深淵より這い出した者 作:観測者A
目立ちやすいよう、蛍光ピンクの塗料と原色に極めて近い蛍光色の青色が交互に連続する……とても特徴的に彩られた壁。
そして原色に近い緑色をしたとても大きな門。
全てが人工物であり、色彩設計的に最も目立つようになっていた。
文明的な香りを感じるが、それら全ては人間によって作られたものではない。
むしろ機械が作ったものの方が多い。
エッグショックのせいでブルシットジョブが大量に発生し、雇用と労働の幻影を見て加工する単純労働者などが、社会には要るのだ。
すると、巨大なライトが街の外に向けて突如として全基起動する。
爆音が鳴り響き、ラッパの音が鳴る。
『……?』
奈落の主は困惑した。
垂直でない場所が、これほどあるとは今まで一度たりとも見たこともなかったからだ。
そして、これほどまでに大きな音も…いや、音量の大きさで言えば体験済みであるが、これほどまでに複雑で調和した音は聞いたことがなかったのだ。
「暫定最下層にやっと……戻ってこれた!」
そう言いながら、奈落の主から降りるエピリオス。ぐるぐる巻きになって巻きついていた発光する紐を外し、久しぶりに歩く。
『???』
するとエピリオスは、アンカーポイントから登ってきたであろう人影を見て遠巻きに見た。アンダートライマンだろうが、この輩はどこからやってきたのだろう……と。
そして走り出し、久しぶりのアスファルトの床で転びそうになりながらも集団の後ろについていく。
正規の帰還者はともかく自分はアンカーポイントを使って帰ってきたわけでは無い。封鎖された場所から降下したし、護衛チームに先導されて来ただけだとしても危うい。
だが、ボディカメラの充電は切れているし信じて貰えるか危ういが。さまざまな魔物を見た!
きっと、暫定到達点の更新がされるだろうと思いつつ……集団の後ろにぴったりとついて街に行く。
奈落の主は終始、困惑しており……置いていかれ、そのまま待ちぼうけしている。
発見の手柄を示すためにもエピリオスは一刻でも早く街に入りたかった。しかし。いざ入ろうとした瞬間、集団の中にいた1人に笑いながら止められる。
ニヤニヤしながら護衛チームの真ん中で、その調査員だと思しき人物は問いかけた。
「君、アンダートライをしたのかい?何メートル下ったんだ?」
明らかに舐めている。自分はわりと深いところまで潜ったのだ。装備では確かに劣るが、とてつもない速度で登れた。アンカーマシンが無いところでも、即座に。
「私の記録はここからおおよそ-1944mです。どうですか、すごいでしょう?はは、ここからさらに自己ベストを更新したいですね」
エピリオスは勝ち誇るように調査チームへと、そっちの進捗はどうだったのかと問うが……
一瞬、不愉快そうに顔を歪めて、そして逡巡したように沈黙してからすぐに、にんまりと笑って返した。
「ん……僕たちは、堅実な降下で-2980mを更新したよ。」
「アンカーポイントを付けたから、今度からここで挑戦してほしい。いやはやそれにしても素晴らしい腕前だね!たった1人でそこまで降りるなんて。」
「帰還するのにだいぶ苦労したんじゃない?-500mおきにしかアンカーポイントはないしねえ。」
嫌味たっぷりに、信じていないとばかりに自らの功績をその男は誇った。
エピリオスは惨めに思い、俯きながら街の中に入った。
■
「〜だからさあ、証拠にならないって言ってるんだよね……こっちはさ。」
「ID登録してるって言ったのは嘘なのかな?いや、一応こっちも
考慮してはいるけどさ。」
「頼むから手間をかけさせないで欲しいんだよねこんな粗雑な嘘でさあ?」
怒りながらエピリオスに問う警察官の顔は見るからにつかれているようだった。
「照合してもそいつは1ヶ月前に死んでるんだよねえ?」
