「あ、こっちですこっちです!」
あてどもなく歩いていたら、ぶんぶんと大きく手を振る見知らぬ女性が声を掛けてきた。
白い髪の女だった。
「あのぉ~、ここって何処ですか?」
「ここですか? ナイホオキオです」
大きな橋の欄干にゆったりと腰掛けている女性は、男の妙な質問にも笑みを絶やさず応えてくれた。
女性のよく通る溌剌とした声には、鈍りきった思考を直してくれる作用があるらしい。
「ナイホオキオ……ですか? 外国? ……でも日本語通じてるんだよな……」
少しだけ頭が回転してきた男は、あれ? と疑問符が浮かんだ。
男は車のなかにいたはずだった。
人気のない森で、七輪に炭を焚べて眠りについたのだが。
女性は男の様子に構うことなく肩にかけていた大きな杖を弄んだ。
「まあザックリ言うとあの世ですあの世。"泰山の府"とか"鬼界"とも言いますが。
あ、地獄ではないのでお間違いなく。あれは昔、インドから仏教が流入して以来鬼界と混同されるんですよ~」
「はぁ……」
なんだそりゃと思ったが、
まず現代にこんな装束に身を包む女はいない。数千年前の中国、秦王朝だとか三国志に出てきそうな漢服を見事に着こなしていた。
彼女の周りには火の玉が飛び回っていて、なんとなくアレと自分は同じなんだろうなと直感した。
「でも仏教の伝来が悪い事だけじゃないんですよ?」
そういうと欄干から飛び下りた彼女は、ずい、とこちらに身を乗り出してきた。
「仏教と交わったおかげで"輪廻"っていう概念が我々の思想と融合しまして、いくつもの新しい概念や神話が生まれたんです」
目を瞬かせる間にも、彼女は得意げに胸を逸らしてふんすっと鼻から息を吐いた。
「つ・ま・り……」
衆生が見惚れる
「あなたは転生できちゃうんです!」
「転生って、いやいや……もしかして最近ネットとかSNSでよくある氾濫気味のあれですか? いやいや、そんな、まさかぁ……」
「そのまさかです。……よくある、って言うのも何ですけど。神話側からすると大変業腹ですけど。人間の方々には解脱するか仙人になって欲しいところですけど」
腕を組んで糸目を作り、いかにも微妙そう表情を浮かべた。
「こう見えても私、善行を司る神とか仙人的なアレなのでそういう権能が使えちゃうんですよ。それでたまたま見かけた、運のなさそうな魂に情けをかけてあげようかな〜と」
「いいお節介ですね……。神様の無償の愛ってやつですか?」
どうせ救けるなら生前に救けてくれても良かっただろうに。死を迎え、未練の多くと縁を切ったとはいえ、胸の裡でわだかまるものは拭えず少し毒を吐いてしまった。
「残念、ちょっと違います」
対する彼女は唇をわずかに綻ばせ煙るような笑みを浮かべた。アルカイックスマイル。神仏が天上から見下ろす笑みだった。
「西洋では愛は素晴らしいものかもしれませんが
ああ、違うのだ。
彼は思った。
どれだけ人と近しい風貌をしていても、眼前の女と自分とでは、雲泥というのも生易しい広大無比な差が広がっている。
だから彼女は施せるのだ。気まぐれに、無作為に。利害もへったくれもなく。
「──慈悲、といいます」
そういったものを。
「なんか偉そうっすね」
「そうでしょうそうでしょう。あたし、偉いので」
えっへん、と胸を張って言われてると毒気を抜かれてしまう。気まずそうに頬を掻きながら、明後日の方を見た。
「でも、俺、生きるの辞めちゃったんですよ。また生きろって言われても……そんなの、今更、その、訳分かんないっす」
「ん~。前世とはまったく縁故もないですよ?」
「結構死ぬぞって覚悟決めてきたので……」
死んですぐ希望の未来へLady Go! はロックすぎる。もうちょい死者の尊厳を守って欲しいものである。
NOともYESとも言えない人間になりつつ言葉を濁した。
「七輪に火をつけた時に自己肯定感とか投げ捨ててきた訳で……」
「じゃあ、あなたは誰かが『助けて』って言ったら見て見ぬふりができますか?」
「そりゃあ出来る出来ないは置いて、助けたいって思いますけど……」
「ではそれでいいと思います」
彼女はまたアルカイックスマイルを浮かべていた。
「生きる事に大した理由はいりません。元々、私たちは無から象られて無理やり連れ出されたものなんですから。
私も適当に救っちゃうのであなたも適当に救われちゃってください。その先でまた死にたくなったり、誰かを助けたくなったら、思うようにやればいいと思います。それだけの力と自由は保証しますので」
それ、神様が言っていいのか? 彼は訝しんだ。
まあ、でも。
女の明け透けな物言いは少しだけ前向きにしてくれた。
(生きてみようかな)
もしものときはどうすれば?
