逆転する悪魔のパラベラム ~かつて最強と呼ばれた伝説のソロプレイヤーがゲーム大会に出場して無双する話~ 作:ロカイクオ
「……新設校の、学園長」
名刺に目線を落として、俺は言った。
「そのとおり。この私が直々に務めさせてもらっている」
もういちど相手の姿を目にして、俺はようやく、その人物が何者なのかを思い出していた。
有名な資産家だ。ときおり、メディアにも取沙汰されているくらいの人物だ。
写真だけだと単に幼い顔つき程度という印象だったが、実際に会ってみると、なんとも信じがたい見かけだった。
その資産家が、今、俺の前でほっこりとお茶を飲んでいる。
うちの居間で。
テーブルには、渡されたばかりの金色のお菓子の箱があった。中身がなんだかもわからない。金箔でも貼ってあるのかというくらいに光っているが、それはどうでもよかった。
俺の眼前には、彼女がくれた名刺と、とある高校のパンフレットが置いてある。
――LC学園高等学校。
知っているか知らないかでいえば、知っている。いやむしろ、かなりよくわかっていると言っていい。
なぜなら、その高校は今年、うちの近所に建ったばかりだからだ。下校する生徒たちを頻繁に目にするくらいだ。
「学校を建てた理由はいろいろあるのだがね。とにかく、今現在やっていることとしては、国内のめぼしい中学生ゲーマーを探して、どうにか入学してもらうことなわけだ」
「……このゲーマー特待枠というのに、募集が足りていないのですか」
「いや? むしろ、去年は志願書が殺到して困ったくらいのものだよ。私としても、すばらしい光を放つ原石というものは、可能なかぎりこの目でたしかめたくもあって、精査には時間を取られた。だがそうだとしても、なかには向こうから届くのを待つのではなく、こちらから出向かなければならないような光もあるだろう」
彼女の言い回しは独特で、よくわからなかった。
だが、どうやら俺を指しているらしいことはよくわかった。
つまりは、これもまた一種のスカウトか。
「さて、私はまわりくどい話が好きではない。きみのことをずっと探していたよ、ルシファー・オンラインの生ける伝説――エニグマくん。ぜひ、わが校に入ってはくれまいか?」
突然、驚くほどの前置きのなさで、彼女は言った。話がはやいというよりも、脈絡がないといっていいくらいだ。
俺が思わずちらりと目をやったのは、塾の参考書が覗きみえる、自分の手提げのバッグだった。
「わが校に入学してくれるなら、さまざまな障壁がなくなるだろう。ペーパーテストは形だけのものになるし、私が許可しているのだから面接もいらない。そして、学費は免除しよう。入学した暁には、ゲーム活動は単位を取れるかぎり自由だし、学校としてサポートできることは全面的に協力する。なかなか好条件と思わないかね」
たしかに、かなりの好待遇だ。ありえないといっていいレベルだろう。
だが――俺は、首を振った。
「すみません。せっかくですが、お断りさせていただきます」
「……理由を聞いても?」
「ええ。ですがその前に、俺のほうにも質問が。どうして、あなたは俺のことを知ることができたのですか」
肝心の問いに、学園長は口をへの字に曲げた。
「当然の疑問といえるだろうな。まあ、安心したまえ。このことを知っている人物は、ごくごく限られている。もちろん、私もだれにも吹聴はしていないよ」
一応、安心を覚える情報のあとで、学園長は続けた。
「この業界は、縦にも横にも、いまだ狭い。特定の情報を得ようと思ったときには、そこまで苦労せずに知ることができるものだ。とくに、きみの場合は公式大会に出場しているわけだから、なおのことだ。もっとも、私はきみがごくごく若いらしいという噂話を聞いてから、このスカウトのために情報を探り始めたという順番だがね」
……つまり、だれかが俺のことを話したということだろうか。
labyrinthのスタッフか、六道さん本人か。それとも……。
