恋愛アンチ女の敗北   作:百合書くぞ!

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「空竹さんって借金あるの?」

 

 土日を挟んだ次週の休み時間。

 

 イツミはクラスメイトの女子グループに呼び出され、階段の踊り場で囲まれた。

 

 リーダー格の女子が不機嫌に問うのは、恋愛粉砕砲の定番である借金についてだ。

 

「それを山本くんに払わせようとしたって本当?」

「そういうのツツモタセっていうんじゃないの」

「さいってー。性格悪い。顔だけよくっても中身は真っ黒なんだね」

 

 尋問ではなく罵倒が目的なのだろう。山本への同情を主軸に、イツミの性格がいかに悪いかを豊富な表現であてこする。チャイムと共に教室へ戻ると、男子女子問わず、多くの生徒たちから冷ややかな視線を浴びた。クラス一の人気者の告白を断った代償である。

 

 イツミは沈黙し、嵐が過ぎるのを待った。実際、断るだけなら他にやりようはあったし、ウソで相手の気持ちを冷めさせるのが性格の悪いやり方であるのは自覚している。罵倒も暴力もいじめも、中学時代に経験済みだ。

 

 これだから恋愛はくだらない。ただの性欲を尊い感情のようにもてはやし、その結果に赤の他人が首を突っ込んで、はやし立てたり貶したりする。気色悪くて、反吐が出る。

 

「クソゲー始まっちゃったねぇ」

 

 昼休み、一人でお弁当を広げたイツミの机に、友莉がやってきた。

 

「告白を断るとなぜかリスクがある。高校でもこの仕様直ってないの、もはやバグじゃんねえ」

「自業自得よ。それより、しばらく距離を取った方がいいわ」

「バーカ」

 

 友莉は不敵に笑った。

 

「友だちナメんな。イツミが救いようのない性格ブスで、損得勘定できないアホなのは百も承知なの。距離取るとかありえないし」

「……ありがとう。お礼にインゲンをあげるわ」

「私別にインゲン大好きとかじゃないからね?」

 

 それから二週間、二人は教室で針の筵だった。プリント配布時にはわざと地面に落とされ、通り過ぎざまに机やイスを蹴飛ばされ、廊下を歩いていると肩をぶつけられたりした。

 

 陰湿ではあったが、中学時代のそれと比べればそよ風のようなものだ。友莉いわく、高校進学に伴い加害者側にもパッチが入ったのだろう。二週間もたつと反応の薄い二人に拘る者は少数派になり、更に数日経つと転機が訪れた。

 

「くだらねえことは止めろ」

 

 突然教室の前に立った山本が、どすの効いた声を響かせ、教室中を睨みつけたのだ。大なり小なり加害に参加していたメンバーは、気まずそうに目を逸らした。

 

 イツミと友莉は顔を見合わせた。すでに始まりから二週間以上経過しており、クラスの中心かつ元凶である山本が知らないはずはない。なぜ今更介入したのか。

 

 訝しむイツミに山本は歪んだ笑みを向け、その意味は翌日に判明した。

 

「山本くん、お昼一緒していい?」

「山本くん、さっきの数学、ここのところがよく分からなくて……」

「バスケ部のマネージャーってまだ募集してる?」

 

 山本の周囲に女子が集まっている。顔ぶれはクラスの内外を問わない。山本と同じグループの男子たちが、陽気な声を上げて女子たちに応対していた。

 

 つまりは茶番である。クラスに蔓延する理不尽ないじめを一喝して終わらせた正義漢として箔が付いたのだ。どこまでが意図的だったのかは不明だが、ただでさえ高かった山本の名声は学年中に知れ渡り、女子たちから称賛と熱っぽい視線を集めている。

 

「下段食らいからリバサ逆択で最大ってか。まーじで人生が上手いやつだよ」

 

 皮肉げにそう評する友莉の横で、イツミは冷めた目をしていた。

 

「やっぱり、恋愛なんてくだらない」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 不意に二人に吹き付けた風はぴたりと止んで、教室での平穏が戻ってきた。

 

 けれど少女の心はその風に煽られて、古傷がじくじくと痛み始めるのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

