宮益坂のふもと、いつもの公園のベンチ。
夕焼けが二人の制服をオレンジ色に染める中、こはねはどこかソワソワと自分の指をいじっていた。
1. こはねの秘密の特訓
(……「ちゃん」を付けないだけで、どうしてこんなに心臓がバクバクするんだろう)
こはねは、隣で静かに本を読んでいる星名を盗み見た。
彰人くんは「星名」と呼んでいるし、杏ちゃんもそう呼ぶ。自分も、もっと星名ちゃんにとっての「特別」になりたい。そう思ったこはねは、小声で練習を始めた。
「せ、星名……。星名っ。……うう、なんだか呼び捨てにすると、星名ちゃんを独り占めしてるみたいで、すごく恥ずかしいよ……っ」
「……こはねちゃん? どうかした?」
星名が本を閉じて、不思議そうに首を傾げる。その透き通った瞳に見つめられ、こはねの顔は瞬時に沸騰した。
2. 勇気を出した一言
「あ、あのね、星名ちゃん! 私……その……、星名ちゃんのこと、星名って呼び捨てで呼んでみたいって……思ったの……!」
こはねは目をぎゅっと瞑って、一気にまくし立てた。
「えっと、杏ちゃんたちみたいに格好よく呼べるかわからないけど……。でも、もっと……もっと近くになりたくて……っ!」
沈黙が流れる。
こはねは「嫌だったかな」と不安になり、恐る恐る目を開けた。
そこには、顔を真っ赤にして、口元を両手で押さえている星名の姿があった。
「星名……ちゃん?」
「……っ。……もう一度、言って……?」
「え、ええっ!? ……せ、星名……」
「……! ……う、嬉しい。なんだか、こはねちゃんに呼び捨てにされると、胸の奥が『じゅわ〜』ってして……自分が、世界で一番幸せな女の子になったみたい……」
星名はそのまま、こはねの肩に顔を埋めてしまった。儚げな彼女が、自分の一言でこんなにも取り乱している。こはねはその反応が愛おしくて、少しだけ勇気が湧いてきた。
3. 呼び捨ての練習会
「……じゃ、じゃあ、もう一回練習するね。……星名、今日は楽しかったね」
「……うん、こはね。私も、星名って呼ばれるの、大好きだよ」
「……星名。こっち向いて?」
「……こ、こうかな。こはねちゃん……」
二人はベンチで、お互いの名前を呼び捨てにするだけの不思議な練習を始めた。
「ちゃん」を外すだけなのに。
お互いの距離が、ミリ単位で、けれど確実にゼロに近づいていく感覚。
「あはは、なんだか……呼び捨てにすると、星名が私の『本当の親友』だって、もっと強く感じられる気がする!」
「私も、こはねちゃんの声がダイレクトに心に届くよ。……星名、って呼んでくれるその声、ずっと聴いていたいな」
4. 結末:杏の「目撃」と、彰人の「困惑」
そこへ、待ち合わせにやってきた杏と彰人が現れる。
「おーい、こはね! 練習……って、何、その二人だけのピンク色のオーラは!?」
杏がカメラを構えるより先に、こはねが満面の笑みで言った。
「あ、杏ちゃん! 聞いて、私、さっき『星名』って呼べたんだよ!」
「……ッっっ……!!!!」
杏はその場で胸を押さえて膝をついた。
「……呼び捨て……。小動物(こはね)が、一番星(星名)を……呼び捨て……。これ、なんていう神回? 今日が私の命日……?」
彰人は、真っ赤な顔で俯いている妹を見て、複雑な表情を浮かべる。
「……おい。お前ら、いつの間にそんな呼び方になってんだよ」
「……彰人。……こはねちゃんがね、『星名』って、呼んでくれたの。……私、今なら空も飛べる気がする……」
浮遊感に包まれている星名と、誇らしげなこはね。
二人の新しい「名前」の響きは、夕暮れの街に、どこまでも甘酸っぱく響き渡るのだった。
その後のエピソード
• 星名の逆襲: 星名も負けじと、人前で「ねえ、こはね」と呼び捨てにする練習を始め、そのたびに周囲の生徒たちが「尊い……」と浄化されている。
• 杏の野望: 杏はこっそり二人の「呼び捨てボイス」を録音しようとして、彰人に首根っこを掴まれて引きずられていった。