深淵より這い出した者   作:観測者A

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第3話

『クライミング』と呼ばれる行動がある。それは、登攀などを一般的に指し、動物や昆虫、鳥類でさえ可能な垂直の障害物を乗り越えるための動作である。

 

逃走や追跡など、狩りの一場面として狩人が行ったりもし、趣味や練習として登山家が行ったりもする。

 

だが、たった今登りきった行動は優にクライミングと分類できる範疇から飛び出している。

 

「おおおおっ」

 

長時間の浮遊感と一瞬の爆発的圧力の解放の連続。類まれなる脚力によって生み出される異次元の挙動は、重力にも匹敵する慣性を生み出しており……

 

辺りに継続して響くのは、圧倒的な破砕によって齎される爆発音。そして、その音に追従して、クリック音と呼ばれる音が発生していた。

 

反響音で周囲を把握する能力はコウモリなど一部の生物の能力に存在するが、この生物はヘビなどと同じ警告音を出す者だ。自らの存在を周囲に伝え、脅威だと思わせる事による逃走を招く警告音。

 

奈落の主は現在、毎秒15mオーバーで登攀していた。

 

いや、登攀とは言えない。跳躍していたと言う方が正しい。1対の長い足は跳躍後に折り畳まれ、短い7対の足がまろび出る。

 

無数の岩壁を叩く衝撃はたおやかに受け止められ、背中から伸びて光る紐状の組織が軌道を彩る。

 

正真正銘の死を周囲に与える着地の衝撃は反作用で足に対し、蓄積するダメージを与えるが問題はない。

なぜなら、跳躍に特化した脚と言えどもその本領は大腿骨に似た組織に存在する筋肉繊維であり、その分布は極端に偏っている。よって先端の足が折れたところで跳躍力はあまり変化しない。

 

再生能力による極端な肉体の再構成、そして圧倒的な筋肉によって齎される跳躍。

 

それによって人間は現在、視界が狭まる症状が発生していた。なぜならば急激な上昇というのは殆どの血液を持つ生物にとって危険なものであり、慣性方向が左右に切り返されるというのも圧倒的に危険だった。

 

 

 

 

視界の端が暗く沈み、中央だけが不自然に鋭く残った。

網膜が引き伸ばされるような感覚と同時に、内耳が悲鳴を上げる。

身体が上下しているはずなのに、どこにも落ちる感覚がない。

代わりにあるのは、胃袋だけが置き去りにされ、内臓が背骨に貼り付くような圧迫と上昇の感覚だった。

 

衝撃が来ると理解するより先に叩きつけられる。

骨に直接触れられたような鈍音が響き、足場が砕ける感触が遅れて伝わる。

だがそれは着地ではなかった。

 

衝突したはずの岩壁は、踏み台として認識される前に後方へ流れていく。

 

どれほどの筋肉があれば成り立つ挙動なのか見目が全く持ってつくことがない跳躍。

 

そろそろ意識が飛びそうだ。

 

人間がそんなことを思考している間、もはや視界が完全に縦へ引き伸ばされる。

 

聳え立つ岩壁は壁ではなく、連続した影と淡い光の帯に分解されていた。

破砕音が遅れて届く。

音が先か衝撃が先か、その順序が分からない。

 

身体の内部で、何かがずれる。

骨格か、内臓か、それとも意識そのものか。

疑問の向きが定まらず、

上なのか下なのか、左右なのか、判断する余地がない。

 

ただ一方向へ引き剥がされ続けている感覚だけが残る。

 

 

重力からの解放と言うにはあまりにフリーダムで、フリーダムと言うにはあまりに秩序的な動き。

 

跳躍の衝撃が伝わり……そして、何かが見えたと思ったところで意識は完全に消失した。

 

 

 

 

 

ぼと、ぼと、ぼと……

 

 

 

何が落下し、叩きつけられて幾つもの破片になった。

 

濡れた岩肌は突如として動き、2つに割れていたはずの岩は瞬時に閉じ、破片を食べていく。

 

食べこぼしがさらに下に落下し、蜘蛛の巣に捉えられる。蜘蛛たちが喜びながら、さらなる食料の落下を願って祈祷する。

 

巣を落下物に耐えられるように何百回も情報が伝達され、その結果として蜘蛛の巣は絡め取るのではなく伸びながらも切れないという性質を持つ形状に進化した。

 

蜘蛛のコミュニティは言語を共有し、食料というものを通貨にした原始的な経済が作られている。

 

物々交換的なものでありながら、上層ほど富たる食料を独占し、中層ほど中抜きし、下層ほど食料にありつけないという富の偏りによる現象が発生している。

 

