明久はちゃぶ台に突っ伏し、静かに泣き続けていた。
「ね、ねえ刀夜……さっきの話、嘘だよね?」
明久が縋るような目で問いかけてきた。その視線を、刀夜はあえて逸らす。
「明久……愛の形は一つじゃないんだぜ……」
「ねえ刀夜!!お願いだから嘘だって言ってよ!!刀夜ァァァ!!」
明久の悲鳴が教室に響き渡った、その瞬間。
バンッ!!
「はいはい、そこの人達。静かにしてくださいね」
福原先生が教卓を叩いて注意した。
「「あ、すいませ――」」
バキィッ!!バラバラバラバラァ……
次の瞬間、教卓は物理的にこの世との縁を切った。
(え?今の衝撃で……というか、今までどうやって立ってたんだあれ)
教卓は見事に瓦礫と化し、もはや「木製だった何か」になっている。
「えー……」
福原先生は壊れた教卓を見下ろし、ほんの一瞬だけ沈黙した。
「替えを用意してきますので、少し待っていてください」
淡々とそう言い残し、先生は足早に教室を出ていった。教師が去ったFクラス。それはもう、無法地帯である。その間に明久と雄二が廊下に出た。
誰かがゲーム機を起動し、誰かが意味深な漫画※R-17.99を堂々と広げ、誰かが既に寝ている。開始5分で学級崩壊のテンプレをフルコンプしていた。やがて福原先生が、教卓を持って来た。それでも壊れそうな別の教卓を抱えて戻ってきていた。明久達も席に戻る。
「では……自己紹介の続きに戻りましょう」
何事もなかったかのように再開される地獄。
「それじゃあ坂本君。君が最後ですね」
「了解」
呼ばれて立ち上がった雄二は、やけに堂々としていた。その足取り、その背筋、その自信――どう見てもFクラスにいる人間ではない。
教壇に立ち、クラスを見渡す。
「Fクラス代表の坂本雄二だ。俺のことは代表でも坂本でも好きに呼んでくれて構わない」
「じゃあ筋肉ダルm――」
シュッ!
次の瞬間、刀夜の横髪がカッターでスパッと少し切れた。
「ツギハミミダ」
雄二が片言で警告する。
(ムスカか、てめぇは)
「さて、余計な邪魔が入ったが……」
雄二は気を取り直し、教室内を歩き始めた。
かび臭い教室
ワタが殆ど無い座布団。
薄汚れた汚いちゃぶ台。
それらを一つずつ、じっくりと見回す。
「Aクラスは冷暖房完備。座席はリクライニングシートらしいが――」
雄二は立ち止まり、振り返る。
「不満はないか?」
『大ありじゃぁっ!!』
Fクラス全員の魂の叫びが、教室を揺らした。
「だろう?俺もこの現状には大いに不満だ」
『そうだそうだ!』
『いくら学費が安いからと言って、この設備はあんまりだ!改善を要求する!』
『そもそもAクラスだって同じ学費だろ?あまりに差が大きすぎる!』
怒号が飛び交う。刀夜も拳を握りしめた。
(いくら最低クラスだからって、扱い雑すぎだよな……)
「皆の意見はもっともだ」
雄二は頷き、力強く言い放つ。
「だから俺は、Fクラス代表として提案する!」
教室が静まり返る。
「俺達Fクラスは――」
「Aクラスに対して、『試験召喚戦争』を仕掛ける!」
「試験召喚戦争ってまさか!」
この文月学園には試験召喚戦争、通称試召戦争と呼ばれるシステムがある。点数に応じた強さの召喚獣を呼び出し、教師の立ち会いのもとに行われる、クラス単位での覇を競い合う
『うぉぉぉぉぉ!』
『
『
『
狂気が入り混じった大合唱がFクラス中に響きわたる。
「よろしい!」
雄二は不敵に笑った。
