アビドス対策委員会(IN梔子ユメ)、夏の大騒動!   作:気弱

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怒られる資格、笑い合える贅沢

次に目を覚ましたとき、視界を埋めたのは見慣れないほど真っ白な天井だった。

 

身体が軽すぎて、逆に現実感がわかない。指先を動かしてみる。重苦しい鉛のような感覚は消え去り、代わりに温かな血が指の先までしっかりと巡っているのが分かった。

 

「……あ」

 

掠れた声を出し、ようやく自分の存在を自覚する。喉の焼けるような痛みも、霧がかかっていたような思考の濁りも、今は驚くほどはっきりとしている。

 

完全回復——。

 

あのコンテナの影で、出血多量により命の灯火が消えかけていたのが嘘のように、細胞の一つ一つが瑞々しい活力を取り戻していた。

 

「私ってやっぱり丈夫だねぇ……。ゾンビか何かになっちゃったかな」

 

場を和ませるための、いつもの軽口。それを口にしながら、上体を起こしてベッドの縁に腰を下ろした。

 

だが、その瞬間、室内の温度が数度下がったかのような錯覚に陥った。医療室にいた全員の視線が、示し合わせたかのように一斉に逸れたのだ。

 

静かすぎる。

 

窓の外から聞こえる、一定のリズムを刻む波の音だけが、やけに大きく、そして拒絶するように冷たく響いていた。

 

「……あの? みんな、おはよー? 私、無事生還したんだけど……反応薄くない?」

 

誰も答えない。

 

セリカは腕をきつく組み、窓の外の水平線を睨みつけたまま動かない。クロコは壁にもたれ、自分の靴の先を一点に見つめている。シロコは天井を見上げたまま彫像のように固まり、その指先がわずかに震えているのが見えた。ノノミは私と目が合うと、無理に笑顔を作ろうとして、けれど結局それが悲しい歪みになってしまい、耐えきれずに俯いた。

 

「……まだ、怒ってる……?」

 

沈黙。

 

分かっている。この重苦しい沈黙は、怒号を浴びせられるよりもずっと怖く、ずっと身に染みるやつだ。

 

「……ホシノ先輩」

 

ようやく沈黙を破ったのは、セリカの低い、押し殺したような声だった。

 

「先生から、連絡ありました。……もうすぐ、ここに着くって」

 

心臓が、ひくりと跳ねた。

 

「あはは……そうなんだ。じゃあ、出迎えの準備しなきゃね」

 

「“何もなかった”って、またとぼけるつもりですか?」

 

「……」

 

私は精一杯の虚勢を張り、いつものように仮面のような笑顔を貼り付ける。

 

「まあ……ちょっと元気な敵がいただけだよ。ちょっと張り切りすぎて派手に転んじゃったけど、すぐ片付いたし。ほら、この通りピンピンしてるから——」

 

「嘘」

 

遮ったのは、クロコの短い一言だった。

 

「……ん。血、すごかった。ホシノ先輩の服、真っ赤で、もう使い物にならない。あんなの……“転んだ”なんて言わない」

 

シロコも淡々と、けれど鋭い事実をナイフのように突きつける。

 

「私……ホシノ先輩が倒れたとき、自分の心臓まで止まるかと思いました。先輩の体がどんどん冷たくなって、真っ白になっていくの、本当に怖かったんです……っ」

 

ノノミが、声を詰まらせながら肩を震わせる。

 

アヤネが、手元のタブレットをこれ以上ないほど静かに机に置き、眼鏡の奥にある厳しい、けれど潤んだ瞳を向けた。

 

「先生は、私たちを信頼しています。だからこそ……先輩が自分を隠すためについた嘘は、先生の心を一番深く傷つける刃になりますよ。それでも、とぼけますか?」

 

逃げ場は、もうどこにもなかった。

 

「……分かったよ」

 

私は深く、肺にある空気をすべて吐き出すように息をついた。

 

「正直に話すよ。……先生に、全部。どんなお説教も受ける覚悟で」

 

その瞬間——。

 

アヤネの通信端末が、短く無機質な電子音を鳴らした。画面を確認したアヤネの顔が、一瞬にして青ざめる。

 

「先生です。今、島のポートにヘリが到着しました。……こちらに向かっています」

 

医療室の空気が、一瞬で凍りついた。

 

