アビドス対策委員会(IN梔子ユメ)、夏の大騒動!   作:気弱

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アビドスの夏、地獄の水着選びと不穏な着信音

――嫌な予感は、大型ショッピングモールの巨大な自動ドアをくぐり、冷房の効いた空気に肌が触れた瞬間に確信へと変わった。

 

アビドスの乾いた砂の匂いとは無縁の、眩いばかりの照明と喧騒。季節を先取りしすぎた水着特設コーナーは、目に痛いほどの極彩色で彩られている。天井からは巨大なクジラやビーチボールの浮き輪が吊るされ、新調されたビニール製品の独特な香りと、どこか人工的なココナッツの芳香剤が混ざり合い、鼻の奥をくすぐった。

 

「……ねぇ。今日は、あくまでクロコちゃんの水着を買いに来たんだよね?」

 

念を押すように私が問うと、隣に立つクロコは迷いのない、まるで戦場を闊歩するような足取りで一着のハンガーを手に取った。

 

「ん」

 

差し出されたのは、装飾の一切を削ぎ落とした、黒一色のスポーツタイプ。機能美と言えば聞こえはいいが、それはあまりに実用性を重視しすぎた、ともすれば特殊部隊の潜入用スーツのようにも見えかねない一着だった。

 

それに対し、真っ先に異議を唱えたのは、腕を組んで品定めをしていたセリカだった。

 

「……んー、クロコ先輩らしいと言えばらしいけど、流石に無愛想すぎるわよ。任務用だとしても、せっかくの海なんだし。もう少しこう、女の子らしい華やかさが欲しくない?」

 

「そうですよ。リゾート開発のお手伝いなんですから、もう少し可愛らしくてもいいかもしれませんよ?」

 

アヤネも眼鏡の位置を直しながら苦笑い混じりに同意する。

 

それを受けたクロコは、至って真面目な顔で「ん……可愛らしい、露出。なら、これ」と、どこから取り出したのかも分からない“それ”を無造作に掲げた。

 

「「「…………」」」

 

全員の思考が、物理的に停止した。

 

それは、もはや「服」としての概念を疑うレベルの、布面積が物理の限界に挑んだかのようなマイクロビキニだった。もはや面積というより、点と線で構成されている。

 

「それはダメですからね!? 公序良俗って言葉を知ってますか!? 羞恥心は!?」

 

アヤネの鋭いツッコミが静かなコーナーに炸裂する。しかしクロコは、猫のように首を傾げたまま譲らない。

 

「ん。でも、砂浜での機動性を考慮すれば、布は邪魔。水抵抗も最小限。それに――これなら、先生も照れる」

 

「私!?」

 

背後で大量の荷物持ちをさせられていた先生が、裏返った声を上げた。

 

「私、そんな過激な趣味だと思われてるの!? 心外だよ、クロコ!」

 

「…ん…だって先生、私の胸たまに見てる。意識してる」

 

ぴしゃり、と。

 

クロコの淡々とした、逃げ場のない一言で、水着コーナーの空気がマイナス四十度まで一気に氷結した。

 

「「「………………先生?」」」

 

「そ、そんな趣味が……最低です。不潔です……」

 

「軽蔑します、先生。アビドスの教育環境に悪影響です……」

 

セリカとアヤネの視線が、絶対零度の冷徹さで先生を射抜く。

 

「ま、待って! 誤解だよ!? 先生として健康的な発育を見守っていただけで、そんな不謹慎な目は向けてないから!」

 

必死に弁明し、脂汗を流す先生。そこへ、追い打ちをかけるようにユメ先輩が満面の笑みで割って入った。

 

「わぁ……! 先生、意外と情熱的な趣味なんですね♪ 大丈夫ですよ、私の胸なら、いつでも貸してあげますから」

 

「笑顔で何を言ってるの!? 火に油どころかニトロを注がないでくれるかなユメ!?」

 

私は、こめかみに青筋を立てながら、先生に最高に「いい笑顔」を向けた。

 

「へー……。先生って、生徒をそんな不潔な目で見てるんだー。おじさん、知らなかったなー。シャーレに報告が必要かなー?」

 

「ホシノ、その顔はやめて! 目が笑ってないし、背後のオーラが怖すぎるから!」

 

「ん。それなら、将来確実に大きくなるはずの私(シロコ)のことも、今から予約しておくべき」

 

シロコが真顔で燃料を投下し、先生を物理的な死地へと追い詰める。だが、そこに最強のストッパーが立ちはだかった。

 

「ん。シロコ、昨日も言ったけど。私が大きくなる保証はない。因果関係の確証も、ない。期待は失望を招く」

 

「……っ!!」

 

シロコ、二度目の撃沈。……うん、今日、ここは間違いなく地獄の門が開いているね。

 

一頻り騒いで、店員さんの視線が痛くなった後、私たちは一時避難としてフードコートの隅へ陣取った。

 

冷たいメロンソーダで頭を冷やしながら、私は心の中で(このまま、クロコちゃんのスポーツ水着だけで妥協して無事に終わってくれたらいいんだけど……)と祈っていた。けれど、運命の女神はアビドスには微笑まない。

 

ユメ先輩がストローを可愛らしく咥えたまま、何気なく爆弾を投げた。

 

「そういえば、ホシノちゃんはどの水着で行く予定なの?」

 

「どの……? いや、私は別に新調する必要なんて……」

 

私は視線を泳がせる。「一応、昔のを一着持ってますし、それで十分ですよ」

 

