逆転する悪魔のパラベラム ~かつて最強と呼ばれた伝説のソロプレイヤーがゲーム大会に出場して無双する話~ 作:ロカイクオ
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部屋の隅で、彼女はずっと膝を抱えていた。
もうどれくらいそうしているのかもわからない。
口元にティッシュを当て続けているのは、吐き気が止まらなかったからだ。
なにが嫌かって、ハンガーストライキもまともにできない自分のふがいなさが嫌だった。
この密室から出られない、悔しさとやるせなさの渦のなかで、彼女が見出した唯一の抵抗は、食事に手をつけずにいることだったが、ほんの二食ほど抜いただけで、それ以降は耐えられなくなってしまった。
あなたは意志が弱い、という母親の言葉を自然に思い出してしまう。
昔から、意志が弱い、自制心がない、と怒られてきた。
母親の施す教育、いやな感じのする家庭教師、牢獄みたいな塾は、全部が耐えられなくて、逃げこんでしまっていた。
父親の家へ。
当時の愛莉には事情がわからなかったが、離れた場所に暮らしていた父親のいる場所へ。
母とは違い、なにも自分に強要しない――それどころか、いっしょにゲームをして遊んでくれた父親のところへ。
自分は、逃げていたのだろうか。
今でもずっと母親の叱責するような目が苦手で、顔をそらすときに、いつも考えていたことがある。
自分が逃げていたのか、求めていたのか、今となっては遠い昔のこと、思い出すこともできない。
たしかなのは、自分がそこにいて楽しかったということ。
なにもできない自分が、ひとからうまいと褒めてもらえるもの――ゲームと出会って、居場所をみつけられたということ。
最後に寝たのがいつかも覚えていなくて、目をつむれば、自然にまどろむ。
もうとっくに地図にない場所のことを、今でもずっと、夢にみている。
「……ちゃん? ねえ、愛莉ちゃんってばー!」
肩をゆすられて、目を覚ました。
天井の照明がやけに明るくて、もういちど目を閉じようとしてしまう。
が、それは許されず、さらに大きく全身を揺らされて、愛莉はしょうがなく、からだを起こした。
「うひぃ~。やっば、ねっむーい。んー……おはよぉ、みるっち」
くりくりとした目でこちらを覗く、小動物のような印象を与える女の子――周藤(すどう)みる、十七歳、通称"みるっち"――に挨拶する。
彼女が着ているのは、ピンク色の飾り気のないジャージ。
そして、場所はレッスン用のスタジオだった。
「愛莉、寝るにしても床はよくないわよ、床は。からだ、バキバキになっちゃうわよ」
そう声をかけてくるのは、みるっちの後方でステップを踏んでいる女性だった。継続して練習しているのだろう、その肌には汗が浮いている。
愛莉に負けず劣らずのロングヘアーに、ぽってりとした厚めの唇が特徴的な女性――十九歳、都内の女子大に通う仇笑笑(チウシャオシャオ)だ。
その名のとおり中華系だが、当人いわく日本語のほうがずっとうまいらしい。幼いうちにこちらへ来ていて、向こうにはほとんど戻っていないそうだ。
愛莉と、みるっちと、シャオ姉。
ゲームアイドルユニットQuiet Girlsの、現在のメンバーである。
寝ぼけた頭で、愛莉は思い出す。
そうだ――レッスンの最中だった。正確には、レッスンが終わったあと、まだ時間があるから三人で合わせておこうという話になっていたのだった。
でも、とにかくねむくて。
原因はあきらかで、昨晩は夜遅くまでルシオンのスクリムに参加していたからだ。来週は国内最大手のECサイトがスポンサーになって開催するという賞金付きの大会があって、QGのメンバーで参加することになっていた。
でも、だからといって学校が休みになるわけでもなくて。
ほんの数時間しか寝ていない状態で登校し、授業ちゅうはふらふら、昼休みは爆睡、体育は木陰でうとうとしていたというのに、放課後の事務所レッスンの時間もまだ、瞼が重い。
しかし、こうした忙しさが取り立てて特別な状態というわけでもない――むしろ日常茶飯事だといっていい、今の赤城愛莉のライフルーチンだった。
「ほら、いいかげん起きて。というか、ちゃんと振り付け覚えたんでしょうね? もうMVの撮影リハまでそんなにないわよ」
「シャオ姉。これさー、完全にスケジュール感ミスってるよねー。振付師さんも困ってたくない?」
