片腕ニーナと戻らぬ日々に。片目のエリカと明日への日々に。 作:furu6272
取り返しのつかない事が起きるとき、それは一つの出来事から生じるのではなく、それまでの小さな出来事の積み重ねで起きるのだという。
それは例えば、冬の季節に雪が降り積もったという程度の出来事であり、
寒さによるものか、その日のニーナが風邪気味だったことであり、
聡明だが怒りっぽいカチューシャの機嫌がいつもより少し悪かったことである。
そして、高熱の出ていなかったニーナがそのまま練習に出たところ、やはりというべきか、いつもより失敗をしてしまい、
いつもより機嫌の悪かったカチューシャは、ニーナに罰として薪を得るために木を切ってくるように命じたのだった。
ここでの不幸は、他の者にとってもカチューシャが怒りやすいのはいつもの事であり、ニーナが怒られるのもそれなりに見慣れた光景だったことだったことだろう。
そして、冬のために他の者が厚着をするのが一般的であるところ、ニーナも同様に厚着だったために、ニーナの体調に気づくものがいなかったことだ。
他に罰を受ける者がいなかったため、ニーナは1人で斧を持ち、積もった雪を踏みしめて木を切りに行った。
ニーナは今までにも木を切った事がある。このため、いつもどおりなら問題なかったのかもしれない。
だが、その日はいつもと異なり、同じように罰を受ける者や監視の者がいない中で、ニーナは1人で木を切りにいってしまった。
背の高い木が生えている林に辿り着いたニーナは、そのうちの一本の木に狙いを定めた。
そして風邪で力の入りきらない体を懸命に動かし、斧で木を切りつけていく。
ニーナはある程度木に傷をつけると、切っていた場所の反対側から、あらためて木を切り進めた。
これは木の倒れる方向をコントロールするためである。
木の倒れる方向をコントロールしたならば、いつもどおり切られた木はニーナのいる場所とは反対側に倒れるはずだった。
だが、自然物である木はいつも必ず想定通りの方向に倒れてくれるとは限らない。
そして木は無常にも、メキメキと音を立てながらニーナのいる方向に倒れてきたのだった。
「うえ?」
肉体労働による疲労と風邪がひどくなっていたことで、ニーナは倒れてくる木を避けることができなかった。
ドスン
と倒れてきた木にニーナの体は押しつぶされ、そのままニーナの体は雪の中に押し込められる。
その衝撃によりニーナは意識を失った。
そして不幸なことに、その場には他に誰もいなかったのだ。
・・・・・・
それから3日ほど日が経った頃。
カチューシャは自室でイライラと不満を募らせ、腕を組んで指をとんとんと動かしていた。
カチューシャの不満の原因は、ニーナとアリーナの2人が3日間も訓練を無断欠席していることだった。それどころか、学園内でも2人の姿を見ていない。
(まったく弛んでるわ。2人を見つけたらシベリア送りなんだから。)
そんなことを考えていると、部屋のドアがノックされる。
「誰?」
カチューシャが尋ねると、部屋の外からは静かな声が聞こえてくる。
「ノンナです。カチューシャ、部屋に入ってもよろしいですか?」
声の主はカチューシャの右腕であるノンナのものだった。
「いいわよ。」
「失礼します。」
静かにドアノブがまわり、よどみのない動作でノンナが部屋に入って来る。その氷のように力強い様子は、カチューシャの不満を少し和らげた。
そして、カチューシャが不満を和らげた理由はもう一つある。
「それで、ニーナとアリーナは見つかった?」
3日間訓練をさぼっている2人に業を煮やしたカチューシャは、ノンナとクラーラに2人がどこに隠れているか探すように命令していたのである。
ノンナとクラーラは優秀な人物だ。ノンナが部屋に来たのは2人を見つけた報告のためだろう。
カチューシャは「ふふん。」と暴君が部下の報告を聞くような態度で笑みを作った。だが、
「はい。2人は見つかりました。」
ノンナの返事にカチューシャは怪訝な顔をした。それは、ノンナの返事に意図的な何かを感じたからだった。
「それだけじゃなくて、どこにいたのよ?」
カチューシャは当然の疑問を突き付ける。しかしながら、問われたノンナは悩んでいる表情を浮かべていた。
「……カチューシャ、それは……」
いつもなら明瞭に報告をするはずのノンナが、明らかに言い淀んでいるのだ。
カチューシャはノンナにただならぬ様子を感じ、何も言われていないのにも関わらずうろたえた。
「そ、それは?」
カチューシャはうろたえながらもノンナに問いかけようとした、だがその時、
ドンドンドン
と、部屋の外から誰かが、廊下を激しく踏み鳴らして近づいて来る音がした。
その音はすぐにカチューシャの部屋に辿り着く。そして、
バタン!!
