・クリア後設定/ネタバレあり
・外伝小説の内容は含まれていません
・原作設定を踏まえた独自解釈・捏造表現あり
・シリアス寄り、心理描写重視
・明るくて楽しいおっさん像を求めている方はご注意ください
誹謗中傷・転載は禁止。転載はご遠慮ください
4
青く澄み渡る雲一つない朝の空。心地よい風が吹き抜けている。昨日決定した通りに仕事を行うため、シュヴァーンたちは少人数で、ザーフィアス城の騎士団詰所に向かうことになった。
シュヴァーンとジュディスは正門から、レイヴンとユーリは抜け道を使い、執務室へと向かう。
荘厳な城の正門では、職務に忠実な門番からジュディスのことを尋ねられた。騎士団隊長首席であるシュヴァーン・オルトレインの客人だと知り、一瞬だけ訝しそうな顔をしたのが見えたが、すぐに納得した様子で入城が許可された。
ギルド『凛々の明星』がシュヴァーンやエステリーゼ、フレンと友人関係であることは城の人間には有名な話だ。そして、露出の高いデザインの服を着た、青い髪の美麗なクリティア人となれば、かのギルドのメンバーであると皆が知っているのだ。
自分の執務室へと向かう廊下をジュディスと並んで歩きながら、シュヴァーンは昨日からのこの異常事態について考えていた。
(奇妙な話だ。自分のもう一つの姿が別の人間として存在しているなど。)
彼にとって『レイヴン』という存在は『仮面』だった。しかし、あの旅の中でそれもまた自分自身であったのだと受け入れたはずだ。
それが今は別人として行動している。困惑と共に、何故か苛立ちも感じて、眉がわずかに動く。
(他人から見た『レイヴン』はあんなにも軽薄に見えるのだな)
それが彼には何故か面白くない。そのように作った『仮面』なのに。胸の奥で小さな棘がひっかかるような不快感がある。
「おじさま。どうかしたのかしら?眉間に皺が寄っているわ」
ジュディスに話しかけられて、思考の海から戻ってくる。前を見据えたまま無表情に戻ったシュヴァーンは、突き刺さる視線を感じながら一言だけ答えた。
「何でもない」
(……今は余計なことを考えずに仕事をこなそう。俺には、それしかできないのだから)
*
執務室に入り、シュヴァーンは中を見渡したが、ユーリたちの姿はまだなかった。先に着いたのはシュヴァーンたちだったようだ。
広い室内へと入って直ぐの所に、革張りのソファセットが置かれている。中庭に面した大きな窓からは明るい光が差し込み、その手前に木製の立派な机が鎮座していた。
「ジュディスはソファにでも座っていてくれ」
シュヴァーンはそう言って、机の上にある複数の書類の山を確認してから椅子に座った。
(さて、始めるか)
コンコン
席に着いてペンを手に取った瞬間、扉を軽く叩く音が室内に響いた。
「入れ」
自分の隊の部下だろうと彼は思い、扉も見ずに入室を許可した。
「おはようございます!シュヴァーン隊長!」
しかし入って来たのは、帝国騎士団団長であるフレン・シーフォその人だった。
元気よく入室したフレンがその勢いのままに、笑顔で見事な敬礼をした。その行為に対して、彼は内心歯がゆく思ってしまう。
(自分などに対して、こんな態度を取っていることがもし知られたら、フレンへの格好の攻撃材料になってしまう)
初の平民出身の騎士団長を、認められない連中はまだまだいる。どんな些細なことでも責め立て、悪意を向けてくるのだ。
一先ず、フレンの前まで行ったシュヴァーンは腰を45度曲げて最敬礼を返した。
「おはようございます。団長閣下」
「頭を上げて下さい!」
