恋愛アンチ女の敗北   作:百合書くぞ!

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起:ぶっ壊れキャラ

空竹(そらたけ)先輩っ! 大好きです! 付き合ってください!」

 

 市立白戸第一高校、校舎裏にて。

 

 進級して間もない放課後、ありきたりな愛の告白を受けた空竹(そらたけ)イツミは、隠そうともせず大きなため息をついた。

 

 イツミにとって告白は日常茶飯事だった。小学校高学年の頃から高二の今に至るまで、顔も名前もよく知らない誰かに告白されたことは数知れない。恋愛など欠片も興味はないが、さすがに六年か七年も同じ目に遭っているといると理由はイヤでも分かる。

 

 一つは外見だ。北欧系のクォーターであるイツミの目鼻立ちはくっきりと整っており、肩のあたりで切りそろえた髪は春の日差しを紡いだようなプラチナブロンド、同色の長いまつげに縁取られた瞳はぱっちりして愛らしく、瞳は澄み渡る空のような青色。色白の肌も相まって、絵に描いたような金髪碧眼美少女の外見が、同年代の子供たちを引き付けてやまない。

 

 もう一つ、外見よりもはるかに深刻なのが、イツミの性格だ。よく言えば物静かで控えめ、悪く言えば少し暗い。クラス内ではあまり目立たないグループに属し、いわゆるトップカーストのグループとはウマが合わない。抜群に外見がよく、しかし押しに弱そうな儚げな雰囲気と低い立場が、いわゆるワンチャンを狙った連中を告白に走らせるのだ。

 

「空竹先輩っ! 大好きです! 付き合ってください!」

「あ、うん」

 

 聞こえなかったと勘違いしたのだろう。告白を繰り返す目の前の少女に、イツミは意識を戻した。

 

 袖の余った真新しいブレザー。ネクタイの色は一年下を示す赤色。この春に入った新入生のようだ。

 

 背丈はイツミの頭一つ下。少し癖のある髪を、さくらんぼをあしらったヘアゴムでツインテールにしている。くりっとした幼い目元も手伝い、小学生が背伸びしているようなかわいらしい女の子だった。

 

 さくらんぼは嫌いだ。大事なものを二つ失った、苦い記憶を思い出す。

 

 同性に告白されるのも慣れている。どうせこの子も、外見に惹かれ、押しを強くすればいけると勘違いして、入学早々この蛮行に至ったのだろう。

 

 そう、蛮行だ。進級して初日の登校日、教室を出たとたんこの少女に呼び止められたのだ。

 

 冗談じゃない。こちとらさっさと帰って春のぽかぽか陽気の中晩ごはんまで寝るつもりだったのに。しょうもない恋愛イベントで出鼻をくじかれた。

 

「はぁーあ……」

「せ、先輩?」

 

 不安げに見上げてくる少女。うかがうような上目遣いは無駄にかわいく、イツミの神経を逆なでした。

 

 こういった恋に恋する浮かれポンチは、一度痛い目を見た方がいい。

 

 凄まじい敵愾心を無表情で抑え込み、イツミは反撃を開始した。

 

「あなた、名前は?」

白戸(しらと)ヒナ、一年一組です! ヒナと呼んでください!」

「そう。どうして私の名前を知ってるの?」

「あの超キレイな先輩誰だろうって、一年の間で噂になってました! そしたら詳しい子が、我が校の有名人空竹イツミ先輩だって教えてくれて」

 

 舌打ちしたくなった。もう下の学年にまで知られている。

 

 無表情のまま苛立つイツミ。一方、少女──ヒナは頬を赤らめ、切なそうな目でイツミを見つめる。

 

「私、空竹先輩を一目見た瞬間から、ずっとドキドキして……先輩のことがずーーーっと、頭から離れないんです! たぶん、えへへ、一目ぼれなんだと思います! だから、付き合ってください!」

「……っすぅー」

 

 イツミは必死だった。握りしめた拳が振るわれないよう、抑え込むことに。

 

 一目ぼれ、ドキドキ、頭から離れない。なんて白々しくて浅ましい表現なのだろう。

 

