赤い空
ヒスイに再び異変が生じたのは、ウォロがヒスイに戻ってしばらくたった頃だった。
「ウォロさん! 起きてますか!?」
宿舎の戸を叩く音とともに焦りの混ざったショウの声が聞こえる。このような深夜にどうしたことだろうか。非常識だ、と言いかけてウォロは思い留まる。今夜ショウは野外調査に出向いているのではなかったか。
人前に出られる服装であることを確認し、戸を開ける。
「何があったのですか?」
ショウが今ここにいるということは、何か問題があったということだ。深夜にこうして呼び出す以上、ウォロが関わることだと考えるのが妥当だろう。
「間に合った……! 説明するより見てもらった方が早いです。外に……出れそうですね、来てください!」
そう言ってウォロに背を向けると、ショウは笛を取り出す。
――天界の笛。ショウがアルセウスに選ばれたという証だ。再会して以来、ウォロの前では頑なに使おうとしなかったものが目の前にある。それだけではない。慣れていない住人を怖がらせるから、とコトブキムラの中ではポケモンを呼び出さないようにしていたはずだ。その配慮を放棄するほどとは、事態は相当悪いのではないか。
笛の音に呼応してウォーグルが舞い降りる。
「ウォーグル、申し訳ないんだけどウォロさんも一緒に乗せてくれる? 少しだけでいいから。……呼び出しを受ける前にあれを見せないと」
是、とショウの願いに応えるようにウォーグルが鳴く。了承を得られたらしい。
ウォーグルが運んできた乗り物に乗るよう促される。ショウは背中に乗ることにしたようだ。小柄なショウが背に乗った方がウォーグルは飛びやすいだろう。
「よろしくお願いします」
ウォーグルに声をかけて乗り込む。ショウはそれを確認すると飛び立つよう指示を出した。
体にかかる重力が増し、視界が上昇する。開けた視界で空を眺め――ショウが見せようとしたものを理解した。
「空が赤い。……赤気ですか」
山との境界付近の北の空が赤く染まっている。ヒスイの住人にとってその空は、時空の裂け目によって生じた――かつてウォロが引き起こした異変を彷彿とさせるものだった。ショウは調査中にこの光を見つけ、ウォロが疑われることを危惧してムラに引き返したのだろう。
「ワタクシにこの状況を把握させておきたかったことは理解しました! ですが、なぜワタクシを疑わないのですか? アナタは可能性があるということを十分に考慮する人だと思っておりましたが!」
ウォーグルの背に乗っているショウにも聞こえるように声を張り上げる。
「可能性がないことを知っているからですよ! あれが何なのか知っているだけです! でも……あなたを疑わないのにはそれで十分だ!」
明快な理由だ。だが、そのように言いきれる者は多くあるまい。知っているだけで十分だったとしても、多くの人間はその十分さを備えてはいない。曖昧な理由によって他者を排除しようとする者は後を絶たない。ショウとて、そのようにして排除された者の一人だった。
それなのにショウは、何事もなかったかのように日常に戻っていった。コトブキムラからの追放が解かれた後も、それまでと変わらないように見えた。一体何が、そのような振る舞いを可能とするのか――。
ウォーグルに何かを指示するショウの声が聞こえ、思考が呼び戻される。ウォーグルはぐるりと旋回し徐々に高度を落としていった。
ムラに降り立つとすぐにテルが駆け寄ってきた。
「ショウ! ウォーグルで直接ムラに降りてくるってことは、あの空を見て急いで戻って――ウォロさんも一緒にいたのか」
ウォロを認めたテルは表情を硬くする。ウォロへの警戒心を隠そうともしない。ヒスイに戻ってきてからというもの、もの言いたげな視線を度々感じてはいたが、ここまであからさまではなかった。ショウの予想通り、ウォロは疑われているのだろう。
「何を考えているのか知りませんけど、ショウを巻き込まないでもらえますか! あなたがいなくなってからショウがどれだけ悩んでいたか――」
「テル先輩! ウォロさんを連れ出したのはあたしですから! 状況を知らせておきたかったんです」
ウォロへの疑いもあるが、それ以上にテルはショウを心配しているようだった。ショウとテルは調査隊の同僚で年も近い。互いにとって特に親しいと言える間柄だ。それを思えば無理もないことだろう。
「それと、今回の異変にウォロさんは関係ありません。誰のせいでもないんですよ、あれは自然現象ですから」
「そうなのか? ……いずれにせよ、ウォロさんを連れてこいって指示がボスから出てるんだ。あの光が何なのか知っているならおまえも来た方がいいよな。ウォロさんもいいですよね?」
問いの形を取ってはいるが、調査隊で世話になっている以上、拒否権はないに等しいのだろう。
「もちろんですよ」
笑顔を作り応じると、ショウに顔を向ける。