慌てた様子のフレンが敬礼を止めたので、シュヴァーンも最敬礼を解いた。
その時、窓の方からユーリの声が聞こえた。
「待たせちまったか?」
シュヴァーンが後ろを振り向くと、ユーリとレイヴンが窓から飛び込んで来たところだった。レイヴンが頭の後ろで手を組んでへらへらしている。その前に立ったフレンが息を呑み、一瞬だけ肩を強張らせてから軽く首を振った。
「⋯いや、僕も今来たところだよ、ユーリ」
「そうか。エステルとリタに話は聞いているんだろ」
「聞いている。でも、実際に目にするとやっぱり驚くよ」
フレンがシュヴァーンの方に振り向いた。心配そうな顔で見つめられ、彼は思わず目を逸らす。
「シュヴァーン隊長、レイヴンさんも、大変なことになりましたね」
「いえ、閣下にご心配頂く程の事ではありません」
すると、フレンがカチャカチャと具足を鳴らしてシュヴァーンに近寄ってきた。
「フレンです。敬語も必要ありません。尊敬する貴方にそのようにされると、身の置き場がありません」
フレンのどこまでも真っ直ぐな視線が、シュヴァーンに注がれる。
(尊敬か……。俺はそんな立派な騎士ではないのに)
「おい、フレン。お前、自分の仕事もあるんだろ。もう戻れ。レイヴンはこっちだ」
ユーリの声が聞こえて、うつむきかけていたシュヴァーンがゆっくりと顔を上げる。すると、大きめの袋を持ったユーリと何やら文句を言っているレイヴンが、寝室へと入って行くところが見えた。
「フレン、心配なのは分かるけど、あまり騒がしいと、誰かが様子を見に来てしまうかも知れないわ。おじさまたちのことは秘密にするのでしょう?」
「……分かったよ、ジュディス。シュヴァーン隊長、また後ほど」
フレンはそう言い残して、名残惜しそうにしながらも退室して行った。
(さて、仕事を片付けるか……)
彼は気持ちを切り替え、改めて机に向かう。そうして、書類の山へと意識を集中させていくのだった。
*
二時間ほどが経って、机の上から書類の山がなくなった。何枚かの書類をまとめたシュヴァーンが、それを手に立ち上がる。
「あら、おじさま。もう終わったの?」
「これからフレンのところへ行く。団長と相談しなければ、決裁できないものがある」
「なら、ユーリたちを呼んでくるわね」
そう言ったジュディスが寝室のドアに近づきノックをすると、ユーリとレイヴンが出て来た。
そのレイヴンの姿を見て、シュヴァーンが一瞬だけ目を瞬かせた。レイヴンが騎士の隊服と鎧兜を身に付けていたのだ。
鼓動しないはずの冷たい心臓が、どくりと波打った気がした。言葉にならない感情が喉をひりつかせる。しかし、すぐに何事もなかったかのように、無表情へと戻る。
(……見習い騎士の隊服か。あの頃より多少老けてはいるが、昔の自分を見ているようだ)
「お似合いよ、おじさま」
「ジュディスちゃんがほめてくれるなら、おっさんどんな格好でもするわよ!」
直後、レイヴンが甲冑をカシャンと鳴らしながら後方宙返りを決め、ドヤ顔で親指を立てた。
「こんなこともあるかと思って準備しておいたの。兜のバイザーを下ろせば、誰だか分からなくなるわ」
「さすがジュディスちゃん!これなら城内を歩いても気付かれないっしょ」
「おい、レイヴン。調子に乗ってると転んだりして兜が脱げるぞ」
三人の楽しげな会話がどこか遠くに感じる。しかし、それに自ら歩み寄る気力が湧かない。何故なのか、自分でもよく分からなかった。
窓から柔らかい光が差し込んで、室内を明るく照らしている。それなのに、一人だけ暗闇の中に取り残されているかのような、心許ない気持ちを感じたまま、彼はただ呆然と立ち尽くした。
