深淵より這い出した者 作:観測者A
魔物研究とは、金食い虫である。
研究とは一概に形容できるものではなく、まず基礎研究を始めるために内容にまとまりを持ち、なおかつ信頼できる一定数以上蓄積されたデータが必要となる。
基礎研究を始める前にまずデータ収集がある。そして、そのデータ収集を始める前に非常に雑多な準備がある。メインの調査場所であるグレートピッチウォールという環境において、最低到達点における補給路の構築と維持がまず必須となる。
補給路を構築するためには重機を通せる平地が必要になるが、暫定最下層という断崖絶壁の空間において人間が腰を屈めて通れるほどの横穴などしか存在していない。
魔物は死後、霧のような細かい目視可能かつ未知の粒子を放出する。それは悪性であったり、良性であったりもする。
ベネフィシャルやデトリメンタルと単純に二極化されて呼ばれることもあるが、何の作用もしない中道的な性質を持っている霧が発見されてから改められた。
人間に益を齎す粒子を『ホワイトミスト』、
人間に利益を齎さないが直接的な損失を齎すことのない粒子のことを『グリーンミスト』、
そして最後に損失を齎す粒子のことを『グレーミスト』と呼ぶが……これらは全て霧状であり、ミストを死後に放出する魔物は死体という最も大切な物の回収ができず、そして極めてわずかな体積の筋肉や脂肪を回収することしかできないということは、
つまり死体からの研究が不可能な故に現地で生け捕りにして研究を進めるしかないということ。
ではこのような現地での研究、それも捕獲を実現するためにグレートピッチウォールの内部に研究拠点やハブとなる補給拠点、それを繋ぐ足場を組んだり、舗装をしたりとさまざまなことをしなければならない。
そして地下水脈は稀に、鉄分が染みていて飲むと心臓が体内で跳ねて死ぬようなものがある。
エッグマシンがない場合、重金属汚染には緊急的な対応として岩食いを使うが……その場合に殻となるものを与えてはならない。
なぜなら岩食いという魔物は極めて硬質な殻を持つが、環境によって硬度や靱性は変化する。何が主成分となっているのかというと基本的に地下水系からの炭酸カルシウムであるが、場所によっては銅やリンなどが入っていたりすることもある。
地上界のある湖では全ての個体の殻は炭酸カルシウムが主成分になっているが、まあこれは卵殻の不法投棄の影響が出ているもので、海中に近い汽水域などでも自然に形成されていくものではあるが……殻となるものが溢れている段階はまだ良いけれど、殻を形成する材料が枯渇すると穴を掘って内蔵が詰まっている腹部を守ろうとする。
岩食いは摂食口と削岩口の2種類の顎を持つが、摂食口と鰓を除いて全ての部位が殻に包まれる。
有害物質が中に閉じ込められていることが多いので岩食いは固い殻を作る時に汚染物質を閉じ込めるという風説がある。
だから殻が既にあると認識されている場合、それ以上殻を作らなくなってしまうので人工的な殻を与えてはならない。
完全な考証などがされているわけではないが、おおよそ合っている可能性が非常に高い説である。
汚染物質の濾過とはつまり、全身で水を吸い、濾過した水を鰓のあたりに吹き出して呼吸をする岩食いの特性を活かした極めて効率的な利用法であり……それは主に、極地での飲用したい水の濾過であったり、様々なものである。
水と食料は荷物の大半を占める。設営器具を運搬する機械と、数十人規模のとても小さい調査グループであっても設営テントがそもそも必要となるし、機械を運ぶための輸送トラックが通れる規模の道路を作る必要がある。
魔物研究では最初のデータ採取の時点でこれほどの難点がある。内部では多種多様な魔物が押し寄せ、銃弾が尽きてしまうかもしれない。
そのため、弾丸が込められたリボルバーを研究員に装備させなければならない。
護身用と……まあ、仲間を助けるための弾が要る。
これほどの手間暇をかけて、益があるか害があるかの見極めをしなければならない。
別にホワイトミストだとか、グレーミストだとかに確認できる色はない。
危険度に便宜上、色の名前が使われているだけで、ほとんど同じ色である。色というか、光の屈折のような現象が発生しているとしか言えない。何なのか本当に分からないからだ。