 男女問わず、そういった文言をのたまう連中の考えることはただ一つ。えっちである。

 

 恋愛なんてそんなものだ。顔と体の気に入った相手とねっちょりえっちしたい。突っ込んだり突っ込まれたりしたい。生々しい欲望を、青春だの恋愛だのという薄っぺらなオブラートで包んでいるだけ。

 

 そんなくだらない思いを押し付けられることに、イツミは心底うんざりしている。

 

 だからいつからか、仕返しをするようになった。

 

「……ええ、いいわよ」

「本当ですかっ!?」

「ただし」

 

 餌を前にした子犬のごとく飛び上がるヒナに、イツミは冷たく告げる。

 

「私の借金、払ってくれる?」

 

 ヒナは目をぱちくりさせた。

 

「借金、ですか?」

「実は親が闇金融に手を出して、我が家には一千万の借金があるの。もちろん払ってくれるわよね? だって告白するってことは、一生を添い遂げる覚悟があるってことだもの」

 

 もちろん、ウソである。

 

 イツミの両親は堅実な生活を旨としている。家のローンはすでに完済した。借金など翌月払いのカード代程度のものだ。

 

 が、このウソの実績はすさまじい。今までに告白してきた連中のほとんどは、「借金」という現実的な問題を突きつけられたとたん、ごめんと言葉少なに告げて、二度とイツミに近づくことはなかった。

 

 押し付けられる恋情を、嘘八百で叩き返す。中二の頃から始まった、イツミの歪んだ自衛手段だ。

 

 さて、これに対するヒナの反応は。

 

「一生を添い遂げるのが前提……!? やだ、先輩の恋愛観一途すぎ、好きぃ……!」

「っさいわね! 恋愛観とかどうでもいいでしょ! 借金払ってくれんの!?」

 

 想定とは違うところに食いついていた。

 

 ニヤニヤするヒナを怒鳴りつけると、ヒナは首をぶんぶん振って気を取り直し、両手でふんすと拳を握る。

 

「一千万は元本ですよね? 金利は?」

「え」

「違法な金利なら無効にできます。借用書はありますか?」

「えっえっ」

 

 イツミは頭が真っ白になった。

 

 今までウソに突っ込みを入れられたことはない。借金という単語だけで夢見がちな同級生たちを追い払うには十分だった。詳細な設定など用意していない。

 

「先輩?」

 

 首を傾げるヒナに、イツミはなんとか声を絞り出した。

 

「じ……実は妹が人質に取られてて」

「なんと!?」

「妙な真似をしたら殺す、とにかく一千万払えって言われてるの……」

 

 切羽詰まりすぎだろ。小学生が考えたサスペンスか?

 

 脳内で自虐するが、外見がいい以外はただの女子高生のイツミに、説得力のある設定など考えられるはずもない。

 

 おそるおそるヒナの様子を伺うと、

 

「分かりました! この白戸ヒナにお任せください! 二日でどうにかしてみせましょう」

「え、ちょ」

「告白のお返事は、その後で!」

 

 ヒナはぺこりと頭を下げて、風のように校舎裏から走り去る。

 

 今までにない反応にイツミはあっけに取られ、しばらくするとこてん、と首を傾げ呟いた。

 

「何だったの、あの子」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 翌日、昼休み。

 

 なんとなく気になって一年一組の教室を見に行く。新入生の視線がばしばし集まって痛い。

 

 一学期はじめの席順はどのクラスも決まって出席番号順だ。白戸ヒナなら窓から三列目あたりだろうか。

 

「あの、誰かお探しですか?」

「いえ、大丈夫よ。ありがとう」

 

 新入生の厚意を断り、足早に教室を去る。

 

 あの小学生めいた童顔ツインテールの姿はなかった。休みなのかもしれない。

 

 所詮は一つ下の女子高生だ。勢いでなんとかすると言ったはいいものの、方法が思いつかずに顔を合わせづらくなったのだろう。

 

 つまり、邪悪な愛の告白をまた一つ打ちのめしたのだ。

 

「ふんふふーん」

「お、機嫌いいじゃん。自キャラにアッパー調整でも入った?」

 

