逆転する悪魔のパラベラム ~かつて最強と呼ばれた伝説のソロプレイヤーがゲーム大会に出場して無双する話~ 作:ロカイクオ
ミカエルはしばらく、景気よく笑っていた。
哄笑といっていいくらいの笑い方だった。
「とんだかんちがいだ。ほんとうにまあ、よくもそんなことを思える――よく聞け、エニグマ。俺が、リンジよりもおまえのほうをたいせつに思ったことは、ただのいちどもない」
どすんと、ミカエルは俺のとなりに座った。
「俺がリンジを止めていたのは、おまえに手を上げてでもしてしまえば、あいつの選手生命がそこで絶たれるからだ。俺でさえ、おまえの言動には……いや、話さないから動だけか……とにかく、おまえには胸倉のひとつでも掴んでやりたくなる。頭に血がのぼりやすいリンジなら、いつカッとなってもおかしくはない」
ミカエルは、急にひとが変わったようだった。
これまでの寡黙な態度は消え去って、軽薄とも取れる笑い方で、俺に流し目をくれる。
そのときに、俺は思い出した――はじめにlabyrinthの練習部屋でみたとき、ミカエルはたしかに、こんな顔でチームメイトたちと笑い合っていた。
ミカエルの顔から笑みがなくなったのは、俺が来てからだ。
「ひとつ、ちょうどいいから話してやろう。俺とリンジは、中学からの仲でな。あいつは、サッカー部の後輩だったんだ。むかしから、ともだち思いのやつだった。時代遅れのふざけた顧問に仲間が八つ当たりされていたとき、その顧問を殴っちまって、謹慎処分になったんだ。まあ、もとから評判の悪い教師だったから、そこまで大事にはならなかったんだが、部活はやめざるを得なくなってしまった」
懐かしむような口調で、ミカエルは虚空に向けて話した。
「しばらくして、俺はやつの家まで様子をみにいったんだ。そうしたら、リンジのやつ、べつにおちこんでなくてな。小学生のころのともだちと、ずっとPCの対戦ゲームをやっているっていうんだ。これはサッカーと同じか、それ以上におもしろいと。なし崩し的に、俺もプレイしてみることになった。そうしたらまあ、俺もみごとに沼にハマっちまった。その結果が、これだ」
ミカエルは、自分の着ているユニフォームをつまんだ。
「プロになるとき、俺たちはひとつ約束をした。エニグマ、おまえのかわりに抜けたT-techって選手、わかるか? あいつがリンジにゲームを教えたやつだ。俺たち三人で、いつか同じチームで世界を獲ろうって話をしたんだ。そして、すぐにチャンスが巡ってきた。labyrinthで、同じチームになれたからだ。そして、これまたすぐに、チャンスがなくなった。どうしてだかわかるか? おまえが来たからだ」
長いひとさし指に差されて、俺は、思わず顔をそむけた。
知らなかった。なにひとつ、知らない話だった。
それをミカエルは、さも俺も既知のことであるかのように話す。
「"エニグマ"。ルシオンのランクマッチに潜む、正体不明の伝説のプレイヤー……そいつはけっこうだが、だからなんだというんだ? 俺たちだって、エニグマにはなんども破壊された。しかし、だからなんだというんだ? オーナーには、なんども反対したさ。俺たちが好調なのは、チームとしての絆があるからだと。だが、あの合理主義の豚にはまるで理解されない。そんなものは、ひとりの圧倒的な天才が覆すくらいの些細なことだと。俺たちのこれまでのことも、ろくに知らずに……」
ぎりっ。と、ミカエルは、たしかに歯を軋ませた。
その目に浮かんだ怒りの色は、俺のほうを向き直したときには、すっかり消えていた。
だが、それでも俺は、あとずさりしてしまった。
「なあ、エニグマ。どうして、こんなことになったんだろうな。俺は、この新生ラビリンスになってから、試合をしていてなにひとつおもしろくはない。おまえが、ただひたすらに無言で敵を倒しているのをうしろで眺めているだけで、俺たちのゲーマーとしての仕事は、ほとんどなにもない。このところ俺が考えていることといえば、チームを移籍することか、プロをやめるか、そのどちらかだ……もっとも、もう三人で組むようなことは、ありえないんだがな」
思わず距離を置こうとした俺を、ミカエルが止めた。
俺の着るパーカーを、ちから強く握りしめる。
「"俺はチームのためにがんばっている"、といったか? なあ、それなら答えろよ、エニグマ。おまえがほんとうにチームのために努力していたというのなら、そのマスクをはずして、はっきりとその口で言ってみろ。顔さえもろくにわからない、挨拶さえしたことのない人間にチームを壊されて――あまつさえ、そいつにチームのためだと言われて、俺がなにも感じないとでも思っているのか?」
フードをはずされそうになって、俺は必死に抵抗した。
顔をみられるのが、どうしても嫌だった。
俺は……委員長ではない自分をみられるのが、なによりおそろしい。この何者でもない存在に、その正体を与えられてしまうことが。
うずくまって震える俺から、ミカエルはようやく手を離した。
「せめて認めろよ、エニグマ。おまえは、自分自身のためにゲームをしていると。おまえ自身の快楽のためだけに、ほかのチームを蹂躙して、それで満足していると。自分が満足するために、ほかの連中を押しのけている、とんだエゴイストだと」
「……っ」