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ーーー

 

 

 

 七月上旬。期末テストが近づき、テスト週間が始まった。部活動と委員会の活動が休止し、多くの生徒たちが一斉に帰途につく。

 

 大半の生徒が駅に向かう中、地元民であるイツミ、友莉、ヒナの三人は逆方向、白戸町方面へ足を向けている。

 

「──そんな風に、社員さんに仕事を教わりながらどうにかやっているんですけど、ここでゲームが役に立つんです。どんなに年が離れてても対戦すれば盛り上がりますから」

「だよねだよね! コマ投げキャラに密着プラ3状況作られた瞬間は、社長だろうが大統領だろうが人類平等だもん! ゲーム最高!」

 

 ヒナと友莉が盛り上がっている。親に任された会社を経営するにあたり、対戦ゲームがコミュニケーションツールとして有効らしい。

 

「……」

 

 イツミの心がささくれ立つ。ヒナと友莉が共通の話題で通じ合っていることも業腹だが、それ以上に、ヒナが遠い世界の住人に思えてしまうから。

 

「おっともう家だ。じゃーねお二人さん」

 

 友莉の家は高校から徒歩五分の場所にある。軽く手を振って別れ、イツミとヒナは二人で残りの帰路を行く。

 

「友莉さん、面白い人ですね。リアルで有利フレーム取ろうとしてくる人なんて初めて見ました」

「……」

「熱中できる趣味があるって素敵です。先輩はお料理が趣味なんですよね? お弁当も毎日作ってるって──」

「ねえ」

 

 ヒナの言葉を遮り、イツミは問う。

 

「白戸さんは、私のどこが好きなの?」

 

 面倒くさい女そのものな質問と自嘲するが、聞かずにはいられなかった。

 

 白戸ヒナはおそろしく優秀な少女だ。文武に長け、誰とでも仲良くなれる人当りの良さがあり、才能にかまけず日々努力を惜しまない勤勉さもある。家は裕福で、家業である会社経営の一部を任されるほどの才覚を発揮しているという。

 

 そんな稀に見る才媛のヒナが恋をした相手──空竹イツミには、何もない。

 

 先祖譲りの麗しい顔と体は立派だが、それだけだ。ヒナの才能と努力に裏打ちされた人としての値打ちに釣り合うものなど、何一つ持たない。ねじ曲がった性格を考えればむしろマイナスと言っていい。

 

 にもかかわらずヒナはイツミに惚れている。その事実がイツミの心を軋ませる。人に好かれるものを何一つ持たない自分が、こんなに素敵でかわいい女の子に慕われるなど、あってはいけないことではないか、と。

 

 悄然として震えるイツミの問いに対し、ヒナの答えは簡潔だ。

 

「全部ですっ!」

 

 沈黙。イツミはひたすら黙って続きを促す。

 

 数秒待てども続きはなく、イツミが失望感を覚え始めた頃、やっとヒナが言葉を継いだ。

 

「と言っても満足しない感じですね。では仕方ありません、とっておきの初恋エピソードをお話ししましょう」

「はぁ……どうせ入学式か何かで私の顔面に一目ぼれしたとかでしょ? はいはい、どうせ顔よね」

「お顔が素敵なのも一目ぼれも否定しませんが、ちょっと違います!」

 

 やさぐれるイツミに対し、ヒナは自身のツインテールに手を添えた。正確には、髪を結うゴムにあしらわれた、さくらんぼの髪飾りに。

 

「このさくらんぼ、覚えてませんか?」

「さくらんぼは嫌いなの。だって──」

 

 さくらんぼのせいで、イツミは大事なものを失った。その記憶を思い出させる髪飾りを身に着けているヒナの第一印象は最悪で、印象が変わった後も、さくらんぼだけは直視を避けていた。

 

 初めて間近でそれに焦点を合わせ、気づく。

 

「そのヘアゴム……」

 

 嫌な記憶の中に出てくるさくらんぼ。ヒナが毎日身に着けている髪飾りと、記憶の中のそれは瓜二つだ。考えれば考えるほど、両者の像が重なって一致していく。

 

