神山高校の放課後。全日制の生徒たちが下校し、夕闇が校舎を包み始める時間。
星名が昇降口を出ると、そこには街灯の影に溶け込むようにして、一人の少女が立っていた。
宮益坂女子学園の制服。そして、吸い込まれそうなほど深い、光のない瞳。
「……あ、まふゆさん。……こんばんは」
星名が足を止めると、まふゆは感情の読み取れない無表情のまま、ゆっくりと距離を詰めてきた。
1. 渇望:『味のするものを頂戴』
「……絵名の、妹さん」
まふゆの声は、風のように実体がない。
「奏に……スープをあげたって、聞いたの。……奏が、あれを飲んだら、少しだけ『あったかい色』がしたって言ってた」
まふゆは、星名の手元にある、兄・彰人のために用意した予備の魔法瓶をじっと見つめる。
「……私にも、頂戴。……何を食べても、砂を噛んでいるみたいで。……何を見ても、灰色で。……私にも、味のするものを……頂戴」
その言葉は、命令というよりは、深い海の底から助けを求める悲鳴のように、星名の耳に届いた。
2. 施し:色彩を注ぐ「温度」
星名は何も言わず、近くのベンチにまふゆを促した。
そして、魔法瓶から温かいスープをカップに注ぐ。
今日のスープは、完熟したトマトとパプリカ、そして数種類のスパイスを煮込んだ、燃えるような「赤」のポタージュ。
「……はい、まふゆさん。……熱いから、気をつけて」
まふゆは、震える指先でカップを受け取った。
湯気が鼻先を掠める。……匂いは、まだよく分からない。
けれど、まふゆが一口、その液体を口に含んだ瞬間。
「(……っ!?)」
まふゆの喉が、わずかに震えた。
それは、トマトの酸味や野菜の甘みといった「記号的な味」ではなかった。
口の中に広がったのは、圧倒的なまでの『夕焼けの熱さ』。
星名がこのスープに込めた、夏の終わりの、少し切なくて、でも命が燃えているような風景の色彩。
「……あつい。……すごく、痛いくらい……あつい……」
まふゆの瞳に、わずかな光が宿る。
「味」として認識する前に、星名の描く「情熱」という名の温度が、まふゆの凍りついた感覚を無理やり叩き起こしたのだ。
3. 残響:灰色の世界に刺した「赤」
半分ほど飲み終えたところで、まふゆはふーっと深く息を吐いた。
「……まふゆさん。……何か、見えた?」
「……分からない。……でも、……少しだけ、喉の奥がヒリヒリする。……ずっと冷たかったところが、……嫌な感じに、熱い……」
「それはね、まふゆさんが生きてるからだよ。……身体が、びっくりしちゃったんだね」
まふゆはカップを見つめ、それから星名の顔をじっと見た。
そこにいたのは、自分を「優等生」として見る人間でも、自分の「闇」を恐れる人間でもない。
ただ、目の前の風景に色を塗るように、淡々と「生」の温度を与えてくれる少女だった。
「……また、……作って。……この熱さが消えたら、……また、探しに来るから」
まふゆは、自分の名前を呼ぶ「いい子」の仮面を被り直すことも忘れ、ふらふらとした足取りで、けれど確かな足取りで夜の街へと消えていった。
星名のポタージュの効果(まふゆ編)
• スープの正体: 『情熱と生命のラタトゥイユ・ポタージュ』。
• まふゆの反応: 化学的な味覚ではなく、星名の「感性の波動」を身体が受け止めてしまった。
• その後: まふゆにとって、星名は「自分の麻痺した感覚に、一時的に色(痛み)をくれる供給源」となった。