瀞霊廷の一角―――
三番隊隊舎へと続く通路に複数の死神たちの声が響いていた。
「おい、ちょっと待てよ」
「……何でしょうか?」
呼び止められていたのは、三番隊に所属する若い隊士だった。その両手には書類の束が抱えられており、他隊への用事を済ませた帰路の途中だった。
その行く手を阻むように2人の死神が立ち塞がる。五番隊と九番隊の隊士だった。
「お前、三番隊の奴だよな?」
「ええ、そうですけど……それがなにか?」
「別に要なんかねぇよ。ただ、随分と呑気で暇そうに歩いているもんだなと思ってな」
「……?」
若い隊士は困惑した表情を浮かべていた。目の前の隊士は何を言っているのだろうと、
それに気づいた九番隊隊士は嘲るように鼻で笑った。
「なんだ?意味が分からねぇか?自分たちの隊長が裏切り者だったてのに、随分と余裕そうだなつってんだよ」
「……ッ」
「市丸隊長が……ああ、”元”隊長か。そいつが藍染惣右介と逃げたこと、知らねぇわけないだろ?」
「……ええ」
「だったらよ。もう少し申し訳なさそうにしていてもいいんじゃねぇか?」
悔しさをこらえるように若い隊士は唇を噛んでいた。
「僕たちは、何も知りませんでした……」
「っは!どうだかな」
「本当です!」
思わず声を荒げた若い隊士に向けられる視線がより一層厳しくなった。
「なんだ?その態度は」
「い、いえ……なにも……」
「はぁ……隊長が隊長なら、部下も部下ってところか?」
「お前らだって、裏で何か企んでたんだろ?言ってみろよ」
「そんなことは……」
「ないってか?だったら証拠出してみろよ」
「え?」
「聞こえなかったか?証拠だよ、証拠!」
若い隊士は何も答えることが出来なかった。これは所謂『悪魔の証明』。
あったことの証拠を出すのは容易いが、その逆は困難を極める。
そんな要求にどう答えればよいというのか。
「申し訳、ありませんでした……」
悩んだ末に彼から出た言葉は”謝罪”だった。
2人の隊士は互いに顔を見合うとニヤッと口元を緩ませた。謝罪が出れば、認めたも同然。さらに言葉を重ねようとしていた。
「大体よ。お前らのトコの副隊長だって」
「吉良副隊長がどうかなさいました?」
「!!」
隊士たちは咄嗟に振り返る。
そこには袖のあるタイプの白い隊長羽織を身に纏う女性が立っていた。
その名を、銀華零 白。 【宮廷遊撃部隊】”十四番隊”より派遣され、『三番隊隊長代理』の職位を預かる死神。
「銀華零隊長、吉良副隊長……!!」
若い隊士は安堵したようにその名を呟く。
銀華零はそんな彼に慈愛の籠った笑みを向ける。
「お使いご苦労さまでした。先に隊舎に戻っていてください」
「しかし……」
「ここはわたくしにお任せを」
その一言に若い隊士は頭を下げた。
「……失礼します」
走って去っていく彼の背中を見送ると、銀華零は2人の隊士へと向き直った。
「さて、そこのお二方」
その声は、先ほどと全く変わらず穏やかだった。
しかし五番隊と九番隊の隊士たちは気まずい
「随分と興味深いお話をされていましたね。たしか、三番隊は
「い、いえ……我々は、その……」
「な、無いとは言い切れないじゃないか!」
九番隊隊士たじろぐばかりだったが、五番隊隊士は銀華零に食ってかかった。
「市丸ギンは三番隊隊長だった。部下が何も知らなかったと何故言い切れるのですか!そもそも藍染隊長が市丸にそそのかされた可能性すらある!」
「……三番隊の皆さんが何も知らなかったとは言い切れない。その点についてはわたくしも否定しませんよ」
否定の言葉が返って来ると思っていた隊士たちは思わず顔を見合わせていた。
「しかし、だからと言って証拠も根拠も無しに罪人のように扱うことはあってはなりません」
「「…………」」
「あなた方は彼に問うていましたね。知らなかった証拠はあるのかと。ならば、あなた方は彼らが知っていた言い切れる証拠をお持ちなのですか?」
「そ、それは……」
「もしあるようでしたら、正式に手続きをしたうえでわたくしのもとまでお越しくださいな。三番隊としては調査に全面的に協力いたしますので」
「……それとも」
銀華零には変わらず慈愛の籠る笑みが浮かんでいたが、その瞬間。
空気がガラッと変わったのを2人の隊士は感じた。