「思い出してくれました?」

 

 ヒナは嬉しそうに顔をほころばせた。

 

「私は先輩に一目ぼれしました。五年前のあの日に」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 ヒナの母親が病没したのは七歳の頃だった。

 

 母親の顔や思い出はおぼろげだが、どうしようもない喪失感と寂しさで毎日泣いていたことを覚えている。四歳の頃にくれたさくらんぼをあしらったヘアゴムが、唯一残った母親の形見だった。

 

 父もヒナと同じように悲しみに暮れたが、少しずつ立ち直っていった。職場で知り合った女性と仲を深め、再婚し、その女性はヒナの新しい母となった。

 

 ヒナは当時十一歳で、母の死から四年経っても心の傷はまだ癒えていなかった。母を忘れようとしているのだと父を敵視し、新しい母を名乗る女性とは距離を取った。ヒナを責める者はいなかったが、隣に寄り添い味方になってくれる者もいなかった。時が経てば分かってくれる、とヒナは半ば放置され、ヒナにとって頼れるものは、母がくれたさくらんぼだけだった。

 

 そうして孤独を拗らせた、ある冬の日。

 

 学校から帰って来ると、家のお手伝いさんが目を丸くした。あの素敵な髪飾りはどうしたのか、と。

 

 姿見を見てヒナは悲鳴を上げた。髪がほどけ、母のくれた大切なさくらんぼが失くなっている。経年劣化でゴムが切れたのだ。

 

 ヒナは慌てて家を飛び出し、家から学校までの道筋をたどった。肌が張り裂けるような、寒い寒い冬のことだ。

 

 お手伝いさんも手を貸してくれたが見つからない。日が暮れると家に連れ戻そうとするので、ヒナはそれを振り切って一人でさくらんぼを探し始めた。

 

 日が落ち、雪が降り始めた中を、ヒナは必死で駆けずり回る。それでも見つからない。

 

 途方に暮れ、人気のない冷たい公園の真ん中でへたりこんだ。あのさくらんぼを失くしたら、母が本当に死んでしまう気がした。寂しくて、辛くて、涙が止まらなかった。

 

『大丈夫?』

 

 そのとき、女神さまが現れた。

 

 空色の瞳と、太陽の光みたいに透き通った髪の女神さまだった。冷たくなったヒナの体を抱きしめ、温めてくれた。

 

 しゃくりあげながらヒナが「さくらんぼを探している」と伝えると、女神さまは言った。

 

『もしかして、これのこと?』

 

 ヒナは驚いて声も出なかった。女神さまの差し出した手のひらに、探していたさくらんぼの髪飾りがあったのだ。

 

『そこのベンチに置いてあったわ。誰かが拾ってくれたのかしらね』

 

 公園のベンチの周りは、ヒナも散々探した。けれど下を見るばかりで、ベンチの上は見落としていたようだ。

 

 ヒナはぎゅっとさくらんぼを握りしめ、よかった、よかったと涙を流す。

 

 すると気が抜けたのか、一気に寒さが襲ってきた。くしゅん、とくしゃみが漏れる。

 

『風邪ひいちゃう。これあげる』

 

 首元が柔らかな何かでくるまれた。女神さまがマフラーを巻いてくれたらしい。

 

『おうち、どこか分かる?』

 

 視界がぼやけていた。公園の電灯が後光になって、女神さまの顔がよく見えない。

 

 遠くでお手伝いさんの声がした。父と、新しい母の声も。心配そうに、必死でヒナの声を呼んでいる。

 

 女神さまにお礼を言わなきゃ。みんなに心配をかけたことを謝らなきゃ。

 

 色々な考えが渦巻く中、ヒナの記憶と意識はここで曖昧になる。後で聞いた話によると、極度の疲労で気を失い、その後でひどい風邪になり、一週間ほど寝込んだという。

 

 けれど夢ではなかった。元気になったとき、枕元には大切な母の形見と、女神さまのくれたマフラーがあったから。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「あのときは、一目ぼれなんて思いませんでした。ただ、もう一度女神さまに会ってお礼を言いたかった」

