ポケモンが存在しない世界にポケモンが現れた 作:名無しのトレーナー
あれから1週間が経った。正直に言えば時間の感覚が曖昧だ。昼と夜の区別はついているはずなのに記憶の中では全てが同じ色に塗りつぶされている。
今のところ日本ロケット団は「任意団体」だ。法人化の申請は出したのだが役所の手続きは転生者でもポケモンでも早めることは出来ない。というか今回のポケモン騒動で行政機能は麻痺している。
それでも看板は掲げた。名前は相変わらず最悪だけど突っ込む気力もない。
正直、デスマーチだった。転生者同士の調整、大学との連携、自治体への根回し、記者会見後の問い合わせ対応、寄付の受付、用途の説明、内部ルールの策定。ポケモンの相手よりも人間の事務処理の方がよほど過酷だ。
まず資金面。これは想像以上に、というより正直に言って異常なほど潤沢だ。
ポケモンの出現を言い当てた。その一点だけで個人から団体まで信じられないほどの額の寄付が集まった。中には「神への奉納」と書かれた振込名義もあった。
私はそれを全て同じ数字として処理した。お金は力だ。そして力は扱いを間違えれば必ず歪む。
だからこそ用途は細かく区切り、公開し、誰でも見られるようにした。
次に人材面。これは、はっきり言って足りない。
今のところ回っているのは知人と東帝大学からの推薦者のおかげだ。彼らの好奇心と熱意がなければ初日で崩壊していただろう。
現場に出られる人間、事務を回せる人間、調整役。どれも絶対数が足りない。
それでも今は無理に広げない。ポケモンを怖がらない人間よりもポケモンを“怖がれる”人間が必要だからだ。組織が軌道に乗り始めたら一般採用を始めるのも悪くないだろう。その時は選ぶ側になる覚悟を私が持てているかが問題だ。
最後に物資面。これは割と潤沢だ。正直に言って、ここまで揃うとは思っていなかった。
きっかけは東帝大学の研究チームがモンスターボールの製造に成功したことである。
作り方は驚くほど単純だった。ぼんぐりの実の中身をくり抜き空にする。そこに簡易的な開閉機構と捕獲装置を組み込む。理屈としては、それだけだ。
ちなみに捕獲装置は虫ポケモンの糸や鳥ポケモンの羽を利用している。要するにポケスペのキャプチャーネットだ。
もちろんアルセウスから与えられたものと比べれば性能は格段に落ちる。とはいえ再現可能であるという事実は、それだけで社会を動かす力を持つ。
完成した試作品を手に取った時、私は思わず息を呑んだ。この見た目には覚えがある。丸みを帯びた木製の外殻に落ち着いた色合い。それはヒスイ地方のモンスターボールに瓜二つだった。
そして材料のぼんぐり。その提供元はアルセウス教団という私たちを信奉する団体からだ。彼らは組織的な統率こそ皆無だが熱意と人数だけは無駄にある。時空の歪みが発生したという情報が流れると我先にと現場へ向かったらしい。
人海戦術。ただそれだけで歪みから排出されるアイテムを大量に回収してきたという。……正直、頭が痛くなった。危険区域への無断侵入。装備も知識も不十分。一歩間違えれば死人が出ていてもおかしくないだろう。
それでも結果だけ見れば「成果」は出ている。段ボール箱に詰められたアイテムの山を前に私は何も言えなかった。
そして質の悪いことにアルセウス教団は見返りを求めなかった。神の御業に役立ててほしい。そう言って全て置いていった。
彼らを認めてしまえば他の宗教団体から睨まれるので出来る限り関わりたくない。とはいえ手綱を握らなければ暴走する危険性もあるし、私たちの助けになっているのも事実。本当に対処が難しい団体だ。
倉庫には人工モンスターボールと山のようなアイテムが積み上がっている。ちなみに、ぼんぐりやオレンの実などは研究機関が所有している畑で栽培中である。当たり前だが種籾を食い尽くすような真似は出来ない。
持続可能性のあるポケモンとの共生社会の実現こそが日本ロケット団の目的だ。
資金はある。人材は足りない。物資は揃い始めている。ここまでは前段階にすぎない。問題は手にした力をどこまで使い、どこで止めるかを判断し続けられるかだ。その判断こそが日本ロケット団の真価を試す最初の関門になる。
「ヘアッ!」
「ご苦労さま」
