逆転する悪魔のパラベラム ~かつて最強と呼ばれた伝説のソロプレイヤーがゲーム大会に出場して無双する話~ 作:ロカイクオ
桜花さんは、なみなみと足した赤ワインを、こくこくと飲み進んでいた。
……つまみもなしに、よくもまあ。
俺がおそれていたのは彼女の顔色の変化だったが、少なくとも、見た目には違いは生じていなかった。
グラスの水面に目線を落としたまま、桜花さんは言った。
「あの子が入学してはじめての試験の結果をみたときのことを、よく覚えているわ。科目の半分くらいが赤点で、これでは進級ができないじゃないと言ったら、かわりのなにかを提出して、ぎりぎりで及第点になるからだいじょうぶ、だとかなんとか言って。あの学校、ゲームの一芸入試の子たちを留年させないように、いろいろと策を講じているみたいなのよ」
あなたは知っていたかしら、と聞かれて、俺はあいまいにうなずいた。
実際、そのあたりはグレーな話だ。学校側は、とにかくもろもろの手段を用いて単位をあげようとしており、それに救われている生徒も多いのはたしかだ。
とはいえ、どの学校でもある程度は許しているちょっとした融通の話で、俺自身は問題だと認識したことはなかった。
「あの子と交わした約束というのは、勉強にかんしてのことよ。成績に基準をもうけて、それを下回ったときにはきちんとリカバーすると、たしかに取り決めをしていたの。それなのに、あの子のこのあいだの期末考査の成績ときたら……ちょっと賢いマウンテンゴリラに解かせるのと大差ない結果だったわ」
いや、けしてそんなことはないと思うのだが……。
ともあれ、ここはなにかしらフォローしたほうがいいだろう。
「しかし、少なくとも現在の赤城さんは勉学にもやる気があるものと思います。期末試験の前後は、俺もクラス委員として相談を受けましたし、今回の合宿にも参加の意思をみせていました。ですので、もともと出場予定だった大会に出るくらいのことは、許してさしあげては」
「だめよ。それは、だめ。けじめは必要よ、なにごとにも。あの子はまだ高校生で、勉強はとてもだいじなことなの」
にべもないとはこのことか、即座に否定されてしまう。
「わかっているわ。きっと、ひどい母親だと思っているのでしょう。でもね、わたしはきちんとオルタナティブな選択肢も与えているのよ」
突然、むずかしいことを言いだす桜花さん。
「オルタナティブ?」
「そう。もしもあなたがそんなに勉強が嫌なのだとしたら――かわりにわたしが幸福な将来に導いてあげるから、わたしの言うことを聞くようにしなさいって。かんたんな話でしょう? 勉強する賢い子なら、自分で将来を選べる。勉強しない愚かな子なら、親がかわりに選ぶ。どこの家庭もそうしているのに、あの子はわがままで、両方の甘いところを取ろうとしているの」
ほんとうに思い悩んでいるのか、桜花さんは、細い指先で眉間に触れると、深刻そうな表情になった。
「亜熊くん。あなたは、きっと一般入試であの学校に入学したのでしょう。その場合の難易度はかなり高いと聞くわ。あなたは、きちんと将来を選べるルートに入っている……だから、ゲームばかりしていて将来を考えていない愚かな同級生のことは、きっと理解できないでしょうね」
「そんなことは……。それに、かわりに親が将来を選ぶとはいいましても」
「だいじょうぶよ。勉強しないならしないで、人生にはやりかたというものがあるの。そしてわたしなら、あの子にそれを与えてあげられるわ」
プランニングには自信があるのよ、と桜花さんは言った。
「あの子は器量がよくて、愛嬌があって、ひとに話を聞かせる力もある。会社と事務所がサポートすれば、きちんと売れるタレントになれるわ。そのためには、ゲームなんて余計なことは、一刻もはやくやめたほうがいいの。今はニッチな市場で小さなパイの需要を得ているだけで、あの子のキャパシティを考えるなら、ほかにもっと適した広いフィールドがあるの」
赤城さんが、ゲームをやめる。
