物事を続けることが嫌いだ。嫌いというか、できないだけなんだけど、できないことが嫌いだから、嫌いだ。
できないのに、やる意味なんてない。いつかできるようになるとしても、今できないなら意味がない。私は、今だけを生きているのに。過去も未来も、見ていない。ただただ今を生きている。
この世界で、この社会で生きていくというのなら、きちんと未来にも目を向けなければならない。先を見据えて、今を乗り切らなければならない。でも、そんな生き方のどこが面白いのだろう。
普通の人って、一体なにが面白くて生きているのだろう。
普通のことができない私なんかは、そんな生き方を選ぶぐらいなら、首をくくったほうがマシだと思ってしまう。きっと、私みたいな人は必ずいるだろう。だけど、その人たちはみんなどうしているんだろうか? 頑張って、我慢しているのだろうか? それとも、刑務所にでも入って、自由を失う代わりに自由になってみたりするのだろうか?
結局のところ、私のような人間に、他人のことを想像するだなんて無理難題なのだった。誰がなにをしているかなんて、興味が湧かない。興味が湧かないことは、分からない。そういうことだ。
この内省に意味はない。一応言っておくと、これは反省ではない。私は反省をしないタイプの人間だ。もちろん、後悔だってしたことはない。というより、後悔できるほどなにかを選んできた経験がないのだ。
なんせ、まだ小学五年生である。
私の兄が通う
「そんなでもなかったぞ。三人中二人はフリーだったし」
それは、なにか特別な理由があったんじゃないかと思う。理由というか、特別な問題が――そんなことを言ったら怒られてしまうので、口には出さない。兄は、そういうのに厳しい人だ。
常盤もみじ――私の義兄である。血は繋がっていない。現在は中学二年生で、私の兄であるという以外にこれといった特徴はない。だけど、私の兄である。
ちなみに一応言っておくが、義兄妹だからといって、男女の関係があるというわけではない。私が兄にそういう感情を抱いたことは一度もないし、逆も然りだ。むしろ、少し鬱陶しいとも最近は思っている。
大人じゃないくせに、大人ぶって叱ってくるのがウザい。つい最近小学五年生になった、年頃の女の子な私なので、ついつい反抗してしまうのだ。反抗期じゃなくて、イライラするだけだ。
喧嘩になることはないが、それは兄が大人の対応をしてくるからだ。そういうところも、ウザい。
「ウザい、ウザい、ウザい――言われすぎて、もう慣れちゃったぞ。もう少し悪口のレパートリーを増やしたらどうだ?」
「ウザいっ!」
私らしくもないが、いつも声を荒げてしまう。なんだかんだ言って、私も普通の人間なのかもしれない。そう思うと、少しだけ気分がよかった。だから、まだまだ兄の優しさに甘えさせてもらうつもりだ。
「存分に甘えていいよ。でも、代わりと言ってはなんだけど、少しだけ考えてほしいことがあるんだよね」
「……考えてほしいこと?」
なにそれ? と私は訊いた。だけど、兄は私の問いかけに答えてはくれなかった。
「さっき説明しただろ? 僕のクラスについて」
「ああ、人が少ないって話?」
「そうそう。んで、ここからが本題なんだが……」
言って、兄は固まった。どうやら、話すのを躊躇っているようだ。私と兄の仲で、一体全体、なにを躊躇うことがあるというのだろうか。私、信用されていなかったりするのか?
「……よく考えたら、小学生の妹に相談するような内容じゃないかもって思ってな」
「え、そんなことを気にしてるの?」
私の兄ともあろうお方が、そんなくだらないことを気にしているだなんて。ここ数年で一番驚いたかもしれない。
兄は、そんな気遣いとは無縁の生き物じゃなかったのか? コンプライアンスとか学んじゃったんですか?
「二、三年前はもっと可愛かったのに、可愛くなくなったな」
「はぁ?」
いきなり変なことを言ってきた。これは、妹に対するセクハラだろうか? それなら、いつかされると思ってた。
「警察を呼ぶわ……」
「ちょっと待てちょっと待て。どうしてセクハラになるんだよ今のが」
「あ、もしかしてパワハラ?」
「違う」
兄は本気にしているようだが、これはあくまでも冗談だ。なんというか、マジに捉えないでほしい。こんなことをしているから、よく叱られるのかもしれない。なら、仕方ない。
ここからは真面目に聞こう。
「小学五年生と中学二年生なんて、ほとんど変わらないわよ。安心して」
「……全然変わると思うが、そうだな。安心はしてやるさ」
兄のほうこそ、可愛くないじゃないか。
「いや、クラスメイトが殺されたんだよ」
「……ん?」
「聞こえなかったか? クラスメイトが殺されたって……」
いや、聞こえたけど。
唐突すぎて、戸惑っただけだ。お兄ちゃんは――兄は、いきなりなにを言ってるんだ?
「な、なんていう名前の人?」
「名前? 気になるのか?」
語り部として、一応被害者の名前は把握しておいたほうがいいだろうという判断だ。別に、私が気になるわけじゃない。そりゃ、黙祷ぐらいはしてあげなくもないが。
マナーだし。
「ま、なんでもいいや。一回で覚えろよ? 被害者は、
崎野巡里、針果のどか、そして萩原すずめ――ん?