霊圧も殺気も威圧感すらも向けられていない。ただ、空気が重くなったのだ。
「わたくしが知らないだけで、護廷十三隊では証拠も根拠なく隊士を呼び止め、答えようのない質問を繰り返すことが許されているのでしょうか?」
「……ッ」
2人の隊士は息を呑む。
銀華零が声を荒げたわけでも、腰に差す斬魄刀に手をかけたわけでもない。
ただ、先ほどと変わらぬ声色で語りかける。それだけで目の前の隊長をこれ以上怒らせてはいけないと本能が警鐘を鳴らしていた。
「い、いえ!決してそのようなことは……」
「……。そうですか」
銀華零はただ、にこりと微笑んだ。
途端、先ほどまでの重くしい空気が嘘のように和らいだ。
「でしたら、今後は気をつけてくださいね」
「は、はい。あの……申し訳ありません。我々はこれで……」
2人の隊士は慌てるように頭を下げると、その場から逃げるように去って行った。
その背中を見送った銀華零は小さく息を吐いた。
「……困りましたね」
「申し訳ありません」
銀華零の隣に立つ吉良が頭を下げていた。
その謝罪に思い当たる節がない銀華零は不思議そうに首を傾げた。
「吉良副隊長?」
「僕は三番隊副隊長でありながら、隊士を守ることすら出来ませんでした」
「それは違いますよ。先ほどの彼は吉良副隊長の顔を見て安堵の表情を浮かべました。それだけでも守ることが出来ていると考えられますよ」
「しかし……」
「しかし、ではありませんよ。それよりも、これからどうするべきかを考えましょう」
銀華零はそう言うと、三番隊隊舎がある方へと向かい歩き始めた。
吉良はただ黙ってその後に続いた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
「……さて」
三番隊隊舎内の一角。隊長執務室に2つの
銀華零はお茶を一口飲むと、向かいに座る吉良に視線を向けた。
「それでは、吉良副隊長」
「はい」
「端的に聞きますが、ああいったことはいつ頃から、どの程度のものが起きているのか教えてもらっても?」
「……市丸隊長が離反して間もなくです。最初は陰口程度のものでした。それが次第にエスカレートし、直接言われる場合や先ほどのような小競り合いが急増しています」
「…………」
「三番隊だけではありません。先ほどの隊士たちが属する五番隊や九番隊でも同様のことが起きていると聞いています」
銀華零は雷山と狐蝶寺から隊士たちが、藍染たちの離反の影響で何らかの形の被害を受けていると聞き及んではいた。
看過出来ることではなかったが、藍染たちの離反の影響の大きさだけにこうなってしまうのは仕方がないことだと感じてもいた。
「……無理もありませんね」
「無理もない、ですか?」
「ええ、3名の隊長が
「しかし、隊士たちは何も……!!」
「勿論、だからと言って先ほどの行為が許される訳も、ましてや見過ごす訳にもいきません」
銀華零は落ち着いた口調で続けた。
「しかし、その為には如何にして信用を取り戻していくかを考える必要があります」
「…………」
「吉良副隊長、貴方は三番隊の信頼を取り戻すためには何が必要だと考えますか?」
吉良は考えた。そして少し間を置いて、静かに答えた。
「……正直、僕にはそれを答える資格はありません」
「その理由を伺っても?」
「僕は市丸隊長の命令を遂行し、反逆に加担しています。本来なら副隊長の地位を返上すべきだからです」
銀華零は吉良が藍染たちの裏切り行為に市丸の命令で加担していたことは知っていた。
「吉良副隊長、ならばその後はどうするおつもりですか?」
「それは……勿論、いち隊士からやり直して……」
「そう言う意味ではありません」
視線を落としていた吉良だったが、銀華零の言葉にハッとして顔を上げた。
銀華零はただまっすぐ吉良を見つめていた。その視線は若干の威圧感を感じさせるものだった。
「わたくしは貴方が副隊長を辞した後の隊士たちをどうするおつもりなのかと聞きました」
「それは……」
「副隊長を辞するべきと考えるほどに責任を感じる。立派な心意気です。しかし、それこそ吉良副隊長を信じる隊士たちを裏切る行為にも成り得る」
「吉良副隊長が責任を感じていることは重々承知です。しかし前にも言いましたが、貴方ひとりが責任を負う必要はありません」
