0で快勝を果たした。