ぼくは信じるよ
ぼくならばできると
生前好きだった曲のワンフレーズが流れてきた。死を跨いで死後にまで持ってきてしまった曲を、来世にも持ち込めるだろうか。
「そういえばお姉さんって名前なんて言うんですか」
「なんでも構いませんよ、婆でも美人でも好きに呼んでください。私、あんまり頓着しないので」
「本名はないんですか」
「言ったら魂が磨り潰されて消え去りますが……それでも良ければ……」
「あっ……。大丈夫です!」
言葉一つ、身動き一つで終わるところだった。
どんなに仲良くなっても対応を間違えたら一瞬で起爆する不発弾みたいな存在らしい。
境界線は守らなければならない。強く心に刻んだ。
「私からは以上です。それでは明日を迎えるに十分な力を与え、転生していただきます。──最後に確認ですが、□□□ □さん」
久しぶりに名前を呼ばれた気がした。死んだから、とかではなく。生きていた時から。
「生きたいですか」
「そりゃあ生きたいっすよ。当たり前でしょ」
「はい結構です。では生きてください」
こんなやり取りで全ては始まってしまった。
知らない天井だ。
気がついたら見知らぬベッドの上で寝ていた。
暑くも寒くもない生ぬるい風が静かに髪を揺らしていた。
空気が口と器官を通って肺を膨らませる。息をしているということは生きているのだろう。換気扇は回っているのに不健康そうな臭いが染み付いた空気は不快の一言だった。
不快といえば妙に湿ったシーツもだ。触れていると気持ち悪くなって身動したいが、どういう訳か動く気力は湧かず、肚に異物の入ったような不快な感触が疼痛のように脳に響いた。
横を振り向くとベッドの真横に鏡が設置されていることの気づいた。横に長い鏡で、ベッドに寝ている自分の姿を余すことなく眺められた。
一糸もまとわずベッドに寝ている少女に、目を剥くこととなった。
誰?
見覚えのない顔。自分の顔だというのに、自分の顔に見覚えがない。自分の身体だというのにまったくの初見だった。
加えていえば自分が此処にいる心当たりもなかった。
そもそも。
私の顔ってどんな顔だったっけ?
鏡の自分を凝視し、鏡の自分に凝視されながら、混乱の極地へと突き落とされていた。
記憶喪失。
ベッドや鏡といった名前に、エアコンのリモコンの使い方は分かるのに、どれだけ思考を巡らせても自分の顔や名前は寸毫も思い出せる気配はなかった。
ガラ、と扉が開く音がした。誰かがいる。
慌てて掛け布団を掻き抱く。
ベッドとテレビと少々の家具が置かれたシンプルで狭い部屋だ。今の今まで誰かがいることに気づかなかったとは。自分の混乱具合に呆れた。
「今日は良かったよぉ~、サラちゃ~ん」
シャワー室から出てきたのは男だった。4,50代のでっぷりと腹の出た男だった。明らかに少女の自分と釣り合いの取れていない男は、猫なで声で近づいてきたかと思うとベタベタと髪や肌を撫でて話しかけてきた。
「おじさん久々にハッスルしちゃったよ〜。今日はお財布の中がスッカラカンだからここまでだけど、今度また楽しもうねぇ」
「ひっ……!」
ゾッと身の毛のよだつ言葉を耳元で囁かれ、仰け反ってしまった。胃の中からせり上がる不快感は部屋の不健康で不衛生なものが原因ではなかった。
「はは。そんなに照れなくていいじゃないか。サラちゃんの世界で唯一の
男は受話器をとった途端、猫なで声から硬質な声に代わった。
「……フロントか? 一人出る」
すぐに荷物を取って立ち上がった。カプセルに金を入れ、そのままこっちにもお札を差し出してきた。
「んっ……!」
最後に無遠慮に胸をまさぐられ声が漏れた。それに満足したようににやりと笑うと意気揚々と男は部屋を出て行った。
