アストリピュア 作:ミモザ
俺は完成した《高倍率双眼鏡》を、指先が白くなるほど強く握りしめた。
「ふぅ……成功して良かった……。でも、やっぱり時間がかかり過ぎだな。」
意識を戻し、空中のカウントダウンを見る。数字はすでに【 49:52:10 】を示していた。 バックパックの時は十五時間程度で制作できた。しかし今回は、その倍以上の、実に四十時間近い時間をこの一個の道具を練り上げるためだけに費やしたことになる。
「やっぱり、複雑な物ほど必要なエネルギー量も、込めるべき集中力も、完成に至るまでの時間も……文字通り段違いなんだな」
俺は震える手で、その双眼鏡を覗き込んだ。 その瞬間、脳を直接書き換えられたような強烈な衝撃が走った。
「視界が……広すぎる? ……なんだ、これ」
レンズ越しに見えるのは、単に遠くが拡大された光景ではなかった。 自分の視点が、肉体から切り離されて、空に浮かんでいるような感覚。まるでゲームの三人称視点のように、自分を中心とした周囲全方位を、同時に、かつ詳細に俯瞰している風景が脳内に直接流れ込んでくる。
死角がない。 本来なら、俺は今、真っ白な壁の一面を向いているはずだ。なのに、俺の脳裏には背後の壁も、左右の境界線も、足元の床までもが一画面に収まって映し出されている。 ここが何の特徴もない真っ白な空間だったら、分からなかったかもしれないが、ご丁寧に引かれた黒い境界線が歪んで全方位から迫るように見えることで、ようやくこの機能が理解できた。
これは……凄まじいものを作れてしまったかもしれない。 360度すべてを見渡す瞳。これがあれば、背後からの奇襲も、死角からの狙撃も、すべて見ることができる。
でも、冷静になれ。これでできるのは、結局のところ視界の確保でしかない。重要なことだが、他のプレイヤーがどんな理不尽な射程や、回避不能な広範囲攻撃を仕掛けてくるか分からない以上、これだけで無敵になれるわけじゃない。絶対に、油断はしちゃいけないんだ。
俺は双眼鏡を首にかけ、その重みを感じながら、改めて《
まず、大前提の条件。
そして、現在の《
一つ目。 《
二つ目。 発動には相当な根気と、針の穴を通すような精密な集中力を維持し続けなければならない事。今の俺には、移動しながら能力を発動させることなど到底不可能だ。足を止め、呼吸を整え、全神経を能力発動に注がなければならない。これは致命的な弱点だ。実戦で「ちょっと待って、今から作るから」なんて言葉が通じるはずもない。
三つ目。 《
最後に、四つ目。 もしかしたら、これがサバイバルにおいて最も重要な事になるかもしれない。それは、《
試しに口にしてみると、普通に美味しかったし、喉を潤す感覚もあった。 しかし、問題があるとすれば、この白い空間では、そもそも喉は乾かないし、腹も減らない。感覚はあっても、それが本当に食料や飲料としての機能を果たしているのか、今の俺には判断がつかない。
こんな所か。有用なのは間違いないが、すぐに使用できないため、単純な戦闘能力で見たとき、弱い能力。そもそも、100人サバイバルが、どのぐらいの規模なのかも分からないが、最悪を考えるなら俺は一度も能力を発動できないと考えていいだろう。
そして次に、持っていく持ち物をだ。元々、あらゆる状況に対応するために、なるべくたくさんの物を持っていこうとしていた。しかし、俺の身体能力を考えると、どれだけ物を持ち込んでもゴミにしかならないどころか、俺の死を招く原因にすらなるだろう。
食料や水の問題もある。確かに俺はそれらを作り出すことはできる。しかし、機能するかも分からない食料を、時間をかけて量産するのはリスクが高すぎる。
準備期間の残り時間を考えれば、これ以上の博打は打てない。保険程度に考えて万が一機能したら良いな、ぐらいに留めておく。
以上のことをすべて踏まえ、俺はもう、この最低限の荷物でサバイバルに挑むことにする。
【現在の所持品】
《真っ黒な短剣》
《銀の指輪》
《大型バックパック》(少量の保存食・水入り)
