信頼
「ウォロさん、今から時間はありますか? ポケモン勝負をしましょう!」
勝負を申し入れたのは確認したいことがあったからだ。
「三対三のシングルバトル――場に出せるポケモンは一匹ずつで、入れ替えあり、回復薬等の道具使用は禁止。審判はノボリさんに頼もうと思います。問題ありませんか?」
訓練場への道すがら、ショウはルールを設定していく。
「問題はありませんが……なぜ急に勝負を? いつでも機会はあったと思いますが。それに、ショウさんが人に勝負を持ち掛けるとは珍しいですね!」
確かに、ヒスイに来てからのショウは勝負を挑まれることはあっても挑むことは殆どなかった。ごく少数の人物を除いて、全力を出せる相手がいなかったのだ。ウォロがヒスイに帰還した以上、この理由は既に崩れているのだが、今まで勝負を持ち掛けられずにいた。
最後の勝負が後を引いていたのだろうな、と苦笑を漏らす。
「理由は勝負の後に説明します」
ショウは訓練場の入り口をくぐると、奥の建物の側にいるノボリに駆け寄った。事情とルールを伝え、審判の承諾を得る。
ショウとウォロがコートに入ったことを確認すると、ノボリは声を張り上げた。
「お二人とも、準備はよろしいですね。――では、出発進行!」
開始の合図とともにショウはジュナイパー、ウォロはルカリオを繰り出した。
「ジュナイパー、3本の矢!」
「ルカリオ、バレットパンチ!」
バトルコートに技を指示する声が響いた。
「ロトム、戦闘不能!」
二匹目のロトムが倒れ、ショウの手持ちはあと一匹。ウォロはルカリオ・トゲキッスが倒れ、残すは三匹目のガブリアスのみだ。しかし、タイプ相性が不利なロトムを相手にトゲキッスが奮戦し、ガブリアスはほぼ無傷で立っていた。
――楽しい。
ヒスイに来てからこの方、ショウが本気を出して戦える相手はほとんどいなかったのだ。シンオウ神殿でウォロと戦ったときは賭けられているものが大きすぎて、純粋に楽しむなど到底できるものではなかった。だから、こうして勝負できることがたまらなく嬉しい。
それゆえに今からしようとすることがひどくもったいなく思われる。
最初からショウの三番目のポケモンは決まっている。これは一種の賭けだった。緊張が高まりボールを握り込む。一瞬の躊躇の後、ショウは三匹目を繰り出した。
「アルセウス……! いや、これは……本物ではないのか!?」
コートを挟んでいても、ウォロの驚愕がはっきりと見て取れる。
「驚いてる場合じゃないですよ! ――アルセウス、裁きのつぶて!」
アルセウスの色が水色――氷タイプに変化する。
「ガブリアス! ストーンエッジで迎え撃て!」
ウォロは裁きのつぶてを撃ち落とすように指示する。氷タイプの技を受けてしまってはガブリアスは耐えきれない。しかし、命中率が低いストーンエッジでは裁きのつぶてを撃ち落としきれず、ガブリアスは被弾した。
「ガブリアス、戦闘不能!」
勝敗は決した。
ウォロはガブリアスをボールに戻すと、アルセウスに近づく。
「……やはり、本物のアルセウスではありませんね」
「分身ですよ。アルセウスに託されました。やっぱり分かりますよね」
「ええ、強大な力を持つポケモンではあるのでしょうが、創造神と呼ぶには卑小な存在だ。……よくもワタクシの前でアルセウスを出したものだ、と文句の一つでも言ってやろうかと思いましたが……気が削がれました。このようなものを手に入れたところで意味はない。……アルセウスから託されたというのは腹立たしくはありますが」
腹立たしいと言う割には憎しみのこもらない言葉を投げると、ウォロはコートから離れる。ショウは後を追い、訓練場の端でポケモンを出した。傷の手当やコンディションの確認をしなければならない。
ポケモンたちの傷を確認しつつ、口を開く。
「さっきの勝負ですが……すみません、ずるい手を使いました」
「アルセウスのことですか? 取り決めに反たわけでもないのですから、ずるいということはないでしょう」
「ルール反しないなら何をしてもいいってものじゃないんですよ。これは世界の存亡を賭けた戦いなんかじゃなくて、交流のため、あるいは勝負のための勝負なんですから」
技を撃つたびにタイプが変わるなど、公式戦なら確実に規制が入る。それに個人的な場であっても、あるいは個人的な場であるからこそ、互いにとって有意義な勝負とするために手段を選ぶ必要はあるのだ。
「……とにかく、あたしは自分がずるいと思うようなことをしたわけです。この点について、あたしには非があります。……あるということにしておいてください」
それで、と言葉を接ぐ。
「これで
反応を窺うために振り返ると、ウォロもまたショウの方に向き直っていた。信じられないと言わんばかりに驚きを浮かべている。シント遺跡でも同じ表情を見たな、とショウは笑みを零した。
