ポケモンが存在しない世界にポケモンが現れた 作:名無しのトレーナー
ここは首相官邸地下、危機管理センター。通常であれば大災害や大規模テロへの対応に使われる会議室に異様な空気が漂っていた。
巨大なモニターには日本地図が映し出され、各地に赤色のマーカーが点在している。それらは全て時空の歪みが確認された場所であった。
「……改めて確認させていただきます」
重々しい声で口を開いたのは現職の内閣総理大臣である
「本日朝方、全国各地で正体不明の現象が同時多発的に発生し、また発生地点周辺において既存の生物分類に該当しない個体の出現が報告されています」
誰も異を唱えない。既に現象そのものは各省庁・自治体・マスコミによって確認されている。
「木戸教授」
「ええ」
田頭総理の問いかけに白髪混じりの老人が応じた。彼の名は木戸幸成。東帝大学で生物学の教授を務めている人物だ。そして、この異常事態において政府が有識者として招いた人物でもある。
「率直に伺います。教授は、あの生物をどう見ますか?」
田頭総理の問いに木戸幸成はすぐには答えなかった。そして一拍置き、ゆっくりと首を横に振る。
「それは私の口から語るべきではありませんな」
そう言って木戸は隣に座る青年へと視線を移す。本来なら、この会議に彼が同席できる立場ではない。だが東帝大学側が強く働きかけ強引に席を用意させたのだった。
「緑川くん」
「は、はい……」
名を呼ばれた瞬間、緑川の肩がこわばる。現職の総理大臣を筆頭に海千山千の大物政治家と官僚たちの視線が一斉に集まる。大学のゼミとは比較にもならない程の圧力だった。
「総理に説明する前に、一つ確認しておきたい」
木戸はそう前置きし田頭総理へと向き直る。
「総理はドラゴン
その名が出た瞬間、会議室の空気が目に見えて変わった。数名の官僚が無意識に資料をめくる手を止める。
「ええ。把握しています」
田頭総理は即座に答える。一切の迷いもない口調だった。
「未確認生物、いわゆるポケモンを飼育している動画配信者ですね」
時空の歪みが確認されるよりも前から内閣官房や各省庁には異常な量の問い合わせが寄せられていた。その多くは動画配信やSNSを通じて拡散していた「ポケモン」という存在を、政府としてどう認識しているのかを問うものだった。また一部にはアルセウスを宗教的・神話的存在として公式に扱う意思があるのか、という踏み込んだ内容も含まれていた。
「彼女はアルセウスという神から啓示を受けた人間です。そして、ここにいる緑川優斗くんも同じ境遇にあります」
言葉が落ちると同時に椅子が軋み誰かが思わず小声で何かを漏らす。そして出席者たちの視線が一斉に動き資料の上を彷徨う。田頭総理は改めて緑川へと視線を向ける。すると彼は喉を震わせ背筋を伸ばした。
「その前に……少し訂正させてください」
「訂正とは?」
田頭総理が問うと、緑川は一度だけ深く息を吸う。ここで言葉を誤れば議論は科学から信仰へと滑り落ちる。それだけは避けなければならないと理解していた。
「世間ではアルセウスを神と呼ぶ向きが多いですが……僕たちが認識している限り、アルセウスは神ではありません」
その言葉が会議室が静謐へと導く。
「あれは伝説のポケモンです」
緑川がアルセウスを「神」と呼ばなかったのは意図的なものだ。ポケモンと人間の共存を掲げる転生者としては、特定の宗教団体を敵に回すような発言は極力避ける必要があった。信仰の領域に踏み込めば科学でも政治でもない別の火種を生む。
そして、それは政府にとっても同様だった。国家として「神の実在」を公に認めることは、憲法、宗教的中立性、国際関係、その全てに波紋を広げかねない。危機管理の観点から見ても避けるべき選択肢だろう。
アルセウスは、あくまで「ポケモン」である。既存の生物学的枠組みでは測れない存在であっても、宗教ではなく、研究と観測の対象として扱える立場に置くための定義だった。
なおアルセウスは「伝説」ではなく「幻」のポケモンである。尤も、その事実を語る必要性は薄いだろう。
「それを踏まえて説明させていただきます」
緑川は時空の歪みやポケモンについて説明を行う。歪みと共に現れた既存の生態系に当てはまらない存在。しかし彼らは無秩序な怪物ではなく一定の意思を持って行動している。その事実を彼は言葉を選びながら淡々と語っていく。会議室の空気は次第に「驚愕」から「理解しようとする緊張」へと移り変わっていった。
「……つまり我々が対峙しているのは“信仰の対象”ではなく、未確認生物群だと、そういう理解でよろしいですか?」
「はい」
緑川は敬意を崩さず、しかしはっきりと答えた。その横で木戸幸成は僅かに眉をひそめる。
「……どう考えても神だろうに」