 

 遠い目で思い出を語り終え、ヒナはイツミを見据えた。

 

 瞳の奥ではまっすぐで純情な、炎のような意志が燃えている。

 

「女神さまのことはすぐに分かりました。町内一の美人姉妹だって評判でしたから。仕事の都合で中学は別になっちゃって、絶対高校は同じところに行こうって決めてました。今度こそありがとうを伝えるために」

 

 瞳に燃える意志がきらめきを増した。透き通った目は、胸の高鳴りを映し出す鏡のようだ。

 

「でも、高校で先輩を一目見た瞬間、考えてたことが全部吹き飛んじゃいました。お礼の言葉も、その後の話題も忘れて、これが恋なんだって思いました。あの日から先輩に恋をしてたんだって。なぜ、どうしてって聞かれると正直分かりません。一番寂しくて辛いときに寄り添ってくれたからかもしれません。先輩なら、私じゃなくて誰にでも同じようにしたのかもしれません。だけど」

 

 一歩、イツミに踏み込むヒナ。

 

「きっかけなんてどうでもいい。私は先輩が好きです。あの日からずっとずーっと、大好きなんです!」

 

 イツミは何も答えられなかった。現実逃避をするように、以前ヒナの家で見たものを思い返す。

 

 白戸ミユ。ヒナとあまり似ていないおっとりした女性。ヒナの父の再婚相手であり、新しい母親だ。ごく自然な高校生の娘と母のような間柄に見えたが、あの気安いやり取りができるようになるまでに、どれだけ苦労したのだろう。

 

 裕福な家庭生まれで飛びぬけて優秀なヒナがなぜ、平凡な公立校に入学したのか。何らかの弱点につながると予想した謎は、それがそのまま核心だった。ヒナは恋を叶えるために、イツミと再会するために今の高校を選んだ。

 

 机の隅に畳まれた赤いマフラー。あれはイツミが失くしたものだったのだ。忘れもしない、小学一年生の頃の誕生日プレゼントでもらったマフラーで、お気に入りの逸品だった。

 

 あの寒い冬の夜、イツミは大切なものを失って、真っ暗な町を一人さまよっていた。家族のくれた温かいマフラーがあれば、自分はきっと大丈夫だと虚しく言い聞かせながら。

 

 けれど泣きじゃくる女の子と出会い、その子があまりに寒そうだったから、大事なマフラーを譲ってしまった。大切なものを二つとも失くしたその日の記憶は髪飾りと結びつき、さくらんぼが苦手になった。

 

 そしてあのときの女の子が立派に成長して、自分を好きだと言ってくれている。

 

「……そう」

 

 イツミはどうにかそれだけ答え、口を噤む。

 

 すげなく受け流されたヒナはというと、少しだけ寂しそうな表情を見せ、しかし次の瞬間にはぐっと唇を引き結んで前を向いた。

 

 イツミの家の前で解散するまで、その日は二人とも黙り込んでいた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 七月下旬。

 

 期末テストを終えた次の週。結果が廊下に張り出された。

 

 上位二十名のみが名を並べるその紙に、イツミと友莉の名はない。二人とも平均より少し上の順位に落ち着いた。

 

 しかしその結果を見て、イツミはぽつりと独り言ちる。

 

「白戸さんのこと、どうしよう」

「どうしようって何が?」

「実は──」

 

 ヒナの告白を退けるため、「体力テストと期末テストで一位を取る文武両道な者でなければ付き合わない」という無理難題を突き付けていたのだ。ヒナは体力テストで当然のように一位を取り、残った期末テストの結果が知れるのが今日だ。

 

 友莉はくつくつと笑った。

 

「最近聞かないと思ったら、そんな時間稼ぎしてたんだ。それもうかぐや姫じゃん」

「やっぱり? なんか主旨変わってるとは思ってたのよ」

「さっさと見に行ってきなよ。予想はつくけどさ」

 

 友莉の言う通りだった。

 

 昼休み、一年の階層まで結果を見に行く。当たり前のごとく、白戸ヒナの名前は頂点にあった。主要十一科目の合計点のうち、失点はわずか五点。ほとんどの教科で満点を取っての一位だ。