いや、犯人捜しはいいだろう。
なぜなら、もはや関係はないからだ。
「聞いてください、学園長さん――俺はもう、ゲームをプレイするつもりはありません。プロゲーマーとしての活動はもちろん、エニグマという名前でプレイする予定も、いっさいありません」
オーナーにもおこなった宣言を、俺はもういちど繰り返した。
対して、彼女は不変だった。
俺の発言に驚くようなそぶりも、疑うような目つきもしなかった。
「ふむ。では、もうにどとプレイしないと?」
「ええ。ですので、LC学園にゲーマーの枠で入ることは、俺にはできません。ありがたいお話なのですが、お断りしようかと」
「……そうか」
わが家の粗茶のカップを置くと、学園長はわずかなあいだ口を閉ざした。
俺は、相手の心中を窺う。
彼女は、困っているのだろうか。
俺は、翠のことを思い出した。翠にあの大会の顛末を報告したとき、めずらしく翠は、うろたえていた。
俺は、あえて詳細を告げなかった。おもに、チームメイトのことなどは。
翠は、俺のしたことが客観的に悪いことのはずがないと信じてくれて、もういちどチャレンジするべきだと力説してくれた。
それでも俺は、自分の考えを曲げることはなかった。
だから、もしもこの学園長からプロシーンへの復帰を説得されたとしても、俺の気持ちが変わるはずがないと、俺は確信していた。
だが、その次に彼女の口から出てきた言葉は、意外なものだった。
その内容は、むしろ説得とは真逆といえるものだった。
「そうか。では――それでもかまわないと言ったら?」
「……え?」
「もう、にどとゲームをやらない。べつにそれでもいいから、入学してほしいと言ったら?」
俺は、耳を疑った。
……どういうつもりなんだ、このひとは。
「あの、よくご理解いただけませんでしたか。俺は、もうゲームをやらないんです。大会にも出ませんし、普通にもプレイするつもりはありません。だから――」
「わかっている、よくご理解しているよ。私は、話が繰り返されるのも好きではない。理解したうえで、それでもいいと言っているんだ。きみが心変わりして、いつかゲームをプレイするようになるという希望的な観測で物を言っているわけでもない。さあ、きみのターンだぞ。新しい手札を出したまえ」
まるでなにかのゲームかのような言い方をする学園長さん。
「そ、そう言われても……。それに、俺はただゲームをしないだけではありません。ゲームをしていると、だれかに思われることも嫌なんです。大会に出たことがあるということもだれにも言いたくないし、知られたくないんです」
「そうか。ならば、こうしよう。ゲーマー特待枠として勘定するが、周囲には一般入試の枠で入ったということにすればいい。実際のところ、そっちの枠も相当数設けてある。頭のド堅い世間サマにご理解いただくために、文句を言われない進学実績も叩き出すつもりだからな」
しれっと、俺に聞かせていいのかわからない話をされる。
「そう。だからきみが正体を隠しておきたいなら、いくらでも隠せるように融通しよう。それで、ほかに問題は?」
「問題、と言われても……」
「ないのなら、これで話は解決だ。さて、入学してもらえるだろうか」
「ま、待ってください」
思わず委員長ロールを忘れそうになるほど、俺は動揺した。
ようやく、違和感のもとにたどりついた。
「問題なら、あります。あきらかに、そちらにメリットがありません。俺にだけ都合のいい話を、俺は信じることができません。……新手の詐欺かなにかのように思えます」
俺は、怖かったのだ。
無価値な俺という存在に、なにかを見出そうとしてくる相手が。
俺の言葉に、学園長はフッと笑った。
「そうだったな。たしかに、そういう問題があった。これでは、あやしいおとなもいいところというものだ。きみを採る理由を、たしかに知りたいはずだろう」
顎に手を当て、まるで目の前にチェス盤でも置かれているかのように、その瞳を卓上へ。