「お、さっそく気付いたか?」
「気付いたもなにも……」
今の時代に、こんなことを言ったら炎上してしまうかもしれないが……。
「
「そうだ」
「……えーっと」
クラスの男女比は、男子が十五人で、女子が――三人。
つまり。
「え、どういうこと?」
「それをお前に考えてほしいんだよ」
兄は言った。
「実はもう、この事件の犯人は捕まってるんだよ。同じクラスの、
どうして、三人の女子を殺したのか――を、私に考えろって?
「いや、無理に決まってるでしょ。冗談じゃないわ、全く……」
「お前ならできるかなって思ってさ。透って、別に女子三人と関わりがあったわけじゃないし、動機が分かんないんだよ」
先生も警察もなんも話しちゃくれないし――と愚痴るように兄は言った。至極当たり前のことだ。警察もそんなことをわざわざ同じクラスの人に話したりはしないだろう。というか、先生だって聞かされてはいないんじゃないか?
「その可能性が高いだろうな」
「……お兄ちゃんとか、同じクラスの人が分からないのに、私に分かるわけないでしょ」
「謙遜するなよ」
謙遜ではなく、これはただの事実だ。そもそも、私は謙遜なんてしたことがない。自分を偽るということなら、いつだってしているけど……。
でも、そんなことは誰だってしている。
「そういうシュミの人だったんじゃないの?」
「僕もその可能性が高いと踏んでるが、それも百パーじゃないだろ?」
私の推理だって百パーセント確実ではない。むしろ、五パーセントととかそこらの、低確率だ。宝くじを買っているようなものだろう。
……考えること自体は嫌いじゃない。だから、兄の頼みを引き受けるのはやぶさかでもない。自信はないけど。
うーん……。
負けイベは、好きじゃないんだけど。
でも、勝負じゃないか。人の死が関わっているのに、勝ちも負けもない。
よし、やってみよう。
「死体の状況は? というか、死因は?」
「死因は刺殺だよ。状況は、三人とも首がスパッと切られてたかな」
僕、実は第一発見者なんだよ――兄はさらっとそんなことを言った。そんな軽いノリで言うことでは絶対にないと思うのだけど……。
「手馴れてるって感じだった?」
「なんつーか、素人なりに効率を求めてみたって感じだな。一応、的確に致命傷を与えてるわけだし」
それでも、被害者が苦しんで死んだことは間違いないだろう。他人事なので、絶対に許せないだとかそういう気持ちは皆無だけど、どこかやるせない気持ちになった。
「なら、目的は殺すことではなかったのかしら……?」
「どうして?」
「目的の殺しに効率なんて求めないでしょ」
「それもそうか」
察しの悪い兄だ。そんなお兄ちゃんも嫌いじゃないけど、今はもうちょい考えてほしい。
目的が『殺人』そのものではない――次点で考えられるのは、復讐とか、そういう系になる。
「男女関係のもつれとか、そういうのは本当になかったの? ほら、その透って人が女子三人を妊娠させちゃったーみたいな」
「透はそんな人間じゃなかった気がするけどな……。いや、人を殺している時点でそんなもなにもないんだけど」
人を殺している時点で、どんな事情があろうと没橋透は人殺しである。犯罪者だとか、そういう以前に、『人を殺した』のである。
許す許さない許される許されないの話ではなく、『殺人』の話だ。
「……没橋透の特徴は?」
「え?」
「なんかない? 透の特徴みたいな。なんでもいいから」
なんとなく、なにかが分かりそうな気がしている。ただの直感だし、外れている可能性が非常に高いが、チャレンジしてみる分にはなにも問題ないだろう。
「……んーと、思い付かないな。アイツ、クラスの中心って感じじゃなかったし。だからといって、オタクってわけでもなかったけど」
「……」
オタクを見下していそうな発言である。まぁ、兄は確かにクラスの中心ってタイプだし、実際上にいるんだろう。私は下にいる、年齢も、立ち位置も。
「あ、そういえば、アイツって体育委員なんだよ。男のほうの委員が全然決まらなくて、結局じゃんけんってことに――」
「ちょっと待って」
男のほうの委員――つまり、女のほうの体育委員もいたってことか?