 

 当然の結果だった。ヒナは努力している。彼女の部屋で見かけた、使い古した参考書やびっしり書き込まれたノートを思えば、結果につながってしかるべきだ。体力テストでの一位も同様に、あの雨の日の走り込みのように、地道な体力づくりが実を結んだのだろう。

 

 ヒナを突っぱねるだけのウソは、もう用意できない。

 

 けれど告白を受け入れる覚悟なんて、まるでなかった。

 

 途方に暮れ、ふらふらとした足取りで教室に戻る。

 

「おかえり。一位だった?」

「うん」

「だよね。いやー、これでイツミにもやっと──」

「ねえ」

 

 友莉を遮り、震える声で問う。

 

「次は、どんなウソをついたらいい?」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 放課後。

 

 人のまばらな教室に、イツミと友莉は居残っていた。

 

 スマホを操作していた友莉が顔を上げ、机を挟んでイツミと向き合う。

 

「先に帰るようヒナちゃんには言っといた。で? 君はお昼休みに何を言ったんだっけ?」

「次はどんなウソを……」

「バカたれ!」

 

 友莉はばん、と机をたたいた。イツミの肩がびくりと跳ねる。

 

「二日で一千万用意する子だよ? 火ネズミの衣だろうが龍の首の珠だろうが速攻持ってくるに決まってんじゃん。無駄に先延ばしにすんな」

「で、でも……」

「君さぁ、いい加減気付きな?」

 

 友莉が身を乗り出し、イツミは慄いて身を引いた。

 

「あの子は本気だよ。君を性欲のはけ口にしたり、トロフィーみたいに扱う連中とは違う。心底から君に惚れて、特別になりたいって思ってる。君だって同じ気持ちのはずだ」

 

 その通りだ。思いつく限りのウソをぶつけ、ヒナは全力でそれに応えた。時間稼ぎにしか思えない学校の成績という条件もクリアしてみせた。極めつけはあの二度目の告白。今まで経験してきた浅ましい告白とは違う、身を焦がす本気の想いが込められていた。

 

 そしてイツミも、そんなヒナに惹かれている。共に過ごす時間が楽しい。向けられる声が、笑顔が心地いい。四六時中ヒナのことを考えている。ヒナの体と心をすべて独り占めにして、他の誰にも渡したくない。家族にも、一番信頼している友莉にさえ、ヒナを触らせたくない。

 

 卑しく、浅ましく、独りよがりな欲望。今まで散々気色悪いと見下してきた恋に、イツミ自身が囚われている。

 

 この気持ちを他者に向けることが、どれほど迷惑で痛みを伴うものであるのか、イツミは深く知っている。

 

 だからこそ、怖い。

 

「偉そうに、お説教しないでよ!」

 

 訳知り顔の友だちに、憤然と食ってかかる。

 

「貴女は知らないでしょう。好きな気持ちを誰かに押し付けることで、どれだけ周囲を傷つけるのか。この間の山本の一件なんて比較にならないくらい、ひどいことになるのよ!」

 

 友莉に出会う前、小学生時代の出来事が頭をよぎる。

 

 思い出したくもない最初のトラウマ。深く抉られた心の傷が、直近のそよ風で煽られて、鋭い痛みを発していた。

 

「あの子は親友だった。幼稚園の頃からずっと仲良しで、大人になっても一緒だねって笑い合ってた」

 

 脳裏をよぎるのは、大切な幼なじみの少女の顔。思い出すたび、その顔は憎悪で歪んでいる。

 

「なのに、恋が私たちの関係を壊した。私は何もしてないのに、ただ応援しようとしただけなのに……!」

 

 小学六年の折、幼馴染が初恋を打ち明けた。相手は同じクラスの、笑顔が素敵な男子生徒。幼馴染は必死でオシャレを勉強し、受けのいい話題を調べ、彼女なりにアピールをして、しばらくすると告白してみると言い出した。

 

