交渉を終え、約束の十時を迎える少し前。ついに――否、とうとう、あるいはできれば来てほしくなかったその時が来た。
Aクラス戦である。
戦いの舞台は当然Aクラスの教室。普段なら「成績がいいだけでここまで贅沢していいのか?」と問いたくなるシステムデスクや高級ソファーは、戦闘スペース確保のため壁際に追いやられていた。巨大スクリーンには、無慈悲にも出場者の名前が並ぶ。
Fクラス代表は――明久、雄二、島田、姫路、秀吉、ムッツリーニ、そして刀夜。
出せる駒は全部出しましたという、ある意味清々しい布陣である。教室内にはAクラス・Fクラス双方の生徒が集まり、互いに「できれば視線だけで殺したい」という感情を込めて睨み合っていた。
その中で、刀夜は静かに息を整える。
(Aクラス戦か……)
Dクラス、Bクラスとは空気が違う。学力、余裕、そして「勝つのが当たり前」という慢心。そのすべてが、この教室には満ちていた。
(無様な姿は見せられないな……)
七人のうちの一人として選ばれた以上、「まぁ鍔守だし」で済まされるわけにはいかない。
「では、両者とも準備はよろしいですか?」
立会人は、この数日の戦争でやたら顔を合わせているAクラス担任兼学年主任・高橋先生。
「ああ」
「……問題ない」
雄二と霧島の短いやり取りを合図に、Aクラス戦の幕が上がった。
⸻
先鋒は島田美波。科目は当然のように数学。島田は数学においてFクラス随一の戦力だが、相手はAクラス。点数の厚みが違いすぎた。
結果――惜敗。
「では、次の方どうぞ」
「私が出ます。科目は物理でお願いします」
名乗りを上げたのは、Aクラスの佐藤美穂。その自信満々の態度が、すでに点数を物語っている。Fクラス側が一瞬沈黙した、その直後。
「よし。頼んだぞ、明久」
「行ってこい、明久」
「え!? 僕!?」
刀夜と雄二のコンビネーションにより、明久は前線へと強制送還された。
「ふぅ……やれやれ」
明久は妙に余裕のある笑みを浮かべ、袖をまくる。
「僕に本気を出せってこと?」
「ああ」
雄二が頷く。
「もう隠さなくてもいい。この場にいる全員に見せてやれ」
『え、吉井って実は凄いやつなのか?』
『いや、そんな話聞いたことねぇぞ』
『どうせいつものホラだろ』
味方からすら疑われる中、明久は手首を振り、準備運動を始めた。
「……吉井君、でしたか?」
佐藤が訝しげに目を細める。
「あなた、まさか……」
「あ、気付いた?」
明久はにっこり笑い、
「ご名答。今までの僕は、本気なんて全然出してなかったんだ」
場内がざわつく。
「つまり君の想像通り、実は僕は――」
一拍置いて、明久は堂々と宣言した。
「左利きなんだ」
次の瞬間、スクリーンに無情な結果が表示される。
Aクラス 佐藤美穂 389点
物理 VS
Fクラス 吉井明久 62点
「勝者、Aクラス佐藤美穂!」
島田の拳が、明久の頭に炸裂した。
「このバカ!テストの点数に利き腕は関係ないでしょうが!!」
「み、美波ぃ……フィードバックで痛いのに、追撃はやめてぇ……!」
こうしてFクラスは二連敗。教室の空気が重く沈む中、さらに追い討ちがかかる。
⸻
第三戦を前に、木下姉が秀吉へ声をかけた。
「ねぇ、秀吉。一つ聞いてもいい?」
「なんじゃ、姉上」
「Cクラスの小山さんって知ってる?」
(……あ)
刀夜の脳裏に、嫌な記憶がよぎる。
「はて、誰じゃ?」
「じゃあいいや。その代わり、ちょっとこっちに来てくれる?」
にこやかな笑顔のまま、木下姉は秀吉の腕を掴み、廊下へ連れ出していった。
――数十秒後。
『姉上、どうして儂の腕を掴む?』
『アンタ、Cクラスで何してくれたのかしら?どうしてアタシがCクラスの人達を豚呼ばわりしていることになっているのかなぁ?』
『はっはっは。それはじゃな、姉上の本性を儂なりに推測してあ、姉上っ!ちがっ‥‥‥!その関節はそっちには曲がらなっ‥‥‥!』
鈍い音と、何かが終わる音がした。戻ってきた木下姉。なぜか頬には、うっすらと返り血らしきものが付着している。
「秀吉は急用ができたから帰るってさ」
満面の笑みで言い切った。
「代わりの人、出してくれる?」
「……い、いや」
雄二は視線を逸らしながら答えた。
「ウチの……不戦敗でいい……」
こうして、Fクラスの三連敗が、静かに、しかし確定的に刻まれた。
(最初からクライマックスじゃねぇか!)
