正義の味方の1人娘ですが、悪の組織に就職しました ~今日も脅迫動画を父に送ります!~   作:うちっち

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「ニシャプール様が。わたしの友達だからです」

 俺の前に立っていたのは、完璧な姿勢で構えた父だった。腰に下げた無線機から、「1人で勝手に行くなって言ったろ!」という声が微かに聞こえる。

 

 

 

 越界災害が父を見て、わずかに動きを止める。まるで、天敵を見つけたみたいに。

その瞬間、ニシャプール様が軽く地面を蹴って、彼の隣に並んだ。

 

「……何しに来たわけ?」

「感謝する。お前が耐えてなければ、間に合わなかった」

 

 一瞬、2人の視線が交差した。火花が散ったわけじゃないけど、空気にピリッとしたものが走った気がした。

 

「ま、あなたの顔は見たくなかったけど……今は後回しにしてあげる」

「ふん。……そっちこそ、足を引っ張るなよ」

 

 ニシャプール様が、ふっと笑う。

 それは、これから命を賭ける人の顔じゃなくて、悪戯を仕掛けようとする子どもの笑顔。

 

 

 

「……リズンスター。あなたの言う正義の力とやら、見せてみてよ」

「言われなくとも」

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、風が吹いた。

 次に見えたのは、父が巨大な黒影に向かって駆け出す姿だった。

 

 飛んだ。

 

 ニシャプール様の背中を足場に、父が飛び上がる。音速に近い速度で加速した父の拳が、巨大な越界災害の顔面に、真正面から叩き込まれた。

 

 ――ごぉんっ、と金属の鐘を鳴らすような衝撃音が、空を裂いた。

 

 巨体が仰け反った。頭部が横に弾け飛ぶほどの衝撃。

 さらに空中で体勢を変え、今度は真上から拳を落とす。

 

 左肩の装甲が、粉砕された。

 

「……は?」

 

 思わず声が出た。

 さっきまで、ニシャプール様があれだけ斬りつけても傷一つつかなかったのに――。

 

 

 

 

 越界災害が咆哮を上げる。背中の棘から稲妻を放ち、父を迎え撃とうとする――が、駆け寄ったニシャプール様がその足に蹴りを入れたことで、僅かに照準がズレる。

 

 刹那、父の脚が唸りを上げ、左膝を跳び蹴りで粉砕した。

 

 

 

 ズズン、と巨体が片膝をついた。

 

 30メートルの怪物が……拳一つで。

 

 

 

 越界災害が、天を揺るがすような咆哮を上げた。

 耳の奥が震え、思考が飛ぶ。背中に伸びた突起が、変形し、砲門となる。

 

 飛び退った父が一瞬だけ、こちらを振り返った。

 

 

 

 

 次の瞬間。

 世界が白く染まった。

 

 越界災害の背から放たれた光の奔流が、大地をえぐる。こちらに向かって熱と衝撃が押し寄せた。

 

 

 

 俺の前でニシャプール様が手を広げると、せり上がった岩と金属が空中で重なり、盾を成した。

 

 けれど、足りない。

 

 金属が焼け、焦げた匂いが鼻をつく。

 

 視界の端で、ニシャプール様の膝が、少しだけ、沈んだ。

 

「……くっ……!」

 

 

 

 

 

 

 そのときだった。

 何かが降下してくる。

 黒い閃光。巨大な影。

 

 ズズン、という天地が反転したような衝撃。着地と同時に、地面が砕け、砂塵が舞う。

 

 巨大な腕と盾が、正面からその光を受け止めていた。

 

 ロボが立っていた。越界災害と同じサイズ、あるいはそれ以上の巨躯。まさにこの戦いのために存在するかのような構え。

 

 

 

 

 

 いつの間にか姿を現していた司令官が、ロボの巨体を見上げ、そっと目を細めた。

 

 

「おや、格納庫は凍結しろと言ったはずだったが」

 

 すると、戻ってきた父が応じる。

 

