アビドス対策委員会(IN梔子ユメ)、夏の大騒動!   作:気弱

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異変と怒り

管理センターの中枢へとホシノの小さな背中が消えてから、一体どれほどの時間が経過しただろうか。

 

窓のないオペレーションルームは、冷え切ったサーバーの駆動音と、不自然なほどに無機質な電子音だけが支配していた。アヤネが端末を叩く微かな音さえ、静寂を切り裂く暴力のように響く。残された対策委員会の面々は、まるで薄氷の上に立たされているかのような、張り詰めた緊張感の中にいた。誰もが口を開かない。ただ、心臓の鼓動だけが、先生とホシノのいない不安を加速させていく。

 

その静寂を、絶望的な轟音が粉砕した。

 

ズズン、と腹の底を揺さぶるような重苦しい爆発音。続いて、一度、二度。分厚い防壁越しにさえ鮮明に伝わる、激しい自動小銃の連射音。

 

「っ……ホシノ先輩!?」

 

アヤネが悲鳴に近い声を上げ、コンソールに飛びつく。モニターには、島全体の警備状況を示すマップが展開されていたが、ホシノが進んだブロックだけが、どす黒い赤色に明滅していた。

 

「……アヤネ。ここ、お願い」

 

クロコが低く、震える空気を断ち切るような声で告げた。その瞳は、いつもの冷静さを通り越し、暗い昏さを湛えている。アヤネは一瞬だけ、不安と恐怖に震える唇を強く噛み締めた。だが、眼鏡の奥にある瞳に、戦う者の覚悟を無理やり宿し、深く、深くうなずく。

 

「……はい。システムの掌握は私が。通信は常時、最大出力でつないでおきます。電波障害があろうと、こじ開けます。だから……何かあったら、いえ、何がなくても、すぐ呼んでください。お願いですから……っ!」

 

「ん。無理は、しない。……行くよ」

 

クロコの短い、そして重い合図。

 

それまで沈黙を守っていた対策委員会のメンバーが、示し合わせたように音もなく立ち上がった。

 

セリカは愛用のサブマシンガンを叩くようにしてチェックし、シロコは無言で弾倉を叩き込む。ノノミは巨大なガトリングの重みを確かめ、ユメ先輩は、普段の柔らかさを完全に消し去った峻烈な表情で銃を構えた。

 

彼女たちは、リゾートに遊びに来た浮かれた生徒ではない。かつて幾度も絶望的な状況を跳ね除け、砂漠の地獄を生き抜いてきた「アビドス対策委員会」としての、冷徹な貌(かお)に戻っていた。

 

管理センターの重厚な防音扉を抜け、闇が支配する奥の区画へと足を踏み入れる。

 

そこは、先ほどまでの冷たい静寂が嘘のような、むせ返るような硝煙と、焦げた鐡(くろがね)の匂いが立ち込める戦場と化していた。

 

「……ホシノ先輩、遅すぎません? 普段ならもう、『終わったよ~』なんて欠伸しながら戻ってくるはずなのに……」

 

沈黙に耐えかねたように、セリカが口を開いた。普段通りの強気な口調を保とうとしているが、その声は指先と同じように微かに震えており、抑えきれない苛立ちと、底知れない不安が泥のように滲み出している。

 

「様子見に行くだけって言ったくせに……。また、あの人……勝手に一人で、一番危ないところを……」

 

「……何か、致命的な事態が起きた可能性が高い。ホシノ先輩が戻ってこないのは、戻りたくないからじゃない。戻れない理由があるから」

 

シロコが感情を完全に削ぎ落とした、氷のような声で答える。その狼のように鋭い視線は、天井のダクト、暗がりの物陰、配管の隙間一つも見逃さぬよう、周囲を執拗に射抜いていた。

 

「でも、ホシノ先輩ですよ? アビドス最強で、私たちが一番頼りにしてる盾なんですよ……? いつもみたいに、『あー、疲れちゃった』って言いながら、ひょっこり出てきてくれるって……思いたいのに……っ」

 

ノノミの声は、いつものおっとりした明るさを取り戻そうとして、途中で力なく消えた。握りしめられたマシンガンのグリップが、ぎり、と軋んだ悲鳴を上げる。

 

ユメ先輩は、何も言わなかった。ただ、一歩、また一歩と誰よりも先に立ち、血が滲むほどに拳を握りしめている。その背中からは、大切な後輩を傷つけられたことへの、静かだが凄まじいまでの圧力が放たれていた。

 

(……嫌な静けさ。そして、この匂い……)

 

クロコの鼻腔が、硝煙の奥に混ざる「生臭い匂い」を捉えた。

 

「……止まって。気配がある」

 

クロコの短い警告に、全員が即座に訓練された動きで近くの大型コンテナの影へ身を寄せる。呼吸すら殺した一団の耳に、前方から無遠慮で下卑た笑い声が届いた。

 

「おい、さっきのピンク髪の奴、見つけたか?」

 