「さあショウさん、参りましょう! 今度はアナタが、ジブンを助けてくれるのでしょう?」
嫌疑
「失礼しますね」
ウォロが団長室に入ると中にいる者たちの視線が集まった。部屋にはデンボクの他にシマボシとラベン、姿こそないがムベもいるかもしれない。要するに皆、ウォロがギラティナと共謀して裂け目を開けたということを知る者たちだ。現段階では内々に聴取を行う、ということだろう。疑わしいというだけでショウがコトブキムラから追い出された過去を考えれば、随分と反省したものだ。
ウォロに続いてショウが入室する。扉を閉めたことを確認すると、デンボクは厳しい表情で切り出した。
「ウォロ殿、このような夜更けにご足労いただいた用件は既にお察しでしょう。単刀直入に申し上げる! 此度の空の異変、前科のあるあなたを疑わざるをえません」
「そうでしょうね。ですが、そのように言われて容疑を認める者などおりませんよ」
表面上はにこやかに返答する。これは牽制か、あるいは立場の表明に過ぎないのだろう。皆の手前、確たる証拠がない状況での処罰はできないし、ウォロの知識を必要として呼び戻した以上、秘密裏に排除しては意味がない。現状デンボクはウォロに対して手を出しようがなかった。
このように無意味な会話は早々に終わらせるべきだ。幸いこの場にはウォロの潔白を示してくれそうな人物がいるのだ。
「空の光については、ショウさんが何かご存じのようですよ」
話の続きをショウに放り投げる。ウォロが自分で弁護するよりも任せた方が効果的だろう。
ショウはウォロの隣に進み出る。デンボクと対峙すると口を開いた。
「現在北の空に発生している赤い光はオーロラと思われます。一般的なオーロラについてはラベン博士ならご存じですよね」
「北国の空に出現するカーテン状の光ですね。寒い場所で見られる現象ですから、氷タイプの技名の由来になっているのです」
「はい、普通オーロラが出るのはヒスイよりも更に北の地域ですね。ですが、ヒスイでも数十年に一度見えることがあるそうです。そして、一部しか見えないから赤い光になる、と聞いたことがあります。わたしも実物を見たのは初めてですが……」
ショウの説明を受けてデンボクは唸り声を上げた。
「……数十年に一度ならば我々が知らぬのも無理はない。おまえが噓をつくとは思わぬが――」
扉をたたく音が響く。
「誰だ!」
デンボクの誰何に「コンゴウ団のセキだ」との返答がある。空の様子を見て駆けつけたのだろう。随分と都合のよい時分にやって来たものだ。
入室を促されたセキが姿を現す。
「おっと、調査隊の面々にウォロまで集まってたのか。……この様子だと赤い光のことを話していたんだろ?」
「セキさん、いいタイミングで……! 丁度あの光はオーロラじゃないかって話していたところだったんですけど……やっぱりコンゴウ団には記録がありますよね!」
渡りに船とばかりにショウは声と表情に喜色を滲ませた。
「ああ、あるぜ! オレも見たのは初めてだけどな。滅多に起きねえからギンガ団は知らねえんじゃないかと思って知らせに来たってわけよ」
セキは頷きつつ応じる。
「ショウがいた世界ではオーロラって呼んでたのか? ヒスイでは赤気という。不幸の前触れ……なんて迷信もあるけどな、ああいうのは後からのこじつけだ」
「なるほど……。では恐れる必要はないという旨、ムラの住民たちにも伝えねばな。セキよ、知らせに来てくれたこと感謝する!」
今度こそデンボクは納得したらしい。ヒスイで長く暮らしているコンゴウ団からの情報ならば確実性が高いとでも判断したのだろう。事情を知らないセキがいるためウォロへの容疑については話せないが、疑惑は晴れたと見てよさそうだった。ならば、これ以上ここに留まる理由はない。
「話は終わったようですのでジブンはこれで――」
「ウォロさん、ちょっと待ってください! 団長、オーロラ――赤気を見たいので屋上をお借りしていいですか?」
屋上の使用許可を得ると、ショウはウォロへと振り返る。
「話したいことがあるので一緒に来てください。屋上からなら赤気がよく見えると思います。これを逃したら数十年後かもしれませんよ!」
そう言ったショウは真剣な表情で、それでいてどこか楽しげな様子だった。
天の裂け目
空が赤く染まっている。
時空の裂け目に生じた異変を彷彿とさせる赤い光。しかし、目前に広がるそれは、空全体を赤く染め上げるのではなく、天と地の境界を照らしている。禍々しく光るのではなく、炎のように輝いている。
「……ヒスイで見えるオーロラは赤いから赤気なんですね」
欄干に手を掛け、空を眺めながらショウは呟きを落とす。
「ええ、これだけの変事ですから過去の記録が残っていますよ。発生する原因は不明ですが……ショウさんは何かご存知なのですか?」
ウォロは露台の端に歩を進め、ショウの隣に並んだ。ここからだと空がよく見える。