 勝利の快感に浸りつつ教室に戻ると、友人に迎えられる。

 

 朋木(ともき)友莉(ゆり)。丸メガネに三つ編みお下げといういかにも無害で真面目な外見に反し、中身はかなり癖が強い少女だ。

 

「意味はよく分からないけど、違うわ。悪の恋愛邪教徒をやっつけたのよ」

「まーた変なウソで振ったの? 強い技だからって(こす)ってると、それが通らない相手にボコられるんだからね」

「知らないもん。私のこと知らないくせに告白してくる方が悪いもん」

「こいつまーじ……」

 

 友莉は嘆息した。

 

 中学二年からの付き合いである友莉には、恋愛嫌いやウソによる告白殺しのことを包み隠さず明かしている。恋愛のれの字もなく常に趣味に全力投球している彼女の隣は、イツミが安心して素でいられる居場所だった。

 

 あのヒナとかいう後輩に思わぬ反撃を受けたものの、所詮は年下。賢いイツミの機転を利かせたウソがまた一つ勝ち星を重ねたのだ。

 

 イツミは勝利の余韻に浸りながら、友莉と歓談に興じた。

 

 己の運命を、幸いにも知らぬまま。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 その翌日。

 

「空竹せーんぱい!」

「うわ」

 

 友莉と共に校舎から出てすぐ、かわいらしい声。

 

 白戸ヒナだ。彼女も帰るところなのか、制カバンの他に手提げ袋を肩に引っ掛けている。

 

「ちょっとお時間いいですか?」

「ええと……」

 

 助けを求めて友莉を見やる。

 

 友莉はイツミの肩に手を置くと、変な声色で言った。

 

「ラウンドツー、ファイッ」

 

 ひっぱたくぞ。

 

 と、イツミが脅しをかけるよりわずかに早く、友莉は一人で家路についた。残されたのはイツミとヒナの二人。下校する生徒たちの視線が集まる。

 

 ひとまず場所を移し、前回と同じ校舎裏へ。

 

「で、何の用? 妹を闇金融から助けるので忙しいのだけど」

 

 自分で言いながら笑いそうになった。あまりにも荒唐無稽すぎる。

 

 対するヒナは極めて真剣な顔つきで、「はい!」と首肯する。

 

「もちろんです! まずはその件をなんとかしないと、恋愛どころじゃありませんから! というわけで、どうぞ!」

 

 何がというわけなのか、ヒナは手提げ袋を差し出した。

 

 思わず受け取るイツミ。開けていいのかと目で問うと、ぶんぶん首を縦に振られる。

 

 訝しみつつ、袋の中身に目を落とし──

 

「ぴゃっ」

「先輩!?」

 

 腰を抜かしてひっくり返った。

 

 駆け寄るヒナに、震える声で問いただす。

 

「なっ、なななな、なにこれなにこれ!?」

「何って、決まってるじゃないですか」

 

 ヒナはにこやかに、残酷な事実を告げた。

 

「お金です! きっちり一千万円! これで妹さんを助けられますねっ!」

 

 袋には札束が入っていた。渋沢栄一の束が十本。意外と軽い。

 

 しかし価値の重さは計り知れない。イツミの毎月のお小遣いは三千円、それを一千万も貯めようと思えば、おそらくたぶん十年くらいはかかるだろう。イツミの高校生活十年分の重みが手元にあるのだ。

 

 混乱するイツミに反し、ヒナは至って冷静だった。

 

「さあ、早く闇金融の事務所に向かいましょう!」

 

 冷静に狂っていた。

 

 何度か深呼吸して、周囲から隠すように手提げ袋を抱きかかえ、イツミは声をひそめる。

 

「なんで……いえ、どうやってこんな大金を?」

「父に任された会社をいくつか回って、金庫の中身を拝借してきました。合法的な名目を立てるのに一日かかっちゃいましたけど、まあ計算通りでしたね!」

「な、なるほど」

 

 なるほどと言ったものの、イツミにはよく分かっていない。

 

 十六歳の少女に会社って任せていいのだろうか、金庫の中身を持ってきたというのは横領じゃないのか、でもでも合法的って言ってるし。

 