呟きは低く会議室全体に届くものではなかった。時空を歪めて世界の理から外れた存在を呼び寄せる。それを神と呼ばずして何と呼ぶのか。木戸の胸中には不満が渦巻いていた。そして彼と同じような思想の人間は多い。
「では次に進みましょう。政府として最優先すべきは、彼らをどの枠組みで扱うかです」
数名の官僚が機械を操作すると画面には仮の分類案が並んだ。
・未確認生物
・外来生物
・知的生命体
・災害誘発因子
「生物として扱えば環境省と農水省の管轄が絡む」
「知的生命体と認めた場合、法体系そのものを作り直す必要がある」
「災害扱いにすれば自衛隊の出動が視野に入る」
次々に飛び交う意見は、いずれも重たいものであった。
「緑川さん。貴方の見解を伺いたい」
「現時点では、ポケモンは知的生命体ではなく単なる“生物”として扱うべきです」
「貴方たちが執筆した未確認生物に関する情報によれば、人類と遜色ない知能を持つと評価された個体が複数記載されていますが?」
「承知しております。……ただし知能の高さと、法的に人類と同列に扱うことは別問題です。まずは生態・行動・危険性を把握することが優先されるべきです」
その言葉に木戸が小さく頷く。
「生物学的には妥当ですな。いきなり人権を持ち出せば議論が破綻します」
田頭総理は数秒黙考した後、結論を口にした。
「暫定的に“未知の生物群”として扱います。宗教的・超常的解釈は公式には採用しません」
それは政府としての明確な線引きだった。
この解釈は転生者たちにとっても追い風になる。彼らは『鳥獣保護管理法』への抵触を警戒し哺乳類や鳥類に似たポケモンの捕獲を避けていた。しかし政府がポケモンを“既存生物とは別種”と定義したことで、その懸念は消えた。
緑川は表情を変えぬまま内心で笑みを浮かべる。続いて政府高官たちの質問が彼へと向けられた。
続けざまに記者たちの質問が緑川へと殺到する。
「人類に敵対的な個体はいるのか?」
「未確認生物が繁殖する可能性があるのか?」
「時空の歪みは今後も発生するのか?」
彼は知り得る知識を総動員して誠実に答えた。
「敵対的行動を取る個体も存在します」
「繁殖自体は可能ですが環境や種による制約が存在します」
「発生条件や周期については、現在調査中です」
やがて国務大臣の1人が質問を口にする。
「ところで……ドラゴンプリンセス氏は、どこにいるので?」
「現在、彼女は時空の歪み内部で活動しています」
「危険ではないのかね?」
「彼女は僕たちの中で最も強いトレーナーです」
緑川の脳裏に
「そして私を大学で待機させたのは彼女です」
「ほう?」
「政府が東帝大学の教授陣を有識者として招くと、彼女は読んでいました」
「見事に的中しましたな」
木戸の言葉に会議室の空気がわずかに和らぐ。誰かが小さく息を吐き別の誰かが資料から視線を上げて口元を緩めた。それは場違いな笑いではなく緊張が一瞬だけ緩んだ合図である。
「……なかなか見通しの立つ人物のようですね」
「少なくとも、場当たり的に動く人ではありません」
田頭総理の問いかけに緑川は迷いなく答える。
「失礼いたします!」
すると会議室の扉が静かに開き若い官僚が足早に入ってくる。手にはタブレット端末を持ち少し焦っている様子だ。つまり予定外の報告である。それを察した出席者たちの表情が強張る。
「現在、SNSを中心に急速な拡散が確認されている映像があります。内容は一般人が未確認生物による襲撃を受け、警官が応戦している様子を記録したものです」
「……映像を出してください」
若い官僚が操作すると巨大モニターに動画が再生される。そこに映し出されたのは警察官たちがスピアーへ向けて拳銃を発砲している様子だった。しかし弾丸は全く通用せず彼らは後退を余儀なくされていた。
そして場面は変わり、
説明は要らなかった。ここにいる誰もが映像の意味を理解している。
「……やはり危険ではないか」
重苦しい沈黙を破ったのは年配の国務大臣だった。同意するように数名の出席者が頷く。
緑川は一瞬だけ視線を落とすが直ぐに顔を上げる。ここが踏ん張りどころだと理解したようだ。
「おっしゃる通りです」
意外にも彼は否定から入らなかった。
「今回の映像が示している通り、ポケモンの中には人間にとって明確に危険な存在がいます。そして悪意をもって利用されれば被害は計り知れません」
会議室の視線が再び緑川に集中する。ゲームで遊んだだけとはいえ悪の組織やオヤブン個体の恐ろしさを知っているからこその意見だった。
「ですが同時に重要な事実も映っています。銃火器はポケモンに対して決定打になりません。つまり従来の治安や防衛の延長線では対処できないケースが確実に出てきます」
