逆転する悪魔のパラベラム ~かつて最強と呼ばれた伝説のソロプレイヤーがゲーム大会に出場して無双する話~   作:ロカイクオ

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100話 最後の勝利者

『………………。』

 

『…………いやー、ちょっと……言葉がありませんね』

 

『これは、なんといえばいいのか……ありえない、ほとんどみたことないくらいのキルムーブといいますか…………』

 

 

 

『…………えーーと、ですね』

 

『……詳しいコメントは、あとにしましょうか』

 

『そうですね。えー、ここまでの状況は――波乱も波乱。大波乱といっても過言ではなかった、電甲杯ルシファー・オンライン部門の最終戦ですが』

 

『崖上のポジションにつくのは――――LC学園、se1en選手率いる"V-labyring"の面々。こちらもさすがの立ち回りというべきでしょうか、周囲の大戦争に巻き込まれず、完璧な場所に控えております』

 

 

 

『対するは、ここまで単独で戦ってきた、大番狂わせ。Quiet BearSのAguma選手ですが……』

 

『あの、自分、先にコメントいいですか?』

 

『……はい、どうぞ』

 

 

 

『…………ほんっっとうに……ほんっっっっっとうに、すごいプレイでした! 不詳、真白井ニャム、現バージョンのヴェロシティを活用した立ち回りで、まさかこんなプレイングがみられるとは、夢にも思いませんでした!!』

 

『…………。』

 

 

 

『しかし、惜しむべくはこれだけキルを取っても、ぎりぎり逆転優勝はしないことですね。首位のV-labyringがキルポイントを4獲得しているので、Quiet BearSが優勝するにはこのマッチで1位になるのが必要不可欠……ああ、やっぱりそうですね。もしもこの局面でチャンピオンまで取れていたならば1pt差の僅差で逆転だったのですが……って、どうしました、照井さん? 黙っちゃって』

 

 

 

『あ、いや……ニャムさん、さっきの話、覚えていますか。あの、スキル構成の話』

 

『覚えていますけど』

 

『きづいていますか? 彼、スキルをまだひとつしか使っていなくて。で、さっき映ったもう片方のスキルが…………』

 

 

 

『…………結局、みまちがいではなかったと?』

 

『……たぶん、ですが。あのアイコン――〈オーバーフロート〉ですよね』

 

 

 

 

 

   ***

 

 

 

 

 

「――なんだかんだ、最後はイージーゲームだったな」

 

「めちゃくちゃ荒れてたけどなw まあ、全然意味わかんなかったけど」

 

「なんで崖上にだれも来ねーんだよってw むしろはやめに着きすぎて協調されたらやばかったくらいなのに、なんもなかったな」

 

 

 

 チャンピオンポジションの崖上に陣取るパーティが、軽口を叩きながら崖の下に照準を向けていた。

 

 

 

「おい。最後なんだ、集中しろよ」

 

 

 

 同級生をいさめるのは、得意のスナイパーライフルを構えるse1enだった。

 

 オートナイツの現役プロであるチームメイトたちは、腕前はじゅうぶんだが、自分の本業以外のゲームをやっているせいか、そこまで真剣ではない様子だった。

 

 しかし、彼は違った。

 

 だれに軽薄といわれようと、ルシ王子ことse1enは、ルシファー・オンラインに対してだけは真摯のつもりだった。

 

 どういう状況でも気は抜かない。

 

 それこそ、勝ち確とされるような状況でも。

 

 

 

『ラウンド4終了、生存可能区域の縮小がはじまります――――』

 

 

 

 ルシオンのゲーム内アナウンスが流れて、最終ラウンドに移行する。

 

 射角的にまだ狙い撃てないが、この下に最後の敵がいることはわかっていた。

 

 使用キャラがなにかはわからないが、だれであろうと関係はなかった。このゲームに実装されているどのキャラクターでも、この崖をぶじにのぼることはできない。

 

 

 

 なにがあろうとも、絶対に。

 

 

 

 

 

    ***

 

 

 

 

 

 エニグマというプレイヤーの特異性は、なによりもそのスキル構成にあらわれているといって過言ではなかった。

 

 ソロで潜る関係上、エニグマは味方とうまく連携が取れない。それゆえに、単身になっても戦える構成というものを、エニグマは身に着けていったようだった。

 

