神々の住処
「使えないんだえ!」
黄金の美しい銃は、けれど悍ましい水溜まりを作った。
赤い
人間は奴隷であり、奴隷は物だ。黄金の銃の持ち主にとっての
血溜まりを一瞥もせず、凶器を片手に男は笑う。
「これで大丈夫だえ」
父親を名乗る男は言った。
当然のように。道理のように。原理のように。真理のように。あくまでも当たり前のこと――我が子を傷付ける物など必要ないだろう――を説くかのように。
堂々とした様は常識を語る講師のようであったが、彼がやったことは、当事者の一員である幼子にとっては「罪なき人間を殺した」という行いだ。子を守る親のものであるとは到底思えず、胃の底がひっくり返りそうだった。
しかしながら。
そうであるのだから。
天竜人に血を連ねる幼子が不快になることは有り得てはならず、その一族の子供が拒絶することなど起こり得てはならないのである。
「あ、んしん、したあます」
血の海に、
息絶えた肢体に、幼子は自らが迎えるであろう未来の姿を幻視した。
厭まれて恨まれて怨まれて。一息に終わらせられることもなく、ひたすらに痛めつけられて。
(恐怖と苦痛のなかに殺されるんだろうな)
現状と未来を思うと吐き気がする。
身体は震えそうだし、声だって同じくかじかんでしまいそう。先程のようやく絞り出した返事も、よくちょっと詰まっただけですんだものだ。
「もう少ししたらお前も覚えると良いえ」
銃の扱い方を?
それとも、人間を奴隷として扱うこと?
尋ねたいことが幾つもあったにも関わらず、子供はついぞ疑問を口にすることはできなかった。
人間の血は赤色である。
だとすれば神様の血は何色だろう。
俗に貴人の血は青いと言われるが、この世には貴族のさらに上の身分がある。家紋である天翔ける竜に由来して〝天竜人〟と称されることの多い
血の海を前にして、幼子の思考は現実逃避でしかなかった。
命がひとつ、絶える瞬間。育ちきっていない、だからこそ柔らかな五感が必要以上に捉える情報は恐ろしい。そして何より、脳内を駆け巡る情報は、許容量を満たしてなおも溢れるほど刺激的である。
「あ、おわった」
ただし、と注釈を許されるのであれば。
この場合の「終わった」とは、何事もなければ今後も続くはずであった天命を終えるまでの長い人生のことである。しかしながら薔薇色の未来は諦めなければならないことを、彼女は
なぜならば。
幼子の名はシャルリアであり、
ロズワードという男を父に持ち、
つまり彼女の血筋は神の末裔のものであり、――どの時代でもないいつかの、この世界ではないどこかの、空想として楽しまれた物語で、――たいそうな嫌われ者であったものだから。
正道、あるいは予定調和。
心を躍らせる物語とは、どの時代においても根底に在るものは不変だ。特筆すべきは、やはり勧善懲悪あたりだろうか。善良な人や善良な行いを奨励し、悪者や悪い行いを懲らしめる。どんな悪もいつかは滅び、最後には善が栄える。理不尽で不平等ばかりの世の中に対し、これほどまでに映える題材は他にない。
無垢な子供が英雄に憧れるようなものだ。
悪はすべからく倒されるべきもの。不条理を課す存在というのは、物語が大衆に好まれるものであれば好まれるものであるほど、最終的には倒されるものだと相場が決まっている。
善道のど真ん中、立ち塞がる理不尽の権化となる者。
それが、とシャルリアは口を開いた。
「わたしたちだもんねえ」
細く吐き出した後に、続いて溜息を吐く。
現在進行形で英雄の障害物であるのが自分たちの存在であるのだから笑えない。
ハシバミの髪、焦がし焼いた砂糖の色をした瞳。
日差しの覚えの悪い肌でできた身体は、まだまだ小さいものである。
幼いシャルリアは自身でも述べたように
本来、シャルリアは血族の行いに疑問を持つことはないはずだった。
であれば批判的な考え方をすることも、当然ないはずのことであった。
にも関わらず、今のシャルリアと言えば天竜人らしくない思想を抱き、そもそも――子供らしくない思考回路で物事を捉えている。
「やってらんなーい」
口元を歪ませたシャルリアの中身は、けしてただの幼子ではなく、ただただ普通の世界を生きてきた人間の精神そのものであった。
――シャルリアには記憶がある。
平成なる時代と、令和なる時代の記憶である。
そのふたつの時代には空白などというものはない。為政者にやや有利に記されつつも歴史の節目は概ね正しく語られている。
――シャルリアには記憶がある。
日本なる国と、その国に生まれ生きた人間の記憶である。
裕福とは言えなかったが、おそらく貧しくもなかった。普通の家庭に生まれて、普通に愛され育てられて、普通に成長し、普通に生きてきた。平凡で平穏なありきたりな人生である。
――シャルリアには記憶がある。
「ONE PIECE」なる物語と、それに関連する記憶である。
記憶に在る人生のなかで、その主はたいそう漫画・アニメといった所謂サブカルチャーを好んでいた。否、愛しているといっても過言ではないだろう。時間と金を費やし、原作を貴びつつも二次創作にも心をときめかせては悲鳴を上げていたのだから。
そんな記憶を持つのがシャルリアである。
不愉快で不可思議な現状を把握するのにそう時間はかからなかった。
――転生
――成り代わり