「何を笑っているのですか……いえ、謝罪を受け入れてくださるのはありがたいと思いますが、全く釣り合わないでしょう」
ウォロは訝しげな顔をする。
「いいんですよ。きっかけが欲しかっただけですから」
それと、アルセウスを見たウォロの反応が知りたかった。ウォロが何を求めているのかを知りたかった。
「勝負を挑んだ目的はこのためですか?」
「半分はそうですね。もう半分は……あたしがこの世界からいなくなったら、この子たちをウォロさんに託したいんです」
自分のポケモンたちに目を向ける。
「以前、元の世界にポケモンたちを置いてきてしまった、という話をしましたよね」
「覚えていますか?」との問いにウォロは首肯する。
「あたしは自分の意思とは無関係に、この世界に連れてこられました。すべてのポケモンとであった今も帰れないでいます。でも、意思とは無関係に来たということは、意思とは無関係に帰らされる可能性を否定できないということです。トレーナーには自分のポケモンに対する責任があります。可能性が想定できるのに、同じことを繰り返すわけにはいきません。……ですから、そうなったときこの子たちをお願いしたいんです」
「……ワタクシはポケモン使いだと言ったはずです。ポケモンと共に戦うアナタとは違います。他に託す相手はいるでしょう? それに、ショウさんを傷つけたワタクシを、アナタのポケモンが認めるとは思えません」
「他にはいませんよ。あたしのポケモンはヒスイでは強すぎるんです。相応の実力がない人には従ってくれません。実力だけならノボリさんに頼んでもいいですけど……ほぼ同じ時代から来た人なので条件はあたしと大して変わりませんから」
ショウのいた時代で、ノボリは凄腕のポケモントレーナーとして知られていた。失踪したという話を耳にしたことはなかったが、同一人物と考えるのが妥当だろう。この世界で最初に会ったときは目を疑ったものだ。
「ウォロさんのことも認めてくれます。……この子たちはずっとあたしと一緒にいて、ずっとあたしを見てきたんです。あなたが助けてくれたときも、裏切りに苦しんでいたときも、赦すと決めたときも。……それに、ウォロさんが自分のポケモンを大事にしてることも知ってます」
「……大事になどワタクシは」
「していますよ」
否定しようとするウォロを遮るように言葉を重ねる。
「ポケモンたちが良好なコンディションを保てるように世話をして、最大限の力を発揮できるように気に掛けて、それは大事にしているということです。ウォロさん自身がどう思ってるかは知りませんけど、客観的な事実としてはそうです」
「その程度、当然のことでしょう」
「当然ですけど! その当然を怠る人なんていくらでもいるんですよ。ヒスイの人たちにとってはポケモンはまだ恐ろしい存在ですからそういう例は見ませんが、あたしの世界にはいたんです。……だから、あなたは自分の行動の価値を正しく理解していない。恐らくこの時代に理解できる人はほとんどいない。でも、あたしにとっては信頼に値すると判断するに十分な理由です。それに……ポケモンたちにはもう承諾してもらいましたし」
「そうだよね?」とポケモンたちに問うと肯定が返ってくる。皆、積極的には頷きかねる、という態度ではあるが。
「渋々ではありませんか……」
「全く認めていないなら、頷いてくれすらしませんよ。……そもそもこれは保険です。すぐでもなければ確実でもない話なんですから、今はあたしがそう言っていたと覚えていてくれれば十分です。……あとはあたしたちの今後の関係性次第ですかね」
ショウは不敵な笑みを浮かべる。要するにこれは、ウォロとの関係性を再構築する意思があるということの表明なのだ。ヒスイの英雄とその敵対者ではなく、異なる時空からの迷い人と古代シンオウ人の末裔ではなく、ショウとウォロという個人としての関係性を。
ウォロは大きくため息を吐いた。
「……アナタの望みは把握しました。ワタクシを評価していることも」
そう言うと、気を取り直したように視線を上げ、ショウに対峙する。
「――ワタクシの目的について、結論をお話しします」
きっと、ウォロは覚悟を決めたのだろう。
神殺し
「場所を移動しましょうか」とショウに提案する。訓練場のような事情を知らない者の多い場所では、ウォロの目的について話すには障りがあるだろう。ポケモンたちをボールに戻し、ムラの南門を出てはじまりの浜へと向かう。船の往来がない日であれば、あの場所は人気が少なかった。
「ここなら大丈夫そうですね」
周囲に人の目がないことを確認し、浜辺に腰を下ろす。立ち話で済むような内容でもない。ショウが隣に座るとすぐにウォロは口を開いた。