 つまりは、1on3でも勝てるようなスキル構成というものを。

 

 それは、のちにVOP構成と呼ばれる、エニグマ専用のスキルセットとなった。

 

 

 

 多くのプレイヤーが、そのVOP構成を真似しようとした。

 

 なによりもまずは、使用キャラをメレンにすること。

 

 のちにメレンが大幅に弱体化されたあとも使い続けるエニグマ信者たちはメレン教と呼ばれ、多くのプレイヤーから鬱陶しく思われることになった。

 

 

 

 スキルにおける模倣で代表的なのは、ヴェロシティだ。

 

 当初は、加速スキルのヴェロシティにかかる感度の補正がゆるく、加速した状態でも無理やりエイムを合わせるということは、一部のプレイヤーには可能だった。

 

 もっとも、それは上級者に限った話で、99.9%のプレイヤーには不可能な技術だったのだが、それでもまだ「シューティングゲームのコンセプトに障る」として、運営はヴェロシティの性能を大幅に調整した。

 

 発動中は被弾のダメージが上昇し、紙装甲になる。さらにそのうえ与ダメージも念入りに下げることで、シチュエーションによっては逃亡に使えることもある、という程度の残念な性能に抑えられてしまった。

 

 

 

 であるにもかかわらず、エニグマはヴェロシティを捨てなかった。

 

 むしろほかのスキルと併用することで、今度こそほかのだれにも真似できないプレイというものを編み出した。

 

 今や伝説の戦いと称される、イギリスプロチームのLL(ダブルエル)を相手に5回連続で勝利したクリップでは、当時エニグマの採った無法の戦術が映像として明確に残っている。

 

 

 

 そう――記録としては残っている。

 

 それでいて、その動画でエニグマが具体的になにをどうしているのかは、だれにもわかっていない。

 

 なぜなら、その映像で起こっている現象は、駆逐される側の視点だからだ。

 

 

 

 エニグマがなにをしていたのか知るのは、エニグマ当人だけだった。

 

 

 

 

 

    ***

 

 

 

 

 

 崖の下から、特殊アイテムであるリフトアップの上昇気流が発生した。

 

 それもまた、崖上のチームからすれば予測可能なことだった。このアイテムを使えば、キャラクターに問わず、縦軸の移動が可能となる。

 

 だがそのかわりに、リフトアップにのっているあいだは無防備だ。

 

 そこを撃ち下ろせば、それで終わり。

 

 

 

 敵の姿がみえたとき――。

 

 そこにいたキャラクターは、メレン。デフォルト衣装の、白衣を着た金髪の女性キャラクターが、ペインバッカーを手にしている。

 

 一斉射撃がはじまった。

 

 通常なら、ほんの一秒と持たずにダウンするはずの集中砲火。

 

 しかし、相手はそれに耐えた。

 

 

 

 メレンが発動していたのは、アルティメットである〈ゼロポイント〉。これまでいったい何ダメージを稼いできたのか、被弾と同時に回復して、無理やり耐える。

 

 だがそれも、ほんのいっとき耐えているだけだ。

 

 すぐに次の射撃がはじまる。

 

 その直前に、崖に飛び移れるだけの高度を確保したメレンが動いた。

 

 そのからだが赤く発光しているのは、スキルを使用している証だった。

 

 

 

「……消えた!?」

 

 

 

 動揺する崖上チームのあいだを、影が通り抜けた。

 

 

 

 その高速移動する影の正体は、メレンだ。

 

 ―――—メレンが、宙を飛んでいた。

 

 それだけではない。ひゅんひゅんと、目にも止まらぬスピードで、自由に空中を舞っている。まるで∞の字でも描くかのように、メレンが空を去来している。

 

 

 

 この現象が起きる所以を、se1enは知っていた。

 

 これは〈ヴェロシティ〉と〈オーバーフロート〉の重ね技だ。

 

 加速スキルのヴェロシティと、その場を浮遊するオーバーフロート。

 

 このふたつを掛け合わせると、使用キャラクターはすさまじい速度で宙を翔ることになる。

 

 その状態にあるキャラクターは、生半可なことでは撃ち落とせない。

 

 

 

 だがそれでいて、その行為には時間稼ぎ以上の意味がないことも、se1enは知っている。

 

 なぜなら、普通はヴェロシティの加速を制御できずに、発動者が望まない方向に吹っ飛んでいくことになるからだ。

 