「ありがとうございます。……でしたら、僕は実績が必要だと考えます」
「実績……。詳しく伺っても?」
「はい。与えられる任務を確実に遂行し、三番隊そのものは清廉潔白であると示すべきです。警邏や
「……成程」
銀華零は手に持つ湯飲みを机に置いた。
「ですが、わたくしは反対ですね」
「え……?」
吉良の目が見開かれる。まさか反対されるとは思っておらず、その衝撃は大きなものだった。
「何故ですか?」
「”今まで以上に働く”という部分が良くないからです。吉良副隊長、三番隊の隊士たちは
「!」
「それは……」
「例えば先ほどの彼、随分と疲れた顔をしていましたね」
「…………」
「少し気になっていたので、皆さんの勤務記録を確認しました。ここ数日、通常よりも長く任務に就く方が多いように感じますね」
「僕が、指示しました。隊の信用を取り戻すためには、それくらいしなければならないと思いました」
「吉良副隊長」
吉良を呼ぶ銀華零の声がわずかに低くなる。
「貴方は隊士たちに何か償わせようとしているのですか?」
「償わせるってそんな……そんなつもりなどありません!」
吉良は思わず大きく声を上げていた。
「でしたら、何故必要以上に負担を強いているのですか?」
「それは……」
銀華零の追及に吉良は言葉を詰まらせていた。
銀華零もそれ以上追及はせずに、ただ待った。そして少し間を置いて吉良が口を開いた。
「……僕は、怖いんです」
「このまま三番隊が裏切り者の隊として扱われ続けることが」
「…………」
「市丸隊長が何を思って藍染隊長に従ったのか分かりません。あの人のそばにいたのに、何ひとつ気付けなかった」
吉良は声を震わせながら語っていた。
「僕はあの人に心酔していた。何を考えているか分からない、時に恐ろしく感じることもありました。しかし、それでも僕はあの人が三番隊隊長であることを疑わなかった。なのに……」
吉良は悔しさを滲ませるように握り拳を作り、死覇装を掴んでいた。
「あの人は何も語らずに行ってしまった」
その言葉には怒りよりも深い悲しみや失望が含まれていた。
「隊士たちも同様の不安を抱えています。市丸隊長が裏切り者だった。自分たちまで疑われ、三番隊がこれからどうなるのかも分からなない」
「……だから必要以上に働かなければならない。そう考えたわけですね」
「……はい」
「吉良副隊長、貴方は少し勘違いをしています」
「何が、ですか……」
「まず、貴方がどれだけ奔走しようとも市丸ギンが裏切った事実は変わりません」
吉良の表情が歪む。
「そして、貴方がどれほど働こうとも三番隊を信用しない、良く思わない隊士は一定数います」
「だったら……だったら、どうしたらいいんですか!」
「まずは隊士たちを守りましょう」
吉良は声を荒げてしまっていた。
しかし、銀華零はそれにまるで動じることもなく即答していた。
「わたくしたちが守るべきは他隊からの評価に
「そんなことは、分かっています……」
消え入りそうな声で吉良は呟く。吉良も分かっていた。三番隊副隊長である以上、隊士を守ることが何よりも優先すべきことだと。
しかし―――
「それだけでは他隊からの疑いは消えない。だからこそ、僕たち自身が行動で示さなければならないんです」
「市丸隊長が裏切ったからと言って、隊士たちまで後ろめたく思う必要はない。胸を張ってほしい。そうなるためにも結果を出さなければならないと思います」
「吉良副隊長の考えはよく分かりました」
「銀華零隊長」
「ですが、ひとつ訂正を」
銀華零は微笑んでいた。
「わたくしは一度も信用を回復させるために働くことは否定していませんよ」
「え……?」
「ただ、”必要以上に働く”。ここを直すべきと言っているにすぎません」
銀華零は自身の机に置かれていた書類を一枚手に取った。
そしてそれを吉良の前に差し出した。
「例えば、現在の三番隊では一部の隊士に任務が集中しています」
「……はい」
「これをわたくし含めて分散できるようにしましょう」
「しかし銀華零隊長は隊長としての業務も……」
「吉良副隊長……いえ、吉良さん。わたくしにも責任の片棒を担がせてくださいな」
「!」
数日前の光景と重なる。
吉良はその時、銀華零が言っていたことを思い出した。