*
ふと我に返ると、レイヴンが今日のこの時間のフレンは外で団員たちの訓練を指導している、ということを皆に伝えていたところだった。
「騎士団長が直接稽古つけてんのか?」
そのユーリの問いに対して、シュヴァーンは簡潔に答えた。
「……月に一回だけだ」
それにレイヴンが補足を入れてきた。
「ほら、若い騎士たちや平民出身の騎士たちは、フレンちゃんに憧れているのも多いっしょ。訓練の後は団員たちの士気が上がるから、今ではすっかり恒例行事になってるわけ」
「へえ、俺がいたころはなかったな」
「アレクセイの大将はそういう人じゃなかったからね。フレンちゃんらしくていいじゃない」
前騎士団長『アレクセイ・ディノイア』について、シュヴァーンは静かに思いを巡らせる。
自身を『英雄』にし、隊長首席に任命した男。そして道具として扱っていた男。彼にとって、今はいないその人に対する感情は複雑で、言葉にするのは難しい。なのに、レイヴンがあまりにも軽くその名を口にしたことで、苦々しい気持ちになる。
「……レイヴン、その口を閉じろ。声でバレたらどうする」
シュヴァーンが自身で思った以上に、低く冷たい声が静かに響いて、彼はわずかに動揺した。その場に冷たい空気が流れたが、それをレイヴンが一瞬で壊した。
「えぇ―、しゃべっちゃダメなの?それなら、これでどうよ!」
そう言うと、へらへらしながら甲冑をガシャガシャ鳴らして動き始めた。見ると、腕を振り回したり、ガニ股で室内を歩いたりしている。最後にシュヴァーンの方をビシッと指差してきた。
(……何だ、これは)
「……おっさん。何してんだ」
ユーリの呆れたようなツッコミに、レイヴンは人差し指を唇に当て、シーッという仕草をしてウインクまでしている。
「うざっ」
「ちょっ、冷たくない?しゃべれないならジェスチャー、って思ったのに」
「じゃあ、さっきのはどういう意味だったんだ?」
ユーリがニヤニヤ笑っているのが見えた。
(青年……。面白がっていないか?)
さらにレイヴンまでもがニヤニヤしながら答えた。
「シュヴァーンのむっつりスケベ」
(!?)
すると、堪えきれなかったのか、ユーリが腹を抱えて笑い出した。珍しくジュディスまで口を押さえて噴き出している。その様子を見て、彼は思わず真剣に反論した。
「世の女性はすべからく尊ぶべきだ」
一拍置いて、再び爆発的な笑い声が辺りに響いた。
「ははは、そりゃそうなるわな。元はレイヴンと同一人物なんだからよ」
「やーね、おっさんはオープンよ!いつでもウェルカム!」
そう言ってレイヴンは大きく腕を広げて、ジュディスに抱きつこうとしたが、ヒラリとかわされていた。
(納得いかない……。が、こうして皆が笑っているのを見るのは悪くないな)
彼はこの場の和やかな空気に触れて、先程の迷子のような感覚が、いつの間にか薄れているのを感じていた。
「あー、笑った、笑った。……よし!そろそろフレンの所へ行こうぜ」
「そうね。だいぶ時間を使ってしまったわ。……まだ訓練場にいるといいのだけれど」
ユーリとジュディスに促され、訓練場に向かうことにする。レイヴンも兜のバイザーを降ろして、準備完了したようだ。
シュヴァーンを先頭に、全員で執務室から廊下へと出た。
*
石造りの冷たくて暗い廊下を歩いて行く。すると曲がり角の向こうから、「シュヴァーンが……」、「団長は……」という声が響いてきた。
シュヴァーンは静かに立ち止まる。彼にとって、自分が何かを言われるのはどうでもいいが、フレンの話となると別だ。