「……まあ、はやいわよね、2ndと3rdがほぼ同時で進んでいるし。See Meのリリースが試験的とか言っていたわりには、とんとん拍子というか」
もともとはゲームをプレイしながら時おりカバー曲を歌うなどしていたグループだったが、去年あった事業再編を受けて、今は方針が変わったのだとか。
その一環で作ったこのあいだのQG初のオリジナル楽曲は、いやに売れていた。
というより、予想外にバズっていた。
「でもわたし、新しい曲嬉しいな。次の曲、すっごい大好き。衣装もいいし、サビダンスかわいいし、またTiktokうまく回ってくれそーだなって思う」
みるっちのぽわぽわした笑顔を、愛莉はとくに同意も否定もせず、にこやかに笑って眺めた。
愛莉としては、歌はあくまでおまけ――活動の主体はゲームに置いていたかったが、ほかのメンバーのふたりは、どちらかといえば新しい活動のほうに精を出しているようだった。
みるっちはもともと通っていた個人のボイトレの頻度を増やし、ダンスが苦手なシャオは、だれよりも熱心にソロで練習を重ねている。
そうした事実に、ちょっとしたもの悲しさを覚えないといえば、嘘になってしまう。
だが、愛莉はそうしたきもちをおくびにも出さずにいた。
「……よしっ。たぶん、これでNG出された部分はだいたい直せたと思う。もういっかい、通しで合わせてもらっていい?」
ずっと鏡に向かっていたシャオが、タオルで額をぬぐって言った。
愛莉はあくびをかみ殺して定位置につく。スマホを置いて録画の準備を済ませて、みるっちが、正面から向かって右側にやってくる。シャオは左で、愛莉が真ん中だ。
シャオが曲を流すと、MVのダンスパートになるイントロとAメロまでを合わせる。まだ振り付けの決まっていない箇所を飛ばして、肝心のサビへ。
ファンに真似してもらえるようにかんたんな踊りとはなっているが、メンバーで完全に揃えるとなると、やはりなかなかむずかしいものだ。
通しが終わると、三人はいっしょにスマホの画面を覗きこんだ。
「……え、めっちゃよくなったくない?」と愛莉。
「ね、さっきよりぜんぜんいい!」みるっちが小さく拍手する。
「んー……なんか、まだわたしがちょっと遅れている気がするんだけど」
唯一不満げに、シャオが唇の横のほくろに触れる癖を披露した。
「気のせいじゃない? あってもせいぜい誤差ってゆーか」
「誤差があったらダメでしょ、ダンスなんだから。愛莉、あんたはやく切り上げたいからってテキトー言ってないでしょうね」
「そんなんじゃないよー! シャオ姉、うがりすぎ!」
ぷんすこする愛莉に、片眉を上げるシャオ。
「……そんな日本語、あったかしら」
「え、なかったっけ?」
「えっと。わたしも国語ニガテだから、わかんないかも……」
三人で同時に首をかしげる。そのあと、全員がどうでもいいとでもいうかのように横に振った。勉学は、少々不得手なグループであった。
「それにしても、愛莉。あんた寝ていたくせにあいかわらずいちばんうまくてムカつくわねー……」
「そお? 自分だとわかんないんだけどなー」
「本気でわかってなさそうなのが癇に障るわ。あれだけ甘いものばっか食べてるのに細いのも、胸だけ育ってるのも気に入らない……!」
「出、出~~~ww シャオ姉の恨み節! それネタなのか本気なのかわかんないから持ち芸にすんのやめたほうがいいと思うんだけど!」
隙あらば愛莉をもみほぐそうとするシャオを、みるがくすくすと笑って眺める。おおよそいつもどおりのQBの練習風景は、ときおりネットで言及されるチーム内の不仲説を否定するにはじゅうぶんな光景だったが、あいにくオフレコであった。
そのとき、スタジオの扉が開いた。
ひょっこり顔をみせたのは、短髪の女性であった。めがねをかけて、長身がよく映えるようなスラックスを着ている。
「あ、宇野ちゃん。はろはろ~! って、どしたん、渋い顔して」
愛莉が、入室者に手を振った。
QGのマネージャーを務めている彼女は、普段からまじめな顔つきではあるが、このときは、なにやら深刻そうな表情を浮かべていた。
どことなく、その目は三人の顔色を――とくに、愛莉を気にしているようにみえた。
「三人とも。練習は終わった?」
「はい。すっごくよくなってきました!」みるが答える。
「そう。それはよかった……んだけど」
「けど?」と、言葉を濁したマネージャーに、シャオが先を促す。
彼女は、覚悟を決めたかのように息をつくと、言った。
「三人とも。着替えたら、ちょっと来てもらえない? だいじな話があるの」