ノックもなく扉が音を立てて開かれた。
入って来たのは訓練を欠席していたはずのアリーナだった。
「なっ、何!?」
カチューシャは激しい音に驚きの声をあげる。
そして、それがカチューシャの探していたアリーナだったことがわかると、カチューシャは失礼な態度を叱ろうと考えた。
だが、アリーナの顔を見てカチューシャは声を詰まらせる。
アリーナはカチューシャに怒りの表情を向けていたのだ。それも、些細なことで怒っているような顔ではない。
アリーナの目には激しい憎しみの炎が灯っていたのだ。
カチューシャはそれほどまでに怒っているアリーナを見たことがない。それも、その相手が自身であることなど考えられないことだった。
アリーナの様子を見てカチューシャが言葉を失っている間に、アリーナは無言のままドンドンとカチューシャに近づいていく。
そして、カチューシャの前に来るのと同時に、アリーナは大きく拳を振り上げて、そのままカチューシャに振り下ろした。
カチューシャは、アリーナがこちらをにらみながら近づいて来る様子と、アリーナが自分を殴ろうとしている様子を、まるでスロー再生を見ているような感覚で、他人事のように見ていた。
カチューシャには、アリーナが自分に暴力を振るおうとしている事が現実として捉えられなかったのだ。
アリーナの拳がカチューシャの目前に迫る。
ガシッ
カチューシャに拳が当たる寸前に、アリーナの腕を掴んで止めたのはノンナだった。
アリーナはそれでもなお、カチューシャをそのまま殴ろうとして力を込めていたが、ノンナの方が力が強いらしく、2人はそのまま膠着状態になっていた。
それからしばらくすると、アリーナはカチューシャを殴ることをあきらめたらしく、拳を下ろした。と同時に、
アリーナは振り向きざまに逆の腕でノンナの顔を殴った。
ゴスン
鈍く重い音がなり、体格に勝っているはずのノンナの体が傾く。
だが、ノンナは倒れることなく、傾いた姿勢をまっすぐに直すと、アリーナを静かに見下ろした。
その視線をアリーナは変わらない怒りで睨み返す。
2人はそのまま無言で向き合っていた。
そして、先に動いたのはアリーナだった。
アリーナは来た時と同じように床を踏み鳴らしながら、開いたままの扉に近づいていく。
そして最後にカチューシャをにらみつけると、
「あんたなんか隊長でねぇ!!」
と、今までに聞いたことがないほど怒気をはらんだ声をカチューシャに叩きつけて部屋を出ていった。
「な、なっ……」
カチューシャはアリーナの姿が消えるのを見たまま茫然としていた。
(何がなんだかわからない。)
カチューシャはアリーナが怒る理由がわからなかった。何かしら不満があったということはあるかもしれないが、アリーナの表情はその程度の怒りではなかった。
そして、
茫然としながらも、カチューシャの頭脳は状況の整理を進めてしまっていた。
まず、アリーナの様子は明らかにいつもと違っていた。
そもそも、アリーナは3日間訓練を欠席していたのだ。そして、カチューシャはニーナとアリーナの居場所を探していたところだったのである。
だが、カチューシャの部屋に来たのは怒りに燃えるアリーナだけだった。
そして、ノンナの様子も変だった。
アリーナが来る前に、カチューシャはノンナから、ニーナとアリーナの場所を聞こうとしていたが、ノンナは明らかに2人の居場所を言いにくそうにしていた。
それに、アリーナがカチューシャを殴ろうとしたときに、ノンナは素早く動いてアリーナを止めてくれた。
しかしながら、アリーナが向きを変えてノンナを殴ろうとしたときには、ノンナはやけに素直に殴られたように見える。
本当はノンナは避けることができたのではないだろうか。
カチューシャがノンナに目を向けると、ノンナは何も言わずにカチューシャを見つめていた。
ノンナの顔はすでに赤く腫れ始めていたが、ノンナは痛みを顔に出さない。その様子を見てカチューシャの心が痛む。
本当は避けることが出来た拳をなぜ、ノンナはあえて受けたのか。
(それはきっと、アリーナが怒っている理由に心当たりがあって、さらに私に非があることをノンナは知っていたからだわ。)
だからこそ、ノンナは私を守るために私が殴られることを止めたが、自分を殴られることを受け入れたのだろう。
そして、これらの状況から導き出される結論は……
「ノ、ノンナ……」
震える声でカチューシャはノンナに問いかける。
「ニーナはどこにいるの?」
不安で震えながらノンナを見つめるカチューシャに対して、ノンナはただ悲しみのこもる目でカチューシャを見つめていた。