アイドルが群雄割拠する世界にTS転生したので闇堕ちした天才アイドルみたいなムーブする   作:音塚雪見

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志波紗耶香は憧憬を抱く

 志波紗耶香は今日も気だるげに息を吐く。

 まるで世界に絶望しているように。

 まるで病魔に冒される身体を労わるように。

 

 

 いずれにせよ、彼女の様子を纏めると実に面倒くさそうであった。

 

 

「紗耶香」

「はい」

「ちゃんと勉強してくださいね」

「はい」

 

 

 物憂げに頬杖なんてついちゃったりして、アンニュイに窓の外なんて眺めちゃったりして、問題集の空白は一つも埋まっていない。

 

 

 荒岡花音は笑顔の起源が威嚇であるということを思い出させるような表情で、紗耶香の首根っこを掴んだ。

 

 

 まあ上記の説明は科学的根拠に欠けるようだが、とにかく恐ろしい表情なことには変わりない。

 

 

 紗耶香はしくしくと涙を流しながらペンを走らせる。

 インクが涙に滲み、ふやけた紙に穴があいた。

 

 

 そんな様子を眺めていた稲庭斎はため息をつく。

 

 

「……静謐な生徒会室が、ギャグ空間になってしまった」

 

 

 彼女らが勉強しているのは教室や自習室ではない。真面目に業務へ取り組む生徒らが集まるべき部屋、つまり生徒会室であった。

 

 

 どうして紗耶香が生徒会室で勉強に励んでいるのか。

 語るとかなり長くなる。

 斎に勉強を教えてもらうためだ。

 一行で説明し終わってしまった。

 

 

「ふぇぇぇぇぇぇ」

「幼女みたいな声で鳴かないでください」

「虐待だよぅ……虐待だよぅ……」

「これは教育です」

「花音が昭和の時代に取り残されてるよぅ……」

 

 

 自分の興味のあることならいくらでもできるが、興味のないことには途端にやる気をなくす典型的な不良児、志波紗耶香は、次の定期テストでよい成績を取るため生徒会室に缶詰めにされていた。

 

 

「……読書に集中できない」

「生徒会長はいつもどおりにしてて構いませんよ?」

「……同じ空間におもしろ幼女とお清楚獄卒を置いて、落ち着いて読書できる人間は存在しない」

 

 

 斎は膝の上に文庫本を置いていたが、文字を追う目が紙の上を滑る滑る。

 鼓膜を叩く「ふぇぇぇぇ」だの「しゃきとしなさい」だのコントじみたやり取りは、彼女から没入感を致命的なまでに奪い去っていた。

 

 

 結局ため息をつきながら本を閉じ、高級感あふれる革張りの椅子から立ち上がった斎は、頬を雫で濡らす紗耶香に近づく。

 

 

「ふぇふぇふぇふぇふぇ……生徒会長?」

「……うるさい」

 

 

 斎が手に持っていた物はなんだろうか。

 一部始終を目撃していた花音は後にこう語る。

 

 

『はい……そうですね。それは……表現するのが難しい代物でした。それは、本と言うには、あまりにも、大きすぎました。大きく、分厚く、重く、そして大雑把すぎました。それはまさに、鈍器でした』

 

 

 ごすん。

 厚さ二十センチを超える本の角が。

 紗耶香の脳天を直撃した。

 

 

「ぴぎゃああああああああ!?」

「……悪、ここに潰えたり」

「ちょっと生徒会長。これ以上紗耶香が馬鹿になったらどうするんですか」

「……壊れたテレビはこれで直る」

「私を心配してくれる人は居ないのかなぁ!?」

 

 

 床をのたうち回っていた紗耶香が叫ぶ。

 おもちゃを強請る子供のような格好だが、彼女を襲う激痛というか天罰というかが幼児退行させていたのかもしれない。

 細い目を今だけはまん丸く見開き、零れそうなほどの涙を湛えた。

 

 

 しばらく地面に落ちた蝉じみた動きでジタバタしていた紗耶香は、数分ばかり経過すると動かなくなった。

 すわ死んだか。

 二人がいまさらながら危機感を抱く。

 

 

「せいとかいちょー」

「……ほっ。生きてた」

「十字架を背負わなくてよかったですね」

 

 

 胸を撫でおろす斎。

 そんな彼女の肩に手を置く花音。

 紗耶香の声はまるっきり無視されているようだ。

 

 

「この本なぁに?」

「……引き出しに仕舞ってあったから、ちょうどいい鈍器だと思って引っ張り出してきた」

「ほへー」

 

 

 呑気にぺらぺら紙を捲る紗耶香の頭には、先程の殺人未遂はまったく記録されていないようだった。お気楽と言えばいいのか馬鹿だと言えばいいのか。おそらく後者なのだろうが本人の名誉のために断言は避けておこう。馬鹿である。

 

 

 ぺら、ぺら、ぺら。

 ぺらりぺらりぺらり。

 かさ、かさっ……。

 

 

 あるページで彼女の手が止まった。

 普段は本を読めない紗耶香が。

 この時ばかりは、全脳細胞をフル回転させて字面を読み込んでいた。

 

 

「会長」

「……ん」

「この人のこと知ってる?」

 

 

 ばね仕掛けの人形みたいに跳ね起きて、紗耶香は本に載っている写真を指差す。

 

 

「……これは、去年卒業した先輩。私の二個上で、貴女たちの三個上のアイドル。絶対的な才能を見せて、突然居なくなった伝説のアイドル。鮮烈に記憶の中に生き続けるアイドル」

 

 

 斎は滔々と話し出した。

 何度も口にしたように。

 詰まることなくスムーズに。

 

 

「……その名も、夜凪ゆき」

「夜凪、ゆき──」

 

 

 麗凛とした響きに瞼を閉じる紗耶香。

 嚙みしめるように、脳裏に刻み込むように、彼女は数秒沈黙した。

 

 

「決めた!」

「何をですか?」

「私、夜凪ゆきになる!!」

「……生徒会長、やっぱり打ち所が悪かったんじゃ」

「……こいつは元からこんなの。私は悪くない」

「……私も証言しますから、情状酌量の余地はありますよ」

「痛い子に向ける眼差しをやめて!?」

 

 

 紗耶香はがびーんと頭を振る。

 大袈裟な動作ではあったが、彼女の胸には憧憬が宿っていた。

 

 

 ──夜凪ゆき。

 アイドルユニットAPEXIA(アペクシア)のリーダーにして、突如として姿を消した騰蛟(とうこう)起鳳(きほう)

 

 

 一目惚れではないが、写真越しに見たその満面の笑顔に、紗耶香は憧れを抱いてしまったのであった。

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