蛍は今を生きている。   作:十十廃色

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【卒業式】

 中学三年生に進級したのを機に、私はブラコンを卒業した。もう、兄とは一緒に寝ない。

 兄ももう高校三年生だ。進学はしないそうだが、就活がある。これ以上、私の我儘に付き合わせるのはいけないことだ。私は悪い子ではないので、いけないことはしないのだ。

 もう甘えない。兄は少し寂しがっているようだけど、もう気にしない。私ももう、中学三年生だ。それに、趣味で続けていた水泳で全国一位を獲ってしまったせいか、名もちょっとだけ知られるようになったのだ。そんな有名人が、兄とラブラブだなんて発覚したら、きっと燃えてしまう。SNSの炎上が怖い。

 だからもう、私は兄を卒業しよう。さっき、そう決めた。もう、抱きしめない。くっつかない。キスだってしないし、頭を撫でられたりもしない。性行為なんてもっての外だ。もう、彼には甘えない。この決意は固い。

 ……でも、もし兄が私に甘えてきてくれるのなら、私は甘やかしてしまうかもしれない。それはもう、目いっぱい。

「相変わらず、異常な関係なんだね」

 同じクラスの綱茶(つなちゃ)千夏(ちなつ)は、私の隣を歩きながら――隣を歩いておきながら、何ひとつ遠慮することなく、躊躇することなくそう言った。なに、異常な関係だって?

「お兄ちゃんをバカにしているのかしら」

「いや、バカにはしてないよ、ふたりとも。でも、異常であることは間違いないじゃない?」

 ……自覚がないわけではない。だけど、なんとなく、他人に言われると腹が立ってしまう。それは、あんまり褒められたことではない。そんなの、自分の罪を理解しておきながら、裁きを拒む人間とおんなじだ。

「そこまで重い話ではないんだけど……、いや、でも、重い話ではあるか。兄妹でそういう関係なのって、わりと大変な問題だもん」

「そうね……」

 口ではそう言ったが、納得はしていない。大変な問題だなんて、あなたに言われる筋合いはないだろうって。そんな風に考えている時点で、図星を突かれているのかもしれないが。実際、図星だし。

 そうだ。私は――私たちは、きちんと理解していたのだ。アレが近親相姦に当たる行為だって、認識していた。認識した上で、私たちは一線を越えたのだ。分かっていたからいいだろう、みたいなことを言うつもりはないし、それをあなたに責められる謂れはないとすら思っている私だけど、この関係が異常であることを、認めないわけにはいかない。納得しないわけにはいかないのに。

「人間の感情って、難しいわよね」

「どうしていきなりそんな話になったの?」

 一時の感情に身を任せたせいで、取り返しの付かない結果になってしまった。そしてそのことを、そこまで後悔していないのが私だ。そもそも、後悔なんて私にできっこないのだけど。どうせ、全ては過去になる。Fにはならないが、終わったことなのだ。

 生きるって、やっぱり難しい。

「……そういえば、千夏って将来の夢とかあるのかしら?」

「本当にどうしていきなりそんな話になったの。……うん。ずっと前からの夢があるよ」

「へぇ。聞かせてくれる?」

「えへへ、恥ずかしいけどね」

 恥ずかしそうに笑いながら、千夏は小さい声で話してくれた。

「私、学校の先生になりたいの」

 

 次の日、殺人事件が起こった。

 殺されたのは――私の兄だった。

 

「一体、私のお兄ちゃんがあなたに何をしたんですか?」

「……」

 そして、私は犯人を捕まえた。以上があらすじだ。

 犯人の名前は不束(ふつつか)刻夜(ときよ)。生前の兄のクラスメイトであり、なんだか芋っぽい男だ。髪の手入れも怠っているようだし、無精髭まで生えている。全体的に、不潔な男だ。

 お兄ちゃんは、こんな男に殺されたのか?