「司令官が怪しいのは分かっていましたから。出られるように、ひそかに準備を。若手がみな燃えていましてね。予定よりずっと早く進みましたよ」

「命令に従わないとは、なんて駄目な部下たちだ」

「悪い上司ですから」

「それを言われると耳が痛いね」

 

 

 

 

 機体の胸部が開き、父が跳び上がった。

 空中で半回転しながら操縦席へ飛び込み――ガシャン! と音を立てて閉じる。

 

 即座に、全関節が蒼白く点灯し、駆動音が地を鳴らす。

 

 ロボが、拳を振りかぶる。

 機体が軋みを上げる音と、残響を引き裂くように――拳が放たれた。

 

 大きな拳は越界災害の肩口に直撃し、爆煙が上がる。骨のような装甲が砕け、巨体がぐらりと傾いた。

 

 

 

 

 

 

 

 地表でその様子を見つめていた司令官が、そっと呟いた。その口調はどこか、手に入らないおもちゃを見つめる子供みたいだった。

 

 

「素晴らしい……それだけに癪だな。ここには私の勝ちはない、か。なら、別の場所に行くまでだ」

 

 

 そして、司令官はふっと姿を消した。今そこにいたはずなのに、周囲を見回しても、どこにもいない。

 

 

 

 

 

 

 越界災害の背中から伸びた触手が、唸りを上げてしなる。

 細く、鋭く、鞭のような動き。けれど、先端が地面をかすめた瞬間――。

 

 バリッ。

 

 音とともに、地面が白く、硬質に変質する。

 地面の草が、大地が、一瞬で大理石のように石化した。

 

 

 「接触型の石化……!」

 

 ニシャプール様が低く呟いた。触れたものすべてを石に変える触手。

 

 その一本が、鋭くロボの右肩に叩きつけられる――!

 

 ゴッ!!!

 

 瞬間、衝撃と同時に肩の外装が白く変色し、ヒビが走った。

 次の瞬間、砕ける。

 

『右肩、石化。関節、損傷!』

 

 次の瞬間、背中の装甲が展開され、差し替え用のアームパーツが射出される。

 壊れた右腕を機体ごと切り離し、新たな関節が機械音を鳴らして接続される。

 

『予定の範囲内だ。問題ない。戦闘を続行する』

 

 短く、静かな父の声。

 

 

 

 

 その後も、ロボは越界災害と格闘戦を繰り広げた。巨体同士の激突が続くたび、山の傾斜はならされ、森は削れ、戦場は次第にただの平地へと変わっていった。ロボの攻撃は何度も越界災害を削り、砕き、切り裂いた。

 

 でも、それでも――越界災害は倒れない。

 

 いくら打ち込んでも、歪んだ肉体はたちまち修復された。まるで、不死身、みたいに。

 

 そのとき、ふと、思い出した。あのとき、首領はこう言っていたのではなかったか。

 

 ――「その本体は、この世界の人間には見つけられない場所にある」。

 

 

 

 

 

 俺はそっと、耳を澄ませる。

 

 ――触手の風を裂く音。

 

 ――金属の軋む音。

 

 ――岩盤の爆ぜる音。

 

 ――刃の火花を散らす音。

 

 全ての音が混ざり合うこの場所で、ひとつだけ、『沈黙』があった。

 

 

 

 風が流れない。空気が鳴らない。その場所だけが、まるで世界の継ぎ目みたいに、静かにゆらめいていた。それは、ちょうどさっき、司令官が姿を消したあたりだった。

 

 

 

 父とニシャプール様は気づいていない。きっと、誰にも見えない。

 

 でも、俺には、あの裂け目が見える。聞こえる。前世の記憶も、今の体も、両方ある俺だけが……触れられる場所。

 

『――押されています!! このままではダムが……!』

『再生する前に、全てを消し去ってしまえばいい。――分子分解砲、準備』

『……戦闘しながらでは、充電が間に合いません!』

 

 

 

 すると、そのとき、ニシャプール様がロボの肩に飛び乗った。

 