《高倍率双眼鏡》
……客観的に見れば、あまりにも心許ない。 これからサバイバルに臨む人間の装備とは到底思えない。 俺自身、不安で押し潰されそうだ。本音を言えば、もっと強力な武器を、せめて防弾チョッキを、サバイバルに役立つライターや頑丈な紐も……なんて、ほしいもので溢れる。一度決めた事だが、今にも揺らぎそうな安い決意…。しかし、非力な俺にとって、荷物が増えることは、そのまま死に直結するデメリットになることは何度も確認しただろう。
「落ち着け…冷静になれ………冷静に…!」
あと、二日ちょっと。 もう、時間は全然ない。 持ち物は決まった。あとは、俺という中身を少しでもマシにするしかない。
俺は短剣を右手に握りしめた。
「戦い方なんて、これっぽっちも分からない。でも……」
せめて、この武器の重さに慣れておく。 せめて、振った時の感触と手首にかかる反動を体に染み込ませる。
傍から見たら、滑稽で不格好なダンスにしか見えないだろう。 それでも、俺はひたすら振った。 上から、下から。角度を変え、速さを変え、一歩踏み込みながら。
「もし、敵が目の前に現れたら」
「もし、後ろから組み付かれたら」
妄想の中で、俺は何度も殺された。その度に、震えと吐き気が止まらない。
しかし、俺は絶対に人を殺せない。殺られるなら殺るしかない。そんな事は分かっている。これは妄想でしかない。本当に誰かを殺している訳ではない。それでも、たとえ妄想でも、俺は人を殺す想像なんてしたくはなかった。
だけど、これで良い。俺は冷酷な人殺しにはならない。そんな人間性を捨ててしまえば、それは人ではなくただの化物だ。そんな化物が帰ってきても一体誰が喜ぶというのか。
「俺は人間のまま、帰ってみせる!
その一心で何度も短剣を振り続けた。筋肉が悲鳴を上げ、関節が軋む。 それでも、俺の心にある「帰りたい」という熱だけは、冷めるどころかさらに鋭く研ぎ澄まされていった。
気がつくと。 いつの間にか、カウントダウンの数字は——残り一分に差し掛かろうとしていた。
心臓が、耳元で鐘を鳴らしているかのように激しく鼓動を刻む。 とてつもない圧力が全身にかかる。 恐怖が。 緊張が。 不安が。 そのすべてが、重石となって俺の肩にのしかかるように。今にも膝をつき、崩れ落ちてしまいそうだ。このまま消えてしまいたい。
だが、それでも、俺は生きることを諦めない。 絶対に、生きて帰る。もう一度、あの退屈な教室へ。あの温かい食卓へ。もう一度会いたい人たちの元へ。
一秒、また一秒。 この七日間という果てしない時間よりも長く、重い
俺は短剣を腰に装着し、バックパックを背負い、双眼鏡の紐を首
に食い込ませるほど強く引いた
「……絶対に、生き残ってやる。」
【 00:00:03 】
声に出すと、不思議と腹が据わった。 惨めに、這いつくばって、泥を舐めてでも
【 00:00:02 】
「俺は、この理不尽に撃ち勝ってみせる!」
【 00:00:01 】
カウントダウンが——0になる。
視界が、音を立てて弾け飛んだ。 俺を包んでいた白い殻が粉々に砕け、世界が、剥き出しの牙を剥いて俺を飲み込みこんだ。
【100人サバイバル】START
補足説明。(読み飛ばしても支障はないです。)
【待機部屋352番】
改良に改良を重ねたマップ。プレイヤー達が、ゲーム前に必ず通る空間。この空間にいる間、プレイヤーには状態異常【不老不死】が付与され続ける。空腹状態が無くなり、肉体の疲労や損傷もすぐに再生するため、自死するプレイヤーを無くす事に成功した。尚、精神が崩壊してしまうプレイヤーに対する処置は検討中のため、一切考慮しないものとする。
《追記》保険として、バックアップもいくつか用意しているので、精神の壊れたプレイヤーは、脳のデータを上書きしてゲームをプレイしてもらう事とする。しかし、直前の上書きは致命的なバグを引き起こす事が、過去に確認されたため、待機部屋への転送段階で上書き処理を行うこととなった。