 イツミは考えるのを辞めた。

 

 手提げ袋をヒナに押し付けるように突っ返す。

 

「悪いけど、これはもう必要ないの。闇金融の人たちを妹が説得して、借金をチャラにしてくれたから」

「妹さんすごいですね!?」

 

 本当にすごいと思う。イツミは存在しない妹に内心で拍手を送った。

 

「そうよ。そんなすごい妹のおかえりパーティをしなきゃいけないから、今日は忙しいの。告白の返事は、また今度でいいかしら」

「もちろんです! 妹さんをたくさんほめてあげてください!」

「ありがと。それじゃ失礼するわね」

 

 すらすらと虚言を並べながら、イツミはそそくさと校舎裏を──去ろうとしたが、できなかった。

 

「て、手を貸して」

「喜んで!」

 

 非現実的な大金を前に腰を抜かしていたからだ。

 

 ヒナの両手に支えられ、何とか立ち上がる。その手は小さく、イツミの両手で簡単に包み込めそうだ。こんな小さな手で、イツミが十年かけても集められないようなお金を二日で用意してきた。

 

「せ、先輩」

 

 不思議な思いでヒナの手をじっと見ていると、ヒナが頬を赤らめて顔を逸らす。

 

「スキンシップはまだ早いんじゃないでしょーか……?」

「ごめん」

 

 ぱっと弾かれたように手を離し、踵を返す。

 

 振り返りざまに見えた、名残惜しそうなヒナの顔には知らんぷりをして、イツミはその場から逃げ出した。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「──と、いうことがあったのよ! ヤバくない!?」

『よかったね、一生(こす)り倒せる面白エピソードゲットできて』

 

 夜。

 

 イツミはスマホ越しの友莉に、放課後の恐怖体験を語っていた。友莉のコメントが微妙にずれているのはいつものことだ。

 

 改めて言葉に直すことで見えてくることがある。たとえばあの札束の真贋。

 

「パーティグッズ的なあれよね? 絶対そうよ間違いない」

 

 冷静に考えれば、一女子高生が一千万を二日で用意できるはずがない。おそらくは渋沢栄一のそっくりさんが印刷されたオモチャの紙幣だったのだろう。それをイツミが見間違えたのだ。

 

五分(ごぶ)、かな』

 

 イツミの予想を、友莉は淡々と修正する。

 

「半々ってこと? そんなわけ──」

『あとで白戸グループで検索してみ』

 

 白戸グループ。どこかで聞いたような名前にイツミは目を瞬く。

 

『白戸市発祥の老舗呉服屋を母体にした企業団体だよ。その白戸さんの親が、仮にグループの上役だとしたら、本物だった可能性は十分ある。子供のうちから経営の一部を任せる英才教育って、富裕層だとそこそこあることらしいし』

「ぴぇ」

 

 イツミは縮み上がった。まったく縁のないお金持ちの世界の一端が、牙を剥いてきた。そう考えると恐ろしい。

 

「うぅ、怖いよう……友莉、子守歌ぁ……」

『何歳だ貴様は。私には深夜のランクマという使命があるの。甘えた声出してないでさっさと歯磨いて寝ろ!』

「もう磨いたもん!」

 

 言い返したときにはもう通話が切れていた。薄情な友莉に心の中でアホと呟き、ベッドにもぐりこむ。

 

 寝つきは幼児のごとく良いのがイツミの特徴だった。一分で眠りに落ち、朝までしっかり熟睡したのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 翌日の放課後。

 

「せーんぱいっ!」

 

 ヒナは教室の前で待ち構えていた。おそらく校舎を出たところで待っているだろうとの予想を裏切られ、イツミが怯む。

 

 ラウンドスリーなどと呟く友莉を置いて、イツミとヒナはいつもの校舎裏へ向かった。

 

「先輩、一組の教室まで来てくれたんですよね。友だちから聞きました」

 

 道中、心底嬉しそうに話しかけてくるヒナ。イツミは素知らぬ顔で答えた。

 

「別にあなたとは関係ないわ。去年一組だったのだけど、机の中に忘れ物をしたから、取りに行っただけ」

「あ、そう、なんですか……」

 

