アストリピュア 作:ミモザ
誤字、脱字などは教えていただけると幸いです。
「……っ、はぁ、はぁ……っ!!」
白い空間に、俺の荒い呼吸だけが惨めに反響する。 俺は浮かれていた。いや、正確には酔っていたのかもしれない。 何もない所から、この世界の理を上書きして物質を練り上げる——《
一回できたんだ。次も、その次もできるはずだ。 そう思って始めた二度目の錬成は、無惨な失敗だった。その後なんど続けても同じような失敗の連続。
イメージが形にならない。集中しようとすればするほど、指輪を通じて視覚化した世界のエネルギーは暴れ馬のように俺の手をすり抜けていく。焦れば焦るほど、ノイズが脳を焼き、形になりかけた物質は無機質な光の粒子となって霧散した。
「クソッ…! さっきはできたのに…! なんでだ、なんで上手くいかない!」
苛立ちに任せて床を殴りつける。拳に走る鈍い痛みが、さらに俺を冷静さから遠ざける。 一度だけの成功体験。それが、今の俺をこれほどまでに醜く、傲慢にさせてしまっていた。
たかが中学生が不相応な力を手に入れ、なんでもできる魔法使いにでもなったつもりでいたのだ。 だが、現実は冷酷だ。この力は、そんな安っぽいその気だけで制御できるほど甘いものではなかった。
「あぁぁぁぁ! ……辞めだ、辞め! こんな状況で集中しようって方が無理なんだよ……!」
投げ出すように、俺は全身の力を抜いた。 すると、張り詰めていたエネルギーはたちまち霧散し、穏やかで無関心な波へと戻っていく。何も成し遂げられないまま、ただ時間だけが浪費されていく。
かと言って、何もしないで座り込んでいるのは、それ以上に落ち着かなかった。 じっとしていれば、あの音の不気味な残響が耳の奥で蘇る。不安が募る。恐怖に支配される。
「……よし、体を動かそう」
体力という概念、疲労という限界。それらが機能しているのかさえ不明なこの空間で、運動をすることに、なんの意味があるのかは分からない。でも、今の俺にはそれしかなかった。そんなことしかできないほど、俺の思考はぐちゃぐちゃだった。
体を動かせば嫌なことを忘れられる。 テレビやネットで聞いたことのあるその言葉に縋り、俺は走り始めた。 だが、体力の尽きないこの異質な空間では、疲れ果てて思考を止めるという救いすら与えられなかった。
がむしゃらに足を動かしても、頭の中には次から次へと
理不尽な拉致。
なんで俺なんだ。
学校の教室、昨日まで話していた友人の顔。
母さんの作る夕飯の匂い。
《
作成に成功したバックパック。その後の失敗の連続。
自分の不運を呪う。
なんでこんなにも臆病なのか。
何もできない、何も成せない。
これから始まるかもしれない殺し合い。
誰かを殺す俺。誰かに殺される俺。
「はぁ、はぁ……っ、あああ……っ!」
思考の濁流から逃れるように、ただ走る。白い一色で黒い線に覆われたこの世界には景色がない。限界はあるはずなのに、先が見えない。自分が進んでいるのか、その場に留まっているのかすら分からない。でも俺はまだ生きている。始まってすらいないゲームに恐怖する。自分がもうこの世に居ないとさえ思えるほどの非現実感、でも足裏が床を叩くリズムが、まだ俺が存在していることを証明していた。
走って、走って、走って、走って。 それでも、俺の中の恐怖は振り切れなかった。
「うぅ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ついに膝が折れ、俺はその場に崩れ落ちた。 子供のように声を上げて泣き叫ぶ。喉が張り裂けるほど痛い。涙で視界がぐちゃぐちゃになる。それでも止まらない。