書類と格闘しているとヒトデマンがコーヒーを持ってきてくれた。彼のみずでっぽうで淹れるブレンドは磯の香りがして妙に癖になる。もちろん安全性は調べていない。
「リザァ?」
「同じ仲間なんだから威嚇しない」
すると近くのソファで寝ていた
「ヒトデマン、今日は貴方の為にプレゼントがあるよ」
「ヘアッ!?」
嫌な空気を変える為に私はポーチからまがったスプーンを取り出す。これはエスパー技の威力が上昇する持ち物だ。いずれスターミー*1に進化するのだから丁度良いだろう。
ちなみにヒトデマンが進化するのに必要な水の石も手元にはあるが使うつもりはない。なぜなら進化の石で進化したポケモンはレベルアップで覚える技が極端に減る。少なくとも昔の作品ではそうだった。もし今世でも同じだったのなら取り返しがつかない。
「ヘアヘアッ!」
スプーンを受け取ったヒトデマンは嬉しそうに鳴く。それじゃあ次の用件も済ませてしまおう。
「いい加減、ニックネームを決めないとね」
「へァァァ!」
「そうだねぇ……ニシキノ、なんてのはどう?」
「ヘアッ!」
そう提案するとヒトデマンはクルクルと回り始めた。どうやら気に入ってくれたらしい。でもオヤブンの巨体で派手に動くのは勘弁してくれ。
ちなみに名前の由来は、かなりマニアックだ。たぶん青山でも分からないだろう。
「もちろん
「リザ?」
私はポーチから、掌に収まるほどの黒い塊を取り出した。光を吸い込むような艶。角ばっているのに、触れると妙に滑らかだ。試しに指で弾くと金属に近い音が返ってくる。
「これは国産の備長炭だよ!」
「リザ?」
ポケモン世界において“もくたん“は炎技の威力を上げる持ち物だ。しかし現実の“木炭”という物質は、あまりにも脆すぎる。
「備長炭は高温で処理された木炭。だから不純物がほとんど残らず炭素率が極端に高い」
「ザァ?」
それを確かめるため机に置いた炭を軽く指で押すが崩れる気配すら見せなかった。
「つまり下手な戦闘じゃ割れない新しい持ち物ってこと」
「リザァ!」
意味が伝わったのか彼は嬉しそうに備長炭を手に取った。後で装備しやすいようペンダントに加工しておこう。
「シルクのスカーフもボロボロだしね」
激戦を重ねたスカーフには焦げ跡と裂け目が走り繊維は所々で毛羽立っている。それにタイプ不一致のノーマル技よりもタイプ一致の炎技を強化した方が良いだろう。
「リザリザァ♡」
突如としてアルセウスフォンが震え始める。おもむろに画面を見ると『近くで時空の歪みが発生しそうだ』と表示されていた。
ついに2回目が来たか。特に驚きは無い。むしろ順当まである。しかし歪みが発生する地点へ向かうつもりはない。私が現場に出なくても組織は回る。回らなければならない。それを実現する為に無理をしてきた。
「日本ロケット団、実働部隊各位へ。時空の歪みの発生予測が出ました。具体的な地点についてはアプリで通知します」
私は内部回線を開き端的に情報を伝える。実働部隊の指揮は青山が執っている。現場判断も経験も申し分ない。私が口出しする必要はないし、してはいけない。
通信を切り端末を机に伏せた。画面は暗転し代わりに書類の白さだけが視界を占める。判子を押す。署名を入れる。ファイルを閉じ、次の束を引き寄せる。また判子。署名。確認。次へ。
単調な作業を思考だけが先行しないよう意識して繰り返す。私が現場に出るよりも、ここで全体を支える方が意味がある。そう自分に言い聞かせながら手は止めなかった。
そして時間が経ち夕焼けの光も徐々に陰り始めた頃、不意に天井の照明が落ちた。室内は急に薄暗くなり残る夕焼けの光も十分ではない。そのため
「……停電ですかね?」
一緒に事務作業をしていた団員が戸惑ったように呟く。
私は立ち上がり窓の外に目を向けた。近くの街灯は消え通り全体が暗くなっている。どうやら区画一帯が停電になったようだ。
停電自体は珍しいが有り得なくはない。それでも胸の奥に小さな引っかかりが残る。時空の歪みの発生した後での異常。あまりにもタイミングが良すぎる。
「ちょっと様子を見てきます」
「お気をつけて」
団員にそう告げて私はアジトを後にした。
敢えてモンスターボールに戻さなかったのは単なる気分ではない。この1週間で私は全国規模の有名人になった。そして注目というものは賞賛だけでなく悪意も等しく引き寄せる。