「だったら君が言ったIDはさあ……とっくの昔に死人のものでさあ?簡単に言うと君が詐欺師という可能性を考えてこっちは考慮しなきゃいけないんだよね。」
「しかもこの人が最深部から降りたのは2ヶ月前!"護衛も仲間も全滅していません?"はあ、そしてそんな妄言……
ああ、いやさ……次に言う言葉があまりにも荒唐無稽だよ。」
「"魔物を新しい仲間にして帰還した"だなんて大嘘をさあ、シラフで言う君は、君にとっての社会通念がどうなっているのかなんて私は知らないけど……
はは、バカを言うんじゃないよ。」
「仮に、本人かもしれないけれどさあ、客観的に考えてどうよ。そのさ、ウォークマシンとかの補助機械も何も無しに、ボディカメラ1つと、その中のブラックボックスだけが証拠とかさあ……いくらでも捏造とか偽造、できちゃうよね?」
「しかもたった2ヶ月で帰ってくるとか、往復4000mの整合性について考えたことはないわけ?」
「詐欺師の不法な成りすましにしても、杜撰すぎるんだよねえ。」
天が張り巡らせた網は、目は荒いが、悪人を逃すことは決してないとばかりに質問責めをする検問所の警察官。
「それにさ?アンカーポイントを使った履歴がどのポイント側にもついていないんだよ。除染室を通らずに各層を闊歩したなんて警備体制がイカれてるとしか思えないね。」
「除染もせずに街に入ろうとするとか常識の欠如も良いとこだよねえ?街の人々をどうするつもりだったのかな?テロリスト容疑者X君さあ……」
街には入れず、隔離されてから丸1日。今日も拘束されて取り調べが続いていた。
エピリオスの名前を騙る詐欺師あるいはバイオテロリストとして扱われ、除染室の長い廊下を歩いた。
全てがピンク色の部屋に入れられて1日目だがエピリオスは冷静になり、警察官に殴りかかろうとすることももう無くなった。
「……はあ。まだ黙り込むつもりか?」
「まあこっちとしては別にいいけどさあ。」
警察官が、ピンクの床に反射して歪んだ自分の影を見つめるエピリオスに吐き捨てる。
その警官の制服もまた、街の色彩設計に合わせた原色に近い青色で、エピリオスの目には部屋の色彩よりも毒々しく映った。
「君が本気で自分を『エピリオス』だと言い張るなら、それはそれで面白いことだ。精神鑑定をできる医師を呼ぶという手間が増えるだけだからね。
だけど、バイオテロの疑いは別だ。除染プロトコルを無視してゲートを潜ろうとしたという事実は消えない。」
「あの時、君はそのまま入ろうとしたね?無抵抗でいれば良いものを、私の同僚が君にテーザー銃を使ってお咎めがあるんだ。不当な鎮圧としてね。普遍的正義の観点から、あの時の使用は不適切であると。」
エピリオスは警察官の独白が染みた言葉に一切答えなかった。
昨日は声を荒らげ、自分が見た生物や最下層の真実を叫んだ。熱心に生活を説いたりした。
しかし、語れば語るほど、エピリオスは……疑いの目で見ている警察官たちの目が狂人を見る目へと変わっていったことに気がつき、すっかり気力が無くなった。
そして無機質な部屋からピンクの部屋に移されて、毎日毎日取り調べ。
永遠にも思える時間の中、鈍角な部屋に包まれていた。120°を下回る角……そして、鋭角などが徹底的に排除されている。
「私は、頭がおかしい訳ではない」
「正気なんだ。全て、わたしが体験済みの事象なんだ。どうして信じてくれないんだ?あなた達は職能に忠実だろう。だが、時には私の事情も慮ることをしてほしい。」
そんな要求を聞いた警察官は、一瞬の逡巡の後にこう答えた。
「君は……ああいや、リシカー・エピリオス氏はかつて武装組織に所属していた。君の証言とも一致している。アザールに渡航し、西ベラトリアのアサラ正面侵入口からグレートピッチウォールに入り、デルタコーポレーションの調査チームで働いていたという状態も一致している。」