こんな絶望的な状況に置かれても、物語の主人公なら、この残酷な運命を受け止めて立ち上がれるんだろう。それでも、と1歩前に進めるんだろう。でも、俺には到底そんなことはできなかった。俺は選ばれた勇者でも、歴史に名を残すような英雄でもない。ただの、雛森かなえという名前の中学生に過ぎないんだ。
どうして。なんで。助けて。 嫌だ。何もかも、すべての感情を捨て去りたかった。ロボットのように心を殺せれば、どれだけ楽だろうか。
だが、散々泣き叫び、嗚咽を漏らしきった後。 空っぽになった頭の中に、一つの核が残っていた。
───帰りたい。
たったそれだけのちっぽけけな願い。俺は、最後の一人に授けられる《何でも望むものが手に入る》という神のごとき特権は望まない。そんな大層な願いなんて、今の俺には想像もつかない。
前に進まなくていい。止まっていてもいい。 格好悪くても、這いつくばってでも。 俺の原動力は……ただ生き残るために。 あの、退屈で、平和で、ゲームばかりしていた日常に帰るために。
その一点だけが、泥の中に沈んだ俺の手を、強く、強く引き上げていた。
どれだけの時間、泣いていたんだろう。 大の字に寝転がり、重たくなった目蓋を押し上げる。 視界の端で冷たく光るカウントダウンを見ると、残り時間は【 90:12:05 】を示していた。
「ははっ……どんだけ泣いてんだよ、俺。情けないなぁ……」
乾いた笑いが出る。だが、不思議と心は先程よりも落ち着いていた。 感情を出し切ったことで、ようやく脳が情緒ではなく、生存のためにリソースを割き始めたのを感じる。
俺は、もう一度、1から状況を考え直す。
サバイバル。あの音はそう言った。 場所はどこだ? 無人島か、あるいは広大な樹海か。 どんな環境であれ、俺が最初に考えていた、たくさんの物資を用意するという戦略は、根本から間違っていた。
俺はスポーツ万能じゃない。サバイバル経験もない。 そんな俺が、パンパンに詰まったバックパックを背負って移動し続ける? そんな体力は絶対に無いし、「私はここにいます」と大荷物で音を立てて歩く格好の獲物でしかない。
それに、他のプレイヤーの能力も未知数だ。 もし一億人に全員に能力が配られているなら、当然、探知に特化した奴や、広範囲殲滅を得意とする奴もいると簡単に予想できる。 そんな連中を相手に、迷彩ポンチョで草むらに隠れる? 視界を狭め、反応を遅らせるだけの布きれに何の意味がある。
「隠れるのも意味がない。けど、どうにかして生き延びなきゃいけない……」
この状況下で生存のために必要なのは、守りを固めることじゃない。 必要なのは、隠れて逃げるための道具でもない。
——《相手を先に見つけて、いち早くアドバンテージを作れる道具》だ。
先手必勝。見つけた方が勝ち。 戦わずして逃げるにしろ、不意を突いて無力化するにしろ、すべては視界の確保から始まる。
俺は背筋を伸ばして座り、再び意識を集中させた。 今だって心の中はぐちゃぐちゃだ。人を傷つけるのは恐ろしい。死ぬのは、想像しただけで吐き気がする。全てを割り切って残酷な人間になれるなんて、これっぽっちも思っていない。
それでも。 それでも、俺には帰りたい場所がある。 だから、諦めることだけは諦めた。
俺は手を伸ばす。 イメージするのは、遠くの真実を引き寄せ、死角を暴き出すための
「これが……地獄を生き残るための、俺の
右手の指輪が共鳴するように、鈍い銀色の輝きを放つ。空間から集められたエネルギーの波が、大きな渦となり、俺の意志に従って、緻密なレンズと筐体へと再構築されていく。
バグのようなノイズを突き抜け、実体化した重みが両手に伝わる。 そこにあったのは、今の俺が持てる全ての力を注ぎ込んだ
────《高倍率双眼鏡》だった。
【現在の所持品】
《真っ黒な短剣》
《銀の指輪》
《大型バックパック》(少量の保存食・水入り)
New《高倍率双眼鏡》
【残り時間:50時間00分】