粒子の結合体が緩み、魔物は死後にガスや霧状に変化する……などのぼんやりとした説明にはなってしまうのだが生憎、この過程のメカニズムがまったくの不明。
だからこそ魔物研究には費用がとてつもなくかかるのだ。こぞって参入する理由でもなければこのような金食い虫、とっくの昔に止めている。
魔物は殺したら霧が発生し、火災と外見での見分けがほとんど付かない上に有毒な可能性があり、イオンチャネルが狂わされて呼吸困難になったり、そもそも肉体が細かくなるから元凶の霧の放出を止めることが出来ない上、なんと食べることもできない。
生きたまま食べようとする試みは複数あれど、そのどれもが実現することはない。
体が霧になるせいで岩食いのように、岩に穴を開けて巣穴をくり抜くような魔物は殺したら地盤が崩壊する可能性がある上に圧力が発生して突然災害が発生する可能性もある。
雪山ならば雪崩、地下水脈から吸い上げるから森や林ならば複数の物体を巻き込んだ土石流。
個体から気体に変わる時の膨張は密閉空間で発生するととてつもないエネルギーが発生しているように見かけ上は見える。
圧力が内部の密閉空間内部で発生し、爆発的に発生した気体によって内部と外部で気圧差が生まれ、放出される霧が限界を迎えて密閉空間を破壊する。死ぬと爆発音が鳴る理由はこれだ。
グレートピッチウォールの周辺には直径がおおよそ30キロほどの街が作られており、地上界における補給ラインの確立と治安維持は現地の東ベラトリアによって成されている。だが、地下……それも、最低到達点という場所においては補給路が細い。
人類が恒常的な補給を維持できている最も下の地点は最低到達点と呼ばれるが、それより下は存在が示唆されていても暫定最下層や暫定最深部などの名称でしか呼ばれない。
研究の最前線たる最低到達点、そしてその下にある最深部に立つことは難しく、人海戦術による実地のデータ採取が極めて大切なのである。
フィールドワークを担当するチームは大雑把に分けると3つに分けられ、東ベラトリアの専門家と専用の魔物研究組織による『東側政府』のチーム。
西ベラトリアの監督と大量の現地組織からの採用者を非常に活用した『西側政府』のチーム。
そして、基本的に中立ながらもさまざまな力を活かした『国際連盟』によるチーム。
国際魔物連盟の研究への意欲は非常に強い。いくつもの特設チームがおり、混合されて構成された魔物研究の連合体こそが国際魔物研究を牽引する主戦力。
アザール共和国が中核派となり現地のベラトリアへ外交戦略を駆使したり、企業連合と共に利益を生む(はずの)魔物の研究を進める。
しかし、魔物の産地たるグレートピッチウォールはアザールの領土ではない。
すぐ目と鼻の先のような関係にするために物資の輸送や補給専用の拠点を建てたり、莫大な資本を投入しているのだ。もはや、いまさら引けるわけがない。
ペルフェク研究室やオーウェン研究室など、企業連合と連携を深めるためにPMC部門を設立したり……物資の提携契約を結んだりなどかなりの高額資金がかかっている。
民間軍事会社とメガコーポレーションである企業連合を密接に合致させることにより、企業との連携をもっともっと強化する。
骨董品のような枯れた技術で出来ている武器をわざわざ売るより普通に衣料品や医療品を売る方が儲かる。
だが、それでも塵も積もれば山となるのだ。
企業連合は利権の獲得を目的とした集団であり、スポンサー元であり目的を同じとするアザール共和国とは、利害関係の完璧な一致によって良い関係を築いている。
一般的にデルタコーポレーションなどの多目的な経営や投資を行い、企業の活動圏内が広範なものほど企業連合の顔となる。
だからこそ魔物研究を進めて、利権の獲得と国家との利害調整、分配によって利益を得るという目的こそあれどもアザール共和国に敵対しない。
しかし、アザール共和国と敵対しているのは西ベラトリアの者たちである。
彼らは資本主義を掲げているが中道的で、日和見的な政府であると認識されている。
今は、東ベラトリアを基軸とした国家の再統合を目指し、アザール共和国と東ベラトリアの協調を深める段階なのだが……