それは赤城さんのキャリアから考えればかなりの損益であるように聞こえるが、口ははさむまい。
「せっかくそっちの才能があるのだから、歌と踊りのほうに専念して、今のうちから正統な路線で売り方を整えるべきだわ。その流れで知名度があがれば、人気絶頂期のハタチのころには、結婚相手は引く手あまたになる。でも、相手が同じ芸能人はだめ。スポーツ選手もよくないわ。もっとまじめで実直で、きちんと保障された仕事に就いている男性と結婚して、にぎやかな家庭を作って……」
なにやらエスカレートして語っていく桜花さんは、途中でふと顔を上げると、俺の目を覗いた。
「――そうしたら、あの子は幸せになれる。わたしとちがって。だから……あの子は、おとなしくわたしの言うことを聞いておけばいいのよ」
そうでしょう? と言わんばかりの視線を、俺はただ受け止めることしかできなかった。
このとき、俺の脳裏にはいくつかの考えがめぐった。
社長に聞いた、赤城さんと母親の確執の話。それを踏まえたうえで、桜花さんの今の話に、判定が入る。
……俺が思うに、彼女は、嘘はついていない。
だが、それでいてすべてを話してもいない。あたりまえだ。突然家に訪問してきただけの娘のクラスメイトには、話せることと話せないことがある。
もっとも、本来ならば話せない側にあるはずの話がすでに飛び出ているような気もするが、さもありなん、である。
それよりも、問題はべつのところにあった。
それは、委員長ロールにかんすることだ。
正しい委員長とは、なにか。
それは、他人の家庭で、他人の教育方針を聞いたとき、それが人道に反していないものであれば、ひとまずは口を挟まない生き物であることだ。
なぜなら、委員長とは穏当で波風を立てないものだからだ。
もちろん、今回の赤城さんの謹慎は、人道に反するものではない。厳しいか否かという話はおいておいて、親が子におこなう行為としては、ありえなくはない。
しかしそれでも――俺はそこに、赤城さんへの侵害を感じ取ってしまった。
彼女には彼女の事情があるにもかかわらず、それが黙殺されていると。
そして、そうしたものを完全に見過ごすというのは、それはそれで、委員長的であるとはいえない。
相反する委員長としての価値観がそこにあるとき、きちんと精査することが求められる。だが――このときの俺は、つい口を衝いて言ってしまった。
「聞いてください。じつは……愛莉さんとは、一学期の終わりごろから話す機会が増えていました」
当初は話題に出すつもりがなかったことを、言おうとしてしまっている。
せっかく、なにも知らない無害な人間としてやってきたというのに。
みずから難易度をあげて、首をつっこんでしまった。
「そうなの。あの子にも、誠実そうなともだちができたのね」
「はい、ともだちです。そして、お母さまがおっしゃるとおり、愛莉さんは溌溂としていて、話し下手な俺にも、いろいろな興味深い話をしてくれました。そのなかには、悩みの相談もありました」
もちろん、これはうそだ。
実際には、赤城さんは真実を明かしてはいなかった。
だが、それだってあたりまえのことだ。突如交流が発生しただけのモブのクラスメイトには、話せることと話せないことがある。
それに、なにより――。
俺は、いつかの彼女の言葉を思い出す。
――いいんちょくんめ、ヘンな嘘つかせたでしょー。あたし、よっぽどのことがないと嘘つかないようにしてんだからねー?
そう。
きっと、そのよっぽどのことがあったのだろうから。
「あの子の、悩みの相談」
復唱した桜花さんに、俺はうなずいた。
「ええ――それは、Quiet Girlsというチームと、彼女の父親にまつわる話でした。赤城さんは、ただゲームがしたくて大会に参加しようとしているのではありません。うしないたくないものを守るために、彼女なりに戦おうとしているのです。その点にかんしては、お母さまはどう思われますか」
俺の隠し立てをしない質問に、桜花さんの瞳が、たしかに動揺に震えた。