アカリがポケットの中でせわしなく震える携帯電話を取り出して耳に当てると、あの胡散臭い男、もとい、黒服の声が電話の向こうから発せられた。
「お取り込み中に失礼致します。そこに今いらっしゃる梔子ユメさんの処遇を私に一任させて頂けませんか?」
黒服の言葉にアカリは何の用だと文句を垂れようとした口がつっかえる。
「は?」
電話に出た直後に怪訝な顔を浮かべたアカリに副隊長が自分に電話の内容を耳打ちするように指示すると、アカリは一旦電話を保留にして、電話の内容を一言一句そのまま副隊長に伝える。
「どうした?」
二人の様子に今度は風紀委員長が怪訝な表情を浮かべる。
「この少女、梔子ユメの処遇について、今回の件の依頼主が任せてくれ、と言ってるんだが」
「は!身勝手なヤツだな。この会議に姿も見せず、その上、我々に要求とは随分と腰抜けなようだ」
自分達を軽く見られていると感じたのか、風紀委員長は明らかに不機嫌な表情を浮かべ、アカリの持つ電話を睨みつける。
溜息を吐きだしてアカリは徐に机上の液晶のキーボードに入力し始め、手元にある電話を繋ぐ。
すると、壁に取り付けられていた巨大な液晶画面にデスクの上で手を組む男が大きく映し出された。
「画面越しで申し訳ありませんね。これでも忙しい身ですので」
黒服は全く悪びれる気も無いように、その目も鼻も口も無い顔に笑みを張り付かせる。
会議室にいる全員がその不気味な男に寒気を覚え、背筋に冷や汗を浮かべた。
黒服は視線を会議室の一人一人に流していくと、椅子の上で所在無さげにキョロキョロとしている梔子ユメにその視線を停止させる。
「梔子ユメさん、でしたね?」
優しい声音で話す黒服は、明らかにその裏に悪意が滲んでいた。
「はい、そうですけど」
オドオドしつつも、返事を返したユメは黒服の視線に自分の視線を合わせる。
自分の視線が黒服の白い穴に吸い込まれ、飲み込まれそうになる。
しばらく見入っていると、頭を振って自分の意識を現実に引き戻す。
「貴女と一つ、取引をさせていただきたいと思いまして」
「取引?」
「ええ、公正公平な取引です」
どの口が、と排斥者の一同は黒服を見るが、その視線を黒服は流して相変わらずユメだけに視線を向けている。
「内容は簡単です。貴女の後輩、小鳥遊ホシノさんの身柄を保護する代わりに、貴女には排斥者に協力して頂きたいのです」
「へぇ!?」
「はあ!?」
黒服の言葉にアカリとユメの声が重なった。
「おいおいおい、何勝手に決めてるんだ。いくら依頼人だからと言っても限度があるぞ!」
ディスプレイに詰め寄るアカリの言葉にソラとアスカがそうだそうだとヤジを飛ばす。
「まぁまぁ、貴女方にとっても悪い話では無いでしょう?戦力不足の現状では崇拝者を相手にできないことは自明の理。ならば、キヴォトスの生徒が戦力として加わるのは得ではないのですか?それにこの話は彼女の大切な方にも関わる事ですから」
黒服の言葉にアカリは返す言葉が思い浮かばず、黙り込んでしまう。
代わりに副隊長が立ち上がって何か反論をしようとしたが、それをユメの声が押し除けた。
「ホシノちゃんがどうしたの!?」
張り詰めた表情のユメが黒服を見る。
今まで見なかった少女の激しい感情の発露に周りの者達は置物のように静止してしまう。
しかし、黒服はその態度を崩すことなく、むしろ心底楽しげに肩を揺らして笑みを浮かべていた。
「クックック、小鳥遊ホシノさんは以前から多くの勢力からその身柄を狙われています。今までは貴女という防護壁が存在していたので手を出すことを控えていたワケですが、今、貴女は行方不明状態。すなわち、彼女を狙うのに絶好の機会という訳ですよ………、おや?ユメさん?」
あっさりとユメの質問に答え、ユメに視線を向けた黒服。
ユメは身を翻して部屋の出口に向かって一直線に走り始めていた。
しかし、無情にも部屋の扉はびくともせず、外への道を閉ざしている。
見かねたアスカがユメを嗜めて元の席に座らせる。
「揶揄いにしてはちと悪質すぎるぞ」
副隊長が黒服を睨むも、黒服は相も変わらず飄々とその視線を受け流した。
「まあまあ、私としましても小鳥遊ホシノを他人に奪われるのは愉快ではありません。ですので、是非私と取引していただきたいのです。梔子ユメさん?」
「取引?」
不安げな声で問い返すユメにええ、と一言肯定の意を示した黒服は言葉を続ける。
「貴方が私に協力する代わりに小鳥遊ホシノさんの身をお守りしましょう」
あまりに胡散臭いその言葉に流石のユメも真偽を疑っているようで、黒服を見つめてその腹の中を探ろうとする。
しかし、黒服からは何の感情も汲み取ることはできなかった。
「分かった。貴方の取引に応じる。だから約束はちゃんと守ってくれますよね」
「無論です。では、私はこれで。ああ、この件はくれぐれもご内密にお願いしますよ?」
黒服は不気味な笑みを浮かべ、通信を切った。
「嵐の様な奴だったな」
風紀委員長が愚痴を漏らし、席を立ち上がる。
「私達もおいとまさせて貰おう。諸々の準備を済ませ次第そちらに連絡するゆえ」