それから数分後、静寂を切り裂くように重厚な扉が勢いよく開け放たれた。

 

「みんな、無事かっ——!」

 

駆け込んできた先生の声が、室内に入った瞬間に途切れた。

 

ベッドの上に座る、痛々しい包帯姿の私。そして、それを取り囲むようにして立ち尽くす、今にも泣き出しそうな面持ちの対策委員会の面々。

 

「……何があったの?」

 

その一言で、全てが見抜かれたことを悟った。

 

「……先生、あのね」

 

私が苦しい言い訳を口にするより先に、傍らにいたユメ先輩が凛とした足取りで一歩前に出た。

 

「ホシノちゃん、ひどい無茶をしました」

 

即答だった。庇うことも、濁すことも、誤魔化すこともない。それが今の私への、彼女なりの誠実な断罪だった。

 

「先生がいない間、自分が全部の代わりにならなきゃって思い込んで……私たちのことも頼らず、独りで全部背負おうとして、ボロボロになりました」

 

先生の視線が、ゆっくりと私に戻る。その瞳に宿る熱量に、私は思わず気圧された。

 

「……ホシノ」

 

「えーっと……あはは、先生、お疲れ様。ちょっとだけ、ちょっとだけ張り切りすぎたかなぁ……なんて、ね?」

 

「“ちょっと”?」

 

静かな声だった。けれど、そこには純粋な怒りよりも、深い悲しみと、押しつぶされそうなほどの重みが同居していた。

 

「事実を報告します」

 

アヤネが冷徹なまでに正確に追撃する。

 

「先輩は独断で敵中枢に突入。大規模な爆発に巻き込まれた上、鉄線による貫通傷を負いました。出血多量によりショック状態。私たちが発見したときは、すでに心停止寸前の、命の瀬戸際でした」

 

「……っ」

 

先生の顔から、みるみるうちに血気が引いていくのが分かった。

 

セリカが耐えきれず叫ぶ。

 

「無茶にも程があるわよ! 自分が倒れた後、残された私たちがどんな顔をしてこの海を見ればいいのか、少しでも考えたんですか!? 先輩がいなくなった砂浜で、私たちが笑えると本気で思ったの!?」

 

「……ごめん」

 

「“ごめん”で済むわけないでしょ! この、バカ先輩!!」

 

先生は、しばらくの間、天を仰ぐようにして何かを堪えていた。

 

そして、私の目をまっすぐに見つめて、一文字ずつ心に刻みつけるように言った。

 

「ホシノ。……君は、“自分がいなくなった後”の僕たちのことを、想像しなかったね」

 

胸の奥を、熱く焼けた楔で打たれたような衝撃が走る。

 

「君が倒れた瞬間、君が必死に守ろうとした“楽しい思い出”は、残されたみんなにとって、一生消えない“最悪の恐怖”と“呪い”に変わったんだよ。それは、君が命を懸けてまで作りたかった結末だったのかい?」

 

私は、何も言い返せなかった。視線を落とし、真っ白なシーツを指が白くなるまで握りしめる。

 

「……ごめん」

 

今度は、おじさんの仮面を完全に脱いで、ただの一人の生徒として謝った。

 

「私、みんなに……本当に、ひどい思いをさせた。ごめんなさい、先生。ごめん、みんな……」

 

その言葉が、凍りついていた空気をわずかに溶かした。

 

ノノミがそっと私の震える手に触れる。

 

「……生きててくれて、本当によかったです。本当に……」

 

クロコも小さく、けれど重みのある頷きを返した。

 

「……先輩がいない世界、私はもう、一秒も見たくない」

 

先生は深く、深く、肺の底から溜息を吐き出した。

 

「……説教の続きは、君の身体が完全に元に戻ってからだ。もっとたっぷり、それこそ一晩中、覚悟しておくように。いいね?」

 

「……それ、今すぐ怒られるより余計怖いやつじゃん」

 

私が肩をすくめて小さく笑うと、ようやく病室に小さな、けれど温かな笑いが戻った。

 

制圧任務は完了し、島は本来の穏やかな平穏を取り戻した。

 

数日後、私は医療室の椅子に座り、アヤネから完全回復の太鼓判を押されていた。

 

「……先生には、あれから全部白状した?」

 

