庇護と自由
「ショウよ、近頃よくウォロ殿と行動を共にしているようだな」
ショウが団長室に入ると、開口一番デンボクはそう言った。
「……? はい、先日和解しましたので。……そういう話ではありませんよね。心配されずとも、今のウォロさんに以前のような異変を起こす気はないと思いますが……」
デンボクは交友関係について問うためだけに部下を呼び出すような人物ではないだろう。だからこそ発言の意図が読めなかった。
「その点については心配しておらぬ。何かあったとしても、おまえが阻止するであろうしな」
ウォロへの信用の無さが窺える。少なくとも現状では仕方のないことだ。だが、デンボクの意図はこの件にはないらしい。
「それでしたらなぜウォロさんのことを?」
「おまえに縁談が来ておってな。しかし、当人の意向を確認せずに話を進めるべきではなかろう。おまえはウォロ殿と仲がよいようであるから、恋仲なのではないかと尋ねるつもりだったのだが……その様子では違うようだな」
「違います」
ショウはきっぱりと否定したものの、驚きと戸惑いを隠せなかった。縁談も寝耳に水ではあったが、ウォロと恋仲ではないかと思われていたとは。完全に予想の範囲外だった。
ウォロはどう見ても色恋に労力を割くタイプではないだろうに……と自分を幾ばくか棚に上げつつ考え――ふと気づいた。この時代においては、男女が一緒にいるだけで恋仲と見なされがちなのではないか? 元の世界にも、減りつつあったとはいえ、そのように解釈する人間はいたのだ。古い時代ならば尚更だろう。
「……この世界の人から見て勘違いされる可能性があることを否定はしません」
ショウはそう付け加えた。非常に面倒なことではあるが。
その言葉を聞き、デンボクは頷いた。
「ふむ……違うのならば問題なかろう。どうだ、場を設けるゆえ一度顔を合わせてみぬか? 先方のことは見知っているが、身元が確かで人柄も申し分ない若者だ」
一般的に見て悪い話ではないのだろう。昔は上司が結婚の世話をすることがあったと元の世界で耳にしたこともある。ショウには降って湧いたような話だったものの、ヒスイの社会においてはさほど唐突なことでもないのだろう。それでも、ショウに縁談を受ける意思はなかった。
「ありがたいお話とは思いますが……すみません、やっぱり取り繕うのはやめます。伝わらなかったら困りますので」
結婚して一人前、という旧時代の価値観がヒスイでは現役なのだ。外交用の言葉を用いては認識に齟齬が生じる恐れがあった。
「いくら条件のいい縁談を持ってこられても、わたしには受ける気がありません。そもそも結婚したいとも思っていません」
少なくとも今は、ではあるが。未来においてどのように考えるかは分からない。可能性などいくらでも考えうる。しかし今、ショウが縁談を受けない理由は明確に存在している。
「わたしはおそらく、家庭を顧みない類の人間です。他に優先したいことはいくらでもありますし、実利的な条件だけで選んだ相手に実利以上の関心は持てないでしょう。それでは誰にとってもいい結果にはなりません」
「……だが、結婚の後に時間をかけて信頼関係を築く者たちはいくらでもいる。初めから無理と決めてかかることはないであろう」
「その可能性を否定しているわけではありません。ですが、それは可能性の域を出ないことです」
被害を受けるのが自分だけならばともかく、他者を巻き込むことが確定しているような件で分の悪い賭けをする気はなかった。
「……そもそも、結婚するかしないかは自分で決めます。するにしても相手は自分で決めます。誰かに相談することはあるかもしれませんが、最終的に決めるのはわたし自身であるべきです。家庭のように個人的なことまで、この時代の価値観に従うことはできません。……ですから、世話を焼ずれとも結構です」
デンボクの振る舞いは庇護者としてのそれだ。それが悪いとは思わない。流れに身を任せて生きる者にとっては理想的な振る舞いなのだろう。だが、自由を望む者にとっては干渉が過ぎる。早い話が余計なお世話だった。
知を継ぐ者たち
「団長は目に見える形でキミに詫びを入れたいのだろう」
デンボクの意図についてシマボシは推測を語った。縁談を持ち掛けられた後、ショウは直属の上司であるシマボシに相談していた。
「あたしにはもう責めるつもりはないのに、ですか?」
コトブキムラからの追放処分は間違いだったとの謝罪は既に受けていた。反省も見られる以上、今更蒸し返す気はショウにはなかった。
「多くの人には、落ち度のないキミを団長が追放したという事実だけが見えている。それ以上のことは知る由もない」
シマボシは説く。
「賞罰は正しく与えられねばならない。それを怠ることは人を軽んじるということだ。皆に示しがつかない。……とはいえ、キミにその事情に付き合う義務はない。再度縁談を持ち掛けられるようであれば言いたまえ」
助け舟を出すつもりでいるのだろう。ショウ一人では対処しきれない事態になったとしても、シマボシが味方になってくれるのならば心強かった。
「ありがとうございます。……目に見える形で詫びるというのは要するに、分かりやすい利益を与えるということですよね?」
一般的に、よい縁談は利益として捉えられるのだろう。
「そうだ。だからそれが縁談である必要はない。一般に利益とみなされるのは財産、あるいは地位や名誉――つまりは出世だ。キミには実績もある。不相応だと言う者はいないだろう」
「それは……新規プロジェクトの責任者とかでもいいってことですよね」