 しかし彼女の告白に先んじて、その男子生徒にイツミが呼び出された。無邪気に会いに行ってみると、イツミに一目ぼれしたから付き合ってほしいという。アピールする幼馴染の傍にいただけのイツミに、彼は恋をしてしまった。

 

 当然断ったが、もう手遅れだった。幼馴染はショックで寝込み、裏切り者を見るような目でイツミを睨みつけ、言ったのだ。

 

『よかったね。たまたまかわいい顔で生まれてきて』

 

 大切だった絆が、友情が、そうしてあっけなく粉々になった。肌が裂けそうなほど寒い、冬の日のことだった。

 

 学校からの帰り道、イツミは呆然自失だった。あてもなく夜の町をふらついていると、泣きじゃくる少女と出会い、家族に貰った大事なマフラーを譲ってしまった。

 

 立て続けに二つの宝物を失くし、喪失感に苛まれるイツミ。しかしそれは辛く孤独な一年の始まりに過ぎなかった。

 

 中学に入るなり、イツミはいじめに遭った。原因は『友だちを裏切った』という曖昧な噂だ。直接的な暴力には姉の教えで対抗できるが、陰湿なものには抗えない。山本の一件が遊びと思えるほどの、本当の嵐を経験した。

 

 もちろんその間もイツミの容姿に惹かれた一目ぼれや告白は絶えない。むしろ、いじめに遭っているかわいそうな美少女を助けるのだと鼻息を荒くする者たちが現れ、普段よりも告白の回数は増えるほどだった。断れば見た目しか取り柄のない性悪女が調子に乗っていると見なされ、風当りは更に強まった。

 

 家族は全面的に味方してくれたが、学校では頼れない。中学二年で友莉に出会うまで、イツミはずっと一人だった。

 

 喪失と孤独、それに伴う痛みと苦しみ。すべて、恋愛のせいだ。

 

「私が白戸さんの気持ちに応えて、誰も傷つかない保証なんてない。関わりたくもないのに、勝手に巻き込まれて被害者にも加害者にもなる。だからダメなの、嫌なの、怖いの。ずっと今のままでいいの」

 

 ヒナとのことに関係がないのは分かっている。あの頃と今では状況がまるで違う。むしろ、返事を先延ばしにすればするほどヒナを傷つけてしまうだろう。

 

 しかし理屈ではない。大切な親友を傷つけ、嫌われてしまった激痛。中学一年の間に味わった孤独と苦痛。そのきっかけとなった恋愛沙汰に、再び自分の意志で踏み込んでいく勇気が、イツミにはなかった。

 

「別にいいじゃない。今の関係だってそれなりに快適だもの。だから、考えてよ友莉。ずっと今のままでいられる言い訳を──」

「ざけんな」

 

 友莉がイツミの胸倉を掴む。

 

 イツミは力ずくで引っ立てられ、壁に押し付けられた。

 

「イツミ、テメーは今画面端だ」

「が、画面端?」

 

 三つ編みお下げを振り乱し、友莉がまくしたてる。差し込んだ西日がメガネに反射して鋭く光った。

 

「画面端で不利フレ背負って体力ドット、ゲージはぎりぎり残ってる。全部がお前のせいとは言わねえ。告白からのイジメ連携ループはガー不だし、私と会う前にどんなクソゲー強いられてたのかも、今初めて知ったしな」

 

 だけど、と切実な声で詰め寄る友莉。

 

「だけどさ、テメーこのままだと人生ずっと画面端だぞ? 現実にはKOで仕切り直しなんてねえ、運営がアプデしてくれることだってねえ。一生画面端で不利フレ背負い続けるんだ。苦し紛れのコパ暴れは潰されてガンガードは崩される。苦しい時間がいつまで経っても終わらねえ。テメーはそれでいいのか? いいワケねーだろふざけんなっ!!」

 

 イツミはハッとした。友莉の目が潤み、声が震えている。

 

「『ぶっぱ』するしかねえんだよ。たとえ確反でリーサル状況でも、その痛みが怖かったとしても、『パナ』さなきゃ対戦になんねえんだ。現実ってのはそのくらいクソゲーだしクソキャラなんだよ! なあ、頼むから──」

 

 これ以上、苦しまないで。

 