その背を見送り、ふと、股下に手を伸ばした。手には白濁とした液体と、血が混ざったピンク色の液体が付着していた。記憶を喪った私は、知らぬ間に股の膜も喪ったらしい。
なんで、嘘、誰、どこ、なに。どうするの。答えのでない思考の袋小路に入り込んだ。
「誰か、何か、教えてよ……」
ピン札が手汗でくしゃくしゃになるまで呆然と部屋の天井を見上げていた。
あ。宿泊に切り替わる前に、出なくちゃ……。
親の顔のひとつだって記憶はないというのに、そんな知識だけはあって。破瓜の痛みが疼く股を庇うようによたよたと立ち上がって部屋を出た。
着の身着のまま外に放り出された私は途方に暮れていた。見覚えのない街は中天に太陽があるというのに暗い印象を覚えた。
交番に行き尋ねてみてもまともに取り合って貰えず、役所らしき場所に入ろうとすれば警備員につまみ出された。恥を忍んで、自分を知らないかと尋ねても胡散臭そうな顔をされるばかりで最後には腐った卵を投げつけられた。
自分の来歴を知ろうとすると、無常な現実が阻んで通さず、過去と真実は蜃気楼のように遠ざかるようだった。
行き交う人間はどれも知らない顔ばかりで、街の看板に踊る文字の羅列は理解出来るのにそれ以上は読み取れない。
ただ。
記憶に引っかかる物はなかったが、印象に残るものはあった。
──橋だ。街のビル群でさえ足元に及ばない異様に巨大な橋が街から生えていた。
橋が伸びる先は、
「どこなのよぉ、ここ……?」
何時、誰が、なんのために、建設したのか。そんな事は知ったことではなかったが、あんな異常な橋なんて聞いた事がない。
だったらこの街は私とまったく縁のない土地で、私はその街で記憶も身よりもなく放り出された状態なのだと否応なしに察することとなった。
あてどもなく歩き、得るものもなく、やがて疲労困憊のままベンチに座り込んだ。
陽は傾きはじめ冷めたブラックコーヒー地味たエグみの増した空はやがて夜になるだろう。そうなれば状況は更に悪くなる。なんの身よりも力もない小娘が一夜を明せるかわかったものではなかった。
よしんば今日を越えられたとして明日は分からない。どうにかしなければいけないのに、どうにも出来ない。身も世もなく誰かに縋ればいいのか、しかし、数枚のお札しか持たない小娘に何ができると記憶を喪失しようと残った理性が囁いた。
その時だった。
「オラぁ! そこは俺ん縄張りやぞ!」
ドスの効いた声がベンチに座る私に叩きつけられ、思考の檻に収監されていた私は驚愕で飛び上がった。
大股で歩いてくる男は、見るからに関わってはいけない人物だった。
髭は伸び放題で、髪は蓬髪だと言うのに半ば禿げた頭皮はスカスカだ。
目はぎょろりとした三白眼で、乱杭歯と合わさると異様さは更に際立った。黄ばんだTシャツにボロきれのようなズボンからは鼻が曲がりそうな臭いが止めどなく溢れている。
「なんやあ、どっかのクソガキがおいらのベンチに居座っとると思ったら……へへ、えらいべっぴんな嬢ちゃんやんけ」
「す、すみません。あなたの場所だって知らなくって……」
「ま、ま、ま。そう急ぎなさんな。ちょっとお話しようや、な? な?」
目の前に立った男は舐め回すように視線を巡らせると、私の真横に座り込んで太ももに手を置いた。
「嬢ちゃん名前はなんて言うんや?」
知らない。1番知りたいのは私の方だ。
けれど教えなければ解放してくれそうな気配はなく、一つだけある名前を呼ばれた過去を引っ張り出して口にするしかなかった。
「サラ、です。たぶん……」
「おうおう、サラちゃん言うんか。めんこいのぉ……。もう遅い時間やし、この街は危ないぞ? 綺麗な顔して、そのうえ、そんなデケェもんをぶら下げた娘っ子がいたら怪しい男に捕まってしまうぞ? 嬢ちゃんがいいなら、おいらが送り届けてやるぞ、え?」
にやにやと胸の部分に視線を感じ、反射的に腕で覆い隠した。