「ふむ……しかし、あまり単純明快な話とはいえない。なぜなら、それこそが私のレゾンデートルであるといえるからだ。あの学校を建てた理由と、きみを採りたい理由は、まったく同じなのだよ」
「レゾン……?」
「存在意義、だよ。その昔、今のきみと同じような目をしている男を、私はみたことがある。ゲームができるだけの人間なんて、なんの意味も、価値もないと、そう言われたことがある。私はそのとき、なにも言い返すことができなかった。だが、今は」
俺は、目の錯覚かと思った。
学園長の瞳に、真っ赤に燃えるような熱が灯っているようにみえたからだ。
「今は、その行為に意味がなかったなどとは言わせない。エニグマ……いや、亜熊くん。きみはかつて、きみ自身のちからによって、その光の強さを世界に示した。知っているかな? 真に離れた場所の光とは、遅れて地上へと届くものなのだよ。私は、過去に活躍したきみだって、一向にかまわないんだ。だから――前途ある若者がそんな目をするのは、やめてくれないか」
少しだけつらそうな顔で、学園長が微笑んだ。
俺は……俺は、いったいどういう目をしていたのだろう。
それから、ふと思う。
俺のそんな目は、今だけの話なのだろうか。
それとも――会場から逃げ出したあのときから、ずっとそうなのだろうか。
「……すみません」
「あやまらなくていいさ。きみはまだ中学生だ。なにかをやり直したいならいくらでもできるし、どういう存在にだってなれる。そのための一助に、私の作った学校がなるのなら、それ以上のことはないんだ。これは本心だ、ぜひ信じてほしいものだが」
彼女の話を、俺はすべて飲みこめたわけではなかった。
ただし、わかった重要なことが、ひとつ。
それは、彼女のやっていることが、どうやら慈善活動ではないということ。
俺を入学させるということが、なにか彼女の目的に――あるいは野望に、合致するらしいということが、俺には伝わった。
「さて、私からの話は以上だ。資料は置いておこう。各種手続きの書類もだ。もしも心が決まったら、報せてくれたまえ」
「あの。ほんとうに、俺はゲームをやらなくてもいいのですか」
「きみもなかなかにくどいな、それでいいと言っているだろう。なんなら念書でも書こうか? ――ああ、もちろん突然やる気になったのだったら、それはそれでかまわないがね。とにかく、私としてはどっちでもいいのだから」
正直、あまり似合っていないようにみえるファーコートを着て、彼女は玄関のほうに向かうと、挨拶もそこそこに出て行ってしまった。高そうな車に乗りこむや否や、ブーンと発進していってしまう。
残された俺は、困り果ててしまった。
まるでキツネにつままれたような気分だ。
どう考えても、おいしすぎる話だ。なにせ、俺にほとんどデメリットがない。学園長以外だれも俺の正体を知らないまま、いかにも設備のよさそうな近所の新設校に通えるというのだ。考えうるかぎり、最高の条件だといっていい。
俺は、まだ迷っているつもりでいた。
だが、心のどこかでは確信していた。
自分が、どういう選択をするかということを。
その後、俺はすぐに翠の家に行って、起きた出来事について相談した。
翠は俺よりも疑い深く、その学園長とやらの真意を探るべきだという話をしたが、書類上には不備がなく、学校側に問い合わせて詐欺を疑う余地がないことがわかると、最後には推奨してくれた。
そうして俺は、LC学園の二期生として入学することになった。
その後、とある問題が発生して、翠もまたLC学園に入学することが決まったが、とにもかくにも、春にはふたりして高校生になることができた。
初日のホームルームでは、高校でもぶじに委員長になることに成功した。
俺の正体を知らないイヨちゃん先生のもとで、中学のとき以上にお堅い委員長として、おだやかで充実した高校生活を送っていた。
平和で、波風の立たない日々だ。
そうした生活を送るうちに――――俺のなかで、かつての感情が復活した。