 消え入る声でそう囁いて、友莉はイツミの胸に顔を埋めた。

 

「君が端背負って捨てゲーしてるの……見てらんないんだよ……」

 

 肩を震わせ、静かに涙を流している。イツミは壁に背をくっつけてずるずると座り込み、おそるおそる友莉の肩を抱いた。

 

 何を言っているのか、細かいことは分からなかった。ゲーム脳を拗らせた友莉の言葉は時に理解が難しい。

 

 それでも、大切なことは伝わった。

 

 過去の傷に囚われるイツミに、友莉はイツミ以上に傷ついて、心を砕いていたこと。ここで前に進まないとずっとそのままだと、自分の言葉で発破をかけてくれたこと。

 

 優しさと熱い気持ちが、傷だらけの心に少しずつ沁み込んでいく。

 

 しばし友莉の涙を受け止めていたイツミは、毅然として立ち上がり、そして──

 

 

 

ーーー

 

 

 

「白戸さん!」

 

 一人帰路を歩いていると、背後から呼び止められる。

 

 大好きな先輩──空竹イツミの声だ。その場で回転しかねない勢いで振り返ると想像通りの、いや想像以上にきれいでかわいい愛しの先輩が、息を切らして駆け寄ってくるところだった。いつもはヒナの方から近づいていくことが多いので、先輩の方から来てくれるのはなんだか嬉しい。

 

 共通の友人である友莉と用があると聞いていたが、終わったのだろうか。

 

「お疲れ様です、先輩! わざわざ追いかけてきてくれたんですか?」

「ええ、実は、ふぅ、話したいことが、はぁ、あって」

「落ち着いてからでいいですよ」

 

 イツミは息を整えて、凛とした顔つきでヒナの手を引いた。柔らかくて、自分よりも大きな手の感触に鼓動が跳ねる。

 

 ヒナが連れて来られたのは、通学路の途中にある公園だった。小学生たちが遊具ではしゃぐのを遠くに見ながら、二人はベンチに腰を下ろす。

 

「期末テスト学年一位、おめでとう」

 

 イツミの開口一番に、ヒナの心拍は否応なく高まった。その話題が出たということは、用向きは一つだ。

 

「ありがとうございます。先輩のおかげです」

「私は何もしてないわ」

「いいえ。先輩が一位を取るよう言ってくれなかったら、もっといい加減にやってました。だから先輩のおかげです」

 

 ヒナはイツミに告白をしている。様々な障害があって返事は保留され、最後に出された条件が体力テストと期末テストでトップを取ることだった。

 

 どちらも達成した今こそ、イツミは返事をしてくれる。そのために追いかけてきてくれたに違いない。

 

 平静を装いながらもヒナの顔は赤く、暑さとは関係ない汗が頬を伝う。さりげなくイツミの方を伺うと、サファイアのような瞳とばっちり視線が合う。

 

 瞬間、イツミのきれいな顔が近づいてくる。少し身を乗り出しただけなのに、ヒナは緊張で目を閉じた。

 

「あなたの気持ちに返事をする前に、言わなきゃいけないことがある」

 

 イツミは大きく深呼吸して、決然と言った。

 

「私は人格のねじ曲がった、とんでもないひねくれ者の大ウソつきなのよ」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 ヒナは何が言われたのか分からないように、目を丸くして絶句している。

 

 反応を待たず、イツミは畳みかけた。

 

「まず、私の家に借金はないし妹もいない。反社みたいに怖い顔の親戚もいない。オバケに取りつかれたことも見たこともない。全部ウソだったの」

「……えっ?」

 

 堰を切ったように、イツミは自身の罪を語った。

 

 幼いころから多くの告白を受け、トラブルに巻き込まれるうちに嫌気が差し、人の好意にウソという敵意で応えるようになったこと。恋愛沙汰が何より嫌いで、特に一目ぼれなどと抜かす輩には殺意を抱くほど毛嫌いしていること。

 

「だから貴女のことも最初は敵だと思った。気色悪い情欲で動く恋愛中毒だって。気持ちを冷めさせて二度と関わらないようにウソをついた。なのに──」

 

