セルがデリザスタの部下として許可されてからしばらくが経った。
部下と言っても魔法局に属するわけではなく、デリザスタ個人に雇われるという形になった。そのためつきっきりというわけではなく必要な時に手伝うという形で落ち着いた。
それでは生活できないだろう。どうしようかとデリザスタが考えている間にセルは自力で仕事を見つけてきた。
「牛乳の配達員?」
「勤務時間もある程度調整できるそうです。差し障りがあるなら断りますが」
きっかけは町で絡まれていた男性を助けたことだった。突き飛ばされて足を痛めた彼を家まで送ると酪農家の息子で、配達員募集中の張り紙がしてあったのだという。
まずは様子見ということで朝の短時間勤務にするということで話がまとまった。
決まった時間での出退勤、休日もあって給与も出る。イノセント・ゼロの元にいた時と比べて自分の時間や休息を取れる暮らしができている。
トラブルなど起こればその限りではないが、徹夜することもなくなり目の下にあったクマもすっかりと消えた。鏡を見れば、どこか不健康そうに青白かった顔にも血色が戻っている。イラつくことも減り、精神的にも随分と安定していた。
そして本日、セルはデリザスタからの調査依頼の結果を報告するために魔法局を訪れていた。
「デリザスタ様、先日の調査内容です」
「ん、サンキュー」
デリザスタは差し出された書類を笑顔で受け取り内容にざっと目を通した。
特に問題はなかったようで次の指示が出されたのでセルは了承した。
「あの、デリザスタ様。何か他にご用事はありませんか?」
セルがデリザスタの元へ来ると選択してからまだ1度も私的な頼み事をされていない。
信用されていない、というわけではないはずだ。むしろ以前より優しくされている。
しかし、その優しさの中に何とも言えない違和感のようなものをセルは感じていた。
「今のところはねぇかなぁ。休日にやることがないんなら新しい趣味でも開拓するってのはどーよ?」
それがいいと乗り気な様子でデリザスタが言う。
「それがご命令なら従います」
「命令じゃなくて提案な。気が向きゃやってみればいいし、向かないならしなくていい」
そう言って苦笑いするデリザスタはどこか少し悲しそうだった。
期待された反応とは違う反応をしてしまったらしい。
「せっかくのご提案ですから今度の休日に考えてみます」
「無理せずのんびりな」
次は期待に添えたのかデリザスタは微笑みセルの頭を撫でた。
「では、失礼します」
そうして執務室からセルは退出した。
魔法局の出口へ向かいながら趣味について考える。デリザスタは酒が好きだからバーテンダーの真似事なんか良いかもしれない。
せっかくならデリザスタの好きなカクテルでも聞いておこうとセルはデリザスタのいる執務室へと引き返した。
「……依存先のすげ替えっていうんですかね。俺がやったのは洗脳だったんじゃないかって不安なんです」
執務室をノックしようとした時に聞こえてきたのは、普段の明るく軽い調子からは想像もできないような丁寧な口調だがどこか暗いデリザスタの声だった。
思わずノックしようとした手を止めてセルは聞き入った。
「洗脳ではないでしょう。あなたがしたことは提案で、選んだのはセルさんです」
デリザスタに答えたのはデリザスタと共に書類仕事を行っていたソフィナだった。
「依存対象ではあるかもしれませんが、言い換えれば心のよりどころになっているということ。ある程度は必要なことです」
それも過ぎれば毒となるが、そこまでの依存でもないようにソフィナは感じた。
「俺はお父様を裏切りました。それについては全くもって後悔していません。でも、セルくんには恨まれていると思っていたし、一発くらいなら攻撃されても許容しようと考えていたくらいです」
あぁ、とセルが以前感じた疑問が氷解する。
デリザスタは恨まれていると思っていたから伝言ウサギをセルが捨てたと考えたのだ。それでも優しいからセルが困るだろうと手切れ金を用意した。
確かにデリザスタがお父様を裏切っていたことについて思うことがないわけではない。
なぜ、どうしてと疑問はあったが、半分はそうなるかもしれないと心のどこかで思っていたかもしれない。
セルひとり捨て置けないデリザスタがお父様の計画に賛同できるはずなどなかったのだから。
「でも、そうはなりませんでした。俺がそこで終わりにしようとした時、セルくんは絶望したような顔をしていました」
そんな顔を見て放っておくことができなかったというデリザスタにセルもあの時のことを思い浮かべる。
デリザスタの言う通り、セルはあの時絶望した。
お父様を失い、居場所をなくし、デリザスタからも捨てられる。
自分にはもう何もないのだと思った。
だからこそ、差し伸べられた手にすがりつきたくなった。
デリザスタの言葉は確かに甘かった。
「そこにつけ込む形になったんじゃないかって」
そんなつもりはなかったが、結果としてセルを絶望の淵へと追いやり精神を不安定にさせた上で優しく接して自分しかいないのだと思うように仕向ける。
そう語るデリザスタはどこまでも悪いように考えているようだった。
「さっき『何か他にご用事はありませんか?』ってセルくんから聞かれたじゃないですか。ただ俺に気に入られようとしているのか、捨てられる不安を抱えているのかわかりません。どちらにせよ、そんなことを聞くセルくんが痛々しく見えてしまったんです」
セルが息を飲む。
ただデリザスタの役に立ちたかった。
でも本当に?
その自問を否定することができない。
セルですら自覚していなかった感情をデリザスタに見抜かれていた。
「今は依存かもしれませんが、その関係をゆっくりにでも変えて行けばいいのではないでしょうか。依存ではなく心の安全基地になれるように」
「安全基地?」
いまいち言葉の意味を理解しかねたようで不思議そうにデリザスタが聞き返す。
「子どもは信頼する大人から見守られているから冒険できるようになります。いざという時の逃げ場所、安心できる場所のことです」
衣食住足りて礼節を知るという言葉があるように、基盤が整うことで精神的なゆとりが生まれる。心だってそうなのだとソフィナは言った。
デリザスタは自分の中に落とし込むようにソフィナの言葉を繰り返す。
「……ソフィナさんは凄いですね。おかげで方向性が見えてきました。また何かあったら相談しても良いですか?」
そう言うデリザスタの言葉はどこか吹っ切れたようで明るくなっていた。
「えぇ、もちろんです」
それに応じるソフィナの声も軽かった。
「ひとまず、セルくんが新しい趣味見つけてくれたら今はそれで十分。俺っちもなんか新しいことでも始めてみっかな。酒以外で!」
ソフィナが小さく笑う声が聞こえた。
「それなら、私がおすすめの本を貸しますよ」
「マジ? ソフィナちゃんセレクションとかすげー気になる!」
「業務終了後を楽しみにしてください」
「よーし! 残りの業務も俺っち頑張るぜー!」
すでにデリザスタは普段の調子に戻っていた。
セルはそっと扉から離れた。
もう聞く必要はなかった。
デリザスタは、自分を大切に思ってくれている。頭を悩ませてくれている。
罪悪感を抱かせているのは申し訳ないが、それすらも嬉しい。
もっとデリザスタへ尽くしたい。
その感情が依存心からだったとしても関係ない。
そう思うほどにセルは幸せだった。
帰路への足取りは先ほどよりもずっと軽かった。
近いうちに幼少期のデリザスタとファーミンについての番外編を投稿予定です