後ろに付いてきていた三人を手で制して、その場に留まらせる。その意図を察してくれたようで、物音を立てずに止まってくれた。
「何でシュヴァーンなんかがいまだに隊長首席なんだよ。ありえねぇ!」
「どうせ、『英雄』扱いのお陰だろ」
「大罪人アレクセイの懐刀だったくせに。どんな命令でも聞くって話だったぜ」
「しかも、最後は裏切ってるしな」
「結局、卑しい下民さ!」
(貴族出身の騎士たちだな。声と気配からして四人か。これなら、何か起きても制圧できるだろう)
「……おい。言わせといていいのか?」
密やかな声でユーリが尋ねてきた。
「……本当のことだからな」
シュヴァーンは呟くように答える。それに対して、ユーリが何か言おうとしたのか、息を吸う音がしたが続きはなかった。
「下民と言えば、団長のフレンもだ!」
「我々貴族が賜るべき高貴な役職を……下民ごときが!」
「卑しい者同士つるんで仲良しこよしってか?」
「どうせ、アレクセイにしたようにフレンへも尻尾振って取り入ったんだろ。まったく、プライドの欠片もない」
侮辱がフレンにも及ぶと、彼の中の緊張感が一気に高まる。
(これ以上、言わせてはならない)
シュヴァーンは愚か者たちを止めるために動こうとした。だが、それは奴らを糾弾する声で中断される。
「我らがシュヴァーン隊長を侮辱するとは!!」
思わず耳を塞ぎたくなる程の怒号が、辺り一面に響いた。
「な、なんだお前ら!」
「シュヴァーン隊の奴らか!」
「貴様らが、隊長の何を知っているというのだ!!」
「愚か、なのであ〜る!」
「その通りなのだ!」
(ルブランにアデコール、ボッコス!?気配の数からして合わせて十人くらいか!?)
部下たちの登場に、シュヴァーンは改めて現場に行こうとするが、後ろから羽交い締めにされてしまう。
「……離せ」
「落ち着けって。今、『シュヴァーン隊長』が出て行ったら余計揉めるだろ?」
耳元で声がした。シュヴァーンを抑えているのは、ユーリのようだ。
(くっ……、確かに……)
「ふんっ!あんな何を考えてるか分からない鉄面皮野郎のことなんか、知ってるわけないだろ!」
「そうだ!『英雄』などと言われているが、どうせアレクセイに媚びを売った結果だろ!」
再びの罵倒に、ルブランが叫ぶような大声を出した。
「何を勘違いしている!我々が尊敬しているのは『英雄』という名の偶像ではない!あの方ご自身だ!!」
続けて他の隊員も口々に話し出した。
「いつだって、我々シュヴァーン隊の能力や性格を把握して、適材適所な任務に当たらせて下さるんだ!全員だぞ!」
「お忙しい時間をぬって、一人ひとり稽古をつけて下さっている!俺なんて技まで教えて頂いた!」
「俺は配属された初日に、名前を呼んで激励して頂いた!」
「任務には厳しいが、成功した時には必ずほめてくださるんだ!」
「身分だの肩書などはどうでもいい!!」
(あいつら、何でここまで……)
部下たちの心の叫びのような言葉に、彼の理解は追いついていなかった。
「……へぇ。あいつらよく分かってんじゃねぇか」
「……青年?」
「愛されてんな、シュヴァーン」
(俺が……愛されてる?そんなバカな……)
いつの間にか握りしめていた拳から力が抜ける。背中にユーリの温かさを感じた。彼はまるで夢の中にいるような気がしていたが、その温もりがこれは現実だと伝えている。
「貴様ら下民が俺たちにたてつくなど!」
「思い知らせてやる!」
シャリン、と剣を抜く音が聞こえて来た。
(まずい!!)