「い、いいえ大丈夫です! ……それに帰る場所もないですし……」
「なんやあ家出かい? 事情は知らんがそりゃ大変やなぁ……。こんなん間違っとる! いよっしゃ、おいらが嬢ちゃんのために人肌脱ごうやないか!」
男はケツを叩いて立ち上がると私の手を引いてどこかへ連れ出した。
「ここはなぁ、おいらの住処でよお……一晩くれぇだったら泊まっていけやあ。寝て起きたら気分も晴れるやろ」
連れてこられた場所は、お世辞にも家とは言えなかったし休むにも適した場所とは言いがたかった。
安物のテントに毛の生えたような、雨風を最低限防げるだけのブルーシート張りの小屋だった。中にはすゴミが散乱し、酸えた臭いのせんべいを通り越し茣蓙のような布団がひとつあるだけだった。
「ここで良かったら使ってくれやあ」
即答は出来なかった。
他にどこにいけと言うのか。選択肢は実質ひとつしかなくて、しかし選び取るには多大な勇気を要した。
「気後れするか。それも仕方ねぇな……こんな人の尊厳なくすような場所じゃなあなあ。……でもおいらも嬢ちゃんみたいにふらふらして途方に暮れてた時に、同じように助けられてよう……」
おいらも誰かを助けていいと思ったんや、男は気恥ずかしそうに笑った。
「おいらは外で寝てるわ。嫌なら出ていきゃええからよ……」
「いえ……! 宿、貸してくださって、あ、ありがとうございます……!」
記憶がなくなって以来、初めて人の温かい部分に触れた想いだった。眠りに落ちるのは違和感を覚えるほど早かったと思う。
でも、やっと安心出来る場所にやってこれたからだと納得し、そして。
起きた時には肌着以外すべてなくなっていた。
「うぅ……ぐすっ……。どうして……私ばっかり、なんで……」
肌着に引っかかった黄ばんだ液体を公園の蛇口で洗い流しながら、止めどなく嗚咽が漏れた。
惨めだった。
記憶が無くなる以前になにか罪を犯し、罰を受けているというのならどれほど愚かしい罪を積み上げてしまったのだろうか。
なんとか我慢してきたが、朝の仕打ちはさすがに堪えた。警戒や疑念は当然あった。それでも信じたくて一縷の望みにすがってしまった。
その代償が肌寒い季節の早朝に、濡れた肌着1枚だ。
愚かしいにも程がある、もう笑うしかなかった。
「あはは、あはははは、あはははははっ……ゲホッ…………あはは! あはは…………ゲホゲホ、うわああああああ〜〜〜ん! うわぁぁあああああああん!!!」
「──
たまらず泣き出した背に、声を掛けられたのはその時だった。
後になって思うが、彼女の本質を知っていれば意地でも見惚れるなどという愚かな行為はしなかった。断言出来る。それでもその時の私には、颯爽と現れた彼女が眩しくて幻妙に思えた。
女は羽根のついたトーク帽子を被り、帽子から伸びるレースで貌を見通せないが、隙間から垣間見えるパーツだけでも非常に整っている事を察せられた。
肩と胸の谷間を見せつけるように露出したドレスを着こなし、なにかの動物の毛皮を上着にした女はみすぼらしい自分とは大違いだ。
腫れぼったい唇に赤い口紅を塗った女は酷く婀娜っぽい。
赤い口唇に煙管を咥え込む仕草は、逸物を咥え込む印象を思い起こさせ、同性のはずの私ですら色気に生唾を呑み込んだ。
「時間になっても来やしないから気になって探して見れば……というか何だい、その格好は? この糞の掃き溜めみたいな街で襲ってくださいって言ってるようなもんじゃないかい」
言葉遣いは荒っぽく老成し爛熟とした風情があったが、印象よりもはるかに声は若い。自分とあまり変わらないのではないかと思うほど。
身長も低い方だろう。しかし叩きつけるような威厳が女を小馬鹿にすることを許さなかった。
「来な、そこに突っ立てても1円にもなりゃしないよ」
「えっ、えっ、ちょっと!」