「いや……まだだ。クソ、土壇場で煙幕を焚きやがって、完全に見失った」

 

遮蔽物の向こう側に現れたのは、重武装したヘルメット団の数人だった。彼らは忌々しそうに、床に残された真新しい弾痕を蹴りつけ、懐中電灯を振り回しながら周囲を索敵している。

 

セリカが反射的に奥歯を噛みしめた。トリガーにかかった指に、怒りの力がこもる。

 

「……ピンク髪って……」

 

「……ホシノ先輩。間違いない」

 

シロコが、確信を込めて、殺意を押し殺した声で囁く。

 

「チッ。あいつ一人のせいでよ、せっかく楽してこの島を丸ごと乗っ取れたってのに、予定が大幅に狂っちまったじゃねえか」

 

「笑えねえよ。仲間の半分以上が、たった一人にやられちまったんだぞ? 怪物かよ、あの小娘……。アビドスの連中は全員あんななのか?」

 

ノノミが、細く冷たい息を呑むのが分かった。

 

「……半分以上……? 独りで……たった独りで、戦っていたんですか、ホシノ先輩は……」

 

「だけどよ、あんな出血量だ。いくら怪物でも、そう遠くまでは行けねえだろ。床の血痕も、あそこの資材置き場の前で一旦途切れてやがる」

 

「ああ、どこかで動けなくなって震えてるはずだ。コンテナの裏か、狭い隙間か……。おい、見つけ出して、私たちを敵に回したことを骨の髄まで後悔させてやろうぜ。死なねえ程度に可愛がってやるからよ」

 

下劣な笑い声が、冷たいコンクリートの回廊に反響する。

 

その瞬間、クロコの胸の奥が、太陽の届かない氷点下の深海へと沈んでいった。

 

(……出血。動けない……?)

 

その一言が、鋭利な刃物のように脳裏に突き刺さる。

 

あのホシノ先輩が。いつも飄々として、どんな理不尽な弾丸も、どんな重圧も跳ね返していた、アビドスの絶対的な守護神が。私たちの知らない、暗く寒い場所で独り、熱を失いながら倒れている。

 

セリカが怒りと、そしてそれを上回るほどの深い恐怖を抑えきれない声で、震えながら囁いた。

 

「……ふざけないで。ホシノ先輩が、あんな……あんなゴミみたいな連中に、負けるなんて!!…それにあんな風に言われて……。私、許せない……絶対に!」

 

「……また、無理をしたんだと思う」

 

ユメ先輩が、ぽつりと、断腸の思いを吐き出した。

 

「きっと……先生がいないから。先生がいない不安を、私たちに見せないように。私たちが怖がって、この島を嫌いにならないように……自分一人で全部、悪いものを掃除して終わらせようとしたんだよ。……あの子は、そういう子だから」

 

誰も、否定できなかった。

 

ホシノはそういう人間だ。誰よりも傷つくことを恐れ、誰よりも寂しがり屋のくせに、仲間の前では絶対に「強い先輩」の仮面を脱ごうとしない。先生という支えを欠いた今、彼女はその仮面を自分の一部にするほど、強く固定してしまったのだ。

 

(また……一人で、全部背負った。私たちの知らないところで、また……)

 

クロコは静かに、深く呼吸を整える。

 

肺に満ちる空気さえ、刃物のように冷たく感じられた。胸の中には、荒れ狂う嵐のような怒りと、自分たちの無力さへの焦燥がある。

 

だが、今はそれを表に出している時間すらない。一分、一秒が、彼女の命を分かつ境界線なのだ。

 

「……探す。一秒でも早く」

 

クロコの短い、決意の言葉。

 

シロコが無言でうなずき、瞳に蒼い殺気を宿した。

 

「……見つける。そして、邪魔なものは全て排除する」

 

「当然でしょ! 勝手に一人で死にかけたりして……見つけたら、一晩中説教してやるんだから!」

 

セリカが涙を溜めた瞳で即座に返す。

 

「えへへ……。あとでみんなで、動けなくなるくらい、たっぷり甘やかしながら怒りましょうね」

 

ノノミの苦笑いに、誰も笑わなかった。その冗談が、今は切実な祈りでしかないことを、全員が痛いほど知っていたからだ。

 

ヘルメット団の足音が、曲がり角の向こうへと遠ざかっていく。

 

それは彼女たちに与えられた猶予ではない。

 

一刻一刻と、ホシノの命の灯火が削り取られていく、残酷な制限時間だった。

 

クロコは、ホシノが消えていった闇の先を、深淵を睨むような目で見つめる。

 

(待ってて、先輩。)

 

絶対に……一人にしない。

 

一人で戦わせない。

 

一人で血を流させない。

 

そのために、私たちはここにいる。

 

管理センターの壁の向こう側。

 

遠く響く潮騒の音が、まるで運命を刻む秒針のように、静かに、けれど残酷に響き続けていた。

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