西ベラトリアと東ベラトリアの内戦が激化し、グレートピッチウォールの上層にて先行していた西側政府の部隊により封鎖が発生した。
西側政府に対して圧力をかけつつも、内政干渉だとして抗議している。
グレートピッチウォールは非常に縦に深いが、横にも広い。それゆえに内部の把握は非常に難しいのだが、いかんせん国境線の管理が非常に難しい。グレートピッチウォールの中に存在する魔物は地下資源に分類されているので国境線の内側に存在する国のものだ。しかし内部空間は当然ながら国境線など考慮していないので1歩越えたら西に、1歩戻ったら東にという状況に陥る。
国境線の簡略化を目指して訂正案がいくつも採択されているがどれも難しく、グレートピッチウォールに限り国家共同の空白地帯である領域との帰結になった。
これには複数のとある事件が関係している。
グレートピッチウォール内部で魔物に殺害されたPMCたち、つまり国外から来た護衛チームがいたのだが、これが問題だった。どこの国で死んだのかによって掛けられていた保険金が変わってくるので最終的に遺族が新司法を求めて直訴。
振込金が宙ぶらりんになったままとなった状態から、国境線を明確に示すものが必須だとされ、そしてそのうちに内部空間は国境線が不要だという議論が交わされる。
これは、犯罪発生時にも同じことが言える。どこの国の法律で裁くのかが非常に曖昧になっていたグレーゾーンであり、その場所での局地的な犯罪率が劇的に上昇するために既存の治安維持活動ではダメだと判断された。
司法の停滞を生まないための隙間により、西側に存在する全ての侵入部は西ベラトリアが封鎖しており、西側政府は新規のアンダートライ……侵入を禁止している。
しかし、既存の範囲内ならば7倍に跳ね上がった通行料を払うことにより侵入する事ができるがそれでは意味が薄い。
グレートピッチウォールに侵入する場所がなんとか東ベラトリアに存在しているのものの事実上の西ベラトリアの所有物となるような極めて横暴な扱いを受けている。
内戦の影響で研究が遅滞するかもしれないため、西側政府と東側政府の統合を進めているが不可能に近い交渉姿勢を見せている。第三国……アザール共和国による仲介は歴史的経緯によって不可能であるため、内戦の終結をするためにはお互い主張している内容を達成すべきだがそれが出来ない。
東側政府は最近、メガコーポレーションへの高圧的態度を取るようになり、ペーパーカンパニーなどの実態を持たない企業へ極めて弾圧的な姿勢を示している。
2112年のグレートピッチウォール周辺は波乱の場所になることだろう。
アザール共和国による軍事介入に両政府とも否定的であり、自立志向を高めている東側政府を尊重しなければならない国際的論調の働きによって介入が難しい。
西ベラトリアが侵入口を数多く確保しており、入場料を安価に済まし、しっかりとした研究をするのなら東ベラトリアと西ベラトリア両方の侵入口を使わなければならないという事態なのだ。
西ベラトリアは通行料金が跳ね上がった上に、侵入口を封鎖してわずか5箇所での一元管理をしようとしている。
東側政府と西側政府の衝突が発生するかもしれず、国際情勢への波及も思わせられる。
魔物研究をするためにはこれらの障壁を乗り越えることが必須となるが、東ベラトリアの現地組織から招聘した人員を付けることによりグレートピッチウォールの未探索領域に入れる。
人海戦術による探索は中層までなら出来るものの、暫定的な最も下の到達地点において安定した補給が難しく、魔物との衝突が激化する。
従って、研究チーム・護衛チームのペアが最低でも必須となる上に、隊員はそこで死んだら回収は不可能。
魔物に食われて死ぬ可能性が高いし、そもそも回収コストが釣り合わないから見捨てることが前提となる任務。
暫定最深部の安全は、中層と比べて100%は保証できない。
なぜなら本隊は重機を使って少しづつ降下するが、稀に最下層からさらなる深みに到達しようと脱走する者が発生するために、本隊の帰還率は高いのだが……
人工穿孔穴からアンダートライする者が後を絶たない。侵入禁止にしても内部の封鎖している探索チームが無断で下に降りたりと、様々な事故が発生している。
これを達成しなければ魔物研究どころか調査すらできない。