女は名乗りすらせずせっかちにも私の腕を取ると、ずんずん歩き出した。
向かった先はコインランドリーだった。中に入ると女はやっと手を離して問いかけてきた。
「アンタ、好きな色は?」
「え? えっ〜と、たぶん、……白?」
「じゃあこれ着な」
いくつか洗濯機の中を覗き込み、ライトグレーのパーカーを放り投げてきた。それだけ終えると、他の洗濯物には一瞥もくれず、コインランドリーから出て行った。
「ありがとうございます……。って、ちょっとまだ服が残って……」
「早くしな。持ち主が戻ってくるだろ」
こ、この人……。
気圧されっぱなしの私だったが、おそらくこの瞬間からまともな態度と感情を向けるのを辞めはじめたのだと思う。
「あ、あの!」
コインランドリーを出てから黙々と歩いていく女の前に立った。
「色々聞きたいことはあるんですけど、これだけ答えてください! 貴方って誰ですか? そして、私って誰なんですか……?」
「はァ?」
自分で言ってて馬鹿らしくなる問いだったが切実だった。まあそんな問いを投げかけたのだから、女の切れ長の目が人を斬殺できそうなほど鋭くなるのは当然だった。
「まさかアンタ、今更アタシの元で働くのが嫌になって逃げようってんじゃないでしょうね? ……んなこた許さないよ、やっと拾ったアタシのお眼鏡にかなった上玉なんだい。手放す気はないよ」
婀娜っぽいとさっき評したが取り消そう。確かに歓楽街で客を取っていても不思議ではないが、それよりも遊女屋で客と女を差配する遣り手婆の雰囲気が近い。
こちらを見る目は完全に商品を見る視線だった。
「でも記憶、なくて、それは本当で……」
「記憶喪失、ねぇ……」
じろじろと視線を巡らせ、と鼻を鳴らして煙管を近くに駐車してあった車に叩きつけた。
「ふん、知りゃしないわよ」
吹。
今度は肺いっぱいに吸い込んだ紫煙を吹きかけてきた。紫煙が視界を覆い尽くして器官に入り込み、たまらず咳き込む。
「ゴホッ! 何するんですか!?」
「よく聞きな
うずくまり咳き込んで頭を下げる形になったところで、頭になにかがのしかかって来た。たまらず地べたと熱烈なキスを強いられ、そこで声が降ってきた。
「こっちはアンタと書類を取り交わしてんだ。それを記憶が無いから白紙にしろってのかい? 冗談じゃないね。そんなに出ていきたきゃ、自分で稼いでアタシを納得させてみな」
煙が目にしみてよく見えなかったが、確かに女はにやりと笑っていて……表情に刻まれていた笑みは、業突く張りの守銭奴が一生に一度浮かべられるかどうか、といった具合の会心の悪魔の笑みだった。
かつん。かつん。と階段を降りるヒールの音が響く。錆び付いた鉄製の階段の下には、簡素な扉があった。
「ここは……」
「アタシの城で今日からアンタの職場でもある《モンポゥ亭》さ」
扉を開けた先には煌びやかな世界が広がっていた。暖色系のライトに照らされた薄暗い空間には、質のいい絨毯に革張りのソファが惜しげも無く並び、客は見目麗しい女たちに好色そうな視線を向けていた。
金と、性欲と、あまたの欲望がうずまく空間ではあったが煌めくような熱気に満ち満ちているのは間違いようがなかった。
目を瞬かせる私に、女はにやりと笑った。
「いい店だろ?」
確かに雰囲気は間違いなくいい店だった。彼女の若さで、これほどの店を構えるまでどれだけの苦労があったのだろうと考えてしまうほど。
でもこれって……。
「……キャバクラじゃないですか!?」
「失礼なことを言うんじゃないよ。風俗店じゃないんだ、ちゃんとガールズバーっていいな」
「キャバクラとガールズバーって何か違いはあるんですか……?」
「働きゃわかるさ」
いけしゃあしゃあと宣う女のあとに、これでもかというほど渋い顔を浮かべて嫌々ながら中に入った。
