それは、ひどく静かな夜のことだった。
リビングの窓際、月明かりだけを頼りに夜空を見上げていた星名に、彰人が声をかけた。
「……何してんだ。早く寝ろよ」
「あ、彰人……。うん、今寝ようと思ってたんだけど……。今日の星、あんまり綺麗だから、あの中に混ざれたら、きっと楽なんだろうなあって、思っちゃって」
星名はいつものように穏やかに笑った。けれど、その瞳には光が宿っておらず、透き通った体は今にも夜風に吹かれて霧散してしまいそうだった。
1. 拒絶の告白
「彰人。……私ね、時々思うの。……私がいなければ、彰人もお姉ちゃんも、もっと自由に、自分の好きな場所へ行けるんじゃないかって」
「……何言ってんだ、お前」
「彰人は私の『痛み』に敏感すぎるし、お姉ちゃんは私を『描くこと』に縛られてる。……みんな、私を失わないために、ずっと足を止めて私を見てる。……私が、みんなの重荷になってる。……だから、もし私がふっといなくなれば、みんな、もっと軽やかに笑える気がするんだよ」
星名の口から漏れ出たのは、これまで隠し続けてきた、優しすぎるがゆえの絶望だった。
2. 彰人の激昂
彰人の頭の中で、何かが弾けた。
彼は数歩で距離を詰めると、星名の細い両肩を、骨がきしむほどの強さで掴んだ。
「……っ、痛いよ、彰人……」
「痛いか? ああ、痛ぇだろうな。……ふざけんなよ、星名。今言ったこと、もう一度言ってみろ。……俺が、お前のせいで足を止めてるだと? お前がいなくなれば、俺が笑えるだと?」
彰人の声は、怒りと、そして隠しきれない恐怖で震えていた。
「いいか、勘違いするな。……俺がお前を気にするのは、お前を助けてやりたいと思ってるからじゃねぇ。……俺が、お前がいないとダメだからだ! お前という重りがなきゃ、俺はどこまでも独りよがりの、空っぽな表現者で終わっちまうんだよ!」
3. 現実への引きずり戻し
彰人は星名をそのまま床へ押し留めるように抱きしめた。
「消えて楽になりたい? ……そんなの、絶対に許さねぇ。……お前がどれだけ辛くても、俺がその手を離さない。世界がどれだけお前を欲しがっても、俺が力ずくで地上(ここ)に繋ぎ止めてやる」
「……彰人……」
「綺麗に消えようなんて思うな。……泥にまみれて、苦しんで、それでも俺の隣で息をしてろ。……お前が消えるくらいなら、俺は一生、お前という呪いを背負って生きてやるよ。それが俺の、兄貴としての……『傲慢』だ」
彰人の荒い息遣いと、心臓の激しい鼓動が、星名の体に「現実」を刻み込んでいく。透明だった星名の視界に、彰人の着ているパーカーの質感や、部屋の匂い、そして自分の肩に残った彰人の手の跡が、鮮やかな色を持って戻ってきた。
4. 結末:重なり合う二人
「……あは、……彰人、かっこ悪いよ。……必死すぎて……」
星名の瞳に、ようやく涙が滲んだ。それは「綺麗に消えようとする光」ではなく、人間としての「生々しい感情」の雫だった。
「……かっこよくなんてなくていい。……お前がここにいるなら、俺はいくらでも無様になってやる」
その夜、星名は初めて彰人の服をぎゅっと握りしめて泣いた。
自分が「特別」な存在である必要はない。ただ、一人の泥臭い兄の、何よりも重い執着の中にいればいい。
一番星は、天に昇ることを諦め、地上の喧騒と温もりの中に堕ちることを選んだ。