夜、リビングの片隅。
彰人は練習から戻り、一人でストレッチをしていた。ふと見ると、星名が窓辺の月明かりの下、夜風に吹かれながら外を眺めている。
風に揺れる淡い髪、夜の闇に吸い込まれそうなほど白い肌。
彼女がふう、と静かに息を吐いた瞬間、彰人の脳裏に最悪のイメージが過ぎった。
(……今、こいつを掴んでおかないと、このまま光に溶けて居なくなるんじゃねぇか?)
その思考は、もはや本能に近い恐怖だった。
「……おい」
彰人は立ち上がり、背後から星名を強く抱きすくめた。
普段の彼なら絶対にしない、余裕のない、力任せな抱擁。
「あ、彰人……? 急にどうしたの、苦しいよ」
驚いて身をよじる星名の肩に、彰人は深く顔を埋める。その腕は、妹をこの世界に縛り付ける「檻」のように強固で、一切の隙間もなかった。
「……黙ってろ。少し、こうさせろ」
「彰人、手が震えてる……。何か、怖い夢でもみた?」
「……夢ならどれだけマシだったか」
彰人は、腕の中に伝わる星名の微かな体温と、トクトクと脈打つ鼓動を確かめるように、さらに腕に力を込める。
こいつは、料理を作ればプロを凌ぎ、歌えば世界を変え、描けば魂を写し取る。あまりにも多くの「天賦」を持ちすぎているからこそ、いつ天に連れ去られてもおかしくない——そんな、理不尽な確信が彰人の喉元を締め付けていた。
「……いいか、星名。お前は俺の半身だ。……どこにも行かせねぇ。空が呼ぼうが神様が呼ぼうが、俺が絶対に離さねぇからな」
その声は、誓いというよりは、自分自身に言い聞かせる悲鳴に似ていた。
星名は、自分の胸元で強張っている兄の大きな手に、そっと自分の手を重ねた。
「……うん。どこにも行かないよ。私、彰人のご飯、明日も作らなきゃいけないもん。彰人が美味しいって言ってくれるのが、私の幸せなんだよ」
「……当たり前だ。明日も、明後日も、ずっと言わせてろ」
彰人は返事の代わりに、妹の首筋に顔を押し当てた。
自分の指先に残る確かな感触と、鼻をくすぐる彼女の匂い。それだけが、今この瞬間、星名という少女をこの「現実」という場所に繋ぎ止める唯一の錨だった。
月明かりの下、彰人はいつまでも妹を離さなかった。
一番星が夜空へ帰ってしまわないように、彼はただひたすらに、その熱を閉じ込め続けていた。
姉・絵名の反応
• 絵名の独り言: 「……あんたも、やっと気づいたわけ? あの子が時々、この世のものじゃないみたいに見えるってこと。……でも、セナを抱きしめていいのは、私なんだからね。あんたは外の敵だけ追い払ってればいいのよ」