 呼吸をするようにウソをつくと、ヒナの表情が曇る。落ち込む少女を前にイツミのわずかな良心が痛んだ。

 

「えっ去年一組? ということは私が先輩のお下がりを使っている可能性が? うおおお!?」

「うるさ」

 

 しかしヒナがまたもテンションを最高潮にぶち上げるので、イツミの良心はすぐに閉口した。

 

 程なく校舎裏にたどり着き、二人は少し間を開けて向かい合う。

 

 頬を朱に染めたヒナが、期待を込めた目でイツミを見上げた。

 

 言葉はない。告白の返事のためにここへ来たのは互いに分かっている。

 

 一目ぼれなどという浅ましい動機で告白をしてきた不届きな後輩に、イツミは反撃を試み、後輩は想定外の方法で応えた。これに対し、イツミが授業中と休み時間をすべて使い、考え抜いた返答は──

 

「実は私の家、反社とつながりがあるの」

 

 徹底抗戦である。

 

 もう告白やら恋愛やらはこりごりなのだ。にもかかわらず、外見だけを見て気持ちを押し付けてくる輩が腹立たしくてたまらない。誰かを好きな気持ちなど気味の悪い欲望でしかないのだと、分からせてやらないと気が済まない。

 

 定番の借金はヒナに無効化されたものの、新たに考えた虚言──反社とのつながり。これなら、ヒナは恐怖と危機感で気持ちが冷めるはずだ。

 

「もし私と恋人になれば、貴女の社会的地位や信用が傷ついてしまうわ。それでも恋人になるつもり?」

「一つ確認させてください」

 

 ヒナは能面のような無表情だった。有無を言わさぬ口調で続ける。

 

「先輩とご家族は、自ら望んでそうした人たちと関りを持ったのですか?」

「え、えーと」

 

 意図が読めない上に、また設定の細部を詰める質問だ。

 

 イツミは特に考えることなく、適当に口走る。

 

「望んではいないわ。こう、なんか、普通に生きてたら交通事故みたいに出くわして、ずるずる関係が続いているというか」

「なーんだ、良かった」

「へ?」

 

 ヒナはにっこりと、澄み切った笑顔を浮かべた。

 

「もしその人たちと先輩が仲良しなら、先輩を傷つけちゃうところでした。で、どこの組織ですか? 伍李羅会? 黄麟会? それとも爬宙累組系列でしょうか。あっ、もしかして大腑火組とかいう新興ですかね? たしか半グレや外国の犯罪組織とつるんでセコいしのぎをしてるらしいし……先輩? どうしました?」

「はわわ」

「はわわ?」

 

 藪をつついて蛇を出す。この状況にぴったりなことわざが頭に浮かんだ。

 

 穏やかに笑うヒナだが、目は笑っていない。くりくりした小動物のような瞳の奥に、すべてを焼き尽くすかのような敵意の炎が燃えている。小さな体からあふれ出る覇気に、イツミは腰を抜かさないようにするので必死だった。

 

 ヒナが一歩踏み込み、にこやかに問う。

 

「先輩、教えてください。私たちの『敵』を」

「こ、言葉の綾よ!」

 

 イツミは負けを認めた。

 

「反社っていうのはたとえ! その筋の人たち並みに、強面の人が親戚にいるの!」

「大〇府警みたいな?」

「たぶんそう! そういう人と親戚の集まりで顔を合わせたら、あることないこと邪推されそうじゃない? そういうことよ!」

 

 ヒナはきょとん顔で固まり、ややあってにへらと相好を崩した。

 

「大げさに言っただけなんですね! もう、びっくりしちゃいました!」

「ごめんなさい。ちなみに」

 

 ごくりと喉を鳴らして、声を震わせるイツミ。

 

「もし本当にその筋の人たちだったら、何してたの……?」

「大したことはしませんよ? ただ──」

 

 ヒナはいたずらを企む子供のように、無邪気に笑う。

 

「法律に触れないように、手を打つだけです」

 

 

 

ーーー

 

 

 

「と、いうことがあったのよ! ヤバくない!?」

『ヤバイねー』

 