少し前からショウはラベンと共にある計画を練っていた。それを知っていたから、シマボシは出世に言及したのだろう。事実、シマボシの言葉がなければその可能性に思い至らなかった。
「隊長、ありがとうございます! ラベン博士に相談してきます!」
逸る気持ちでシマボシに辞去を述べると、ショウは隣の研究室の扉を開けた。
「博士! 例の計画、実現できるかもしれません!」
研究室には、ラベンだけでなくウォロも訪れていた。伝説のポケモンについて話していたようで、こたつと絨毯の上に資料が散らばっている。
「なんと! ショウくん、何があったのですか!?」
ラベンの驚きを浮かべている。
「一言では説明しづらいんですけど……あ、ウォロさんもちょうどいいので同席してもらえます?」
立ち去ろうとしていたウォロを呼び止める。
「おや、ジブンにも関係あることなのですか? 同席するのは構いませんが、何の話ですか?」
「簡単に言うと、ヒスイに調査隊とは別の研究機関をつくりたい、という話です」
ショウは絨毯に腰を下ろしつつ答える。
「詳しい話は……先にしておいた方がよさそうですね。ラベン博士、すみませんが少し待ってもらえますか?」
「もちろんですよ」と快く応じたラベンに礼を述べる。
こたつを挟んで反対側に座るウォロと目を合わせた。
「経緯と目的を一通り説明しますね。多少長くなるかもしれませんけど、こういうことは共有しておかないと後で痛い目に遭ったりするので……。事の発端は、団長からギンガ団が役目を終えたら解散するつもりだと聞いたことです」
ウォロが姿を消し、ポケモン図鑑がひとまずの完成を見てからしばらくした頃、ショウはギンガ団の名の由来とともにそのことを聞かされた。
「それ自体はいいんです。役目を終えたのにずるずると残り続けるのは問題がありますから。でも、ギンガ団の組織の中には残すべき機能もあります。……図鑑は完成しましたけど、ポケモンの調査研究はまだ始まったばかりです。これから先、ポケモンと共存して暮らしていくのなら、人はポケモンのことをもっと知る必要があります。ポケモンと比べて、人間は弱い生き物です。非力なうえに技だって使えません。だからこそ、人間には知識が必要です。――知識という力が」
これこそがポケモン図鑑完成後もショウが調査を続けてきた理由だった。ショウはポケモントレーナーだ。ポケモンが好きで、ポケモンとともに生きたかったから、その道を歩んできた。それはヒスイに来てからも変わらない。
「脅威に対処するにせよ、信頼関係を築くにせよ、相手のことを知っているのと知らないのとでは見えるものが全く違ってきます。……今までのヒスイの人たちは、長い時間をかけて――それこそ幼い頃から一緒に育つように――ポケモンと関わることで、信頼を築いてきたと聞きました。でも、モンスターボールやポケモン図鑑が世に出たことでポケモンとの距離が急速に縮まり始めた今、近いうちに従来の方法では間に合わなくなります」
ショウが元いた世界において、ポケモンは人々のすぐそばにいた。それが当たり前であるかのように生きてきた。しかしそうではないのだと、時間をかけて積み重ねられてきた研究の成果がその暮らしの基盤を成していたのだと、ヒスイに来て理解した。
「ですから、ギンガ団解散後にも継続して研究できる環境をつくっておきたいんです。あたしの夢の実現のためにも」
「……なるほど。ジブンがヒスイに連れ戻された理由とも通じるわけですね」
「実は迎えに行った時点で、巻き込めないかなとうっすら考えてまして……目論見通りになりそうです」
ショウは口元をほころばせ「巻き込まれてくれるでしょう?」とウォロに問う。
「ええ、知識を増やしたいということでしたら拒否する理由はありませんから」
「そうですよね。それでこの研究機関ですが、研究分野に関連する専門教育も一緒に行えないか、とラベン博士と話していたんです」
「研究と教育となると……大学でしたか? カントー地方に最近できたという噂を、遺跡調査で立ち寄った際に耳にしましたね」
「話が早くて助かります」
ウォロに頷きを返す。教育制度が整った地域では、研究を志す者にとって大学に進むのが一般的なルートだ。ショウがいた世界でもそうだった。
「全てを知るには人の一生は短いです。何百年、何千年とあったところで、きっと足りはしない。でも、あたしたちは独りではありません。知は受け継ぐことができます。あたしたちはそういう歴史の流れの中にいて、それを続ける必要があるんです。……大学をつくりたいのはそのためです」
これは諦念であり、希望でもあった。生涯を懸けても望む場所には辿り着けないという諦念と、いずれ誰かが辿り着くだろうという希望。
自分が辿り着けないのでは意味がない、とウォロは思うのだろうか? それとも、世界がよりよくなるならば自分の手によらずとも構わないのか? もっとも、どちらかである必要はないのだが。
「――そういうわけで!」
意図的に声のテンションを上げ、話題を切り替える。
「ラベン博士、お待たせしました。大学設立の見込みがあるのではないか、という話ですね」
デンボクに縁談を持ち掛けられたこと、詫びを示したいのではないかとのシマボシの見解について説明する。
「ですので、ヒスイのために必要だということを示せれば、前向きな返事が引き出せるのではないかと」
「なるほど、それなら早速計画を練らないといけませんね! 参考になりそうな資料が向こうにあったはずですが……」
ラベンはそう言って壁際に散らばる本の山を漁り始める。その足取りは心なしか普段より軽いように見えた。
きっと、これから忙しくなるのだろう。そう思うショウの口元には自然と笑みが浮かんだ。