「あーあー、聞こえる? あいつ、再生する時にちょっと時間かかるわ。だからある程度、大規模に砕いちゃえばいいんじゃない?」

『無茶を言うな……! それができれば……!』

「なんだ、「予定の範囲内だ」とか言ってもう1つ新兵器が出てきたりしないのね……つまんない。こっちは予定の範囲内だってのに」

 

 ニシャプール様はがっかりしたように肩をがっくりと落とし、どこか芝居がかったように溜息をついた。そして胸を張って、今まで聞いた中で一番大きく「アハハ!」と高笑いをした。

 

「ならリズンスター、感謝しなさい! 駄目なあなたの代わりに、私が時間を稼いであげるわ!」

『何を、言って……!』

 

 

 

 

 明らかにすごくヤバい感じの話が進んでいる……! 急げ!!

 

 そして、俺がさっき見つけた裂け目に飛び込む直前。ニシャプール様が不意に俺を呼び止めた。

 

「莉名! こっちのことは心配しないでいいわ。……いい? 覚えておきなさい――」

 

 振り向いた。そこには、かつての三者面談の時よりボロボロになりながら、ロボの上で笑って手を振るニシャプール様。

 

 

 

 

 

 

「――これが、ver.7よ」

 

 

 

 

 

 

 

 その台詞を背に、俺は、足を踏み出した。

 

 風も、音も、すべてが遠のいていく。

 それは扉でも、膜でもなかった。ただ、空間がひっくり返っただけだった。

 

 ――気づけば、俺は立っていた。

 

 世界の裏側に。

 

 そこは、無音の空間だった。

 色も、温度も、方向すら曖昧で。

 足元も、空も、区別がつかないほどに、何もなかった。

 

 

 すぐそばに大きな影があったので振り返ると、そこにいたのは、石化している司令官だった。驚いたような顔をしている。どうやら「他の場所」とやらに行くことはできなかったらしい。

 

 

 

 

 そして、この空間には、ただひとつだけ、存在していた。

 浮かんでいた。

 ――心臓のような、目のような、何かが。

 

 

 

 

 黒く、濡れた様に輝く塊が、静かに脈打っていた。ぬめりのある光沢を帯びて、ふわりふわりと浮かんでいる。

 

 

 形は……決まっていないようだった。人の顔のようでもあり、鳥の骨のようでもあり、巨大な心臓のようでもある。

 

 ――ここにあるのに、存在していない。

 

 異様な『本体』を、誰も見つけられないのは当然だった。

 この世界の常識では、形すら保てないのだから。

 

 

 

 

 でも、俺は一歩近づいて、笑った。

 

「……ハチノスツヅリガって、知ってますか?」

 

 返事はない。

 

「なんでも食べられる虫なんです。ティッシュでも、布でも、骨でも。なんだって」

 

 ふと、ゆらりと本体が揺らいだ気がした。

 

 

 

 

「音でも、言葉でも、呪いでも。――他の世界から来た、災害でも」

 

 

 

 

 

 俺の体は、この世界のもの。でも俺の感覚は、この世界じゃないものも知っている。

 

 能力とは、イメージだ。

 

 そして、この不定形の、本来なら存在できない異物に触れられるのは、きっと俺だけ――。

 

 

 

 

 本体が震える。触れられることを、拒んでいる。存在が揺らいで、世界ごと崩れそうになる。

 

 俺は近寄り、静かに手を伸ばす。

 

 そして口を開いた。何かを食べるときは、そう……。

 

 

 

「――いただきますっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界が、裂けた。

 空間が震える。

 

 「それ」を飲み込んだ瞬間、世界が悲鳴をあげた。

 

 空間がぐにゃりと曲がって、足元から光と音が逆流していく。

 重力がひっくり返る感覚。

 皮膚の裏から、空気がめくれていくような震え。

 耳をふさいでも、届いてくる低いうなり。

 

 ただ目を閉じて耐えた。自分がどこにいるのかも分からないまま、声も出せず、音も聞こえないまま……。

 

 ――それでも、知っていた。

 

 俺が帰るのはあの場所。あの人たちがいる、あの世界だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次に目を開けたとき、俺は地面の上にいた。焦げた空気の匂いが、肺に突き刺さる。耳の奥で、まだ低く何かがうなっている気がした。