「あ、待ってください風紀委員長!」
ツカツカとその場を離れ行く委員長の後ろを書記官の少女が大急ぎで追いかけ、その部屋にいた風紀委員の生徒全員も立ち去っていた。
「さて、梔子ユメ、って名前だったよな?」
「は、はい」
風紀委員達がいなくなった後、ユメにアカリが声を掛ける。
緊張した様子のユメは少し上擦った声で返事をした。
「そう緊張するな。別に獲って食おうってわけじゃないんだ」
「は、はぁ」
アカリはユメを席に座るよう促し、ユメはアカリの促す通りゆっくりと席に腰掛ける。
「それで、君はこれから私達と生活を共にする仲間、というわけでいいんだよな?」
「はい」
確かめるアカリの言葉にユメは首を縦に振って肯定する。
「まあ、唐突なこととはいえ、私達は君を歓迎するよ。ほら、これでも飲んで落ち着いて」
「あ、ありがとうございます」
隣にいる副隊長が柔和な笑顔でユメにココアを渡し、ペコペコとお礼をしてそのココアを受け取る。
ほっとする甘みにユメの頬に温かい雫が伝った。
「あれ?あれ?なんで、なんで泣いてるんだ………ろ、う」
ユメの声がだんだんと震えて嗚咽に変わって行く。
彼女の肩にアスカがそっと手を置き、背中を摩る。
「二人共、この子は砂漠で死にかけたんだ。ここまで不安に押しつぶされなかったのが不思議なくらいさ。さあ、俺の肩に掴まりな」
ユメはアスカの肩に掴まって医務室の方へと向かった。
医務室に着いたユメはベッドに座り、涙を拭っいながら嗚咽を漏らす。
「好きなだけ泣け。お前がどれだけ辛い思いをしてきたのかは俺にはわからないけどさ、辛い事は皆涙にして流しちまえ」
アスカは宥めるような声でユメに微笑み掛け、ユメは大粒の涙を流してアスカに抱きついた。
ユメを受け止めたアスカは彼女の背中をぽんぽんと叩いて優しく声を掛ける。
「頑張ったな、辛かったな、大丈夫、大丈夫、大丈夫………」
二人以外誰もいない医務室にユメの声が響いた。
しばらくして、ユメが泣き止むと、アスカはそっと彼女をまたベッドに座らせて自分はその対面に椅子を置いて座る。
「スッキリしたか?」
「うん、ありがとう。ええっと………」
「アスカだ。この部隊では治療を専門にしてる」
「アスカちゃんかあ。あの、アスカちゃんってさ、女の子、だよね?」
「そうだが?」
キョトンとした顔で質問するユメにアスカは吹き出してしまった。
「プッ、アハハハハ。男だと思ってたのか?生憎俺は女だよ」
「ご、ごめん!すごくスラッとしてて髪も短くて顔も凛々しかったから!」
「それ、褒めてんのか?」
「も、もちろんだよ!!」
「そっか、ありがとな」
アスカとユメはお互いに笑い合って和やかな雰囲気になったところで医務室の扉が開いて三人が部屋に入って来た。
「もういいか?」
「ノックぐらいしなよ隊長」
「ああ、すまん」
アカリは申し訳なさげな顔をして謝罪をするが、アスカは不満げに睨む。
「まあ、丁度全員いる事だし、俺達の自己紹介でもするか」
ユメの前に三人が並び、並んだ三人を順にアスカが紹介して行く。
「左から順に、副隊長、隊長、ソラ。この三人に俺を含めた四人が排斥者のメンバーだ」
アスカはニッとユメに笑顔を向けて誇らしげに胸を張った。
「まあ、詳しい話はそれぞれからってことで。それじゃ隊長からどうぞ」
アスカが軽い口調でパスを渡し、アカリは少し驚きつつも微笑みながらユメの前に立つ。
「私はこの部隊、排斥者の隊長を務めているアカリだ。他には、そうだな、趣味、でいいだろうか。趣味は写真撮影かな」
アカリが自己紹介を終えたその直後、彼女を押し除けて後ろにいたソラがアカリのいた場所を奪った。
「アタシはソラ!貴方と同じキヴォトス出身なんだ!趣味はねえ、料理かな!よろしくね!!」
「う、うん、よろs、うわぁ!?」
戸惑いながらもユメの差し出した腕をブンブンと振って握手をするソラはとても楽しそうであった。
しばらくしても腕を離さないソラに溜息を吐きつつアスカがソラを退かす。
「その辺にしとけソラ、ユメも困惑してるだろ」
「アスカのケチィ」
「そう言うなって」
ソラの抗議の目にまぁまぁとアスカは彼女を諭す。
そんな二人に苦笑しながら副隊長がユメに歩み寄る。
「俺は副隊長だ。名前は、特に無いから副隊長と呼んでくれ。趣味は読書だ。まあ、なんだ、結構奇抜で妙な奴ばかりだが皆いい奴だから。これからよろしくな」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
ユメは副隊長と握手を交わした。
その後、ユメもベッドから立ち上がって胸に手を当てて気持ちを落ち着かせると、大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
「私は、アビドス高校、三年生の梔子ユメ。これからよろしくお願いします!!」
ユメはできるだけ大きな声で四人に自己紹介をして深々と頭を下げる。
彼女の様子に四人は破顔した。
「「「「よろしく!」」」」
「はい!!」