「えー?」

 

ユメ先輩が、まるで深海魚を見るような意外そうな目で私を見つめた。

 

「ホシノちゃん、スクール水着と……ほら、一昨年に届いた、あのクジラさんのフリフリがついたやつしか持ってないよね?」

 

「ぶふっ!?」

 

私は飲んでいたメロンソーダを盛大に、かつ芸術的な放物線を描いて噴き出した。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! ユメ先輩!? その水着のことなんて、誰にも教えてませんよ!? なんでそれを今、この場で、先生の前で!」

 

その瞬間、メンバー全員の視線が、獲物を見つけた猛獣のそれとなって一点に集中する。

 

「……ユメ先輩」

 

セリカの声が、地を這うような低いものに変わる。「その話、もっと詳しく。スク水と、……クジラ?」

 

「うん! ほら、これこれ! 可愛いでしょ!」

 

ユメ先輩が嬉々として取り出した端末の画面には――二年前、自分の部屋の鏡の前で、クジラ柄のフリフリ水着を試着し、顔を真っ赤にして恥ずかしそうに、でもどこか嬉しそうにしている私の姿があった。

 

……盗撮だ。これは紛れもない、重犯罪の証拠だ。

 

「ほ、ホシノ……。……私は、……その、すごく似合ってると思うよ」

 

先生の、必死すぎるフォロー。しかしその瞳の奥に「幼さ」への哀れみが混ざっているのを私は見逃さなかった。それが逆に、私の柔らかな心を鋭利に抉る。

 

「で、でも、それは一年生の頃の話ですよね?」

 

ノノミちゃんが慌てて助け舟を出してくれた。そう、二年も経てば、いくら私だって身体のラインくらい変わって――。

 

「……まだ、ジャストサイズで入る……」

 

私は力なく机に突っ伏した。成長という概念が私を素通りしていった事実が、これ以上ない残酷な形で証明されてしまった。

 

「だ、大丈夫だよホシノちゃん!」ユメ先輩がさらに言葉を重ねる。「女の子は胸の大きさが全てじゃないし……健康第一、元気があればいいんだよ!」

 

……それが一番のトドメだった。

 

「それじゃあ、決まりね」

 

セリカが満面の、一切の慈悲を排除した笑顔で言い放った。

 

「ホシノ先輩の、『今』に相応しい新しい水着を、今すぐ選びに行きましょうか?」

 

「帰らせてぇ……砂漠に帰してぇ……」

 

私の切実な願いはモール内のBGMにかき消され、私は再び戦場へと引きずり戻された。

 

そこからは怒涛の勢いだった。セリカとアヤネは「清楚かつ活動的」なデザインを。ノノミとシロコ、クロコは「先生の反応を最優先した」危ういデザインを次々と私にあてがっていく。

 

(シロコちゃん、どさくさに紛れてさっきの紐みたいな水着を私に持たせないでくれるかな?)

 

「……ユメ先輩は?」

 

最後に残った彼女を振り返ると、彼女は棚の隅から一着のセットを取り出した。

 

「これ、どうかな?」

 

差し出されたのは、落ち着いたネイビーブルーを基調とした、けれどフリル使いがどこか幼さを残す絶妙なデザイン。見たことはないはずなのに、

 

「……これ、好きかも」

 

理屈抜きの直感がそう告げていた。「これにします!」

 

「よかったー!」

 

ユメ先輩は自分のことのように笑い、「お揃いの、空気で膨らむクジラさんの大きな浮き輪もセットで買っちゃおうね!」と付け加えた。……最後の一言さえなければ、私のプライドは守られたのだが。

 

「よし! これで全員準備万端ね!」

 

セリカが戦利品の袋を掲げ、ようやく長い買い出しの終わりを告げた、その瞬間だった。

 

先生のポケットから、静寂を切り裂くような無機質な着信音が鳴り響く。

 

「……あ」

 

先生の表情が、一瞬で「大人の顔」に切り替わった。私たちに背を向けて通話に出る。

 

数十秒の沈黙。けれど、その空白は永遠のように長く感じられた。

 

「……ごめん」

 

通話を終えた先生の顔は、先ほどまでの騒がしさが嘘のように沈んでいた。

 

「急な連絡が入ってね。シャーレの方で緊急の対応が必要になった。明日……出発には、間に合わないかもしれない」

 

ショッピングモールの喧騒が、遠のいていく。

 

明日。みんなで行くはずだった海。新しい水着。先生に見せるはずだった景色。

 

そこに――先生がいない。

 

胸の奥に、鉛のような重たいものが、しんしんと沈んでいく。

 

「い、いや! ちょっと待って! まだ行けないって決まったわけじゃないから!」

 

先生が慌てて手を振る。

 

「急ぎの仕事を片付けて、すぐに追いかける。出発には間に合わないかもしれないけど、必ず後から合流する。だから――みんなは先に行っててほしい。大丈夫、約束するよ」

 

必死に、私たちを不安にさせまいとする明るい声。

 

「……本当?」「うん、絶対だ」

 

先生はそう言って、少し困ったように笑った。

 

私は、その笑顔から目を逸らした。嘘を吐いているわけではないだろう。でも、先生の背負っている「責任」の重さを知っているからこそ、その約束がどれほど脆いものかも理解できてしまう。

 

(……大丈夫、大丈夫だよね)

 

そう、自分に言い聞かせる。

 

でも胸の奥では、沈んだ鉛が、冷たい海のように私を侵食し始めていた。

 

 

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