「……おまえ、は……」

「私の名前は常盤ほたる。常盤もみじの妹です。血は繋がっていませんでしたけど」

「……」

 こんなヤツに、『おまえ』呼ばわりされるのが屈辱的だ。確かに私は年下だけど、そんなの関係ない。

 それに今は、私のほうが立場は上だ。

「お、俺をどうするつもりなんだ……」

「……質問に答えてください」

 私が敬語でいる理由は、そのほうが距離を感じられるからだ。徹底的によそよそしくする。コイツと仲良くしたいわけではないのだ。

「早くしないと、手が滑ってしまうかもしれません」

「っひ……!」

 手に持っていた細い針をその濁った眼球に向けると、男は身震いをして、情けない顔をさらした。兄を殺した凶器であるナイフよりかは役に立ちそうだ。

 男は手足を拘束されている。かなり力を入れたので、抜け出すことはないだろう。恐怖も、植え付けておいたし。そして、瞬きができないよう、瞼も固定してある。

 ……本当、どうしてこんなヤツが兄を殺せたんだ? 少なくとも、私よりは喧嘩が強かった兄が、こんなヒョロガリ男に殺せるのか? 疑問だ。気になる。

「……」

 でも、まずは質問に答えてもらいたい。

「ねぇ、不束刻夜さん。私は質問をしているのよ。どうしてあなたは私の大事なお兄ちゃんの首を無惨にもナイフで掻っ切ったの? お兄ちゃんが、あなたになにをしたの? どうして私の質問に答えてくれないの?」

「……っ」

 妙だ。どうして彼は、私の質問に答えようとしない? 片方の眼球を潰されようとしているのに。たとえどんなに話しづらいことだったとしても、眼球と引き換えならば問答無用で話してしまうだろう。少なくとも、普通は。

 もちろん、目の前の汚い陰キャ男子高校生を、普通だと思っているわけではない。兄を殺せるという時点で、十分に非凡だし。

 だけどコイツは、簡単に私に捕まった。抵抗はされたけど、一度も当たらなかったし、威力も弱かった。一般的な男子高校生よりかなり弱い気がする。一般的な男子高校生を知らないけど。多分、千夏とトントンぐらいだ。千夏が女子中学生の平均より少し弱いぐらいなので、この男はめちゃくちゃ弱いということになる。

「……」

 答えてはくれない、と。

 なら、自分で考えるしかない。自力で答えを見つけ出せば、きっとお兄ちゃんはあの世で褒めてくれるだろう。兄が地獄にいるとは思えないけど、もしかしたら会えるかもしれない。私は地獄行きが確定しているので、もし兄が天国に行っていたら、少し困る。そういえば、自殺だと天国にはいけないんだっけ?

 ……一度、話を戻そう。まず、無差別殺人なら黙る必要はないだろう。だから除外。だったら、動機はなんなんだ? 兄が、人に殺されるようなことをしたとはとても思えないのだけど……。もしかしたら、なにかしたのかもしれない。でも、それならどうして言わないんだろう。少なくともこの状況では、言ったほうがいいに決まっているのに。

 兄が、なにをした? ……いや、違う。

 逆恨みだった場合――そして、犯人である男がそれに自覚的であった場合。だったら、私の質問に答えない理由もはっきりと分かる。そうか、逆恨みなのか。

 ……でも、逆恨まれるようなことを、兄がしたとすら思えない。

 彼女を寝取られたとか? いや、それはない。兄には私がいたし、この男に彼女ができるとは到底思えない。だとしたら、BSSパターンか。僕が先に好きだったのに――ってヤツ。不束刻夜が密かに恋心を抱いていた女がいて、だけどその女は私の兄のことを好きになってしまった――みたいな。もしそうだとしたら、私はその女のことを憎んでしまうかもしれない。なにも悪くないのに。

 まぁ、憎いなんて感情も、いずれ消えてなくなるんだろうけど。

 ……でも、そうか? 兄は、誰かに好かれるようなタイプではなかった。いや、嫌なヤツだって意味ではなく、恋愛的な目で見れないみたいな、そんな感じ。私はそうじゃなかったけど、基本的にみんなそうだった。兄は、徹底的に『やさしい人』だった。

 そう振舞っていた――と、言っていた。でも、本当のところはどうなんだろう。

 分からない。

 だって、なにも知らないから。

 そういえば私、お兄ちゃんのこと、全然知らないや。

 不束刻夜が犯人であると見破ったのは、単純に状況からの推論だった。動機なんて、考えてもいない。大事なのは、男が兄を殺したという事実だけだったから。

 ……褒めては、くれないかもしれない。

 兄のことを知ろうとしなかったのは、私だ。ここで躓くのも、自業自得なのだ。仕方ない。

「……もういいです」

「え……」

「帰っていいですよ。それと、警察にも通報して大丈夫です。もし私が捕まっても、あなたのことは言いません」

 そんな資格、私にはなかった。兄を一番殺していたのは、ほかでもない私だったのだから。

「……」

 男はなぜか、微動だにしない。一体、どうしてだろうか? せっかく、帰ってもいいよと言ってあげているのに。兄を殺した人間に、わざわざ情けをかけてあげているのに。動かずに、じっと私のほうを見ている。