特に今は黎明期だ。ポケモンの出現、経済の混乱、陰謀論の流行。私たちを攻撃すれば何かが変わると思い込む人間がいても不思議じゃない。要するに手持ちのポケモンをボディーガードとして運用している。
少し歩くと前方に人だかりが出来ているのが見えた。近づいて確認すると電柱に十数匹のコイルが群がっている。おそらく彼らが今回の騒動の原因なのだろう。
「近づかないでください! 感電の危険があります!」
電柱の近くで警官の声が響く。彼らは人々を制止しながら視線を電柱の上に向けるだけだ。つまり打つ手なしと。これは協力を申し出るべきだろう。そう思った矢先、野次馬の中から少年とポッポが飛び出した。
「僕らが対処します!」
「ポッポー!」
どうやら野生のトレーナーらしい。一瞬、志の高さに感心しかけたが直ぐに正気に戻る。私も大概だが素人が安易に手を出すのは危険すぎる。
「ちょっと待って!」
「あ……貴方はドラプリさん!?」
私は急いで少年を制止し声を強める。すると彼は目を見開いて驚きの声を漏らす。
「飛行タイプは電気タイプに相性が悪い。だからポッポでコイルと戦うのは止すべきだね」
「そうなんですか?」
少年の顔に純粋な驚きが浮かぶ。タイプ相性をご存じでない?
まあポケモンが現れてから1週間しか経っていないので、全ての情報を覚えるのは難しいか。
それに私も一部のタイプ相性は怪しかったりする。
「タイプ相性は戦闘の基本。皆の為に立ち向かう志は立派だけど焦って飛び出すのは危険だ。この場は私に任せて」
「は……はい!」
「ポッ!」
私は少年の肩に手を置き落ち着かせる。すると彼とポッポは素直に返事をした。
あのコイルたちを無視すれば素人が危ないことをするかもしれない。ならば私たちで対処するしかないだろう。
「皆さん! 私が追い払うので退避してください!」
「待ってください! 一般人が手を……」
警官の声が私に向けられ視線に緊張が走る。制止されるのは当然だ。しかし彼らはポケモンを持っていない。つまり電柱に群がるコイル相手に何もできない。
「……分かりました」
しばしの沈黙の後、警官たちは道を譲った。本来なら職務怠慢の誹りを受けても仕方ない。けれど今ここで最善を尽くせるのは私しかいないのだ。彼らは悔しそうな表情で警戒線を敷く。これでコイルたちを追い払う準備は整った。
「そこにいると困る人がいるんだ。だから離れてくれない?」
コイルたちは私の問いかけを無視して電気を食べ続けている。
「聞いてる?」
「イルッ!」
食事の邪魔だと思ったのかコイルたちは【でんきショック】を放ち威嚇してきた。これは実力行使に出るしかないな。
とはいえ倒すわけにはいかない。なぜならポケモンは瀕死になると身体を縮小させて逃げ出すからだ。そして時間が経てば復活して再び人里で迷惑行為を行うだろう。つまりゲットして管理下に置く必要がある。
「リザァ!」
すると
それはともかくとして暴れ続けるルトラを放置すれば、全員が瀕死状態になるのは目に見えている。
「
そう言うと
「リザァッ!」
視界が元に戻った
そして紆余曲折の末、電柱からコイルたちの姿が消え停電は解消された。街灯が一斉に灯り周囲から安堵のざわめきが広がる。
ただし成果は完全とは言えない。大半のコイルは瀕死状態になり逃げてしまった。なのでゲットできたのは、ほんの一部だけだ。
「リザァ!」
「あれは私の指示、彼は悪くない」
私は腰を落として、はっきりと告げる。
「それと勝手に暴れるのはダメ!」
何から何まで縛ってしまえばポケモンの自主性を損ねてしまうし、非常事態に動けなくなってしまう。とはいえ指示を待たずに攻撃するのは違うだろう。
「リ、リザァ……」
しばらく不服そうに唸った後、
「ヘアッ」
「……あの」
声を掛けてきたのは先ほどの少年だった。
「次は危ないことはしないでね」
「は、はい!」
「ポッ!」
少年とポッポは慌てて頷く。私はそれを見届けながら胸の内で静かに考える。
今回のようにポケモンが人の生活に直接迷惑をかける事例も、知識のない素人が善意だけで危険な行動に出てしまう事例も増えていくだろう。
私は帰路につきながら次に備えて頭の中で段取りを組み始めていた。