 さらに、もしかりに制御できたとしても、その状態では敵を撃つことができないからだ。つまりこれは、倒しも倒されもしない状況というわけだ。

 

 ゆえに、se1enは驚きこそしたが、あわてはしなかった。

 

 

 

 ――ただの猿真似だ、やつの。それだけに過ぎない。

 

 

 

「な、なんだよ、これ! みたことねえけど!」

 

「落ち着け――すぐに効果が切れる、そうしたら」

 

 

 

 撃て、という間もなかった。

 

 

 

『VL_kudoがダウンしました』

 

 

 

 そんなキルログが流れる直前。

 

 ズダダンッ!! と、弾が重なり合う音がして、味方のひとりがダウンした。

 

 

 

「は? ちょっと待った、落ちた! 俺、落ちたけど!」

 

「わかっている!」

 

 

 

 ――模倣じゃない!?

 

 

 

 ありえないことが起きている。

 

 なぜなら、kudoのフィラリアは、備えに備えて防御スキルを発動していたのだ。かりにまぐれでヘッドに弾が当たろうとも、死ぬことはない。

 

 そう――メレンの〈ゼロポイント〉の効果と、ペインバッカーの効果まで足して、バフをかけた弾を、すべて命中させないかぎりは。

 

 そんなことができるプレイヤーは、この世にひとりしか…………。

 

 

 

(――うそだ)

 

 

 

 なにが起ころうと、こんなことだけは、絶対にありえない。

 

 だって、そうだろう。そのはずだ。

 

 この場にエニグマが混ざっているなんていうことだけは、絶対に――――。

 

 

 

 味方のひとりが、空に向けてがむしゃらに銃を乱射した。

 

 一発でも当たれば落ちるというのに、その一発が、どうしても当たらない。

 

 

 

「セレンッ。当たんねえ、弾、こんなの狙えねえっつうの!」

 

 

 

 空を加速する敵が、ほんの一瞬だけ動きを静止した。その一瞬のうちに照準を済ませて、四点バーストのアサルトライフルを放つ。

 

 ズダダンッと音が続いて、もうひとりの仲間もダウンする。

 

 そのときになって、se1enはようやく忘我を解いた。

 

 

 

 自分は、なにを傍観しているのか。

 

 相手のスキルが終わるのを待っている場合じゃない。

 

 撃たねば――殺されるより先に、殺さなければ。

 

 そう思い、スコープを覗きこんだ。

 

 se1enが、なによりも自信を持っている武器。

 

 国内どころか、世界でいっても、今やスナイパーの三本指に入ると自負している。

 

 

 

 移動中の敵を撃とうとしてはならない。

 

 チャンスがある。相手が射撃のために加速を止めるタイミングだ。

 

 そこさえ狙えれば、早撃ちの要領で撃ち勝てる――。相手はヴェロシティの効果で紙装甲なのだから、当てるのはどこでもいい。

 

 

 

 se1enは、その瞬間を捉えた。

 

 刹那――同じようにこちらに照準する、メレンの姿が、スコープ内に映った。

 

 かつて"電子に棲む悪魔"と呼ばれた、ひとりのプレイヤーの姿。

 

 本来ゲームが想定していない物理演算のすえに、空中でその身を180度逆転させている、奇怪なる悪魔そのものだった。

 

 

 

 ぞくりと、身が震えた。

 

 

 

 se1enには、自分の照準が合っていたのか、その答えを知ることができなかった。

 

 直後に起きたのは、打点に一切のズレがない、ただ一点に重なるバースト射撃。

 

 バグったような射撃音がヘッドセットに鳴り響いて、se1enが左クリックを押下するより先に、ゲーム上の視界が真っ赤に染まった。

 

 それで、終わりだった。

 

 

 

 ヴェロシティ。

 

 オーバーフロート。

 

 ゼロポイント。

 

 それらの重ねがけができるのは、たったの八秒。

 

 終わってしまえば、ほんの十秒にさえ満たないあいだのできごとだった。

 

 

 

 その悪魔は、自分が屠った敵の石像の真ん中で、まるでなにもなかったかのようにだらんと棒立ちしていた。

 

 

 

 

 

 

   ***

 

 

 

 

 

 

『…………………………………。』

 

『……………………。』

 

 

 