「ああ――ほんとうに、どうしてこんなことになっちまったんだろうな。ただゲームがうまければプロとしてやっていけるとでも思っていそうな人間がひとり来ただけで、俺たちはこのザマだ」
ミカエルは、立ち上がった。
俺を見下ろす目は――厄介者なんてものじゃない。ごみをみるような目、そのものだった。
控室を出て行くとき、ミカエルは最後に、足を止めた。
「そうだ。リンジのやつが、なにかデバイスチートをしているんじゃないかというお前の話だが――それはありえない。デバイスを交換したあとでも不調があったそうだが、リンジはそのマウスに触っていないはずだからだ。そうだろ? なら、ほかに犯人がいる。新しいマウスに触った人間が。それがだれだかわかったら、オーナーに告発してみろ、エニグマ。もしもその口が、なにか物を言えるものだったらな」
振り向いたとき、ミカエルは、その口元をゆがめていた。
扉がしまったあと、俺は茫然とする頭で考えた。
交換されたマウスを受け取って、かわりにコードを繋いでいた人物。
それは――――ミカエルだ。
後半戦に出場するために、俺は席へと向かった。
先に座っていたリンジとミカエルが、なにかを談笑している。
俺が着くと、ぴたりと話をやめて、無表情になった。
後半戦の前に、六道オーナーの話がもういちどあったが、俺の耳にはほとんど入らなかった。
マウスを握る手の感覚がないまま、試合がはじまった。
もう、マウスの感度が狂っていることはなかった。
それでいて、俺は通常のプレイをすることができなかった。
俺の操るメレンは、まるで俺とは関係のない命令で動くNPCのように、フィールドを走り、物資を漁り、敵に弾を送りこんでいた。
俺がダウンしても、チームメイトはなにも言葉を発することはなかった。
そのかわりに、オーナーの阿鼻叫喚とも呼べそうな声が、ヘッドセットを貫いて俺の耳に届いていた。
だが、それさえも俺の心の奥底までには届かなかった。
まるで別世界のことのように思いながら、俺はなにも考えずに、手癖だけのゲームをしていた。
……俺は、どういうつもりだったのだろうか。
俺は、ゲーム画面をみながら、はじめてゲーム以外のことを考えていた。
ここにきて、俺はリンジに対しても、もちろんミカエルに対しても、怒りを抱くことはなかった。
俺がなにかを言ってやりたい相手がいるとしたら、それは俺自身だった。
プロゲーマーになってみたい――そうした願いが分不相応だとわかったうえで、それでも無理をして、チャンスを手にしようとしていた。
オーナーとの折り合いさえつけられれば、それで問題がないと思いこんでいた。
だが、実際は違った。
あたりまえだ。ルシファー・オンラインはチームゲーで、チームゲーとは、人間とコミュニケーションを取るということだ。
できるできないに拘わらず、その鉄則を無視しようとしていた俺は、自分のエゴのために、まぎれもなくほかのひとたちを犠牲にしようとしていたのだ。
勝てば文句がないだろう。
勝てば、それで官軍となれるのだろう――。
そうした短絡的な思考が、いかにひとりよがりで、チームにおいて毒となる存在であったのかを、ここにきてはじめて、俺は自覚していた。
そうだ――。
認めなければならなかった。
俺は、チームのために勝とうなんて、ただの一片たりとも思っていなかった。
プロとしてもやっていけることを雇い主に対して示したいがために、ただそのためだけに、この数か月間、ひたすらに敵を撃ち続けていた。
なんであれ対人トラブルが起きたときに、自分のちからで一切の解決が望めないというのに、ゲーム内の腕力だけで、強引に物事を進めようとしていた。
プロゲーマー以前に、俺は、人間として劣っていたのだ――。
たしかに俺は社会不適合者だが、だからといってだれかに迷惑をかけたいわけでも、傷つけたいわけでもなかったのに。
俺という存在そのものが、だれかに迷惑をかけるのだ……。
そう自覚したとき、俺の手がいよいよマウスから離れた。
もともと非覚醒のような状態で続けていたプレイだが、それさえも叶わなくなっていた。
今までの試合の勝敗も、現在の順位も、もはや俺の瞳には映っていない。
それはもう、俺に関係のある領域ではなかったからだ。
とっくにゲームから降りてしまっていた俺にとっては、名も知らない国で起きている戦争くらいに実感の伴わないものとなっていた。
「 」
六道オーナーが、俺になにかを話しかけてきた。ゲーム内では、俺の一挙手一投足に興味を示していなかったリンジとミカエルも、さすがにこちらに目線をくれていた。
その彼らに、もちろん、俺はなにも言うことができなかった。
俺にできたのは、全員に向けて、深々と頭を下げることだけだった。
それきりだった。
俺は、逃げるようにしてその場から離れた。
背後から声をかけられても、俺は足を止めなかった。
走っていると、涙が勝手に流れた。
涙があふれて、止まらなかった。
死んでしまえ、と俺は思った。
死んでしまえ、エニグマ。
おまえなんか、生まれてこなければよかったんだ。
他人はおろか、自分のことさえ幸福にできないおまえなんて、生まれてなんかこなければ――――。
それが、夏も終わりに近づいていた日のこと。
俺が、この手でエニグマを殺すことに決めた日の話。
ただ苦いというには、あまりにも苦すぎる、俺の夢の終わりだった。