【南雲視点】
意識が戻った時、全身をバラバラに破壊されたような激痛が僕を襲った。
「あ……あが、っ……げほっ!」
口から溢れたのは鉄の味がする熱い塊。
六十五層の大橋から墜落して、僕はここまで落ちてきたんだ。自由落下の最中に見た、あいつらの冷たい目や、必死に手を伸ばしてくれた白崎さんの顔が、まだ網膜に焼き付いている。
僕は、暗くて冷たい横穴に転がっていた。水脈から溢れ出した水が、運良く僕をこの穴へと押し流してくれたみたいだ。でも、左腕はあらぬ方向に曲がっているし、腹部にも感覚がない。
(死ぬ……のかな。嫌だ、嫌だよ……お父さん、お母さん……助けて……っ)
死の恐怖で涙が溢れ、血と混じって視界を濁らせる。震える体で周囲を見渡すと、暗闇の奥に、不自然な緑色の光が見えた。
這いずるようにして近づくと、そこには整えられた岩壁と、何かが刻まれた道標があった。血に染まった指が、その文字をなぞる。
『我、先駆者。ここは表の迷宮百層のさらに先、奈落一層目なり。
詳細を知りたければ、横の岩を開けて通路を進むべし』
「……っ!? に、日本語……? なんで、どうして……?」
この世界の共通語じゃない。僕たちが日本で使っていた、漢字とかなの混じった文字列だ。
誰かがいる。僕と同じ、日本人の誰かが。
僕はすがるような思いで、その横にある「スライド」と書かれた石の扉を、残った右腕で必死に押し開けた。
通路の先には、悪夢のような現実とは正反対の、静謐な**「工房」が広がっていた。
中央には淡く輝く巨大な神結晶**。そこから滴り落ちる「神水」が、透明な音を立てて水溜りを作っている。僕は無我夢中でその水を飲み、傷口に浴びせかけた。驚異的な速度で傷が塞がっていくけれど、心の震えは止まらない。
机の上には、丁寧に置かれた一通の手紙と、分厚い手記があった。
「……シアン・ウォーカー……さん。転生者……勇者召喚……」
手紙の内容を読み進めるほど、僕の心はかき乱された。
僕よりずっと前にこの世界に来た日本人のウォーカーさんが、僕のような脱落者が来ることを予見して、この場所を整えてくれていた。
でも、そこに記された「生き延びる方法」は、あまりに狂っていた。
『生き延びたければ、魔物の肉を食え。……人外の強さを手にできるが、死ぬほど痛いし、人間を辞めることになる』
(魔物の肉を……食べる? 何言ってるんですか、ウォーカーさん。そんなの、ただの自殺じゃないか……っ)
机の脇には、抽出されたタウル鋼や、火種になる燃焼石が、まるですぐにでも作業を始められるように並んでいる。隣には、僕と同じ「天職:錬成師」に向けた手記。
ウォーカーさんは、僕が生き残るためのすべてを用意してくれている。……「人間を辞める覚悟」さえあれば。
(食べなきゃ、ここから出られない。でも、食べたら……。僕は、日本に帰れるの?)
脳裏に浮かぶのは、日本の自宅。呆れるほど平和だった日常。
もし魔物を食べて、バケモノに変わってしまったら。奇跡的に日本に帰れたとしても、お父さんやお母さんは、僕を見てなんて言うだろう。
(「誰だお前は」って、拒絶されるのかな。変わり果てた僕を見て、悲鳴を上げるのかな……。そんなの、死ぬより怖いよ……っ)
外からは、僕の血の匂いを嗅ぎつけた魔物の、耳を劈くような咆哮が聞こえてくる。
この静かな工房の壁一枚向こうには、僕を喰い殺そうとする地獄が広がっている。
(怖い……。ウォーカーさん、助けてよ……! 僕は、元の姿のまま、ただおうちに帰りたいだけなのに……っ!)
手紙に記された、ウォーカーさんの淡々とした、けれど重い警告。
魔物の肉を食らって怪物になり、親にすら拒絶される未来を恐れるか。それとも、ここで「人間」のまま食い殺されるのを待つか。
僕は血が滲むほどに自分の腕を抱きしめ、暗闇の中で、嘔吐きそうなほどの葛藤に身を焼かれていた。