「分かりました。分散できるよう調整します」
「お願いしますね。では、次に移りましょう。他隊との連携についてですが、今は必要以上に接触を避けていますね」
「揉め事を避けるために」
「気持ちは分かりますが、それでは相互理解が進みません。手始めに五番隊と九番隊。共に隊長を失った隊同士で助け合えるようにしましょう。わたくしから雷山さんと春麗ちゃんには話をしておきます」
「最後に……」
銀華零はそこで一旦区切る。
吉良が思わず銀華零の顔を見ると、より一層真剣な表情を浮かべていた。
「三番隊内部での情報共有です」
「情報共有ですか?」
「ええ。市丸ギンが何を考えていたか分からなかったと、そうおっしゃいましたね」
「はい……」
「ならば、同じ事を繰り返さない仕組みを作りましょう」
「繰り返さない仕組み、ですか?」
「隊長が何を志し、何を為そうとしているか。それを全員とはいかないまでも、大多数の隊士が知っている。そして疑問があるのなら、それを口にできる環境を整える」
銀華零はいつの間にか微笑んでいた。
「上官に疑問を持つことと、逆らうことは違いますからね」
吉良は目を伏せた。
市丸ギンに一度たりとも疑問を持たなかったことはない。ただ、聞くのが怖かった。
それでも三番隊隊長だからと信じていた。いや、信じようとしていたに過ぎない。
「市丸隊長に、僕はもっと聞くべきだったかもしれません」
銀華零は首を横に振った。
「吉良さん。過去の貴方に今の貴方と同じ判断を求めることは出来ませんよ」
「…………」
「ですが、その経験をこれからの三番隊に活かすことは出来ます」
吉良はゆっくりと顔を上げた。
銀華零は穏やかに続ける。
「わたくしも吉良さんも完璧ではありません」
「……はい」
「だからこそ、お互いに意見を言い合える関係でありたいのです」
吉良は少し驚いたように銀華零を見た。
「……僕が銀華零隊長に意見を、ですか?」
「ええ」
銀華零はさも当然のように答える。
「むしろ、今のように遠慮なく意見をぶつけていただきたいですね」
「しかし……」
「吉良さん。三番隊をよく知るのは、わたくしではなく貴方です。その力をぜひ貸してほしいとわたくしは言ったつもりなのですが……」
吉良は深く頭下げていた。
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
変わらず銀華零は微笑んでいた。
「ところで、吉良さんの勤務記録も拝見しましたが、随分と休んでいませんね」
「いえ、僕はまだ大丈夫です」
「大丈夫ではありませんよ」
遠慮からか否定する吉良に対して銀華零は即答していた。
「ですがまだ……―――」
「吉良副隊長?」
銀華零はにこりと微笑んでいた。
それは五番隊と九番隊の隊士2人に向けていたものと同じ笑み。
「わたくしの話をお忘れですか?」
「!!」
その瞬間、吉良の背筋がピンッと伸びた。
「い、いえ」
「でしたら、
「しかし……」
「まだなにか?」
「……いえ」
吉良は観念したように頭を下げていた。
「では、
「よろしい」
銀華零は満足そうに頷いていた。
その様子を見て、吉良は少し笑っていた。
「銀華零隊長はどこか不思議な方ですね」
「あら、初めて言われましたね。そうですか?」
「はい、市丸隊長とはだいぶ違います」
銀華零はその言葉に一瞬だけ目を細めた。
しかし、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。
「それは当然でしょう。わたくしは彼ではありませんから」
吉良は黙って彼女を見る。
「そして、貴方も以前と同じ吉良イヅルさんである必要はありません」
「…………」
「過去を忘れる必要はない。ですが過去に縛られ続ける必要もまたありませんよ」
吉良はゆっくりと頷いた。
「……はい」
銀華零は立ち上がり、窓の外へ視線を向けた。
眼下では何人もの隊士が行きかっていた。
「信頼というものは、
「……そうですね」
「ましてや、一度失われた信頼を取り戻すには長い時間が必要でしょう」
銀華零は振り返り、吉良に視線を向ける。
「改めて、これからどうぞよろしくお願いしますね。吉良さん」
「はい!こちらこそよろしくお願いします」