 同日、夜。

 

 友莉と通話をつないで今日の顛末を語った。

 

 イツミは少しだけアホだがバカではないので、ヒナがいくら裕福な生まれでも、極道相手に戦えるはずはないと気付いている。ヒナはハッタリで告白の本気度を示したに過ぎない。そう分かってはいても、ヒナの底知れない迫力と威圧感は思い出しただけで震えるほど真に迫っていた。

 

『ワンチャン、ハッタリじゃないかもよ』

「へ?」

『白戸グループは時価総額十五兆円の超大手。それだけ大きいと政財界や法曹界にコネがあってもおかしくない。グレーな業者の一つや二つ、適当な罪状をでっちあげて潰すくらい出来んじゃね。知らんけど』

 

 イツミは頭を抱えた。じかそーがくとか十五ちょうえんとか、どのくらいすごいことかは分からないが、友莉が言うならそうなのだろう。あの後輩の戦力は想定をはるかに超えている。

 

「ぐぬぬ……ていうか友莉、あなた知らんけどとか言う割に詳しくない?」

 

 厄介な後輩から友莉に矛先を変えた。イツミよりもほんの少し物知りなところがあるのは前からだが、今回はいつも以上にレスポンスが速い。白戸ヒナの名字と企業グループの名前が一致したからといって、関係があるとは限らないのに。

 

 不自然な間を置いて、友莉は答えた。

 

『このくらい普通でしょ。イツミの頭がパーなんだよ』

「ぶっ飛ばすぞ」

 

 突然の罵倒に殺意を滲ませるイツミ。電話越しでなければ姉直伝の必殺技が炸裂していたところだ。

 

 友莉は悪びれずに忍び笑いをして、窘める。

 

『そんなことより、その後輩ちゃんと決着つけなよ。意地張らずに普通に断っちゃえば──』

「まだよ」

 

 決然として立ち上がるイツミ。その目には闘志と、ちっぽけな女の意地が燃えている。

 

「ここまでコケにされて黙ってられるもんですか。恋愛なんてくだらないって、絶対分からせてやるんだから」

『あ、そう。ランクマあるからじゃあね』

 

 ぶつっと途切れる通話に寂しさを感じつつ、ベッドに入る。

 

 あの愚かな後輩の気持ちを砕くための、とっておきのウソを考えながら、イツミは眠りに落ちた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 翌日の放課後。

 

 いつもの校舎裏でイツミとヒナは顔を合わせていた。

 

 そわそわと落ち着かない様子でヒナが人差し指を胸の前で突き合わせる。

 

「今日こそはお返事をいただけるんでしょうか? 昨日は調子が悪そうでしたけど……急かしてるわけではないですよ? ヒナは十年でも二十年でも待ちますから」

 

 さらりと重いことを言い出すヒナにイツミは頬をひくつかせ、惑わされるなと自分に言い聞かせる。

 

 一目ぼれなんて浅ましい気持ちが、それほど純情で一途なはずがない。これから開示するウソにより、あっけなく砕け散るはずだ。どうせ恋などその程度だ。

 

 イツミはわざとらしく咳払いして、たっぷり間を開けて言い放つ。

 

「実は私、悪霊に憑かれているの」

 

 渾身の一撃だった。金持ちに借金は通じず、社会的地位とコネにより反社も効かない。現実的な脅威が通用しないなら、今度は非現実的な脅威──オバケに頼るのだ。

 

「その悪霊は毎晩私の夢に出て、末代まで呪うと言っているわ。関わる者すべてを呪い、きっとひどい死に方をさせてやるって。貴女はそれでも、私と恋人になろうと言うの?」

「はい」

「そうよね、仕方ない──え、はい?」

 

 厳かで深刻な口ぶりに対し、返ってきたのはおそろしく軽い即答だった。

 

 ヒナは気まずそうに苦笑いしている。

 

「先輩、それはただの夢です。先輩に悪い霊は一体たりとも憑いてません」

「で、でもでも、実際肩のあたりがちょっと重いし」

「肩こりです。霊どころか、悪い気や縁の類すらありません。長生きできますよ」

 

