ポケモンが存在しない世界にポケモンが現れた 作:名無しのトレーナー
ポケモンが人を殺す描写があります。
時空の歪みが発生してから数日後、世界は明らかに様変わりしていた。現れたポケモンの数自体は少ない。しかし「怖い生き物」であることは誰の目からも明らかだった。
その結果、大半の人々は外出を控え、自宅に身を潜めている。まるで嵐が過ぎ去るのを待つかのように。
先行き不透明感の高まりを受け日本の株価指数は急落。リーマンショックやコロナ禍に匹敵する規模の下げとなった。
各国では中央銀行総裁も交えた金融・財政の緊急会合が相次いで開かれているが、いまだ有効な打開策は見えていない。
何が安全で、何が危険なのか。どの個体が攻撃的で、どの個体が知性を持つのか。そもそも話し合いが成立する存在なのか。それらが分からないまま映像と噂だけが拡散されていく。無知は恐怖を生み、恐怖は更なる恐怖を生む。
「共存は不可能だ」
「人類の敵だ」
「今のうちに排除すべきだ」
そんな言葉が、翻訳され、切り取られ、世界中を巡っていく。
とはいえ日本の状況はマシな方だ。なぜなら騒ぎになる以前からポケモンと共に生きる人間たち、つまり日本ロケット団の存在があるからだ。人類が未知の生物とどう向き合うべきか。その具体例が国内に既に存在していたことは社会不安の抑制に大きく寄与していた。
一方、他国では事情が異なる。転生者が存在しない国が大半を占めており、存在している国ですら数人程度だ。結果としてポケモンに関する体系的な知識や実地経験は殆ど共有されず対処は常に後手に回った。
「ポケモンか……」
米国の大統領は机の上に積み上げられた報告書の束を見て頭を抱える。彼は事態を沈静化させる為に声明を出し、専門家会議を立ち上げ、軍隊を動かした。超大国の指導者なだけあって見事な対応である。そんな男の前に立ちはだかる最大の障壁は宗教問題だった。
米国の転生者たちは「アルセウスという神に選ばれた」と公言している。日本と違って宗教観が濃い国の人間らしい行動だ。
その主張は信教の自由の範疇だと誰もが片付けたかった。しかし今回は異教の神が概念でも比喩でもなく実在すると証明されてしまったのだ。
これに真っ先に反発したのが既存の宗教勢力だった。もし異教の神の実在が事実として受け入れられれば彼らの立場は危うくなる。
なぜなら、いくら自らの神の存在を主張したところで、必ずこう返されてしまうからだ。
「それならアルセウスみたいに奇跡を起こしてよw」
奇跡を“再現性のある現象”として示してしまった存在がいる以上、証明できない信仰は嘲笑の対象に変わる。既存の宗教が恐れたのは比較され否定される未来だった。
なので一部の過激派は銃を手に取り排除しようとした。しかしポケモンに人間の武器が通じるはずもなく返り討ちにあう。そして武力による解決が不可能だと悟った彼らは方針を転換する。次に選んだのは銃ではなくロビー活動だった。
「ポケモンは悪魔だ」
「人類を惑わす存在だ」
「今すぐ駆除すべきだ」
要するに民間の銃火器が効かないなら軍隊が持つ強力な兵器を使えば良いということだ。しかし実行すれば国内は今以上に混乱するだろう。そもそもポケモンは市街地にもいるので兵器を使うのは難しい。
仮に倒せたとしても瀕死状態に陥ったポケモンは身体を縮めて逃亡する。つまり致命的な攻撃を与えたとしても時間経過で復活するのだ。
ここまで事態を面倒なものにした最大の要因は間違いなく転生者の存在だった。彼らは政府の保護下に置かれているが、その事実そのものが新たな火種となっている。
既存の宗教勢力は「悪魔を匿うな」「引き渡せ」と政府に圧力をかける。一方でアルセウスの信奉者たちは「なぜ預言者を拘束するのか」「今すぐ解放しろ」と糾弾する。保護すれば糾弾され引き渡せば暴動が起きる。転生者を巡る判断は常に誰かを敵に回す。
「はぁ……」
大統領は深く溜息をつく。米国は日本よりも宗教の影響力が強いので対応を誤れば次の選挙で敗北する。ポケモンだけではなく人間にも対処しなければならない彼の心労は計り知れない。
とはいえ米国の状況はマシな方だ。
「ポケモンか……」
中国の国家主席は机の上に積み上げられた報告書の束を見て頭を抱える。彼は事態を沈静化させる為に声明を出し、専門家会議を立ち上げ、軍隊を動かした。超大国の指導者なだけあって見事な対応である。そんな男の前に立ちはだかる最大の障壁は宗教問題だった。
日本、アメリカ、欧州諸国。なぜか転生者は西側諸国にばかり存在している。つまり中国本土には存在しない。そして、この情報はすでに民間にも漏れ始めていた。
「なぜ我々の国にはいないのか」
「なぜ西側ばかりが選ばれたのか」
それらの疑念は、やがて1つの言葉に集約される。