⸻
「では、四人目の方、前へどうぞ」
高橋先生の淡々とした声が、教室に響いた瞬間だった。
「………………(スック)」
Fクラスの一角から、ゆっくりと立ち上がる影が一つ。
ムッツリーニである。その無言の立ち上がりに、Fクラスの面々がざわついた。
「来たか……」
「Fクラスの影の支配者……」
「主に盗撮方面でな」
誰が言い出したかは不明だが、だいたい合っているのがタチが悪い。ムッツリーニは成績表を見れば一目瞭然の極端な点数配分を誇る男だ。総合点の実に八割以上を保健体育で稼いでいるという、教師泣かせの一点特化型。
単発勝負においては、Aクラス相手でも互角、いや、内容次第では完全に喰う。
「……ついに科目選択権が本気出す時か」
と、雄二が腕を組んで呟いた。そんな中、Aクラス側から一人の生徒が前に出る。
「じゃ、ボクが行こうかな」
緑色のショートカット、整った顔立ちにボーイッシュな雰囲気。一見すると爽やかで活発そうな少女だった。
「一年の終わりに転入してきた、工藤愛子です。よろしくね」
(……なんというか.....エロい)
刀夜の脳内で、言ったら即・社会的死刑という未来予想図が高速再生され、口を開く前に思考を強制終了した。
「教科は何にしますか?」
高橋先生の問いに、ムッツリーニは一切の間を置かず即答する。
「…………保健体育」
「土屋君、だっけ?保健体育が得意みたいだね」
工藤が余裕たっぷりの笑みで話しかける。
「…………それがどうした」
「実は僕も、かなり得意なんだ」
そう言って、彼女は一歩踏み出す。
「君と違って――『実技』でね」
その一言で、ムッツリーニと明久の鼻から鮮血が噴水のように噴き出した。
「ぶはぁっ!?」
「……っ!」
(くっ……!破壊力が高すぎる……!)
刀夜ですら、危うく意識を持っていかれそうになる。
「ねぇ、そっちの吉井君だっけ?」
工藤は楽しそうに明久へ視線を向ける。
「君も勉強苦手そうだし、ボクが教えてあげようか?もちろん――実技で」
「ふっ……望むところ――」
「あ、アキにはそんな機会なんてないから!『今は』保健体育の実技なんて必要ないのよ!」
「そ、そうです!『今は』必要ないんです!」
島田と姫路による、完璧な連携封殺。
「……」
明久は何も言えず、ただ静かに涙を流していた。
「そろそろ召喚してください」
「は~い。
「…………
二体の召喚獣が顕現する。
ムッツリーニの召喚獣は、いつもの忍び装束に二振りの小太刀。対する工藤の召喚獣は、セーラー服風の戦闘服に――
(斧、でかっ!?)