 確信に満ちたヒナの態度に、イツミは顔を真っ青にした。

 

「もしかして、オバケ見える人……?」

「見えますし、低級霊までなら祓えます。こうやって」

 

 イツミの肩の上、何もない空間を、背伸びして手で払いのける仕草をするヒナ。

 

「霊は自分たちの話をしているところに寄ってきます。百物語なんかがそうですね。今回はただの思い込みでしたけど、そういう話は不用意にしちゃダメです。あ、また」

 

 邪魔くさそうに、何もない空間を手で払うヒナ。

 

 いや、何もないのではない。実際に何かがいるのだ。嘘八百で語られるオカルト話に釣られたオバケが、そこらじゅうにうようよと──

 

「きゃー!?」

 

 イツミは脱兎のごとく駆け出した。

 

「先輩、どこに!?」

「急用思い出したから帰るわごめんっ! また明日!」

 

 とっさに出た謝罪とあいさつに、背後から「はい、また明日」と返ってくる。その声音は明るく弾んでいて、背後で飛び跳ねながら笑顔で手を振るヒナがの姿が目に見えるようだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「それで逃げ出してきたの? あっははは! アホがいる、アホがいるよぅ!」

「うっさいわね! 怖かったんだから仕方ないでしょ!」

 

 同日、夜。

 

 明日は休みなので、イツミは友莉を拝み倒してお泊りに来てもらっていた。

 

 話題が話題だっただけに一人で寝るのが怖い。高二にもなって両親や姉と寝るのは女子高生のプライドが許さず、友莉に白羽の矢が経ったのだ。

 

 来た当初はめんどくさそうな表情を隠しもしない友莉だったが、イツミの手料理で機嫌を持ち直し、本日の戦果を打ち明けると爆笑した。

 

 持ち込んだゲーミングノートPCで対戦ゲームをプレイしながら、友莉はニヤニヤ意地悪そうに微笑む。

 

「知ってる? オカルト話に霊は寄ってくるっていうけど、水場にも寄ってくるの。たとえばお風呂で目を閉じて『だるまさん転んだ』って心の中で思うと、背後に何者かの気配が」

「やーめーてー!」

 

 枕を投げつけるイツミ。

 

 友莉はケラケラ笑いながら回避し、ゲームプレイを続行する。

 

「私にランクマを休ませた罪はこれで許してあげる。で、どーすんの。そろそろ降参?」

「まだよ」

「意地になっちゃって」

 

 むむ、とイツミは鼻白んだ。

 

 友莉の言う通りだ。一応、あと二つウソの残弾はあるが、あの理不尽超人の後輩に効くとは思えない。

 

 それでも降参なんてしたくない。

 

 恋愛はこの世でもっとも下劣で醜悪な欲望の発露。とりわけ一目ぼれは相手の外見だけに欲情した動物の本能のようなものだ。それを甘酸っぱい青春だと言い張ってこちらに押し付けてくる外道を懲らしめなければならない。

 

 イツミは決意を新たにして、手始めに情報収集を開始した。

 

「というわけで、何か知らない? あの理不尽さくらんぼツインテ女の弱みとか、恥ずかしい話とか」

「知るか。私はただのゲーム大好きな女子高生だぞ」

 

 と言いつつも、頼られるのは満更でもないのだろう。手元のボタンとレバーを絶え間なく操作しながら、白戸ヒナに関する情報を列挙していく。

 

「実家が金持ち、反社と戦える、オカルトバトルに対処可能、小動物系のかわいい外見──ぶっ壊れじゃん。誰が有利取れるのこんなバケモン」

 

 戦力差が明確になっただけだった。それでもイツミは諦め悪く、限られた情報の中から敵の弱点を探すため、必死で脳みそをフル回転させる。

 

 すると一つの疑問が浮かび上がった。

 

「ヤツはどうしてウチの高校に来たの……?」

 

 白戸第一高校はごく普通の市立高校だ。偏差値はそこそこ、設備やカリキュラムも並。実家が太いお嬢様に選ばれるような強みは一つもないのに、ヒナはここへ入学した。

 