その意見に反論は出なかった。
「だからこそ……ポケモンにはポケモンで対処する必要があります」
それは感情論ではなく現場で起きている事実に基づく判断だった。
「警察や自衛隊にポケモンを配備してください。治安維持や災害救助など、人間の装備では届かない領域をポケモンで補完しましょう」
あまりに大胆な提案だった。しかし荒唐無稽とは言い切れない。先ほどの映像が、その現実性を雄弁に物語っていた。
「現場で市民を守ったのは、拳銃ではなくポケモンです」
田頭総理は口元に手を組み件の映像を静かに見つめている。彼は感情で場を動かす政治家ではない。そして現実から目を逸らすこともしない人物だった。
「……緑川さん」
名を呼ばれ、彼は背筋を正す。
「貴方の提案は理解できます。警察犬のように動物の能力を治安維持や人命救助に活用する前例は我が国にも確かに存在しますからね。その意味で発想そのものは突飛ではありません」
会議室の空気が僅かに前のめりになる。それには驚愕と期待が含まれていた。
「しかし彼らは、あまりにも正体不明です」
田頭総理の声は、そこで明確に切り替わった。
「生態、寿命、繁殖、知能、そのいずれもが未解明……。加えて、人体や環境に影響を及ぼす未知の病原体や放射線を保有している可能性も否定できない」
数名の出席者が小さく頷く。この会議にフシギダネが同席していない理由は正にそれであった。
「そのような存在を警察や自衛隊という国家権力の中枢に組み込むことは、制度的にも安全保障上的にも看過できるものではありません」
断られることは想定していた。国家の論理と現実の速度。そのズレが致命的な摩擦を生むことは誰もが理解している。しかし抗えば摩擦以前に瓦解してしまう。
「ただし、これは“永久的な否定”ではありません。研究、観測、情報収集を進めた上で改めて検討する余地は残します」
それは政治的な余白であり同時に明確な線引きだった。沈黙が会議室を満たす。誰も口を開かない。否定でも同意でもない、それが国家の出した答えだった。
緑川は一度だけ視線を落とし、ゆっくりと息を吐く。落胆ではなく、覚悟を固めるための呼吸だった。
「なら僕たちは先んじて動きます」
「先んじて……ですか」
田頭総理は確認するように言葉をなぞる。彼が発する声には含意を正確に測ろうとする静けさがあった。
「国家が動けないのなら、民間で動くしかありません。つまりトップダウンではなく、ボトムアップということです」
彼らは預言の知名度とポケモンの力を活かした“新事業”を計画している。それは国家が制度として整える前に現場で形を作るための試みだ。
「政府に貴方たちの活動を止める権利はありません。ただし、越えてはならない線が明確に存在することは忘れないでください」
「あくまで人とポケモンが共に生きるための下地を作るだけです」
田頭総理はしばし沈黙し、その言葉を吟味するように視線を伏せた。
「……世論は必ず動きます。成功すれば称賛されるでしょう。しかし失敗すれば責任を取るのは貴方たち自身です。政府は盾になれません」
「承知の上です」
迷いのない返答だった。それは若者特有の無謀さではない。最初から国家の限界を理解した上での選択である。
「……木戸教授。学術的な立場から見て、どう見ますか」
「興味深いですな。国家が動けないのなら民が先に道を作る。歴史を見れば、制度が後追いした事例はいくらでもあります」
そう言ってから木戸は可愛い教え子を見る。
「……成功すれば、の話ですが」
彼の声には期待と同じだけの不安が滲んでいた。そして田頭総理は小さく息を吐き結論を下す。
「日本政府は貴方たちの活動を公式に支援しません。ですが現時点で妨害もしない」
それは拒絶ではなく静観という名の選択だった。
「ただし、活動内容は逐一把握します。必要とあらば是正を求めることもあるでしょう」
「分かっています」
国家は動かないが止めもしない。その隙間に転生者たちは踏み出そうとしていた。トップダウンでは救えない現実を、ボトムアップで変えるために。
この日を境に日本は二つの時間軸を走り始めることになる。制度としての国家と現場から動き出した共生の実験。
どちらが先に未来を掴むのか。その答えはアルセウスですら見通せない。
ちょっと政治色が強い回でしたね。政治に詳しくない私の浅はかな考えで恐縮ですが、どんな有能な総理でもポケモンが現れる状況には対応できないと思います。
ちなみに木戸幸成の名前はオーキド・ユキナリから「オー」を取っただけです。露骨すぎる気はしますが分かりやすさ優先です。
田頭康宏にも元ネタがあるんですが他所様のポケモン現代入り二次創作の名前を出さないといけないので秘密にします。