明らかに人体工学を無視したサイズの大戦斧を軽々と構えていた。
「理論派と実践派……どっちが強いか、見せてあげるよ!」
工藤の号令と同時に、召喚獣が駆け出す。腕輪の効果か、斧には雷が走り、その速度は尋常ではない。
「バイバイ、ムッツリーニ君!」
必殺の一撃――その瞬間。
「…………加速」
ムッツリーニの低い呟く。次の瞬間、康太の召喚獣が――視界から消えた。
「え?」
工藤が目を見開いた、その刹那。
「…………加速、終了」
次の瞬間、工藤の召喚獣から血飛沫が舞い上がる。
結果は明白だった。
⸻
Fクラス 土屋康太 VS Aクラス 工藤愛子
保健体育
572点 VS 446点
⸻
「勝者、Fクラス・土屋康太!」
「流石ムッツリーニだな……」
「ああ。Bクラス戦の時は不調だっただけか」
これが、Fクラス諜報員――土屋康太の実力である。
「そ、そんな……!この僕が……!」
工藤は膝をつき、信じられないといった表情で床を見つめた。
「これで一勝」
刀夜が静かに呟く。
「……首の皮一枚、繋がったな」
その後も試合は続き、姫路とAクラスの久保利通の総合科目戦では、姫路が勝利。
「では、次の方」
高橋先生の視線が、刀夜へ向く。教室中の視線が、一斉に集まった。
「行ってくる」
刀夜が所定の位置に立った、その瞬間。
「じゃあ、アタシが行くわね」
対面に進み出てきたのは、木下姉――木下優子だった。
教室内の空気が、わずかに引き締まる。Fクラスにとっては味方であり、Aクラスにとっては絶対に敵に回したくない存在。Aクラスにいる今、その圧は純粋な脅威だった。
「教科は何にしますか?」
高橋先生の問いに、刀夜は一切の逡巡を見せなかった。ムッツリーニが科目を即答したように、彼もまた――
「古典で」
短く、はっきりと告げる。それは刀夜にとって、唯一にして最大の得意分野だった。
「あなたが鍔守君よね?」
木下姉が視線を細める。秀吉とよく似た声――しかし、圧倒的に違うのは威圧感...あと性別
「召喚獣の能力が不思議な、って評判の」
「不名誉な覚えられ方なんだが……まあ、否定はしない」
軽口を返しながらも、刀夜の意識はすでに戦闘に向いていた。
「悪いけど」
木下姉は淡々と言う。
「ここで終わらせるわ」
「そういう台詞は、勝ってから言うもんだな!」
互いに視線を逸らさない。
「それでは、召喚を開始してください」
高橋先生の合図とともに、召喚用フィールドが展開される。
「いくわよ……
木下姉の召喚獣が出現した。
頑丈そうな銀色の全身鎧。手には長大なランス。その姿はまるで、西洋の重装騎士。さらに腕には、金色の腕輪。
「……
続いて、刀夜の召喚獣。
下半身を覆う黒い具足。鍛え抜かれた、無駄のない肉体。左腕には赤黒い射籠手、右肩には白い羽織。
そして相変わらず、上裸にしか見えない格好。場の視線が一瞬、そちらに集中した。直後、巨大スクリーンに点数が表示される。
⸻
Aクラス 木下優子 518点
古典 VS
Fクラス 鍔守刀夜 578点
⸻
『なにぃぃぃ!?』
Aクラス側から、明確などよめきが上がった。
『おい、あれ本当にFクラスか!?』
『古典でこの点数はおかしいだろ!』
外野の騒ぎをよそに、刀夜の召喚獣は静かに刀を一振り投影する。
「あなた、本当に古典が得意なのね」
「唯一の取り柄でな」
木下姉は探るような声をかけるが、刀夜の表情は崩れない。
「それでは……始め!」
高橋教諭の声が、教室に響くが、二体の召喚獣はその場から一歩も動かなかった。
「……あれ?」
最初に声を上げたのは明久だった。
「動かないの……?」
島田も姫路も、思わず身を乗り出す。開始の合図が出たにもかかわらず、戦闘が始まらない。そんな光景は、これまでの試召戦争ではほとんど見られなかった。
「様子見でしょうか?」
「いや……」
雄二だけが、腕を組んだまま視線を細めていた。
(違うな)
動かないのではない、動けないのだ。
二体の召喚獣の間には、目に見えない圧が張り詰めていた。剣とランスが、わずかに揺れる。その微細な動きの一つ一つが、相手の反応を探っている。下手に一歩踏み出せば、致命的な反撃が飛んでくる。それを互いに理解しているからこそ、踏み込めない。
すでにそこでは、激しい鍔迫り合いが始まっていた。静止しているように見えるのは、外野の錯覚に過ぎない。そして、均衡を破ったのは刀夜だった。次の瞬間、刀夜の召喚獣が床を強く蹴る。
「――っ!」
空気を裂くような音と共に、その身体が前へ弾けた。明らかに、これまでの試合とは次元の違う初動だった。
「速っ……!」
木下の召喚獣も即座に反応し、ランスを構え直す。だが、その判断が終わるより早く、距離はすでに詰められていた。刀夜の召喚獣は、ランスが最も扱いづらい超近距離へ、一気に踏み込んでいた。
ガギィン――!