「ならば――
設備も成績も未来もボロボロなFクラスは、無謀すぎる反逆の狼煙を上げた。文月学園史上、最も馬鹿で、今始まろうとしていたのだ。
突如として雄二の口から放たれた、Aクラスへの宣戦布告。最初の数秒間、Fクラスの面々は確かに燃え上がっていた。拳を握り、ちゃぶ台を叩き、「やってやる!」と吠えていた。
——が。次の瞬間、Fクラスの連中に微かに残っていた(かは怪しい)理性という名の冷却水が一斉にぶちまけられた。
しーーーーーん……。
『……勝てるわけ、なくね?』
『ていうか、これ以上設備落とされたら次は段ボール生活じゃね?』
『姫路さんがいれば、もうそれでいいです』
『秀吉と結婚したい』
(最後のやつ誰だよ。あとで挙手しろ、粛正してやる)
悲鳴とも本音ともつかない声が、教室のあちこちから湧き上がる。冷静に考えれば当然だ。
Aクラス――天才、秀才、エリートの巣窟。
Fクラス――馬鹿、阿呆、大抵がどうして入学できたのか不明な生命体の集団。
戦力差は、もはや勝負以前の問題である。文月学園のテストは、一時間以内なら何問解いてもいいという狂気のルールを採用している。
上限なしで制限なし。つまり、頭の良さがそのまま暴力になる。そして、その成績を元にして生み出された、科学とオカルトと偶然の産物――試験召喚システム。
(勝敗を分けるのは、ただ一つ。召喚獣の強さ...つまり、テストの点数)
Aクラスが勝つ未来しか、誰の目にも見えなかった。
「そんなことはない」
だが、その空気を切り裂いたのは雄二だった。
「必ず勝てる。いや――俺が勝たせてみせる」
根拠ゼロで勢い100。だが雄二の声には、妙な説得力があった。
『は?』
『何言ってんだこいつ』
『夢は寝てから見ろよ』
否定の嵐だが雄二は笑みを崩さない。
「根拠ならある。このクラスには、試験召喚戦争で勝つための要素が揃っている」
教壇に立ち、雄二は腕を組む。
「今から、それを説明してやる」
ざわつく教室に不敵な笑みを浮かべる雄二
(嫌な予感しかしない)
「……まず」
雄二は視線を落とした。
「おい康太。畳に顔をつけて姫路のスカートを覗いてないで前に来い」
「…………!!(ブンブン!!)」
「は、はわっ!」
姫路が慌ててスカートの裾を押さえ、後ずさる。一方、現行犯で畳と一体化していた男子生徒は、顔についた畳の跡を隠しながら前へ出た。
「土屋康太。通称――
「…………!!(ブンブン!!)」
名前よりも二つ名の方が圧倒的に有名な男。男子からは畏怖と尊敬を。女子からは純度100パーセントの軽蔑を集める存在。
『バカな、ムッツリーニだと……!』
『本当にいたのか……』
『見ろよ、まだ畳の跡消えてないぞ……』
『ああ……本物だ……』
『その名に恥じないムッツリさだ』
「次は姫路だ」
「え!? わ、私ですかっ?」
「ああ。うちの主戦力だ。期待してるぞ」
(まあ……今のFクラスで一番信用できるのは姫路だよな)
『そうだ!姫路さんがいる!』
『彼女ならAクラスとも戦える!』
『結婚しよう』
(だから誰だ)
「木下秀吉もいる」
「む? 儂か」
『おお……』
『あの演劇部の……』
『性別不詳の……』
「それから、鍔守刀夜」
不意に名前を呼ばれ、刀夜が少しだけ背筋を伸ばす。
「こいつは文系、特に国語に関してはAクラス相手でも勝てる可能性がある」
『マジか!』
『頼もしいな!』
(理系は聞くなよ...)