「アルセウスは我が国を見捨てたのではないか?」
本来なら一笑に付されるはずの話だ。しかし神の実在が現実味を帯びてしまった今、それは危険な問いへと変貌する。
神に選ばれなかった国家。
しかし対立関係にある国家は神に選ばれた。
そんな認識が広がれば、社会は簡単に不安定化する。既に一部地域では宗教団体や新興カルトが水面下で動き始めていた。
「我々こそが選ばれるべきだった」
「今からでも神の関心を取り戻せる」
根拠のない言葉が人々の不満と結びつき火種になる。これは体制の正統性そのものを揺るがしかねない大問題だった。強硬策を取れば反発が生まれ、無視すれば噂が肥大化する。
「はぁ……」
国家主席は深く溜息をつく。権威主義国家であっても世論の影響は無視できない。ポケモンだけではなく人間にも対処しなければならない彼の心労は計り知れない。
そして頭を抱えているのは国家の指導者だけではない。
「どうしたものか……」
日本にある大手民間保険会社の会議室。そこでは経営者と幹部陣が揃って苦悶の表情を浮かべていた。今回の騒動で忙しくなるであろう業界の1つが保険であることは疑いようがない。
ポケモンは未知であり同時に明確な危険を孕んだ生物だ。人間に危害を加える要因が増えれば、生命保険、傷害保険、火災保険。あらゆる分野で保険金を支払う件数は確実に増加する。
沈黙が会議室に落ちる。その張り詰めた空気を破るように幹部の一人が口を開いた。
「……逆に考えればポケモンの存在によって保険の加入者が増えるのでは?」
「奴らが想定以上に凶暴だった場合、保険金が掛金を上回るぞ。それでは保険制度そのものが成り立たん」
言葉が尽き視線だけが交錯する。そんな中、これまで黙っていた男が恐る恐る手を挙げた。
「……日本ロケット団に寄付をする、というのはどうでしょうか」
「最近設立された正体も信用も定かでない団体に期待する気か?」
即座に否定の声が飛ぶ。だが提案者は引き下がらなかった。
「確かに信用はありません。しかし彼らが実際にポケモンを制御し被害を抑えようとしているのも事実です。もし彼らの活動が拡大すれば……」
「……顧客が傷つく可能性は減ると」
「現状、警察や自衛隊は期待できんしな」
それらは純粋な善意ではなく営利企業らしい発想だった。
「結局はポケモンの危険性と彼らの活動次第ですな」
結論は出なかった。否、出せなかったのが正しい。現状、警察、消防、医療、物流。あらゆる職種が混乱状態にある。もちろん保険会社とて例外ではなくアクティブに動くには時間を要する。今は様子を見るしかない。会議室を覆っていたのは、そんな消極的な現実だった。
しかしポケモンの出現が齎したのは悲劇だけではなかった。
「これは……凄いぞ!」
木戸幸成の興奮した声が東帝大学の研究室に響く。白衣に身を包んだ研究者たちが、モニターと実験台を囲んでいる。彼らは転生者から共有された情報をもとに、ポケモン由来の素材について基礎研究を進めていた。
その中でも、最初に着手されたテーマは【きのみ】の薬効だ。麻痺状態に効果があるとされる【クラボのみ】。毒状態に効果がある【モモンのみ】。ゲームでは当たり前の存在だが現実世界では到底あり得ない効能である。
まずは動物実験。その結果は研究者たちの想像を軽々と超えていた。
意図的に脊椎を損傷させ完全麻痺にしたはずのマウスはケージの中を走り回り、致死量の毒を摂取したはずのマウスは何事もなかったかのように呼吸する。彼らが元気なのはクラボとモモンの実を投与したからだ。
「……医学的に説明がつかん」
誰かが呟く。ポケモンの出現によって世界は変わった。しかし今回の成果が公表されれば世界は更に変わるだろう。
同時に研究者たちの間には困惑が広がる。なぜなら成分分析を行っても、どの物質がどのように作用しているのかが分からないからだ。
「それに育つ速度も異常だぞ」
別の研究者が資料を捲りながら呟く。例えばカロス地方の畑*1で育てられたオレンの実は1日に1つのペースで生る。そして現実の世界でも同様のスピードで育った。
「これは救荒作物になるな」
その言葉が研究室の空気を変えた。飢饉、医療、経済、戦争。あらゆる問題に対する解答になり得る存在。誰もが可能性の大きさを理解していたが同時に口にすることを恐れていた。
やがて白衣の袖を握り締めていた研究者が吐息混じりに呟いた。
「まさしく、アルセウスが齎した奇跡だ」
彼は信仰を口にするつもりはなかった。ただ他に表現する言葉が見つからなかったのだ。そしてアルセウスの恩恵は善人にも悪人にも平等に齎される。
「失礼します!」
息を切らした下っ端の男が扉を乱暴に開けて部屋へ飛び込んできた。そこは薄暗い雑居ビルの一室、小さな暴力団の事務所だ。ソファにふんぞり返っていた組長が煙草を咥えたまま片眉を上げる。