本名を
私の雇い主を自称する女はそう名乗った。そして繁華街の寂れた一角にそれも地下にある店の
彼女の構える店は、彼女曰く"ガールズバー"らしい。ソファに男女が座り、女が酒をついで接待するのが仕事だという。
広いホールの真ん中にはステージがあり、今はステージの上で女性シンガーがギターを手に、心に染みるしっとりとした歌を歌っていた。
素敵な曲だったが文句があるとすれば彼女が全裸で、男たちの好色なヤジが飛んでいるあたりだろうか。
「あ〜、ママもどってきた〜」
それをBGMに付き従っているとへラヘラと気安く笑う女が出迎えて来た。スーから毛皮の上着を受け取ると、小首を傾げた。
「新しい子〜?」
「そうだよ、サラって言うんだ」
「っやったー! やっと後輩が出来た〜!」
何も考えてなさそうな顔で無邪気に喜ぶ彼女は、私に小さく手を振ったあと男の腕を取って革張りのソファに歩いていった。
「さて、見てわかる通り……」
「キャバクラとなにか違うんですか?」
「……しつこい子だねぇアンタも。全然違うに決まってるだろう? ガールズバーは初めてかい?」
通りかかった女性店員が耳打ちしてきた。
「スーてんちょーね、ウチの時はスナックっていいったよ」
「黙りな」
コップを投げつける姿は無駄に様になっていた。放物線を描いて中空をかけ抜けたコップは、女性店員にひょいと避けられ、その先のおもむろに社会の扉を開け放とうとしていた客の頭部で砕け散った。
「うわぁ」
男性客を一人伸したにも関わらず、スーは我関せずと煙管の火皿にタバコを乗せて火をつけた。
「いいかいサラ? アンタがどれだけ拒否してもアンタがアタシの城で働く事は決まってんのさ。なにせ、アンタは金がない。ビタ一文だってね。そしてアタシには哀れなアンタに給与を支払える能力がある。理屈は簡単だろ?」
「…………でも」
なかなか踏ん切りのつかない私に嘆息したスーはまたまた女性店員に質問した。
「アンタはなんでココで働いてるんだい?」
「そりゃあ無一文の罪だからですよスーてんちょ〜」
「分かってんじゃないか。あと、家出の罪も忘れんじゃないよ」
「なははw」
しっしっとスーが手を振ると、彼女は笑いながら去っていった。
「ほら言った通りだ。アンタも身に染みてわかってるはずだ。世の中金さ。金が全てさ。だったら金を持ってないやつは馬鹿で無能で罪人なのさ」
「で、でもっ! ……私は、知らない間に契約してて……。知らないのに男の人と寝て初めてもっ……それでっお金も取られててっ……」
「──じゃあ聞くけどアンタ、ここを出ていったらどうするつもりだい?」
せめてもの反論は、呆れたような言葉に一刀両断された。
「言っとくけどアンタに渡したその
「そんな! あ、あなたに優しさとか情とか、白い部分はないんですか!?」
「さてねぇ……。白って200種類以上あるって話だよ。むかし寝た美大の男が言ってたからね」
「種類の話じゃなくて、あるかどうかを聞いてるんです! あなたには1ピクセルだってないでしょうけどっ!」
声を荒げた私に、スーは喉でくつくつ笑った。
「元気が出てきたじゃないか。朝に会ったシケた面より今の方が百倍マシさね」
「あ……」
さっきまでの態度が恥ずかしくなって、俯いてしまう。
「アンタは外にいても輝けない。何かを得ても誰かに搾取されるのがオチ……善行をしようだなんって以ての外さ。だったら答えは決まってるだろ? アタシに使われておきな。ひもじい思いはさせないさ」
「……わかってはいたんです……」
口から出たのは諦観だった。
「何処に行っても居場所はなくて……。人への優しさを期待するだけ無駄な街だって事は……。それに、これが私が掴める最後のチャンスなのも……」
「なら、わかるだろう?」
