日野森志歩は、今もなお自分のベースケースの隙間から「黄金の触手」が生えてくる幻覚に悩まされていた。そんな彼女のもとへ、咲希がピンク色の可愛らしいランチボックスを抱えてやってくる。
1. 警戒:美しすぎる「普通」
「しほちゃん! せーちゃんから、今度こそ本当にお詫びの品だよ! 」
「……。悪いけど咲希、私はもう……あの人の作ったものは、形があるだけで怖い」
志歩は拒絶反応を示したが、咲希に押し切られる形で蓋を開けた。
そこにあったのは、昨日見た「深淵の精霊」とは対極にある、あまりにも完璧で、あまりにも「普通」なハンバーグ弁当だった。
「……。……普通ね。……普通すぎて、逆に怖いくらい」
「でしょ!? せーちゃん、風景画の時と同じ集中力でこれ作ったんだって!」
彩り豊かな副菜。ふっくらと厚みのあるハンバーグ。どこにも多すぎる目玉も、物理法則を無視した触手も存在しない。
2. 実食:細胞が視る「風景」
志歩は、念のためにハンバーグを箸で割り、中に「何か」が仕込まれていないか確認してから、意を決して一口食べた。
その瞬間。
志歩の脳内に、衝撃が走った。
「(……っ!? なに、この……圧倒的な、美味しさ……)」
口の中で溢れ出す、暴力的なまでの肉汁。しかしそれは決してくどくなく、どこまでも透き通っている。
目を閉じると、脳裏には広大な、見たこともないほど澄み渡った「青空と草原の風景」が広がっていく。
星名の風景画にある、あの圧倒的な包容力と透明感が、味覚となって志歩の全身の細胞に染み渡っていくのだ。
「(……おいしい。……悔しいけど、今まで食べた何よりも、美味しい……)」
これを作った人間が、あの「呪物」を描いた本人だとは到底信じられない。このハンバーグは、純粋に「志歩に元気になってほしい」という優しさだけで構成されていた。
3. 結論:理解不能な「東雲星名」
完食した後、志歩はお皿を見つめたまま、深い溜息をついた。
「……どうしたの、しほちゃん?」
「……咲希。……あの人のこと、やっぱり理解できないわ。……こんなに優しくて、美しいものを作れる手が、どうしてあんな『名状しがたきもの』を生み出せるのよ……」
「あはは! それがせーちゃんの魅力なんだよ! 料理も絵も、せーちゃんにとっては『全部本気』なんだって!」
志歩は、胃袋を満たす幸福感と、脳裏にこびりついたクリーチャーの残像のギャップに、めまいを覚えた。
あの恐ろしい絵も、この奇跡のように美味しいハンバーグも、同じ一つの源泉から溢れ出したものなのだ。
「(……負けたわ。……あんなもの(クリーチャー)を描けるからこそ、この味に辿り着けるのかしら……)」
志歩は、自分の価値観が根底から揺さぶられるのを感じながら、心なしか軽くなった足取りでベースを担ぎ直した。
結局、彼女は「東雲星名」という巨大な才能のグラデーションに、完全に飲み込まれてしまったのだった。
その後の反応
• 日野森 志歩: 「……ハンバーグは、また食べたいわ。……でも、絵だけはやっぱり、遮光カーテンで隠してほしい」と、複雑な評価を下す。
• 天馬 咲希: 「せーちゃんの料理で、しほちゃんの魂が浄化されたよ! よかったぁ!」と大喜び。
• 東雲 星名: 「志歩ちゃん、美味しかったかな? 次は、志歩ちゃんがハンバーグを食べてる時の幸せな気持ちを、また『絵』にして持っていこうかな!」
「「絶対にやめろ(やめて)!!!」」(彰人・志歩)