「うーん、運営に親族が関わってるとか? でもそれだけだと弱いか。確かに謎かも」

「ふっ、どうやら見つけてしまったようね。巨悪の倒し方ってやつを」

「すごいすごい。で、具体的には?」

「……」

 

 イツミは沈黙した。何も思いつかない。謎を一つ見つけたところで、それを調査したり深堀りしたりする方法なんて分からない。イツミは無力感と共に崩れ落ちた。

 

 落ち込むイツミの頭に、柔らかな何かが乗った。

 

 友莉の手だ。さらりとしたプラチナブロンドの髪が、ほっそりした指の間をすり抜けていく。

 

「ま、苦し紛れのコパ暴れもゲームの花だ。暴れ潰しされたときは付き合ってあげるよ」

「?? よく分かんないけど、ありがと」

 

 友莉は重度のゲーマーだった。興奮するとゲーム用語をふんだんに交えた言い回しをするくせがあり、時々意思疎通が怪しくなる。

 

 とはいえ優しく頭を撫でる手つきは言葉よりも雄弁に気持ちを示していて、イツミはしばらくされるがままだった。

 

「ねえ、そろそろゲームやめて真剣に話聞いてくれない?」

「聞いてるよ。その証拠にほら、対空とインパクト返しの精度が落ちてる」

 

 友莉が再びゲームと向き合いながら相談の態勢になり、イツミが抗議するも友莉はどこ吹く風だ。よく分からない理屈で返される。

 

 ノートPCの画面には、ひたすら同じ動きを反復し続ける退屈極まりない絵が映っている。友莉いわく「トレモ」というものらしいが、何が楽しいのか理解不能だ。

 

「ほんっとにゲームが好きよね、あなた」

「そうだよ? 私はゲームするために生きてるもの」

 

 趣味嗜好の域ではなくゲームを生きる目的にしている友莉。その熱中度合いは寝間着のシャツにも反映されており、白地に達筆でゲーム格言なる奇妙なフレーズが綴られている。内容は日替わりで、『コマ投げキャラは人類平等』、『ごはんのおかずはレシオ制』など、意味不明だが無駄にバリエーションがある。ちなみに今夜は『生まれてこの方、有利フレーム』だ。

 

 友莉は操作の手を止め、一息ついた。

 

「基礎練終了っと。ねえ、トレモだけじゃ味気ないよ。ちょっと対戦に付き合ってよ」

「イヤよ、どうせ前みたいにボコボコにする気でしょ?」

「手加減するから。はい、パッド」

 

 半ば無理やりパッド──コントローラーを押し付けられ、イツミはしぶしぶ対戦の席に着く。無理を言って泊まりに来てもらった手前、押されると弱い。

 

 対戦が始まり、そして終わった。

 

 結果は言わずもがなだ。イツミは涙目で友莉の肩をぺしぺし叩く。

 

「鬼、アホ、バカ! 手加減するって言ったのに!」

「あーははは! 初心者いじめんの気持ちいぃーっ!」

 

 友莉はお腹を抱えて笑い転げ、かと思うと小さなあくびを漏らして、ノートPCの電源を切る。コントローラーを片付け、一つしかないベッドにもぐりこんだ。

 

「ぬるい対戦過ぎて眠くなっちゃった。おやすみ、空竹・いい声で鳴くサンドバッグ・イツミちゃん」

「変なミドルネーム付けるなぁ! あと勝手にベッド使うな廃人ゲーマー!」

 

 ふしゃーっとイツミが声を荒げても友莉は聞く耳を持たず、ベッドの中でぬくぬくと目を閉じた。傍若無人、唯我独尊の極みである。

 

 イツミは深いため息をついて、苦笑する。ゲームが何より好きで、人として終わっていて、恋や愛とは程遠い場所にいる友莉。そんな彼女だからこそ、イツミは自然体のまま友だちでいられるのだ。

 

 電灯を消し、同じベッドに入る。友莉の体を背中で押しやり、無理やりスペースを確保する。散々振り回されたせいで、オバケへの恐怖なんて忘れていた。

 

 二人は背中をくっつけ合い、朝まで熟睡したのだった。

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