 イツミはヒナの手を取り、両手で包み込んだ。

 

「貴女は私のウソに怯みもしなかった。全然めげないし凹まないし何こいつって思ったわ。でもこっちから距離を詰めると実は弱かったり、優秀だけどその分努力してたり、普通の女の子みたいにかわいいところもたくさんあって……いつの間にか、貴女のことばっかり考えるようになって、えっと、だから──」

 

 しどろもどろな言葉を切って、ヒナのまん丸な目を正面から見つめ、きっぱりと告げる。

 

「私もあなたが大好き。付き合って」

 

 沈黙。

 

 子供たちのはしゃぐ声とヒグラシの鳴き声が、やけに大きく聞こえる。木立の葉がこすれ合う音すら聞こえるほどの静けさが、二人の間に落ちた。

 

 十数秒ほど見つめ合い、イツミは視線を落とした。友莉に背中を押された勢いがなくなったのだ。

 

 叱られた子供が言い逃れをするように、情けない口調で付け足す。

 

「も、もちろん無理しなくていいわ。私が嘘つきカス女だって初めて知ったわけだし、じっくり考えてみるべきかも……うん、その方がいいわ。検討期間は三年くらいがいいかしらね」

「……先輩のバカ」

 

 イツミの胸にぽすんと頭を預け、腰に手を回すヒナ。ヒナの方からスキンシップをするのは初めてのことだ。

 

 イツミは軽く抱き返しながら、顔を伺おうとする。

 

 しかしヒナはそれを拒み、思い切りイツミの胸に顔を埋めた。

 

「今、かつてないほどキモイにやけ面してるんで。見たらダメです」

「え、見たい」

「ダーメーでーす!」

 

 イツミからはかわいいつむじとツインテールしか見えない。どうにかひっぺがして覗き込む方法はないものか。いやそんなことよりも、告白が成就したことを喜ぶのが先では? イツミは混乱している。

 

 イツミの胸の中、ヒナがくぐもった笑い声をあげる。

 

「ふふ、三年て、本当にバカですよ……私は本当の本気で先輩に一目ぼれしてるんです。借金、反社、悪霊、嘘つき、今更そんなことで諦めるはずないじゃないですか」

「……もし、実は私が男だったら?」

 

 この期に及んでくだらない好奇心がイツミの口からまろび出る。

 

 ヒナは即答した。被せるような返しだった。

 

「男でも女でも中間でも構いません。実は宇宙人でも前科百犯でも人間じゃなくても、先輩が先輩である限り──ヒナは、先輩を愛しています」

 

 重いなーと。

 

 茶化そうとして、イツミは口を噤んだ。胸の中ですすり泣く声。ブラウス越しに涙の熱を感じる。小さな体を震わせて、ヒナは泣いていた。

 

「ぐすっ……断られたら、どうしようって、ずっと不安で……先輩が悪いんですよ」

「うん」

「いっぱい構ってくれないと、許しませんからね」

「うん。もうすぐ夏休みだもん。楽しいこと、いっぱいしましょう?」

 

 涙が止まるまで、ヒナを胸に抱き、背中を優しく撫でる。

 

 しばらく後、どちらともなく体を離し、じっと見つめ合う。ヒナは涙に濡れた顔を赤く染め、もじもじと俯いて、そっと目を閉じた。何かを待ちわびるように顔をやや前に突き出す。

 

 そうした話を散々耳にしていたからか、あるいはその身に流れる血のためか。イツミはヒナの形のよい顎に手を添え、淀みない動作で唇を重ねた。

 

 飾り気のない公園のベンチの上。くしくも五年前、二人の縁が始まったその場所で、互いのぬくもりを確かめ合ったのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 一時間後。

 

「……ところで先輩。先輩のブラウス、最初からなんか粘ついてたんですけど。何ですかこれ、汗じゃないですよね」

「鼻水ね。友莉がさっきの貴女みたいに泣いてたから」

「ぎゃーっ、ばっちぃ!」

 

 ついでに友莉とも汚い間接キスを果たし、ヒナは悲鳴を上げた。

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