「それでは――最後の一人、どうぞ」
高橋先生の声が、やけに重く教室に響いた。激闘は刀夜の勝利に終わり、いよいよ最終局面。一騎討ちのラストバトルである。
ここまでの戦績は三対三。泣いても笑っても、この一戦ですべてが決まる。
Fクラスは、この日、この瞬間のために戦ってきた――そう言っても、誰も否定しないだろう。沈黙の中、Aクラス側から一人の少女が前へ出る。
「……はい」
霧島翔子。Aクラス最強にして、知力・集中力・安定感の三拍子が揃った“ラスボス”。その姿を見ても、Aクラスは騒がない。負けるはずがない。全員がそう信じ切っているからだ。
そして。
「俺の出番だな」
Fクラス側から、坂本雄二が一歩前に出た。
空気が、ほんのわずかにざわつく。
「教科はどうしますか?」
高橋先生の問いかけに、雄二はニヤリと笑った。
「教科は日本史」
Aクラスは無反応。当然だ。得意科目中の得意科目。
だが――
「内容は小学生レベルで、方式は百点満点の上限ありだ!」
ざわ……!
教室全体が、一拍遅れて揺れた。
『上限ありだって!?』
『小学生レベルって……満点勝負!?』
『集中力ゲーじゃねえか!』
Aクラスに、明確な動揺が走る。今まで「絶対に勝てない」と言われ続けてきたFクラスにも、ほんのわずか――ミジンコの眉毛ほどの勝率が芽生えた。その事実を理解したからこそ、Aクラスはざわついていた。
「分かりました。それでは問題を用意します。少々お待ちください」
高橋先生はノートパソコンを閉じ、教室を出ていく。小学生レベルの日本史テストを即座に用意できるあたり、教育者としての執念が怖い。
先生の背中を見送りながら、Fクラスの仲間たちが雄二のもとへ集まった。
「雄二、あとは任せたよ」
明久が、渾身の力で雄二の手を握る。
「ああ。任された」
力強く握り返される手。
「……(ビッ)」
ムッツリーニは、大悟の肩を支えながら無言でピースサイン。
「お前の力には随分助けられた。感謝している」
「……(フッ)」
珍しく微笑み、すぐに元の無表情へ。
「坂本君、ありがとうございました!」
姫路が深々と頭を下げる。
「ああ、気にするな。あとは頑張れよ」
「はいっ!」
その元気な返事に、雄二はどこか楽しそうな笑みを浮かべた。
「任せたぜ」
刀夜も短く言う。
「ああ。お前があそこまでやったんだ。俺も気張るさ」
そして。
「では、最後の勝負、日本史を行います。霧島さんと坂本君は視聴覚室へ」
霧島は静かに頷き、教室を出る。
「じゃ、行ってくる」
雄二もそう言い残し、戦場へ向かった。
視聴覚室。
『では問題を配ります。制限時間五十分。満点は百点』
モニター越しに、落合先生が問題用紙を裏返して置く。
『不正行為は即失格です。いいですね?』
『……はい』
『わかってるさ』
『それでは――試験開始』
問題用紙が、同時にめくられる。
「吉井君……いよいよですね」
「そうだね。いよいよだね」
姫路の会話に明久は唾を飲み込む。
「もし、あの問題がなかったら……」
「集中力勝負で負けるだろうね。でも」
(もし、出ていれば)
ディスプレイに映し出された問題。
《次の( )に正しい年号を記入しなさい》
( )年 平城京に遷都
( )年 平安京に遷都
「いける……!」
そして、
( )年 鎌倉幕府成立
( )年 大化の改新
「あっ……!」
出ていた。
「よ、吉井君!」
「うん!」
「これで、私たち……!」
「これで僕らの卓袱台が――」
「ついに...!」
『システムデスクに!』
Fクラス全員の声が揃う。
「最下層に位置した僕らの、歴史的な勝利だ!」
『うぉぉおおおお!!』
――そして、結果。
《日本史勝負 限定テスト 100点満点》
《Aクラス 霧島翔子 97点》
VS
《Fクラス 坂本雄二 53点》
Fクラスの卓袱台がみかん箱になった。
「……歴史って、残酷だな」
刀夜の呟きが誰かに聞こえる事は無かった。Fクラスの設備は、今日も変わらず、最下層にあった。
53点対97点。FクラスとAクラスの戦争はあまりにも無慈悲な数字と共に幕を閉じた。もはや「善戦」とか「健闘」とか、そういう言い訳すら許されない差である。示された点数は、静かに、しかし確実にFクラスの心をへし折っていた。