「結論から言いますと、ワタクシの目的はよりよい世界をつくることで、世界を創造しなおすことはその手段です。……ワタクシはまだ、世界を創造しなおすのを諦めたわけではありません。ですが、今すぐというつもりもありません。知りたいことがありますので」
「知りたいこと、ですか?」
「ええ……ショウさん、ワタクシはアナタに興味があります。ワタクシと似た条件を備えているように見えるアナタが、ワタクシとは異なる道を選ぶ理由を知りたい!」
そう言って、隣に座るショウを見据える。
「ヒスイの社会において、ワタクシたちは共に異質な存在です。ワタクシはアナタに自分と似たものを見ていました。社会の主流とは異なる共同体にルーツを持ち、共に好奇心を重んじ、プレートを手に入れ――アナタだけが次々と新たなプレートを集めていった。だから余計に妬ましかったものです。まあ、これはもう終わった話ですね。……アナタは理不尽な目に遭ってもなお、他者と共に生きることを諦めない。人を信じることをやめようとしない。アナタが人を信じなければならない理由、信じるに値すると考える理由はお聞きしました。ですが、それ以上にアナタは人を信じていたいように見えます。なぜ、アナタはそのように在れるのだ? ワタクシとは何が違うのか? ワタクシはそれが知りたいのです!」
高揚で思わず口角が吊り上がる。ウォロは好奇心に浮かされていた。いつもそうだ。心を焦がすかのようなこの熱こそが、ウォロをここまで連れてきたのだ。
「……それは、あたし自身に興味があるというより、あたしが持っている要素に興味があるということですよね」
その通りだろう。己はどこから来てどこに行くのか。異なる場所に行きつく可能性があったのだとしたら、それはどこだったのか。ショウについて知りたいと思うのは、最終的にはウォロ自身のことを知るためだった。
「アナタにこだわる必要はないのでしょう。確かにアナタは珍しい人ですが、同じような条件を持った人が全くいないとは思いません。世界を再創造する力があれば、同じ条件の人間を造ることすら可能でしょう。……ですが、今ワタクシと話をしているのはアナタです。いくら条件を揃えても、経験の順番を変えられない以上は完全に同じものにはなりませんし、創造者と被創造者では決して同じ地平には立ちえません。……ワタクシの物語を終わらせたのはショウさんなのですから、アナタについて知ろうとするのは妥当な判断でしょう? 何かご不満でも?」
「不満は特には……」
ショウは何やら思案している様子だった。
「あたしが人を信じ続けようとするわけを理解できたら……きっと、世界を創造しなおそうとする気はなくなりますよ。これは世界や人間に対する基礎的な信頼感の問題ですから。……創造しなおされては困る立場のあたしが心配するのも変な話ですけど」
「それならそれで構いませんよ。新たな知識を得て判断が変わることなどいくらでもあります。……それに、アルセウスを従え世界を創造しなおすことだけが、よりよい世界をつくる手段ではないと分かりましたので」
だから何の問題もないのだ。
「ワタクシは古代シンオウ人の末裔として、生まれ育ちという運命の中で――アルセウスへの信仰の中で生きてきました。だからこそ、アルセウスは好奇心の対象のみならず心酔する対象にもなりえた。ですが、それももう終わりです」
ウォロはもう、運命の外に出なければならない。いつまでも留まり続けたところで楽であるという以上の意味はなかった。夢を持つことで苦しむというならば、それは受けるに値する苦しみだ。
「明らかなことに対して人は『信じる』とは言いません。神秘という名の未知こそが、神を神たらしめる」
その在りようを理解された「神」は理解された通りの存在でしかない。そうなってはもはや神と呼ぶに値しない。
「そうである以上、未知を既知へと変えようとする好奇心の行きつく先に神は存在しえません。――ワタクシはアルセウスを殺します。その神秘を暴き、神の座から引き摺り下ろしてみせる!」
「ワタクシとアナタがしてきたことの間に、本質的な違いはありませんよ。ただ、手段が違ったのです。ワタクシは……アナタのようには人を信じられません」
信じられるのなら、そもそも今のような状況になってはいないのだから。
「人は愚かですよ。アナタのいた世界がこの時代とは大きく異なるのだとしても、人の本質までもが変わるとは思えません。……それでも、人が過ちを正せることも、知識さえあれば正しい判断ができるはずの場面があることも、ワタクシは知っています。ですから――」
続く言葉はきっと、この先の人生に少なくない影響を与えることになるのだろう。
「アナタの夢は、ワタクシと相容れないものではないのでしょうね」