 

 

 

 辺りは静かだった。石化した司令官が逆さになって地面に突き刺さっている。

 

 

 

 

 

 風の音も、戦いの音も、どこにもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――地面が、まるで大きな手で抉られたみたいに、深くえぐれていた。

 

 

 

 土が黒く焼けていて、中心には何もない。

 

 ただの空白。何かがあったはずの場所。

 

 

 

 

 

 

 

 俺は、周囲を見渡す。……あ、父がいた。ロボからは既に降りている。

 

 

 

 

 父は、少し離れたところで、立ち尽くしていた。俺が現れたことにも、まだ気づいていない。少し離れたところに佇むロボと、そして――。

 

 

 

 

 

(……ニシャプール様が、いない)

 

 

 

 

 

 いればすぐにわかるくらい、明るくて騒がしい人。

 俺を『ニシャプール団』に入れてくれた人。

 正義の味方が嫌いで、でも、共闘してくれて……。

 

「……いない」

 

 びゅう、と風が吹いた。

 

 

 

 

 

 

 

 俺は、空を見上げた。

 ちょっとだけ、雲がちぎれていた。

 

 

 

 

 

 

 ニシャプール様の笑い声が、どこかで聞こえたような気がして――。

 

 すぐに消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よかった。ここにいたか」

 

 声がした。振り向かなくても、誰か分かった。リズンスター。俺の父さん。正義の味方。

 

 父は俺の隣に立ち、しばらく何も言わずに空を見ていた。そして、ぽつりと語り出した。

 

「……あいつが、見たんだ。越界災害の最後の動きを。ダムを壊そうと向かってた。止めなきゃ、街ごと危ない。だが……こちらの武器は充電中だった。あいつは、『時間を稼ぐ』って言って……」

 

 聞きたくなかった。

 

 ほんとうは、いっぱい言いたいことがあったはずなのに。

 なぜか、何も出てこなかった。

 

 ただ――胸が、痛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、巨大化した越界災害は、開発されていた新兵器の分子分解砲で、倒された。

 

 ……ニシャプール様は、越界災害に特攻して、持っていた爆弾で自爆し、戻ってこなかった。

 

 遺体は発見されなかった。

 

 全部が吹き飛び、遺品の1つも残らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は保護され、担架で病院に運ばれる途中で、マスコミと思われる人たちから、一斉にマイクを突き出された。ぱしゃぱしゃ、とフラッシュが焚かれ、目の前がチカチカと瞬く。

 

「悪の幹部であるニシャプールに何度も誘拐されて、そのたびに家に戻ったということでしたが! どういうことなんですか!? 父上のリズンスターに相談できましたよね」

 

「できたと、思います」

 

 できるわけがない。あのときの父と俺は、そもそもそういう関係ではなかった。でも、もうどうでもよかった。

 

 

 

 

 

「相談すれば、ニシャプールをもっと早く倒すことができた。悪の組織の人間なんですよ! どうして、そうしなかったんですか?」

 

 ……いや、どうでもいい、と思っていたが……。

 どうでも、よくはないな。

 俺は、あっさりと自分の考えを翻す。

 

 

 

 俺は、身を起こして、質問した相手を睨みつけた。びくりと相手が身を震わせる。

 

「友達だからです」

「えっ? な、何が、ですか?」

 

「ニシャプール様が。わたしの友達だからです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院に搬送された俺は、検査後に緊急手術を行うと言われ、病室で検査結果が出るのを待った。いちおう重症だったらしい。

 

 

 マシロさんはどうしているだろう、とぼんやりと考える。

 モッちゃんもいつの間にか病室にいて、俺の頭の上に止まり、ぱたぱたと何度も羽ばたいた。相変わらずのステルス性能だった。

 

 

 

 ベッドに横になり、ぼんやりとテレビを見ていると、俺たちの基地が映った。これから、突入するらしい。

 

 

『――怪人が1人、立てこもっていますね、何か騒いでいます。ハイランドリールが、突入に反対しているようです』

 