そりゃあ異世界転生なんてジャンルが流行ったくらいだ。世はまさになろう時代、俺TUEEE展開も俺何かやっちゃいましたか?展開も勘違い展開も曇らせ展開もTS展開も王道中の王道。所謂テンプレというやつで一次創作にも二次創作にも溢れていた設定だ。随分と楽しんだ
とは言え、である。
自分自身が物語の主人公に成りたいなどと思ったことなど、一度としてない。
あくまでも物語であるから、空想としてであるから楽しめるもの。ままならない現実の、その理不尽さを紛らわせてくれるような。そんな一夜の夢みたいな、
現実は残酷だ。
優しさの欠片もない。
望みもしない二度目の生を
考えてもみてほしい。だって
しかもシャルリアは原作で殴られた天竜人の血縁者なのである。
自身に与えられた名前、ロズワードという名の父とチャルロスという名の兄、決定打として天竜人の血筋を持つ者に付けられる敬称の「
そして、そういうタイプはONE PIECEという物語では最終的に倒される運命にあると決まっている。そして、必ずや暴虐の限りを尽くした報いを受けるのだと、そういうふうな道筋を辿るのだと決まっている。
つまるところ、シャルリアの未来は破滅であるのだ。
嗚呼、けれど。もしかしたら慈悲なのかもしれない。
寒さに凍えることもなく。
暑さに乾びることもなく。
飢餓に怯えることもなく。
搾取を恐れることもなく。
武器を持たぬ世界の
弱者が弱者として搾取されぬようにという時間制限付きの哀れみ。権力が続く限りの、仮初の安寧。ハリボテの平穏、薄っぺらい平和。たとえ偽物だとしても、墜落するまでは安全な
たとえば。地に墜ちるとしたらどんなときだろう。
たとえば「燃料切れ?」政府から見放された場合。
たとえば「テロ?」革命が起こった場合。
たとえば「攻撃?」賊に首を落とされた場合。
この世界の素地を知っているだけに様々な可能性が思い浮かべられてしまって仕方ない。どれも起こりえてしまいそうだし、なんなら同時に起こったっておかしくない。予測できないのはタイミングだけ。遅かれ早かれ天駆ける竜人は必ず地に堕ちることが決まっている。
もしもONE PIECEという物語を、もしも胸を高鳴らせた空想を、知らなければ。
心を擦り減らしながらも聖地での生活を受け入れていたかもしれない。聖地に浸透する常識に染まり、人間を物として扱うことに躊躇いを持たなくなっていくのかもしれない。少なくともまだ権力を失うには時間があり、剥奪されたら剥奪されたときで、この年齢なら「誰も教えてくれなかったもの」で許される。許されてしまう。
「でも」
シャルリアには、無理だった。
理不尽も。不条理も。記憶にある世界と比べるのが烏滸がましいほど、この世界には満ち溢れている。
見ているだけで意識が飛んでしまいそうだ。
引き裂かれる親子を、恋人を、夫婦を、見た。
子が親の目前で殺されているのを、見た。
無理矢理に犯されマワされる女を、見た。
刺され斬られ撃たれ飢えさせられる男を、見た。
一枚ずつ鱗を剥がされていく人魚を、見た。
乗り物にされた魚人を、見た。
闘技場で戦わされるミンク族を、見た。
腕を引き千切られる手長族を、見た。
眼球を抉り出される三つ目族を、見た。
人間が、人間以下の烙印を押されるのを、見た。
尊厳を剥ぎ取られて踏みにじられて、それでも生きるしかない者を見て、見て見て、見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て「助けて」見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て「痛いよお」見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て「苦しい」見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て「もう殺してくれ」見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て「やめて」見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て、見続けて。
狂ってしまえれば、良かったのに。
シャルリアには、無理だった。
だって。だって、だって。
耳元で囁くのだ。
以前の
『じゃあお前、逆の立場になったら許せる?』
『ずっと、ずーっと、恨まれて?』
『それでどうなると思う?』
|惨たらしく死ぬしかないじゃない《行儀の悪い子は〝ディー〟に食われてしまうぞ》、と。
いつか亡骸に幻視した未来を、惜しげもなく突き付けてくる。
――
痛いのは嫌。気持ち悪いのは嫌。寂しいのは嫌。恨まれるのは嫌。恐れられるのは嫌。苦しいのは嫌。飢えるのは嫌。奪われるのは嫌。犯されるのは嫌。寒いのは嫌。熱いのは嫌。嫌われるのは嫌。死ぬのは、――嫌。
降って湧いた二度目の生だというのに、なんて生き汚いことか!
「でも、嫌」
惨たらしく殺されてしまうなんて、嫌。自分の預かり知らぬところで生き死にが決められてしまうだなんて冗談じゃない。
「そんなの嫌」
失うなら、いっそ派手に。奪わるなら、いっそ滅茶苦茶に。
全部。全部、ぜーんぶ巻き込んで。最期の最後まで抵抗して、足掻いて。
「 」
定められた行末――
白亜の城の、とある一室。誰に聞かれることもなく、であれば誰に咎められることもなく。たったひとり、シャルリアはそう決めたのだった。