立体的な街は横穴に作られ、下になぜか存在する巨大な空洞は蜘蛛たちにとって最高の居住空間となり安全な産卵を可能とした。

 

数百年以上の文明は突然、急発展を遂げた。

安定的な食料、つまるところ縦穴から降ってくる『落下物』の確保により生存率が急激に上昇したのだ。

 

しかし、理想郷は崩れた。遥か下層の偉大なる原初の母は突然の侵略者によって死した。

 

横穴が遥かに大きな侵略者によって意図的に掘削され、爆発する道具を使って上層の富豪たちは死んでいった。

 

避難しようにも下層より来たる侵略者は強大で、これなら上層に逃げるしかない。

 

急いで避難しても、避難しても爆発する道具を持った上層の侵略者のせいでだんだん削られる。

 

せっかく作った街も、何もかもが破壊される。

 

ああ……なぜこんな災害が来たんだろう……

 

 

 

 

「……」

 

 

発光する紐に、無数の蜘蛛の糸が絡まる。

 

解こうとしても移動する度に、全身に絡まる蜘蛛の巣。通過する時に容易く破壊できるが、とても鬱陶しい存在だった。

 

「……」

 

背中の方の腕で保持した人間を起こし、掃除させているけれどもかなり苛立たしい。

 

そんなことを考えながら奈落の主は次から次に逃げていく蜘蛛たちを見ていた。

 

1匹はとても小さいが、それでも沢山集めれば食えるようになる。だが、それをする労力がまったく釣り合わない。

 

瞬膜の瞳によって眼球は保護されているが、瞼のような皮組織を持たない故に視界が頼りにならない。

だからこそ、奈落の主は腹部を背中の腕で擦ってクリック音を出す。反響音……人間からはエコーロケーションと呼ばれる能力を用いて、周囲を把握するために。

 

だが、上層の所ではとても大きな音が鳴っていて、それがとても好奇心を擽った。

 

 

 

 

 

「この音は……」

 

エピリオスは近づく爆発音を聞いて、驚く。

 

かつての兵器群の1つ、アイロンコアの戦闘音なのでは無いか、と。アイロンコアは昔やった仕事柄、扱ったことがあるけれども、専用の人材が必要なはずだ。

 

まさか最低到達点から降下する第二のアンダートライマンが、自分以外に生まれるのか?

 

 

阻止したいと考えながらも、阻止するのは人類にとってダメだと判断してやめることにした。

どの道、自力では上がれない。ウォールアップができるような装置も壊れてるし、この生物に頼らないで上層に登るのは無理だから今は手伝ってとにかく捨てられないようにしよう。

と、判断したことによって九死に一生を得た。

何もしなかったのなら落下した時にそのまま見捨てられていた可能性が高い。

 

 

 

 

(こんなことから落ちたら……死ぬだろうし。)

(無事じゃ済まないだろうから絶対に安全圏まで登る)

 

(それに、最低到達点の記録を何とか持ち帰りたい。)

(アンダーラインの更新は一生の名誉だし、どうにかして絶対に戻る。)

 

慰霊碑に名前が刻まれるのは勘弁してもらいたいけれど死亡登録されてないといいなぁ…と考えながら昨日も今日も明日も登る。




『錦蜘蛛』

品質の良い糸を出すことができ、養蚕業界に参入した魔物養殖に初めて成功した改良後の魔物。

成体になると糸の品質が変わり、太くなるが固くなるため主流の養殖されている個体は殆ど幼体である。

地上界に存在する産業用に養殖された魔物の中で多くの割合を占めており、元となる種族の産地は現在は封鎖されており一般渡航は出来ていない。

外交による正式な交渉で許可が降り、現在は錦蜘蛛の秘密を連盟加盟国が共同で設立した研究チームが探っている。

国際魔物連盟の研究所は見解として、錦蜘蛛は野生に戻ることができないだろうとしている。

脅威判定は無意味であり、汎用益指標に基づく判定では種族全体でA+と指定されている。

原種はグレートピッチウォールの内部にのみ幅広く生息しており、推定個体数は非常に多い。

生息域は下層部であるので、局所脅威判定と広域脅威判定のどちらになるか議論が現在は交わされている。
暫定的ながら広域脅威判定はB+、局所脅威判定はAである。

基本的に群体での評価となるので1個体での判定ではないことを表記する。逐次、追記が成される予定である。

『錦蜘蛛』は織物用に選別された個体群によって改良された後の種族であるので、『殺人蜘蛛』とは全く違うことを併記する。


生息域に立ち寄ることは専門家がいない場合、死を意味するため立ち入り禁止となっている。

また、グレートピッチウォール内部の進入禁止標識を無視して進んだ場合は封鎖区域に入っている場合が多いため進入禁止標識には従うこと。


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