「暫定的にはリシカー・エピリオスの情報が揃っているが、君には当然ながら断定できる証拠がない。君の持っていた社員IDカードなどは合っていたけれども、まだ君はリシカー・エピリオスであると認められないのだよ。」
「それに、エピリオス氏は行方不明者として処理されているし、死亡届も既に出されている。残念ながら、君の財産は既にない。」
「断っておくが、免責事項として私の発言と君の発言は全て録音されている。」
「昨今はコンプライアンス違反に厳しい。そのような温情……いや、法治に基づいていない不当な利益を与えることはできない。」
この街の人々にとって、アンカーポイントがない場所を移動して戻ってくるという概念は、人喰いサメが嵐に乗って空を飛ぶと言うのと同じくらい、明らかな嘘なのだ。
映画でもないのだからそんな現象は起こりえない。
「……なぁ。外で待たせているんだ。私の仲間を。」
エピリオスがポツリと漏らした言葉に、警察官は鼻で笑った。
「仲間? 全滅した調査隊のことか? それとも、また妄言か?ああ……いや、客観的に見てエピリオスの成りすましであると判断されているのだが……まあ、ジョンドゥ君はさ、整理すると主張する限りだと到達点から最下層に至るまでの、『わずかな時間』を、暫定最下層で遭遇した魔物に助けられて結果的にここに滞在しているってことになる。」
「御伽噺でもないのだから魔物に偶然助けられるという確率は無に等しい。むしろ0.1%でも多いだろう。」
「だが、君が主張するその魔物とやらには本当に仲間意識はあったのかな?」
「ただ利用しているだけかもしれない。そして、公共の観点から鑑みて現在位置を教えてくれないと我々は"困ってしまう。"」
「私たちはそれがとても"不本意"なこととして考えている。」
「しかし本当にそうだとして、危険な目に会うかもしれないっていうことをわかった上で封鎖区域を無理やり通ったという発言は全て証拠となる。」
「確かに、"エピリオス"のIDをスクリーニングすると研究目的で行っていた場所の付近まで来ている。しかし、その後は消息不明になっているのでエピリオス氏は事実として行方不明者だ。」
「しかも、装備の電源が切れて、衝撃の影響で故障したか何か問題が生じたと判断し、
途中でさまざまな装備が動かなくなったから捨て、
全てを捨ててでもなんとか回収したブラックボックスとボディカメラだけの身軽な姿になって、そして魔物と協力してアンカーポイント無しで、安全装置なしで垂直な壁面を登攀?」
「冗談にもなりやしない空言……ああいや最初から破綻している。」
警察官はそう言って訂正しつつも立ち上がり、しばらくした後に先程殴って退室させた精神科の医師を連れて帰ってきた。
エピリオスを仕切る分厚いアクリル板越しに医師は次々と話していたが、聞く気にはならなかった。
■
街は異例な熱気に包まれていた。
歓声に湧く人々に……発表された4桁の数字を見て嬉しくなる国家や企業の会長など、さまざまな人が場所や時間を問わずにその数字を見て涙した。
ある人は献花するために花屋に行き、ある人は行方不明者に自らの親族が含まれていないか、真っ赤な通知書が投函されていないか一日中起きて郵便受けを見た。
凱旋門が新しくアサラの地に立つこととなるだろう。
それと同時に、凱旋門のすぐ側に記念碑と慰霊碑が立つことになる。
今日は大いに人類が躍進した日となることだろうと両政府から広報が出され、長らく続いた内戦の一時停止に諸外国の人々は歓喜した。
ベラトリアの東西戦争の一時停戦が実現したことは複数の専門家にとって予想外のことだったが……両政府は再び手を取り合うことだろう。
