――カァン。
甲高い、良い音が響く。一定のテンポで響くその音は――ボールをバットで打ち返す音である。
「なるほどね……ふっ!」
――カァン!
ここはバッティングセンター。打席に入っている賀陽さんは、少し前まではただ当たるだけだったはずなのに、段々とバットの芯で捉える回数が増えてきていた。
……良く見ると、彼女の視線は、忙しなく他の打席へと動かされている。周りで打っている別の客の動きを、模倣しているらしい。
なんとも器用なものだ……と感心していると、規定の球数が終わったらしい彼女が戻ってきた。
「ふぅ、中々、良い運動になるわね」
「……それは素晴らしいことですが――なぜ、ここに?」
始まりは今日、事務所にいたとき。普段通りの俺に、唐突に投げ掛けられた一言。
『ちょっと付き合いなさい』
それだけで俺は今、ここまで連れてこられている。……理由は、依然として不明なままだ。
一方で、当の本人は悪びれる気はないらしい。
「ちょっとした気晴らしよ。いいでしょ、別に?」
「……えぇ、まぁ。付き合うのは構いませんが。それにしても、急すぎるというか」
「構わないのね?」
……まずい。なにか、大きな失言をした。その証拠に、彼女の口角は、ニタリと吊り上げられている。
「いや、あの……」
「構わないのよね?」
「……はい」
「じゃ、次」
彼女は行き先も告げずに、それだけ言ってバッティングセンターを後にする。……着いていくしかないようだ。仕方がなく、俺は彼女の後を追うのだった。
――連れられて来たのは、天川駅にほど近い洋服店。手頃な値段で、学生に人気の店だった。
何も言わないまま――正確には、独り言を呟いてはいるが――服を選び、俺に渡す。時折、試着室に寄って……見せるでもなく戻ってくる。
……そろそろ、聞いても良いだろうか。
「あの……」
「なに」
「無言なのが怖いのですが」
恐る恐る尋ねると、彼女は手に持っている二着を俺に見せた。
「じゃあ、どっちが似合ってる?」
「そ、そうですね――」
「ま、あなたがどっちを選ぼうが、私の中では決まってるんだけど」
「…………」
やっと俺にも役割が――と思いきや、ただ弄ばれただけ。……なんとも単細胞な、と自分が恨めしくなる。
「プロデューサー科には、ファッションの授業もあるんです。少しは役に立てるかと思うのですが」
「知らないわ、プライベートの買い物だもの。私の好きなものを買うだけよ」
「それは――まぁ、おっしゃる通りで。……では、なぜ俺は誘われたのでしょう」
「分からない?」
見せていた二着の内、どちらか――ではなく、両方を俺に渡した彼女は、両手一杯の洋服を持つ俺を見て、言う。
「重いでしょ、荷物」
「あぁ、はい……」
なんとも単純明快な理由だった。……荷物持ち。まぁ、うん。妥当なところか。
「あと、最低でも三ヶ所は回るから」
「……おまかせください」
「あら、殊勝ね」
この後の重労働を想像する。……人生、諦めが肝心である。遠い目のまま、俺は彼女に着いていった。
三ヶ所……どころか、六ヶ所も回った後。ショッピングがようやく終わり、ヘトヘトの俺が連れてこられたのは――
「ここで最後よ」
「ここ、ですか……」
――カラオケボックス。手慣れた様子で中に入った彼女は、歌を歌うわけでもなく、ただ懐かしそうに目を細めた。
「あれから、色々考えて――それで、思い出したの」
「……ええっと?」
「だから……なんというか……初心? みたいな?」
少しだけ頬を赤く染めた彼女は、この小さな部屋を見渡して、ゆっくりと語り出す。
「……アイドルに――『
きっとそれは、誰にでもある始まりの、普遍なひとつに過ぎない。しかし、彼女にとっては、何よりも大切な思い出のはずだ。
「あの頃、私はどんな気持ちで歌っていたんだろう。私はどうなりたかったんだろう。どんな未来を望んでいたんだろう……ってね」
「それで、結論はでましたか?」
――彼女は頷く。