金属同士がぶつかり合い、鋭い音が教室に反響する。刀が閃き、ランスに弾かれる。角度を変え、間髪入れずに二撃目、三撃目。斬撃は流れるようにつながり、休む暇を与えない。
木下姉の召喚獣はランスを突き出そうとするが、その瞬間下から斬り上げが入る。突きは逸らされ、体勢がわずかに崩れる。
その隙を逃さず、刀夜の召喚獣の左手に、新たな刀が投影された。
「――っ!」
完全に、刀の間合いだった。投影された刃が、首元を狙って迫る。木下の表情が、一瞬強張る。ここに留まれば不利だと本能的に理解すると、
「下がって!」
鋭い指示が飛び、召喚獣は強引に後退し、床を擦りながら距離を取る。ランスが最も真価を発揮する間合いへ、わずかにだが空間が生まれた。
「逃すか!」
刀夜の声が重なり追撃が始まる。召喚獣が再び床を蹴り、距離を詰める。ランスが薙ぎ払われ、それを刀で弾く。弾いた反動を利用し、さらに踏み込む。
ガキン、ギィン、キン――!
金属音が連続して鳴り響き、攻防は肉眼で追うのが難しい速度に達していた。本来、召喚獣の操作は極めて難しい。多くの生徒は単調な命令しか出せず、動きも直線的になりがちだ。
明久のような観察処分者は、感覚がフィードバックされるため例外だが、それでも限界はある。だが、この二人は違った。指示は最小限、それでいて、動きは洗練され、無駄がない。
(……レベルが違う)
雄二は、はっきりとそう理解していた。
もはや剣とランス、速度と間合い、判断と判断がぶつかる、純粋な戦闘だった。教室の誰もが言葉を失い、ただ固唾を呑んでその高速の剣戟を見守っていた。
木下の狙いは、はっきりしていた、ランスが唸りを上げ、正確無比な一撃が振り下ろされる。金属音が弾け、刀夜の召喚獣の刀が砕け散った。
だが、次の瞬間。
「……
刀夜の低い声と同時に、空間から新たな刀が引きずり出される。
「……っ」
木下姉の眉が、わずかに動いた。ランスが再び閃く。二振り目と三振り目を
砕く。
折る。
叩き潰す。
そのたびに――刀は、投影され続けた。
「……ありえない」
木下の声に苛立ちが滲む。距離を取るため、召喚獣が後退する。刀夜の召喚獣も、それに応じて間合いを切った。
「あなたの召喚獣……本当にどうなってんの?」
観戦席からも、ざわめきが広がっていた。
『今、何本壊した?』
『七……いや、もっとじゃないか?』
「ただの剣士タイプの召喚獣だぜ」
刀夜は当然のように答える。
「ふざけないで」
木下の声が低くなる。
「七振りよ。私は確実に七振り、破壊したわ。それを“復活”させる剣士が、どこにいるのよ?」
「ここにいる」
刀夜の即答に木下は、わずかに目を細める。
「そう……まともに答える気は無いと」
そしてランスと刀が火花を散らす。木下姉の召喚獣は、今度は間合いを完全に断ち切るため、ランスを横薙ぎに振るった。その判断は、正しいはずだった。
「上だ!」
刀夜の叫びと同時に、召喚獣が地面を蹴る。
まさかの、上。横払いのランスの軌道を、完全に躱し空中で体を捻り、刀を、真上から叩きつける。
「っ!」
ランスで受け止められるが、それで終わりじゃない。刀夜の召喚獣は、空中で体勢を崩しながらも、無理やり踏み込み――顔面に、横蹴りをいれ木下姉の召喚獣が、後方へ吹き飛ばされた。
数メートル、床を滑り、巨大スクリーンの数値が、無情にも更新される。
Aクラス 木下優子
518点 → 472点
古典 VS
Fクラス 鍔守刀夜
560点
「……なっ」
Aクラス側が、息を呑む。
「剣士……?」
誰かが呟いた。
「刀を無限に出して、蹴りまで使う剣士がいるかよ……」
雄二は、苦笑交じりに呟いた。一方、木下姉の召喚獣は立ち上がり、頬についた埃を乱暴に払う。その目は――もう完全に、火がついていた。