「何となくなら……。でも、言ったところで意味はありませんよ。説明だけしたところで、それを裏付ける証拠はこの時代にはまだないでしょうから。宙に浮いた知識だけがあったところで理解したことにはなりません。神秘に神秘を重ねるだけで、科学たりえない。……だからあたしはポケモンを調査するんです。あたしにとっては知っていることを再確認するだけの場合もありますけど、ヒスイにはそれが必要ですから」
ポケモンについて人間がより多くを知ることが自分の夢だとショウは言っていた。そのためには神秘を剥がし、人間が理解できるものにする必要があるのだろう。
「だから話そうとしていたのは赤気の原因ではなくてですね……もっと北の方では多色でカーテン状のオーロラが見えるんです。その様子は──天が裂けたようだ、と」
「それはそれは、時空の裂け目のようですね。……と言わせたいのでしょう? 裂け目を開けたワタクシにそのように言うとは」
「裂け目を開けたウォロさんだから言ってるんですよ。あたしは時空の裂け目から落ちてきました。裂け目がなければヒスイには来なかった。それはつまり、事の発端は時空の裂け目とそれを開けたウォロさんだということです」
暗くて表情こそ見えないが、内容に比してショウの声は晴れ晴れとした調子だった。
「何が言いたいのですか? その様子ですと、恨み言を聞かせるためにワタクシを連れて来たわけではないようですが」
「まだ前置きなので……もう少し聞いていてください。『オーロラ』というのは暁の女神の名前です。暁、つまり『夜明け』がヒスイに訪れた直接の要因は、きっとあたしなのでしょうけど、あたしがこの世界に呼ばれる原因になった時空の裂け目もまた、ヒスイにとっての『夜明け』です。ウォロさんがヒスイに『夜明け』を連れてきたんです」
それは、世界を創造しなおすことはできずとも、世界を変えることはできたということだ。
「ヒスイの人たちは裂け目を凶兆だったと思っています。確かに変化の予兆ではあったのでしょうけど、それは必ずしも悪いものではないはずです。……人はそれをよいものにできると、あたしは信じています」
「信じている、か。再会したときもそのように言っていましたね。……正直に言ってワタクシには理解できません。コトブキムラのために働いてきたアナタを、人々は一度見捨てたのですよ? それなのになぜ信じようとするのですか?」
「それでも、あの時も理不尽だと怒ってくれる人はいましたよ。どんな理由であれ、助けの手を差し伸べてくれる人も」
「ウォロさんのことですよ」とショウは微笑む。
「本当に感謝してるんです。あの状況であたしに手を貸すなんて、簡単にできることではありません。ウォロさんが助けてくれなければ、最悪野垂れ死んでもおかしくありませんでした。……あなたは自分自身の考えに基づいて意思決定ができる人です。それは善いことも悪いことも引き起こすのでしょうけど、間違いなく優れてはいる。人間がそのように在れるという可能性には希望があります。人はよりよく生きられると、世界は捨てたものではないと信じられる」
「……ワタクシを信じる、と言ったのはそういうことですか」
ウォロはつぶやきを落とす。思っていたよりも高く評価されていたようだ。
「ですが、ワタクシは世界の再創造を諦めてはいませんよ。そうである以上、やはりアナタの夢はワタクシとは相容れない」
「そう、それですよ! ウォロさんは相容れないと言いますけど、あたしにはそれが疑わしい。よりよい世界を望むという点で、あたしたちは同じものを見ているはずです。──あなたは何が目的なんですか?」
「アルセウスを従え、よりよい世界を創造することですよ。ショウさんもご存じでしょう?」
かつてシンオウ神殿で語った通りだ。今もその目的は変わらない。そう簡単に変わるものではなかった。
「そうですね。たしかにそう聞きました。……『アルセウスを従える』というのは神秘を剥がし、自分の力にするということでしょう? つまり『知る』という行為。それは理解できます。でも『よりよい世界をつくる』ことと『世界を再創造する』ことは同じではありませんよね? ウォロさんの目的が世界の再創造なら確かにあたしたちは相容れませんけど、よりよい世界なら相容れます。むしろ見ているものは同じです」
「ワタクシの目的は……よりよい世界だ。世界の不条理は取り払われるべきです。ですが……」
そう言ったきりウォロは沈黙を落とした。
創造しなおす必要などないというのか? 本当に? この世界は不条理に満ちているというのに?
「いつでも構いませんから、結論が出たら話してくれますか? ……ウォロさんは楽観的だと言うかもしれませんけど、この世界は過酷で不条理で、それでもなお美しいと、あたしは信じているんです」
遠く山際を染める赤い光を、ショウは見つめていた。
本作の執筆中に実際に見えたらしいです。