『…………VOP(ヴェロシティ・オーバーポイント)構成…………』

 

『………………あの、エニグマだけが使った、という………』

 

 

 

『これは、つまり…………』

 

『彼が……………あの、選手が…………?』

 

 

 

 実況席が、まさしく絶句していたとき。

 

 

 

『次世代の魔王候補が確定しました――――』

 

 

 

 ゲーム内のアナウンスによって、画面に最終第5試合の勝者が表示された。

 

 メレン、マレイユ、チェリーパイ。

 

 チーム名が表示されたとき、実況者は、思い出したようにマイクを掴んだ。

 

 どれだけ衝撃を受けていようとも、実況を生業にする者の矜持として、ウィナーズコールを欠かすわけにはいかなかった。

 

 

 

 

 

『き、決まりました』

 

 

 

『第4回電子機甲戦杯、ルシファー・オンライン部門、最終マッチ』

 

 

 

『きょ、驚異の、単独16キルを記録し、チャンピオンを獲得して――――』

 

 

 

『…………ま、待ってください』

 

 

 

『集計を待つまでもなく、ポイントは……確実に、足りています、よね』

 

 

 

 

『――――』

 

 

 

 

 

 

『最終試合のチャンピオンを獲得し、逆転優勝したのは――――』

 

 

 

 

 

『LC学園…………"Quiet BearS"――――ッッ!!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 大歓声があがった。

 

 選手席に、スポットライトが当たる。

 

 その場にいたのは、席を立ったひとりの男性だった。

 

 フードを被り、うつむいていて、その相貌は窺えない。

 

 

 

 それでいて、彼は幽霊のように、ただじっと佇んでいる――。

 

 

 

 

 

    ***

 

 

 

 

 

「――――うそだ、ありえないッ!」

 

 

 

 時を同じくして、VIPルームにて。

 

 窓に張りついて、六道景虎は大声を出した。

 

 

 

「ありえないぞ。どうしてあいつが……エニグマがいるんだ! エニグマは、もうゲームをやめたんだぞ。とっくにやめちまって、俺のもとから………!!!」

 

 

 

 ほとんど噛みつこうかという剣幕で、六道オーナーは振り向いた。

 

 そこにあるのは、不敵に笑う西園寺遊夏の姿だった。

 

 

 

「どういうことだ。エニグマは、LC学園に入っていたのか? 西園寺オーナー、あんたはそれを知っていたのか? 知っていて、あいつを……!」

 

「さあて、なんのことやら。彼は私の学園の、極めてまじめなクラス委員長だと聞いているがね」

 

「ふざけているのか。エニグマはな、もともとは俺がみつけたんだ……! あいつは、俺の……俺のチームの、エースなんだよ……!!」

 

 

 

 吐き捨てるように口にして、六道オーナーは部屋の外に駆けていった。

 

 西園寺遊夏の目配せを受けて、黒服がそのあとを追う。

 

 彼女自身は、その場にとどまった。

 

 

 

「……少年よ。あのとき私は、真実を話したつもりだよ。きみがどうしようとも、それはきみの選択として受け入れるつもりだった。……だが、それでいて、私はわかっていたんだ。当人の意思にかかわらず、星とは巡るものだということを」

 

 

 

 それは、だれにも聞かれていない言葉。

 

 

 

「しかし、ルシファー・オンラインとはよくぞ言ったものだな。そうだ――あれこそが、だれもが認める圧倒的な光――――明けの明星だ」

 

 

 

 観戦モニターに映る、紙吹雪の向こう側で茫然と立ち尽くしている優勝者の姿を双眸におさめて、彼女は満足げに笑った。

 

 

 

 

 

    ***

 

 

 

 

 

 やれるだけのことはやった。

 

 

 

 ゲームセットのあとではじめに抱いたのは、そんな短い感想だった。

 

 俺は、反射的に椅子から立ち上がった。

 

 ずっと止めていた息を吐いて、ヘッドセットをはずす。

 

 その途端、

 

 

 

 

 

『最終試合のチャンピオンを獲得し、逆転優勝したのは――――』

 

 

 

『LC学園…………"Quiet BearS"――――ッッ!!!!!』

 

 

 

 

 

 実況席の声が、こちらにまで届いた。

 

 そうか、と俺は思う。

 

 優勝、したのか。

 