「……随分と遅かったじゃねぇか。もちろん化け物を捕まえたんだろうな?」
その声には苛立ちと期待が混じっていた。彼らはポケモンによる混乱を恐怖ではなく、千載一遇の好機として見ていた人間たちだ。
「もちろんです!」
下っ端は即座に答え懐から赤と白の球体を取り出した。それはモンスターボール、要するに時空の歪みから排出されたアイテムだ。
その入手経路は拍子抜けするほど俗っぽい。歪みの発生現場に偶然居合わせた命知らずの一般人が拾い上げフリマサイトに出品していたのだ。現状、日本にはモンスターボールの所持や使用を禁じる法律は存在しない。つまり法的には変な球に過ぎない。
だからこそ彼らは急いで動いた。値引き交渉もせず即座に買い取ったのである。
「出て来い!」
「フリー!」
下っ端がボールを投げるとモンシロチョウのような見た目のポケモンが現れる。
「……こいつの名前はなんだ?」
「バタフリーというポケモンです。図鑑によると虫と飛行タイプらしいです」
転生者たちがネット上に公開した情報は誰でも閲覧できる。もちろん悪意を抱く者にもだ。
彼らはその事実を理解した上で情報を公開した。それを独占してしまえば大きな混乱を生むと信じて。
「警察や自衛隊、要するに表の連中は手続きだの世論だので身動きが取れねぇ。その間に裏で力を持った連中が縄張りを作る」
「日本ロケット団のことですね」
「ああ……」
表向きは秩序を守る自警団。裏から見れば国家の代わりに暴力を独占しようとする存在。暴力団も日本ロケット団も本質はそう変わらない。
「そういや組長は、どんなポケモンでも構わないから捕まえて来いって言いましたよね?」
「重要なのは種類じゃなくて化け物がボールの中で“縮む”性質だ」
「どういうことですか?」
「お前もドラプリの動画を見ただろ。化け物はボールの中に身体を縮めて入る。あれはただ小さくなるんじゃねぇ。身体と一緒に持ち物までまとめて縮められるらしい。つまりシャブやチャカを化け物に持たせれば……」
「密輸し放題、ですか」
「そういうこった」
下っ端は一瞬考え込むと慎重に言葉を選ぶ。
「シャブはともかくチャカを密輸する意味、あります? ポケモンには通用しませんよ?」
「バカ野郎。化け物に効かなくても人間には効くだろうが」
「……なるほど」
下っ端は感心した様子で頷く。それを見た組長は子分の頭の悪さに溜息を吐いた。
「だが長続きはしねぇだろうな。国は必ず対策するはずだ。だから今のうちに化け物どもで荒稼ぎするぞ」
「分かりました!」
下っ端は勢いよく返事をすると思い出したようにバタフリーの方を見た。
「ところで組長、こいつには使えそうな技があるんですよ」
「ほう!」
組長は初めて興味深そうに眉を上げる。蝶の化け物でしかないと思っていたが、どうやら他にも“使い道”があるらしい。
「バタフリー、頼んだぞ!」
「ふりー!」
羽ばたきと同時に紫がかった鱗粉、【どくのこな】が一直線に舞った。そして、それは避ける間もなく組長の顔と胸元に降りかかる。
「……ッ、テメェ!」
組長は立ち上がろうとしてよろめき喉を掻き毟った。苦悶に歪んだ顔。荒い呼吸。口元から白い泡が溢れ床に滴る。
「図鑑によるとバタフリーは猛毒の鱗粉を持つんですよね」
下っ端は組長の哀れな様子を冷めた目で見下ろしながら独り言のように語る。
「こういうのって普通なら毒物を仕入れる必要がありますよね。ですがルートを洗われりゃ直ぐ足が付いちまいます。でもポケモンなら違う。自前で用意できる!」
下っ端だった男は昔から「取るに足らない存在」だった。目立った才能もなく組織の中では常に雑用役。殴られても、怒鳴られても、「そういう役回りだ」と受け入れるしかなかった。しかし状況は変わった……変わってしまった。
「今は警察も混乱してるんで碌に調査もされないでしょうね」
彼は喉の奥から零れるような笑い声を抑えなかった。可笑しくて仕方がないのだ。
ポケモンという存在そのものが日常を侵食する異物だった。昨日まで通用していた常識も、法律も、倫理も、突然現れた“化け物”の前では紙切れ同然になる。銃が効かず、国家が立ちすくみ、人間が無力を晒す世界。
そんな現実を前にして彼の中で何かが音を立てて崩れた。善悪の境界線。人を殺してはならないという前提。命の重さが等価であるという幻想。
それらは全て「人間」の世界でのみ成立する約束事だったのだと彼は理解してしまった。ポケモンがいる世界では力を持つ者こそが正しい。使えるものを使わない方が愚かで躊躇する者から脱落していく。
そして彼は世界で最初の適応者になろうとしていた。
ポケモンが悪いことをするのはトレーナーが悪いからです。スピアーが警官を襲った理由は人間が先に攻撃したせいですからね。