グレートピッチウォールの侵入口の封鎖は解かれ、双方が破壊したものは高速道路や倉庫が中心であり、人的損害は非常に少ない。民間賠償がこれから行われることだろう。
しかし、"核EMPの使用により電子機器類が少しでも1度故障した"、 などの理由から民間人や複数の企業から賠償請求が東べラトリアに行われている。正式な領土編纂はこれから行われ、侵攻して兵士が存在する地域からは軍隊を退け、双方が土地を返却するという形になる。
しかし、グレートピッチウォールの外縁部の地域や、直接的に都市が外国の資本で作られているという問題を抱えている場所での企業による戦闘が行われ……アサラの治安は未だ悪い。
そのため、あえてベラトリアの両政府は領土を持たないことで、地域自治を認めた。
ノー・ラインズの内部に存在する武装勢力は私的な目的での活動の停止が認められ、抗議の代弁者としての地位を確立していくこととなるだろう……
『ノー・ラインズ』
抗議の集会を開いたりと問題行動が以前から目立つ。しかし、さまざまな地域で幅広く活動しており、自治を主張する内容が多い。
そして主要な構成メンバーであるジェイコブ氏は、"東西に関係なく真のベラトリアはいつまでも1つである"という発言をしている。
ジェイコブ氏の経歴は多くが詳細不明で、不鮮明である。
限定的な情報はSNSなどで自己発信しているが、全容はあまり掴めない。
しかし、ジェイコブ・トークという自分のラジオ番組を過去に行っていた。その中では彼の経歴が多く語られており、スキー場に関連する職業であることが判明している。
コメディ番組にも頻繁に出演しており、ピン芸人として活動していた。
現在は地域の人々を分断する国境線に異議を唱えるために、大学の教授を辞めたとSNSで言い、これがニュースで取り上げられたりと……インターネットの間で非常に広く知られたことにより、ベラトリア東西戦争にて判断材料になるほどの重要人物として扱われている。
過去にアサラ州で開かれたレスリング大会にて、ジェイコブ氏は惜しくも2位であったが、トライアスロン大会に何度も参加し、"全ての参加した回において"、ジェイコブ氏は10位以内には必ず存在する。
また、個人成績も良く、水泳では呼吸を2回に抑え、50Mの長水路を4回往復するなどを行っている。
また、その際に"現在の世界記録"と、ほぼ同じ秒数で渡っている。
また本人は、『ジェイコブ・トーク』で、スノーモービルの免許の更新を忘れたため、雪山での救命活動をしていないなどの発言をしている。
元コメディアン・元アスリート・元反戦活動家 などの経歴を持ち、現在は独自勢力を率いて、西ベラトリアの工作によるアサラの実質的な権力の独占を抑制する者になっている。
東べラトリアなどにも時々、SNS上で旅行をしている様子が確認できる。だが、太陽の位置の解析とカメラの照合、そして背景の海水浴場から撮影から4日後に投稿されたものであることが判明しており、ホテルスタッフなどにサインを書いた付箋を渡した事が公に知られている。
2112年現在、来年となる新年の日にジェイコブ氏は81歳と なる。しかし、現在もジェイコブ氏は50m短距離走の世界記録を有しており……槍投げや三段跳びについても同様である。
"物忘れは激しいがボクシングの日々と戦火の記憶は忘れない"など、メッセージ性の高い言葉をSNS上で投稿したりなど最近は繰り返している。
伝説的なアスリートであり、活動家であり、そして生ける神話であるこの老人の一挙手一投足に、世界は固唾を呑んで注視している。
人工膝関節などに変更しており、膝十字靭帯とアキレス腱に負った深刻な傷を代替する為だったのだが、公式の大会には記録をされていない。
しかし世界記録を1人で4回塗り替えた英雄を持ってしても膝十字靭帯の断裂は耐え難い傷となったようだ。