うなづこうとした瞬間、店の中から飛んできた酒ビンが真横のランプへみごとに直撃した。
「やっぱりまだ考えさせてもらってもいいですか?」
「ダメに決まってんだろ。それに……次はアンタの番だよ」
「え?」
いつの間にか女性シンガーの歌は終わっていて、誰も立っていない壇上にスーは私を連れ出した。
「みんな聞きな! 今日からアタシの城に新しい小間使いが加わる! 名前はサラ!」
スーの声にホールの熱気は最高潮への燃え上がった。スー! スー! スー! サラ! サラ! サラ! 怒涛の叫びがホール全体を揺らし、足踏みが地下を崩落させんばかりに軋ませた。
戸惑う私を置いてけぼりにし、スーはおもむろにドレスを脱いだ。
「な」
半裸になった彼女に、興奮を隠せなくなった客が口笛と野次を飛ばす。
スーは美しかった。衣装を身にまとわずとも、いや、纏っていたからこそ男を虜にする魔性を押さえ込んでいたのだ。
トーク帽子を脱ぎ捨て、レースの取り払われたスーの容姿はやはり若かった。あるいは幼さすら介在していた。
精緻にして繊細な美貌を施された人形が、命と覇気をなにかの拍子に得てしまったような。芸術の粋を極めた女こそ、スーという女だった。
その神韻縹渺たる女が
「さあ、アタシを
「は?」
「これは洗礼で、儀式で、魔術なのさ」
いきなりスーが奇妙な事を口走った。聞き間違いかと瞠目したが、スーは挑発するように手を招きしている。
「さあ早く!」
「でも!」
「殴りなって! アタシは別に殴り返したりしないよ!」
「できません!」
「できないじゃないよ、このアバズレ! なぁにいい子ぶってんだい、金のために膜ぶち抜いた女が!」
「…………」
「はっ、なんだい? いっちょ前に睨め付けて? ホームレスのマヌケな嘘も見抜けないションベン臭いガキじゃないかい! 違うかい!?」
「わ、私は……!」
「親の顔が見てみたいねぇ……あぁ、一番親の顔が知りたいのはアンタだったか
怒りは6秒間で過ぎ去るらしいが、6秒間は意外と長いもので、我慢の限界はわりとあっさりと来るものだ。
「──私は、
手のひらの上で踊らされていた私の拳は、あっさりと女の元へたどり着き、その綺麗な顔面に突き刺さった。
テーマ「原罪」
ファイト・クラブを参考に薄暗い裏路地の少女を書きたかった。しかし一話で破瓜を迎え少女ではない。
結局纏めきれず内容忘れてしまいオワオワリ。
以下見るに堪えないメモ置いときます
サラ 転生者 女
スー 現地人 女 まつろわぬ神
記憶 最初 スーへの反感
「オイディプス。以後見知りおけ」
カンピオーネとオイディプスの対峙
まつろわぬ孟婆
善性の神 仙人 善行を続けるのが本質 冥府を司る神であり同時に地母神でもある
元ネタは秦王朝の孟美人だがこれ以上深堀はなし
善行の性で哀れな魂を慈悲で救うことから物語は始まった
サラ(皿)
助けて、といった時誰かを助けられる力を望んだ
まつろわぬ神として降臨したが神殺しを生んだことでまつろわぬ神としての権威の剥奪=死を迎える
善行 地母とまつろわぬ性(神に至ろうとする性)(処女を失う)
性善 地母の神祖 莫大な力を切り分けそれを分け与える転生神としての性(神に至るのを阻む性)
スー(子)
地下酒場のミストレス。傍からは転生者を跋扈させようとするトリックスターに見える 神殺しも同盟関係
同盟の神殺しは最初の転生者
まつろわぬオイディプス
権能を特典として受け取り神殺しを挫く
しかし真の神殺しではないためまつろわぬ神に力に負ける
遺体は残る。
たすけて→最初の約束 身に刻まれた業は記憶があろうとなかろうと護らねければ。
真の神殺しの降臨
因果応報 神殺しは神を殺していなければならない
殺す神は最初から決まっていた
まつろわぬ孟婆からふたつに分かれた正反対の女。