 

 

 姿は見えなかったけれど、叫び声が聞こえた。それは、泣いてはいなかったけれど、明らかに悲痛に溢れた、喉が割れんばかりの慟哭だった。

 

 

 

 

『出て行ってください! ここは、ニシャプール様と、あたしと、莉名さんの! 3人だけの、秘密基地なんだからぁ!』

 

 

 

 

 

 

 

 ……。行かなきゃ。

 

 俺はベッドから降り、そっとモッちゃんを見上げる。今の俺は消耗しすぎて、変身もできない。でもそれは、行かない理由にはならなかった。

 

「モッちゃん、お願い。わたしをあそこに連れていって」

 

 

 

 

 

 

 モッちゃんに基地に連れていってもらった俺は、マシロさんの隣で、悪の基地を守る側に立つ。

 

 両手を広げる俺を見て、マスコミと、正義の味方陣営は、ざわざわと騒いだ。

 

 そして、人だかりが2つに分かれ、父がゆっくりと出てくる。俺は、ぎゅっと拳を握った。説得なんて絶対されてやらない。ここはマシロさんと俺が守るんだ。

 

 

 

 

「みんな、聞いてくれ」

 

 

 

 

 よく通る声だった。騒いでいた周囲は、しん、と一斉に押し黙る。

 

 

 

「ニシャプールは、悪の幹部なんかじゃない。自分の身を犠牲に、俺たちを守ってくれたんだ。爆弾を抱えて、最後の敵に特攻していった。あれがなければ負けていた」

 

「……リズンスター。それはいったい……?」

 

「ニシャプールは、それまでも、俺の相談によく乗ってくれていた。大事な友人だ。彼女こそが正義の味方と呼ばれるにふさわしい。俺は、きっとあいつがいなければ、正義の味方を続けられなかったよ」

 

「あの、リズンスター?」

 

「俺は、駄目な親だった。家出した莉名を、ニシャプールが保護してくれたんだ。この基地は、あいつが大事にしていた場所だ。だからみんな、どうか踏み込むのはやめてくれないか」

 

 

 

 そう言って、父はその場にいる全員に、深く深く頭を下げた。

 

 その後も、自分がいかに駄目だったかについて大きな声で話し始めた父を、兄がどこかに引っ張っていった。その後ろについて、みんなはこちらを気にしつつも、ぞろぞろと去っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その場には、マシロさんと俺だけが残された。

 

 マシロさんは、俺を見て、何かを言おうとし、何度も口を開いたり閉じたりした。

 

 その目には、痛々しいものを見る色と。それと同じくらいに、自分の手の届かない何かを持っている羨ましさに、溢れていた。……マシロさんが思っていることは、手に取るようにわかった。

 

 

 

 ――「あの場で一緒に戦って、自分も一緒に死にたかった」。そう、思っている。俺が逆でもそう思うから。

 

 

 

 だから俺は、そっと、口を開く。

 

「マシロさんがいたから、あそこまで戦えたんですよ」

 

 ぴくり、とマシロさんの肩が震えた。

 

「わたしたち、3人一緒に戦ってました。あの場にいなかったとか、そんなの関係ありません。ニシャプール様も言ってました。『マシロさんはさすがだ』、って」

 

 

 

 

 

 マシロさんは、俺の胸に縋り付いて、声を出さずに泣いた。俺も抱きしめながら、もう涙が枯れてもいいというくらいに思いっきり泣いた。いくら泣いても涙が止まらないのが、なぜだか無性に悔しかった。前のドッキリの時と違い、ニシャプール様はいつまでも姿を現してはくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 その後、2人で、基地の片付けをしたが、すぐに手が止まった。どの物にも思い出がありすぎて、どう片付けていいか分からなかった。

 

 

 ホールの隅っこに放置されていたドッキリ大成功の看板を見て、マシロさんはまたずっと泣いていた。

 

 出発前、ニシャプール様は、マシロさんをベッドに押し込んでぐるぐると素体で縛り、そのまま閉じ込めたのだという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * *

 

 

 