「当然、俺も全力を尽くす」
『坂本って昔神童だったらしいぞ』
『じゃあ姫路さんレベルが二人いるってこと!?』
『ワンチャンあるんじゃね!?』
教室の空気が、少しずつ前向きに変わっていく。
そして。
「それに――吉井明久もいる」
『誰?』
『そんな奴いたっけ?』
(あ、空気死んだ)
「ちょっと待ってよ!?なんでそこで空気下がるの!?僕は普通の人間なだけだよ!? 普通って大事でしょ!?士気が下がったのは僕のせいじゃ――」
必死に弁明する明久だったが、誰も耳を貸さない。
「知らないようなら、教えてやる」
雄二は腕を組み、もったいぶった口調で言い放った。
「コイツの肩書きは――『観察処分者』だ」
その瞬間、教室の空気がもう一段階冷えた。
《観察処分者》。それは、明久曰く――「学生生活を営む上で、ちょっとお茶目で、ちょっと学習意欲が欠けている生徒に与えられる、優しさに満ちたペナルティ名称」。
なお、現実的な別名は――
『……それ、バカの代名詞じゃなかったっけ?』
誰かの素朴かつ致命的な一言が、教室に突き刺さる。
「ち、違うよっ!!」
明久は慌てて立ち上がった。
「ちょっとだけお茶目な16歳につけられる、親しみを込めた愛称で――」
「そうだな」
雄二が即座に頷く。
「バカの代名詞だ」
「しかも文月学園初なんだろ?」
「やめて!!みんな、そんな『絶滅危惧種を見る目』で僕を見ないでぇ!!」
明久は半泣きになりながら叫ぶ。そこから話題は、《観察処分者》の具体的な仕様説明へと移った。姫路が恐る恐る尋ねる。
「え、えっと……その、観察処分者って、普通の召喚獣と何が違うんですか?」
「簡単に言うとだな」
雄二が指を立てる。
「普通の召喚獣は“物に触れない”。壁も机も素通りだ」
「でも」
刀夜が続ける。
「明久の召喚獣だけは、なぜか物に触れる」
「それで教師の雑用を全部押し付けられてる、と」
「さらに言うと」
雄二が淡々と補足する。
「召喚獣が受けたダメージや疲労は、何割か本人にフィードバックされる」
「えっ、それって……」
「そう」
「戦争じゃ、足を引っ張って」
刀夜が即座に結論を下す。
「ちょっと待って!?」
明久が食い下がる。
「それ言い方ひどくない!? 僕だって頑張れば――」
「はいはい」
刀夜は軽く手を振る。
「雑用頑張れ」
秒で切り捨てられた。
「兎に角だ」
「まずは力の証明として――Dクラスを征服する」
雄二は教卓を叩き、教室がざわつく。
「皆、この境遇に不満はあるか?」
『おおーーっ!!』
「ならば全員、筆を執れ! 出陣の準備だ!!」
『俺達に必要なのは卓袱台じゃない!!Aクラスのシステムデスクだ!!』
『うおおおおーーー!!!』
『我々は最下位だ!!学園の底辺だ!!誰からも見向きもされないこれ以上、下の無いクズの集まりだ!!!!』
『うおおおおーーー!!!』
『つまりそれは!もう失うものは無いということだ!!なら、ダメ元でやってみようじゃないか!試験召喚戦争を!!!』
『うおおおおおおおーーー!!!!』
士気は最高潮。そして雄二は、満を持して“最重要任務”を告げた。
「それじゃあ明久」
「……え、なに?」
「お前にはDクラスへの宣戦布告の使者になってもらう」
「…………」
一拍置いて、明久がぽつりと呟く。
「……普通さ、下位勢力の宣戦布告って、酷い目に遭わない?」
「何言ってんだ、それは映画やドラマの話だろ。大事な大使様にそんな失礼な真似、するわけないだろ、常識だぜ?」
「……ほんとに?」
「勿論だ。俺がお前に今まで嘘をついたことがあるか?」
明久はしばらく考えていると――
「明久、心配すんな」
刀夜が肩に手をポンと置く。
「Dクラスにも、きっと常識くらいはある筈....」
「刀夜、雄二……分かったよ。それなら、使者は僕がやる!」
「ああ、頼んだぞ!」
拍手と歓声に送り出され、明久はそれなりに毅然とした態度で教室を出ていく。その背中を見送りながら、刀夜が小声で呟いた。
「なあ雄二。Dクラスに常識があると思うか?」
「そりゃあるだろ」
「だよな」
二人は顔を見合わせ
「「ただ、常識ってのは人によって変わると思うんだよな」」
「鬼じゃのう……」
秀吉の呟きは、まるで強風の中に投げられたティッシュペーパーのように、誰にも拾われることなく宙に溶けた。
その直後、
「ぎゃあああああああっ!!」
廊下中に、誰かの非常に汚い悲鳴が木霊した。Fクラスは静かに思った。ああ、使者は無事に役目を果たしているな、と。