国際魔物連盟はこれらを物資の量でごり押しすることにより解決しているが、侵入口を絞られると縦穴都市に送るレンドリースが厳しいことになる。
採算が取れないと破綻する量ではあるのだが……別に、1つ2つの縦穴都市で採算が取れなくとも、魔物利権を確保さえ出来れば問題がない。なぜなら最低でも数百億円規模になるだろうし、利権の早期獲得が全陣営の悲願の夢。
現在、エッグマシンの利権整理が内戦の影響で白紙に戻り、エッグマシンを破壊しようとする暴動がベラトリアの東西で大きくなっているのに加え……そのような事がグレートピッチウォールの中で起こっており、これによって魔物研究が停滞することだろう。
魔物研究は金食い虫だが、魔物調査は更に金食い虫。
地質調査や水質調査、戻るためのアンカーツールを設置しながら進むので落下することはないがそれでも降下するのに長い時間が必要となる。
膨大な人員や物資、現地の資金援助などなど……それらをしてようやく研究がスタートするが、調査は基本的に下に行くにつれて難航する。
しかし、それを補って余りある魅力が魔物研究には存在する。例えば絹や麻などを用いて作られていた旧時代の軍服などは、品種改良によって危険性の低い植物に似た魔物の繊維を用いたものへと改善された。
単に、大量に採取可能な繊維というだけならば軍需市場などで絹や麻を代替しなかったかもしれないが繊維には引張強度という1点で非常に秀でた特徴があった。
一般の民間市場には錦蜘蛛の特殊な縦糸を編み込んだ織物などが普及し、色艶が豊かで細く強靭な糸ということで親しまれた。
養蚕は壊滅したが、完全に廃れてはいない。
それは蚕が弱いのではなく、魔物という……ほとんどの気候帯で養殖できる錦蜘蛛が生育条件で強すぎただけだ。
とまあ、魔物研究を進めるとこのような莫大な利権が手に入る。
デルタコーポレーションなどはいい例だ。錦蜘蛛の養殖条件の研究を西側政府から委託された複数の企業のうちの一つだった企業が、繊維産業を根本から変えた【素材革命】を引き起こしたのだから。
『キングス・リード』
現在、地上界において2億匹ほどが生息しているとされる。タンパク質を摂取することで劇的に成長し、特にアミノ酸が豊富な餌を好む。
動くことが可能なため、栽培の都合上、ポリエステルなどの無機物の仕切りに詰めて土に植えることが推奨されている。
葉緑体が葉だけでなく茎にも配置されており、葉の裏側にもぎっしり詰まっているため通常の植物と比べ、葉の表裏の見分け方が日光を受けている面のみ。
種子植物のような特徴を持ち、さらに部分的に双子葉類や単子葉類のような特徴を有する。根は極めて垂直であり、横に広がりを持たない。主根と側根のような形態を取っている。
果実がついた時、平均して130~155の種が手に入る。
面積あたりの個体数は極めて膨大であり、密植が可能。タンパク質・アミノ酸ペーストの混合スラリーによる特殊肥料を用いることでキングスリードにとって良い土壌に改良することができるが、栽培中にその他の植物を育てることは出来ないので注意。
種は食用不能。
果実は食べることもできるとされるが、切断して採取した時に霧に変化するためデマである。
茎が折れ(倒伏)果実が地面に落下することで次世代の数を増やす。
ペルフェク研究室の経過報告に記載されていた仮説によれば、本来となる魔物の核は果実に存在しておりその他の部位はキングスリードにとって何も無いのと同じである、というものが記載されている。
生育条件は水と日光のみ。前述した栄養分を溶かした水を好む。
サンプルを採取する場合は繊維方向に注意して採取すべし。
体高1Mほどのサンプル個体を使うことを推奨している。
果実から離れた部位を縦方向に削くことで刃物を茎に使ってもミスト化することがないので遵守すべし。
また、維管束は"中心"に、存在している。外縁部には存在せず環状にも一切なっていないので注意。
サンプル個体の採取の際は注意すべし。
また、葉は何の価値もないため廃棄してよい。しかし、安全に処理するためには化学的処置が必要とされているため、触れた場合はその場所を流水で洗うことを推奨する。
小さな結晶が皮膚に刺さり、猛烈な痒みを引き起こすため安易に触れてはならない。