 ポイントは、足りていたのか。

 

 つまり俺は、彼女の役に……チームメイトの役に立つことが、できたのか。

 

 それならもう、あんな涙をみる必要も……。

 

 

 

「…………いいんちょくん」

 

 

 

 そう思い、となりに目をやったとき、俺は心臓が口から出るほどに驚いた。

 

 予想に反して、赤城さんが泣いていたからだ。

 

 彼女が泣かないようにがんばっていたというのに……。だが、あのときとは違うということに、すぐに気がついた。

 

 笑ってもいるから、嬉し泣きだろうか。

 

 いつのまにか、翠も戻ってきていた。

 

 赤城さんと翠が、そろって俺に視線を送っている。

 

 思わず、俺もマスクのなかで口元を綻ばせた。

 

 

 

 いや――と、それからすぐに気づく。

 

 ふたりだけじゃない。

 

 周囲にいる者全員が、俺をみていた。

 

 選手たちも、カメラマンたちも、観客席にいるひとびとも。

 

 ここにいる全員が、この俺を。

 

 

 

『さぁ、はやくっっ。はやく、Aguma選手を前につれてきてくださいっっ!』

 

『Quiet BearSのみなさん、壇上にお願いします! ステージの前、壇上!』

 

 

 

 なにやら必死の声の実況さんと、俺たちに向けて声を発するスタッフさんたち。

 

 ぼーっと突っ立ってないではやく来るようにと、何人かが手招きしている。

 

 というか、なんなら彼らが迎えに来てしまう。

 

 

 

 ――まずい。

 

 と、直観的にそう思った。

 

 全力のゲームが終わり、火口に突っ込んだかのように熱い俺の肉体は、すでにでくの坊だといっていい。

 

 そうだ。ゲーム外の俺には、もはやなにをすることもできない。

 

 このあとに待っているすべてのできごとが、俺には耐えられないだろう。

 

 なにせ、委員長に戻ることができないのだから。

 

 

 

 選択肢を吟味するだけの時間的な余裕はなかった。

 

 どちらかというと反射で、俺は足元のバッグを手に取った。

 

 

 

『Agumaさん?』

 

「いいんちょくん?」

 

 

 

 スタッフさんと赤城さんが、俺を振り向く。

 

 その両名に向けて、というか全体に向けて、俺はぺこりと頭を下げると――。

 

 

 

 ――――その場から、脱兎のごとく逃げ出した。

 

 

 

『えええーーーーーーーーーーー!!!?』

 

『ちょ、ちょっと、Aguma選手!!?』

 

『待ってください、今から表彰とインタビューが…………!!!!』

 

『ちょ、だれか、だれかそのひと止めてーーー!!!』

 

 

 

 ステージ後方の出入り口に立っているスタッフさんをよけて、関係者用の扉のほうへと向かう。背後から声が鳴り響いていたが、構わなかった。

 

 すまない、翠。もうしわけない、赤城さん。

 

 ふたりには非常に悪いと思っているが、この先のことは、俺には絶対に無理だ。

 

 

 

 一目散に、俺は会場から退散していく。

 

 俺が思い出したのは、二年前の夏の日。

 

 横浜の会場から逃げ出した、アジア大会プレイオフの当日。

 

 あのときと、今。

 

 やっていることは、同じだ。試合のあとに、逃げるために駆けている。

 

 

 

 それでも、俺の気分は、ふしぎと悪くなかった。

 

 からだはぼろぼろで、頭痛もひどいというのに、ふしぎと。

 

 わずかに滲む涙がだれのためのものなのか、俺にはわからなかった。

 

 

 

 無理に解釈してやるなら、それはきっと、やつのためのものだったのだろう。

 

 そうだ――と、俺は思う。

 

 

 

 エニグマ。

 

 お前を殺すとき、俺は嫌だったんだ。

 

 だから、もしも蘇ってくれたのなら、俺は……俺は……。

 

 

 

 俺は――――。

 

 

 

 とうに日の落ちている時間に、俺は会場の外に出た。

 

 淡いネオンの灯る渋谷を、俺はひたすらに走った。息が切れて、足が痛くなり、倒れこみそうになるそのときまで、ただひたすらに。

 

 

 

 それが、その年の、俺の夏の。

 

 

 

 第4回電甲杯の、冴えなくてダサい終わり方だった――――。

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