「そりゃ、そうだろ。どこの学校でもそうだろ?」
……私のクラスにも委員会制度はある。全員強制だ。私は同性のアンちゃんと一緒に文化委員なんかをしているけど、男女ひとりずつっていう委員会も確かにあった。
「……」
そして、なんとなくだけど、分かってしまった。
いや、分かったとは言えない。おそらく私の推理は、九割がた的外れなのだから。
だけど、答えを出してしまった。ひとつの答えに考え着いてしまった。
いや、絶対に違うんだろうけど……。
「……他に、なにか特徴みたいなのはなかった?」
「特徴かぁ……。うーん、成績はよかったらしいけど、僕ってあんまり関わりないんだよな」
「細かいことでもいいから」
「うーん……」
散々悩んだ末に、兄は自信なさげな様子でこう答えた。
「そういえば、アイツってかなり好奇心旺盛なタイプだったんだよ。消しゴムを食ったらどうなるかーとか、シャー芯を電源コードの中に入れたらどうなるのかーとか、そういうの。実際に試して、めちゃくちゃ怒られてたみてぇなの、聞いたことあるわ」
間違えていると思う。というか、思いたい。それだけはないだろうと、兄に一蹴してほしいぐらいだ。
だけど、お兄ちゃんの期待に応えたいという気持ちもある――自分に素直になるなら、私は兄のことが大好きだ。いくら鬱陶しくても、兄のことを嫌いになったことは一度もない。
褒めてくれるかなという期待と、間違っていてくれという期待が半々。
「……分かったわ、お兄ちゃん」
「え、もう分かったのか?」
驚かれるようなことではない。いや、驚かれることではあるのだけど、少なくとも、これは私にとって簡単な問題だった。問題ですらなかったかもしれない。
でも、兄には言えない。
この殺人犯――没橋透に、私が親近感を抱いてしまっている、だなんて。
深掘りされるのは勘弁である。今だけは、今までと同じように、察しの悪いお兄ちゃんでいてほしい。そうでなきゃ、兄が私を嫌ってしまうかもしれないから。嫌うまでいかなくとも、嫌だと思われたくない。
だから、私は無駄な前置きを省略して、端的に言った。
「ズバリ、動機は好奇心よ」
「……それは、どんな好奇心なんだよ」
動機は好奇心です。えーそうなんだすごーいだけで終われればどれだけ楽だったことか。しかし、追及されてしまったものは仕方ない。馬鹿なお兄ちゃんでも分かるぐらいには単純な動機なので、そこまで解説に時間はかからない。
「体育委員は、必ず男女ひとりずつって決められていたわけでしょ?」
「そうだな」
多分、この制度はそろそろなくなるだろう。数百年後には、男女の区別が曖昧になって、トイレも更衣室も男女兼用になっていくのかもしれない。そんな未来のことは、正直どうでもいいけど。私は今を生きている。
「だったら、少し気になることがあるわよね」
「気になること?」
なんだそれ、と兄は首を傾げる。それが、通常の反応だ。間違っていない、破綻していない、ちゃんとしている反応。共感なんて、できるわけがない。普通の人は、そんなこと気にならない。
そんな、些細なことで。
「まぁ、それは、透にとって――だけど。勿体ぶる名探偵が嫌いだから、パッと言っちゃうわ」
「パッと言えよ」
この答えに辿り着いたことを、知られたくない――そんな気分になった。できれば、冗談だと思って、笑い飛ばしてほしい。そのぐらい、私の作った真相は、荒唐無稽でデタラメな戯言だった。
「体育委員は必ず男女一人ずつ選ばれる――それなら、
結局、この推理が合っていたのかどうかは定かではない。知る気はなかったし、後々先生の口から語られたらしいけど、それも真実かどうかは曖昧なものらしかった。
兄は私の推理を聞いて、『なるほど!』と思ったらしい。そんなわけあるか、なんて言ってくれなかった。兄がそんなことを言う人間ではないと分かっている私だけど、それでも少しだけ期待外れだった。
だけど、結果はどうあれ、兄は――お兄ちゃんは、私のことを褒めてくれた。よしよし、すごいねと、頭を撫でてくれた。だから、たとえ推理が正しかろうが間違っていようが、私が異端だろうが普通だろうが、この話は純然たるハッピーエンドなのだ。
殺された三人と殺した一人の遺族以外は、全員幸せになった。だったら、それはとても良いことだ。
なんだか、気分が良い。できないと思っていたけど、普通にできちゃったからだろうか。偶然の産物ではあるものの、できてしまったから。だから、こんなにも幸せな気分なのかもしれない。
いや、幸せな気分なのは、兄に褒められたからか。
ちなみに、どうして私が犯人である没橋透に親近感を抱いたのかというと、これも非常に単純なことだ。
異常だったから。
私は、女がいなくなったらどうなるんだろうとか、そんなことを考えるような人間じゃない。だけど、もし考えるような人間だったとしたら、私はそれを確かめるために、躊躇なくクラスの女子三人を殺害しただろう。できるかは分からないけど、できたらやっていただろう。私は、どうしてかそう思う。
親近感か、シンパシーか、それとも仲間意識か。どちらにせよ、私は透に対し、全くの悪印象を抱いていなかった。むしろ、好感すら持っていたかもしれない。今まで、よく頑張ったね――そんな風に。
そして、そんな自分を毛嫌いする自分だっている。殺人鬼に共感するだなんて、気持ち悪い――そう思う自分も。
でも、どうせ忘れる。愉快な気持ちも、不快な気持ちも、等しく過去にしてしまえばいい。
そうすれば、私は全てを忘れられる。私は、過去を振り返らない女なのだ。
私は今を生きている。
過去を見ずに、未来から目をそらす。
私は今だけを生きている。