セリカがまだ少し不機嫌そうに、けれど甲斐甲斐しくリンゴを剥きながら聞く。

 

「うん。隅から隅まで。一時間以上正座させられて、膝が笑っちゃったよ……」

 

「当然です。むしろ短いくらいですよ」

 

気まずい沈黙。けれど、その底にあるのは拒絶ではなく、確かな絆への安堵だった。

 

「……でもさ」

 

私は小さく笑って、みんなの顔を順番に見つめる。

 

「怒られたってことはさ。私、ちゃんと生きてここに戻ってこれたってことだよね。……ありがとね、みんな。連れ戻してくれて」

 

シロコが短く頷く。

 

「……ん。おかえり、ホシノ先輩」

 

クロコも続けた。

 

「次は、その背中を私に預けて。一人で背負うには、その盾はもう、重すぎるから」

 

「はいはい。もう一人で突っ込んだりしないよ。……約束するよ」

 

その夜。

 

灯りの落とされた宿舎で、私はふと目を覚ましてしまった。

 

窓を開ければ、夜の海が月明かりを反射して静かに光り、潮騒が心地よい子守唄のように響いている。

 

なぜ、こんな時間に起きてしまったのか。

 

それはきっと、あの戦場での死に際のような「静寂」と、今の満たされた「静寂」の違いを、肌で確かめたかったからだ。

 

数日前まで、あれほど硝煙と血の匂いに満ちていた場所が、今は嘘みたいに穏やかだ。

 

自分の手を見る。もう震えていない。

 

「私が傷つけばいい」……あの時、確かにそう思った。でも、今ならはっきり否定できる。守っているつもりで、私は彼女たちの「強さ」と、私を想う「心」を侮辱していたのだ。

 

「……怒られる資格が、まだ自分にあってよかったなぁ」

 

ふっと、自然な笑みが零れる。

 

先生の怒りも、セリカの涙も、アヤネの厳しさも。全てが、私が「独りではない」という何よりの証明だった。

 

「……次はさ、みんなで一緒に、特大の砂の城でも作ろうかな。おじさん、土木作業は得意だしね」

 

今度は、怖い夢も見なかった。

 

翌朝。宿舎の共有スペースに全員が集められた。

 

そこへ現れたのは、今回の任務の依頼主であり、島の管理責任者だった。

 

「皆さん、今回の件、本当に感謝しています。我々だけでは、この島も、人々の生活も守ることはできなかった」

 

老責任者は、深く、深く頭を下げた。

 

「いえいえ、これも仕事ですから。報酬分はきっちり働かないとね」

 

照れ隠しに私が言うと、男性はにこやかに、けれど真剣な面持ちで首を振った。

 

「ええ。ですが、“仕事”としては、もう十分すぎるほど働いてもらいました。そこで、我々から提案があります」

 

管理責任者は、はっきりと告げた。

 

「本日から滞在期間の終了まで、皆さんは完全に“非番”とします。警備任務は本日を以て終了。残りの期間は、島の客人として、最高のバカンスを過ごしてください。宿泊費、食費、アクティビティ、全て我々が負担します」

 

「えっ、いいんですか!?」セリカの目が、現金なほどに輝く。

 

「感謝の印です。どうか、この島を……今度こそ、本当の“楽しい思い出”として持ち帰ってください。それが我々の最大の願いです」

 

その言葉に、胸がきゅっと締め付けられた。

 

私が、歪んだ独りよがりなやり方で守ろうとしたもの。それが今、みんなと一緒に、正しい形でもたらされようとしている。

 

「……ね、みんな」

 

私は振り返り、最高に晴れやかな、そして少しだけ悪戯っぽい笑顔で言った。

 

「せっかくだしさ。今度は、ちゃんとみんなで、一緒に遊ぼっか!」

 

「当然です!! ホシノ先輩、逃げようなんて思わないでくださいね!」

 

「……ん。海、行く。シロコ、水着に着替える」

 

「ん!」

 

「私も新しいサンダル、卸しちゃいます~!」

 

みんなの声が重なり、宿舎に明るい活気が満ちていく。

 

独りで血を流すよりも、一緒に笑うほうが、ずっと難しくて、ずっと尊い。

 

窓の外には、キラキラと宝石のように輝く青い海が、どこまでも、どこまでも広がっていた。

 

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