「……」

 やり返そうとでもしているのだろうか。正直、一発ぐらいなら、殴られてやってもいい。不束に対する償いではなく、兄に対する償いとして。にしては、とてもショボいだろうけど。でも、なにもされないよりはマシかもしれない。

 なんて偉そうに考えている時点で、私は甘かったのだろう。

 そんなことを知るぐらいなら、まだここで殺されるほうがマシだったかもしれない。

「……質問に、答える」

 え? と私は呆けた声を上げた。どうして、今さら。もう、聞きたくなんかないのに……、そう思った。

「常盤、くんは……、もみじくんを、殺したのは、それは……、俺が、そう、頼まれたからで……」

「……」

 誰に頼まれたんだ、と訊こうとした。でも、口が動かなかった。兄を一番殺した私が、知るべきことではないと思ったからだ。しかし、不束にそんな事情は関係ない。男は暴露した。

 墓場まで持っていこうとしていた、真実を。

「おまえの、兄に――もみじくんに、頼まれたんだよ」

「……は?」

 

「おまえの……じゃなくて、きみの、兄は、失恋をしたんだ。……大切な人に、拒まれたって、言ってた。もう抱きしめないし、くっつかないし、キスだってしないし、頭を撫でられたりもしないし、えっちもしない――もう、甘えない。そう言われたらしい。……多分、彼女と別れたんだろう……、それで、ショックだから、殺してくれって、おれに……、言った。お、おれは、最初、断ったけど、どうしてもって頼まれたん、だ。おれは、もみじくんに、いっぱい救われたから、せめて、その、恩返しを……、したくて。だから、おれ、あいつの……もみじくんの、言うとおりに、殺した。ナイフで、首を、掻っ捌いた。せめて、楽に、死なせてやりたかった、けど、手が、震えてたから、確実に、した。おま、きみの、大切な、兄を、殺して……、しまって、ごめんなさい。なにをされても、文句は言えない、し、おれ、元々は、自首するつもりで……、だけど、きみが、望むなら、どうか、頼む……」

 おれを、殺してくれ――と、実行犯である不束刻夜はそう言った。

 誰が殺すか、と私は答えた。

 

 私のせいで兄が自殺したらしい。そりゃ、そうだ。私は兄の気持ちを一切考えていなかった。

 どうして兄は、私を受け入れた? 兄だって、私のことを好いていたんじゃないか? 兄妹でなく、恋愛的な意味で。だとしたら、これから大変になる時期に、私は、兄を捨てたってことになる。完全に、私のせいだ。

 私は、自分のことしか考えていなかった。あの関係を、真剣に捉えていなかった。常識に囚われて、現実を見失っていた。私たちは異常で、おかしかったはずなのに、私は。

 私は、取り返しのつかない過ちを犯してしまった。もう二度と、兄は帰ってこない。

 私なんて、あの関係自体を、取り返しのつかない過ちだと認識していた。だから、私だけが本気じゃなかった。兄は、本気でいてくれたのに。……ずっと、私にとって、常盤もみじは、都合のいい兄だった。

 私にとって、あの人は――もしかしたら、大事な人ですらなかったのかもしれない。大切になんか、していなかった。だって、私は彼を捨てたし、彼を見ていなかったし、彼を道具扱いしていた。

 私は、本当に、最低だ。

 私なんかが、生きていていいのだろうか。でも、生きていなきゃ、ダメだ。兄に――もみじに、合わせる顔がない。もし、少しでも、あの世で兄と会ってしまう可能性があるのなら――私は、死ねない。だけど、生きていちゃ、いけない。

 私はどうすればいい。

 私は。

 私は。私は。私は。

 そうやって、私はずっと、私のことしか考えない。

 これからもずっと、そうなのだろう。

 分かっている。もう、諦める。私は一生最低なヤツだ。大丈夫、この出来事だって、いつかは過去になる。

 未来の私は、楽しく笑えているはずだ。

 ……でも、このことを、過去にするには、しばらく時間を要するかもしれない。

 私は今を生きている。

 だから、大丈夫なんだ。たとえ時間がかかったとしても、私はこの気持ちを忘れられる。だって、

 私は今だけを生きている。

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