「あたしはいらないってことですか!?」

「マシロはこの基地を守って。マシロにしか、頼めない。だって、ここはいろんな思い出がある場所だから、誰にも荒らされたくないの。ねえ、マシロ。2人でいたときも、莉名が増えて3人になってからも、楽しかったわよね」

「そんな、最期みたいな言い方……!」

「マシロ。もし、私が負けちゃっても、解剖しないでね。約束よ?」

 

 

 

* * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 

 

 

 それが最後の会話だったと言って、また、マシロさんは、ぽたぽたと大粒の涙をこぼした。

 

 

 

 

 

 しかし、肩を揺らしているマシロさんの話を聞いて、引っかかることがある。

 

 

 

 ニシャプール様の最後の言葉だ。だって、マシロさんは、ニシャプール様の遺体が運ばれてきても、解剖なんて絶対にしない。そんなことくらい、わかっていたはずだ。なんで、そんなこと、言ったんだろう。ニシャプール様が、らしくない言葉を口にするときは、いつも何か、理由があった。

 

 

 

 何度も、さっき聞いたマシロさんの話を、頭の中で反復させた。ニシャプール様が俺に最後に言った言葉も。

 

 

 

 

「――これが、ver.7よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……もしかして、と思うことがある。

 ニシャプール様が、あんなに自信満々で死地に向かった理由。ひょっとして、あの人は、誰よりも、フラグの持つ影響を理解していたのではないだろうか。だったら、あれは、俺を安心させるためだけの言葉じゃなくて……。

 

 

 

 

 

 でも、俺じゃ駄目だ、とも思う。「これってフラグ?」と思ってしまった瞬間、フラグは効力が弱くなってしまうような、そんな気がする。台詞が運命を引き寄せるくらいの力を持つためには、フラグと認識していない誰かじゃないと。俺が気付いたんだ。マシロさんなら、きっと、辿り着く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は、うずくまってしまったマシロさんの隣に、そっと座った。

 

「そういえば、マシロさんって、目玉焼きに何かけるのが好きですか? ちなみにわたしは前も言ったとおり、お醤油派なんですけど」

「莉名さんは、なんで急にそんなこと気になったんです……」

 

 頭も上げず、マシロさんは弱々しい声で呟いた。俺は気にしない風を装って、そのまま、できるだけ明るい声で続ける。

 

「いえ、本当に、楽しかったなって」

「そんなこと、言わないでください」

「3人で会議したり、基地を探検したり、新年会も楽しかったですね。死んだふりのドッキリは悪趣味すぎていただけなかったですけど」

「……」

 

 

 

 

 

 

 いっぱい、いっぱい、話をした。この基地での思い出なら、いくらでもあった。

 

「毎回のビデオ撮影も、だんだん上手になってましたよね。わたしも、この基地は他の人には入ってほしくないなって思います。だって、隅から隅まで荒らされるの、嫌ですもん。大きなテーブルのある会議室に、地下に並ぶ無数の透明のケース、隠し部屋まであるんですから!」

 

 

 

 

 

 力なくうつむき、膝を抱えたままのマシロさんは、ずっと、ぼーっと俺の言葉に頷いていた。こくこく、と反射的に首が縦に動いている。

 

 

 

 

 

 

 

 ……しかし、不意に、マシロさんの動きが、ピタリと止まった。

 

 俺は、固唾をのんで見守る。

 

 

 

 

 

 ――お願いします、マシロさん。まだ、可能性はあるんです。

 

 

 

 

 

「そういえば……」

 

 

 

 そういえば、なんですか。何か気になることがあるんですか。なら、言葉に出してください。フラグは、思っているだけじゃまだ弱い。外に出してこそ、より力を持つのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 マシロさんは、じっ、と床の模様を見つめた。その目に、次第に焦点が合っていく。

 

 

 

 

 

 そして、ゆっくりと、マシロさんは、口を開いた。

 

 

 

「なんで、ニシャプール様は……あんなこと言ったんだろう……」

 

 マシロさんの声が、わずかに震えていた。

 それは、祈りのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………まさか」

 

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