シュヴァーンは一瞬でユーリの手を振りほどき、部下たちに斬りかかろうとしていた貴族騎士たちの前に、立ちはだかった。
「剣を納めろ。騎士団員同士の私闘は、重大な規律違反だ」
瞬間、言葉にならない威圧感が広がり、その場の空気が凍りつく。
突然の乱入者に、後ずさった貴族騎士たちは相手がシュヴァーンだと気づいたのか、顔を青ざめさせてぶるぶると震え出した。
「……貴様らが何を思おうと自由だが、意見があるなら本人に言え。それができないなら、表に出すな」
腰の剣に手を当てたまま、無表情に淡々と告げるシュヴァーンに恐れを抱いたのか、貴族騎士たちはよろめきながら我先にと逃げ出していった。
「シュヴァーン隊長に敬礼!」
後ろから、甲冑の音がガシャンと一斉に鳴った。
シュヴァーンが振り向くと、見知った隊員たちが微動だにせず見事な敬礼をしていた。
(……俺にはもったいない部下たちだな)
彼は、こちらを見つめる複数の眼差しに、尊敬とそれ以外の温かい何かを感じる。まるで、冷たい心臓が熱を帯びて、冷えた身体に温もりを送っているような不思議な感覚がしていた。
「!?……シュヴァーン隊長?」
敬礼したままの部下たちが急にざわめきだした。ひそひそと話している者たちまでいる。
「今、隊長…笑ったよな?」
「多分……」
「そうか?俺には分からなかったぞ」
「初めて見た……」
シュヴァーンは、敬礼が崩れ始めたのを見て、改めて号令を出すことにした。
「総員、気を付け!」
「「「はっ!」」」
空気が引き締まったのを確認して、命令を出す。
「総員、即刻任務に戻れ」
「「「了解しました!」」」
きびきびと任務に戻って行く部下たちの後ろ姿を見送りながら、シュヴァーンは一つ息をはいた。
(これで、この場は収まったな)
「すげえもん見たな」
「ステキな方たちね」
いつの間にかユーリたちが側まで来ていた。
「ああ、俺にはもったいない奴らだ」
「……こんなバカの部下にしておくなんてかわいそうにね〜」
「そうだな」
レイヴンがふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。バイザーで表情は分からない。腕を頭の後ろで組むいつもの仕草だったが、足で床を軽く叩いていた。
彼はそれが少し気になったが、先ほどまで感じていた温かさの余韻に気を取られ、頭の片隅に追いやってしまった。
*
既に日が昇り切り、訓練が終わる時間が過ぎていた。フレンはもう騎士団長の執務室へ戻っている頃だろう。シュヴァーンたちは目立たぬように、かつ迷いなく執務室へと向かった。
ようやく、扉の前に着いてから一度止まり皆に話しかけた。
「この書類の内容は、騎士団の機密事項にあたる。皆はここで待っていてくれ」
そう言うと、シュヴァーンは扉を軽く叩き、返事を待ってから一人で入室した。
「失礼致します」
部屋の中ほどまで進み、立ち止まる。そこで、身体に染み付いた型通りの敬礼を行う。
豪華な調度品が飾られた執務室の中で、一際輝く金の髪が揺れて青い瞳が嬉しそうにこちらを見た。
「団長閣下に確認して頂きたい書類があり、持参致しました」
「楽にして下さい、シュヴァーン隊長」
フレンからの声がけに腕を下ろす。シュヴァーンが持っていた書類を、フレンの副官のソディアが受け取ろうと近づいて来た。相変わらず嫌なものを見るような厳しい表情だ。
(まあ、ソディアにとって『レイヴン』でもある俺は、理解不能な生き物だろうしな)
彼は顔には出さず、心の中で苦笑いしながら書類を渡そうとした。すると、フレンがそれを止めた。
「ソディア、僕が直接受け取る。ありがとう。下がっていいよ」
笑顔のフレンの言葉に、一瞬だけこちらを睨んだソディアは、「かしこまりました」と言って退室して行った。
パタンとドアが閉まり、部屋には二人だけの穏やかな静けさが広がっていた。
先に沈黙を破ったのはフレンだった。
「彼女が申し訳ありません」
「いえ、問題ありません。閣下を守ろうとしての行動でしょうから」