きっと、時が俺を癒したのだろう。
委員長ロールを送る代償として、心とからだが、どうしようもなくゲームを求め始めたのだ。
俺がかつて生きていた場所を。
俺の魂が引かれていた世界を。
なによりも楽しかった、ルシファー・オンラインのもたらす戦場を。
だが、エニグマはもう、死んでいる。
否、俺がこの手で抹殺している。
やつがオンライン対戦の場に戻ることは、もうない。
――であるならば。
まったく新しい存在として、正体を隠してプレイすればいいと。
それが、匿名熊の誕生の理由だ。
エニグマの残した匿名の影として、俺自身の影として、気ままで楽しい配信活動を細々とはじめた。
ランクにはもう、基本的に潜らない。べつにカジュアルマッチだって、このゲームは楽しい。
そして俺は、ぽちぽちと自由にゲームを再開して。
――高校二年の一学期の終わりに、赤城さんに見破られた。
それからは、ひたすらに電甲杯に備える日々だった。
そして、今。
これまでの会話、行った場所、会ったひとたち、思ったこと。それらが順に、ときには同時に、俺の心中に去来する。
俺が協力していたのは、みずからのレゾンデートルのためだ。
委員長であり続けるために、俺はひたすらに、委員長であったのだ。
だが、その根底にあった行動原理は、果たしてなんだったというのか。
俺は自問する。
あのひとは、おまえをずっと応援してくれていたんだぞ。おまえのつまらない配信を、おまえのプレイを認めてくれて、孤独にコメントを送ってくれていたんだぞ。
そんな優しいひとが、せめてにどとあんな涙をみせないように、おまえは少しでも役に立ちたいと思ったのではないのか。
だからおまえはあれだけ練習に参加して、委員長らしくない、ゲームなんかする姿を学校の人間にみせて。あまつさえ彼女の家に行って救出しようとしてまで、がむしゃらにがんばってきたんじゃないのか。
そうだ――他意はあったんじゃないのか。
それが、おまえがみてみぬふりをしていた、おまえの根底なんじゃないのか。
俺はうごめき、閉じた瞼のなかで、外の世界を恐れる。
夢から醒めれば当然、そこにあるのは――――ただの現実だ。
「…………っ、はあっ」
まるで、水面からようやく顔を出したときのようだった。
起き上がると、俺は簡易ベッドの上にいた。
なぜ。と思う間もなく、すぐに思い出す。
俺は、試合の途中で倒れたのだ。
遠くなっていくモニターの、赤城さんの悲痛な表情を覚えている。
――時間は。
スマホをみると、19時を少し回っていた。
俺は、愕然とする。
第5試合の終了予定時刻は、19:30だったはずだ。
おそらく、すでに試合ははじまってしまっている。
であるならば、俺は……。
「めざめましたか。気分はどうですか」
ベッドの横のカーテンが開いた。顔を覗かせたのは、中年のおじさんだった。白衣を着ているから、きっと医者なのだろう。
俺は、返事をしようとした。
そのときに、気がつく。
――だめだ。
完全に、俺のバッテリーが切れている。
委員長ロールに、入れない。俺の口から、言葉が出てこない。この焦燥しきった表情を整えることさえもできない。
「はあっ、はあっ、はあっ」
過呼吸のような荒い息が、また復活してしまった。
どうやら俺は、まったく回復できていないようだ。
だが――だからといって、この場に留まっているわけにもいかなかった。
「ま、待ってください!」
止める医者を振り払って、俺は医務室のような場所から外に出た。
ふらふらとした足取りで、しかし急いで、廊下を進む。
自分がどうしたいのか、自分にもわからなかった。選手席にたどり着けたとして、なにかができるわけでもない。
スタッフとも、赤城さんとも話すことができない。
あやまることさえ、できない。
無駄だ――。
そうわかっているのに、俺は向かっていた。
まるで永遠のように感じる廊下を、俺は、からだを引きずるようにして、ただひたすらに行進した。