「……笑ってるのが、嬉しかった。『
「それは……良い理由です」
それが、彼女の原点。彼女の始まり。……正直、彼女らしくはない。想像していたものよりも、かなり王道だった――だが、良い理由だ。これ以上ないくらいに。
「では、そこを元に、これからのことを――」
「――ヌルくない?」
「……はい?」
ここから、再始動だ――となっていたところに、謎の待ったがかかる。
「ヌルい。今の私が考えるなら、そんなアイドル像、ヌル過ぎるわ」
「……ええと」
「だって、考えてもみなさいよ」
彼女は俺の方を指差した。
「こうして、買い物に付き合わせたって、笑顔でしょ?」
「いや、あの。全く笑っていなかったのですが」
「ウソ。楽しそうだったわよ、なんだかんだ言って。……あの子たちもそう。アイドル魂注入――なんて言ってはたいてやっても、キラキラして笑うのよ?」
「それは――まぁ、その、はい」
そういう層がいるのは、否定しないが。そして、それも彼女の魅力のひとつであることも、間違いようがないのだが。
「だったらやっぱり、
……さっき、自分でも思ったじゃないか。彼女らしくない、と。
今、彼女が求めているのは、らしさだ。彼女の行き着く先。彼女らしい、アイドルとしての最終到達点。
「ファンを照らしてあげる? そんなの傲慢だわ。だってあの子たちは、既に自分で光ってる。だから私は――それを、圧倒的な光で塗りつぶす。……知ってる? 太陽の光って、見続けると失明する可能性すらあるのよ?」
で、あれば。たしかに王道ではないが、こちらのほうが、どう考えても、らしい。
……まぁ、内容が内容だけに、苦笑いを浮かべるのは許してほしいが。
「……なんというか、過激ですね」
「そ? でも、今決めたわ。私はそういうアイドルになる」
「そうですか」
不敵に笑う賀陽さんに、迷いはない。
光で塗りつぶすアイドル。それはきっと、鮮烈に人々の視界を、心を奪う。
ともすれば、月村手毬よりも危うく。ともすれば、秦谷美鈴よりも独善的だ。
……悪くない。そんなアイドルを――『賀陽燐羽』を、俺は見てみたい。そう、素直に思った。
「道理で、『SyngUp!』は解散したわけです」
「……どういう意味よ」
「だって、こんなに我の強い三人が集まって……にもかかわらず、月村さん一人を主軸に据えるなんて。いずれ破綻していたに違いありません」
「……否定できないのが、辛いところね。実際、解散しちゃったし」
真正面から喧嘩でもすれば、まだ良かっただろうに。なまじ、賀陽さんと秦谷さんが引いたから、グループとしての体裁すら保てなくなったのだ。
……いや、ぶつかり合ってたら、それはそれで崩壊か。あり得た世界を想像して、少し震える。
寒気を覚える俺に怪訝そうな目を向けてから、賀陽さんは伸びをして、立ち上がった。
「さ、方針も決まったことだし、帰りましょ」
「え、もう帰るんですか?」
「なによ。……もう用事は済んだわ」
「せっかく来たんです。一曲歌ってはいかがですか」
「なんでわざわざ……いやでも、確かにもったいないかしら」
一瞬だけ、顎に手を当てて考える仕草を取った彼女は、ここにきてようやく、カラオケを本来の用途で使うことにしたらしい。
「じゃあ、一曲だけ。私の――『賀陽燐羽』としての、初めての歌よ。心して聞きなさい」
慣れた手つきでデンモクを操作してから、彼女はマイクを手に取る。
前奏が始まる、その前に。彼女は
「――『初』」
観客は一人だけの、小さな小さなライブ。しかし俺は、この日を生涯忘れることはないだろう。
叫ぶような歌声は、音程が僅かにずれている。加えて、テンポも安定していない。最初に見せてもらったものよりも、数段落ちる完成度だ。
しかしそれでも――彼女自身の声で歌った『初』は、今まで歌ったどんな曲よりも魅力的で、俺の心を震わせるのであった。
今日のプロデュース状況をメモしておこう。
彼女らしい、良い歌声だった!