その結果を目の当たりにして、Fクラスの生徒たちの胸中に湧き上がってきた感情は、ただ一つ....怒りだ。
「「「坂本雄二いぃぃーーーッ!!!」」」
それは悲鳴でも抗議でもない。断罪の咆哮だった。
Fクラス一同は廊下を蹂躙する暴徒と化し、みかん箱を蹴倒し雪崩のように自教室へと戻る。そして標的を視界に捉えた瞬間、全員の目の色が完全に変わった。
坂本雄二。
今回の大戦犯にして、今この瞬間、学園で最も命の価値が軽い男。
「……くっ、殺せ」
雄二は床に腰掛けたまま、目を閉じて静かに呟いた。その姿は、もはや英雄的ですらある。いや、諦観した死刑囚そのものだった。
「いい覚悟だ!望み通り殺してやる!歯ァ食いしばれ!」
最初に飛び出したのは明久。怒りに染まった顔で拳を振り上げ、全身全霊を込めたストレートを放とうとする。
だが――
「よ、吉井君!落ち着いてください!」
「よしなさい、アキ!」
「だいたい、53点ってなんだよ!0点なら名前の書き忘れとかも考えられるのに、この点数だとーー」
「いかにも、俺の全力だ」
清々しい発言に明久は、
「この阿呆がぁーっ!」
「アキ、落ち着きなさい! アンタだったら30点も取れないでしょうが!」
「それについては否定しない!」
「それなら、坂本君を責めちゃダメですっ!」
姫路と島田が、左右から見事な連携で明久を拘束した。その様子は、さながら暴れる大型犬を必死に止める飼い主の図である。
「離して、姫路さん!美波!この馬鹿には喉笛を引き裂くという体罰が必要なんだ!」
「「それは体罰じゃなくて処刑です(よ)!」」
理性的なツッコミが二方向から炸裂するが、教室の空気は一向に鎮静化しない。むしろ、火に油である。そして次の瞬間――誰も予想していなかった第三の矢が放たれた。
「雄二ぃーーーっ!!」
叫び声と共に、刀夜の身体が宙を舞う。助走、踏み切り、滞空時間――すべてが完璧。
「ぐぼぉぉっ!?」
雄二の顔面に、芸術点すら感じさせるドロップキックが叩き込まれ、彼は情けない音を立てて床を転がった。なお、これで刀夜の怒りが収まるはずもなかった。
「……っ、てめぇ、なにしやがる!」
雄二が抗議の声を上げる間もなく、刀夜は胸倉を掴み、そのまま前後にガクガクと揺さぶる。
「黙れこのクソ野郎!なんだあの点数は!? 舐めてんのか!?俺が死ぬ気で木下から勝ち取った勝利を、ドブに捨てやがってぇ!!」
その怒号には、怒りだけでなく、努力を踏みにじられた者特有の哀愁すら滲んでいた。刀夜にとって、あの戦いは文字通りの死闘だたのだ。
それを――53点で踏み躙られたのだ。
「テメェら!雄二を連れてグラウンド行くぞ!」
「了解ぃ!」
その号令一つで、Fクラスの半数以上が即座に動いた。もはや集団心理は暴走状態。誰も止める気などない。
「ちょ、ちょっと待て!刀夜!何する気だ!」
「決まってる!お前の下半身を生き埋めにして、身動き取れなくしてから投石だ!楽に死ねると思うなよ!このA級戦犯野郎が!」
「完全に処刑じゃねぇかぁぁぁ!!」
雄二の悲鳴が教室に響き渡る。そのままグラウンドへ連行されかけた――まさに、その時だった。
「……待って」
静かな一言。だが、その声は不思議なほど強く、騒然とした空気を一刀両断した。
「霧島……?」
姿を現したのは霧島翔子。その無表情な佇まいに、なぜか全員が足を止める。刀夜は舌打ちしつつも、空気を読んで雄二を解放した。
「……雄二。賭けは、私の勝ち」
「分かってる。何でも言え」
雄二は諦めきった声で答える。どうやら、この展開に心当たりがあるらしい。
「……雄二。私と、付き合って」
『『『…………はい?』』』
その場にいたほぼ全員が、完璧なシンクロ率で硬直した。誰一人として、次の台詞が思いつかない。
「やっぱり、まだ諦めてなかったか……」
雄二は深いため息をついた。その反応が、これが初犯ではないことを雄弁に物語っている。
「今からデートに行く」
「ちょ、放せ!やっぱりこの約束はなかったことに――」
抵抗も虚しく、雄二は霧島に引きずられて教室を後にした。恋する乙女は強い。時に、怒れるFクラス全員よりも。
やっぱりこのオチ