「ありがとうございます。ソファへお座り下さい。僕がそちらに参ります」
フレンが着席するのを待って、シュヴァーンもソファに座った。
「早速ですが、こちらをご覧下さい」
そう言って、持ってきた数枚の書類を渡しながら説明を始めた。
「これは……」「この配置ですが……」と書類を覗きながらやり取りを進め、必要なことを決めていく。新しく書類を作成し、最後にサインをもらった。
(これで今日の書類仕事は終わりだな)
シュヴァーンが書類をまとめながら午後の仕事はどうするかと考えていると、フレンがどこか申し訳なさそうに話しかけてきた。
「……すみません。お休みしていただくはずだったのに、結局働かせてしまって……」
「閣下のせいではありません。こちらの都合です。元に戻るのに必要なことのようですので」
すると、フレンが一度目を伏せてから再び目を開け、決意を帯びた真剣な眼差しを向けてきた。いつもだったら目を逸らしてしまいそうな、真っ直ぐな視線だった。
だが、彼はそうしたくなかった。何故かは分からないが、受け止めなければならないと思ったのだ。
「シュヴァーン隊長」
「はい」
「貴方は働き過ぎです。ご自分では気付いていらっしゃらないようですが、尋常ではない仕事量です。できてしまうからやっているだけだと貴方はおっしゃいますが、僕や周囲の人間からすると、いつ倒れてもおかしくない」
フレンはそう言うと、苦しげな表情で続けた。
「そんなに僕たちは頼りになりませんか?」
(違う!!そんなことはない!!)
彼は今にも叫び出しそうな衝撃を受けた。だが上手く言葉が出てこない。仕事をしない表情筋は、荒ぶる内面とは違って、かすかに眉をひそめただけだった。
(まさか、そんなふうに思わせていたなんて……)
沈黙を続けるシュヴァーンに何を感じたのか、フレンは穏やかな声で話しかけてきた。
「みんな、貴方を大切に思っています。守りたいんです」
その時、彼の中に先ほどの隊員たちの声が響く。自分を悪意から守ろうと立ち向かう言葉たち。それはあの温かい余韻をよみがえらせた。
(……そうか。俺も守られていたんだな)
守ろうとばかり思っていた。それが騎士の本分だと。だが、一方的なそれは傲慢だった。そうして、自分が守りたいと思う者たちを傷つけてしまっていたのだ。
「……フレン。すまなかった」
シュヴァーンは頭を下げた。数拍の後に頭を上げると、フレンが驚愕の表情で口をパクパクさせていた。何やら「呼び捨て……」「敬語が……」と聞こえるがよく分からない。頬も少し赤くなっている。
彼が不思議に思って目を合わせると今度は、ぱあっと音が鳴りそうなほどの笑顔になった。
「どうかしたか?」
「シュヴァーン隊長……。いえ!何でもありません!……そうだ!」
フレンが手を一つ打ち鳴らして言った。
「シュヴァーン隊長、昼食はまだですか?よければご一緒しませんか?」
「そうだな……。部屋の外でユーリたちが待っている。レイヴンもいるからフレンの部屋で食べれないか?」
「はい!ここに持ってきてもらいましょう!」
(何故か、フレンの背後に花が飛んでいるのが見えそうだ)
とても嬉しそうなフレンを見て、シュヴァーンは少しばかり失礼なことを考えてしまった。
*
その後のフレンの部屋での食事会は、とても穏やかだった。『シュヴァーン』にとっては大勢での食事は久しぶりで、彼はとても楽しい時を過ごした。
ただ一つ、レイヴンの食があまり進んでいなかったのが気になる。それを皆から指摘されて、いつものように道化て誤魔化していた。
楽しい時が進むのは早い。皆が食べ終わり、片付けが始まっていた。すると、隅の方で、背中をこちらに向けて佇むレイヴンの姿がシュヴァーンの目に入った。
(いつものサボりか……)
話しかけようかと思った瞬間、レイヴンが呟く声が聞こえてきた。
「……俺様、要らないんじゃない?」
消え入りそうなその声に、シュヴァーンは結局話しかけることができなかった。