聖地の妖精
何をしても許される、だって天竜人だから。
とびきりの免罪符を血に宿した子供は、きゃらきゃらと笑ってこう言った。
「たのしい人たちね!」
確かに楽しいだろう。身体が伸びる人間、あちこちで生える手足、会場で突如として発生する雷雲、喋るトナカイに白クマ――人間万国展覧会もかくやな状況、これがあくまでも華やかな舞台であるならば。
しかしながら。
舞台は壊れた会場で、なんなら裏社会要素をたっぷりに含む職業安定所である。しかも観客は貴族のみならず、ならず者や海賊という海の荒くれ者やらまでいるときた。付け加えるなら、現在進行形で崩れていく会場では、
楽しいの一言で括るには度が過ぎ、むしろ惨事である。にも関わらず。
「あら! あなた、私とお揃いだわ」
子供はお構いなしに騒動の中心となった乙女に話しかける。
哀れ、話し相手となったのはうら若き人魚である。斜めに斬られた鉢型の水槽から覗く顔は、青い。はくはくと小さく震える唇から声は出ず、寒さではなく恐怖からであることは明白であった。
この世界で最も貴ばなければならない血族、天竜人。
生まれながらにして特権階級に属する彼ら彼女らは、文字通り何をしても許される。
略奪も差別も、殺人も。いとも容易く他者の生殺与奪すら握ってしまえるのが、人魚の乙女の前で笑う、少女の姿をした神の一族であった。
天竜人にとっては人魚族も、人魚と根源を同じくする魚人族も、人間ではなく魚類の一種である。捕まえて鑑賞するも良し、なんならピラニアと追いかけっこさせて良し、三枚に下ろしてたって良い。
そういう扱いをしてきた天竜人の、その娘である。内容がどうであれ言葉をかけられた時点で、緑髪の人魚は恐ろしくてしょうがなかった。
けれど。見下ろされるわけでもなく、また見上げられるでもない。
視線が合って、ようやく彼女が台の上に立っていることに気付く。硬く、冷たい、簡単には手の届かない位置にある水槽鉢に入れられた囚われの人魚相手に、まるで心を合わせるみたいにして。
「ほら、一緒ね」
と、高さのある、だけど小さな台の上。天竜人である子供は、ふわりと自らの衣装の裾を、尾ひれのごとく揺らしてみせた。
やっぱり惨たらしく殺される未来しか見えない。
神をも恐れぬ、その所業――世界の創造主の血筋を汲んだ男が殴られ、ぶっ飛んだ場面――を目の当たりにして、天竜人の娘シャルリアはそんなことを思った。
そりゃ、そうだろう。権威を振りかざして好き放題する人間の末路は歴史が証明しているのだし、こと
自らの身体に流れる血に対して随分な物言いであるが、事実は事実。溜息を吐きそうになって、でも、そんなことはしないのがシャルリアである。ただニコニコとして、関係ないとばかりに人魚の乙女に喋りかけていた。
返事は、ない。悪意がなくとも恐れられるのは良くも悪くも身分のおかげだと知っていて、返事がないのも人魚の心情ゆえであることを理解していて、一方的に言葉を重ねてみる。
不意に、
「誰だ、お前?」
シャルリアの声を遮った者がいた。
天竜人を拳ひとつで黙らせた、麦わら帽子の男である。彼の名はモンキー・D・ルフィ、物語の主人公である。
(この世界にはないけど)
かつてのシャルリアにとって、彼が主人公として活躍する物語は紙面上のものでしかなった。
事実とは小説よりも奇なりとは、それこそ事実らしい。どうしてだか知らないうちに、誰かの言葉を借りるのなら〝不思議力〟によって、二度目の生を望まぬ世界で送ることになっていた。なにせ天竜人なんて物語の巨悪である。遅かれ早かれ破滅の道を辿る、救いようのない悪役だ。まったくもって遺憾。
強くてニューゲームどころかチキチキ破滅までのカウントダウン人生の開始である。
しかも身内とは絶望的に感性が合わないときた。ときに誠実さと協調性を重んじすぎる国家に生まれ育ったかつてのシャルリアの常識とは真反対。身体よりも先に心が悲鳴を上げ、けれど反することもできない。誰だって自分の身が可愛いものだ、二度目の生だろうと死にたくないものは死にたくないし、惨たらしく殺されるのなんてもっての他だ。
あのときの絶望といったら、ない。ない、けれど。思うことも言いたいこともたくさんあったけれど、それを決して表には出さなかった。
今なお表情にも態度にも表すことなく、シャルリアは主人公と相対する。
「んーと、私の名前?」
ルフィの問いに小首を傾げ。
「シャルリア、シャルリアよ!」
そうして、二度繰り返して名乗る。
うん、我ながら良い感じ。こっちのほうが子供らしくて、ちゃんと純粋って感じがする。
極めつけに、お世辞にも広いとは言えない台の上で一回りしてみせれば、ミディ丈のドレスがふらりと
が、シャルリアの幼い言動へ向けられたのは褒め言葉ではなく、情報の価値を正しく知る考古学者の「あら、
「ルフィ、彼女天竜人よ」
付属情報だけで〝妖精〟の二つ名が負属性であるのが理解できるのだから、いよいよを以って悪役だ。言葉の裏に潜む警戒と敵意をシャルリアは読み取ることができる。でも、天竜人の娘はそんなことはできないので。
「えっと、妖精?」
侮蔑の眼差しにすら気付かないまま小首を傾げて。
「知ってるわ、小さくって、借り暮らししてるんでしょう?」
おっと、これは作品違い――わからないままに、お喋りを続けるのだ。
「あなた、私を知らなかったけれど。でもでも私、あなたの名前知ってるわ」
ずっと前から知っている。会ったのは、はじめてだけど。
紙の上で冒険しているのを見たことがある。でも、実物を見たのははじめて。
「麦わらのルフィね!」
かつてのシャルリアにとってのルフィとは英雄で。
けれど現在のシャルリアにとっての彼とは死神だ。
黒い野望を暴き、人道に背く敵を倒してきたんだろう。ウイスキーパークもアラバスタもウォーターセブンもスリラーバーグも、きっとルフィたちにとっては通過点。このシャボンディ諸島も、同じく遠くない未来では
自らの信念を貫き、
仲間と肩を並べ、
悪しきを挫き、
宿敵と拳を交え、
宴に興じ、
――誰よりも自由に海を往く。
シャルリアの知るONE PIECEとはそういう物語だから。最終的に運命の女神が微笑む相手は確固たる信条を持つルフィたちのような存在であり、正反対の育ちであるシャルリアたちではない。
だからこそシャルリアは子供のままで在ることを決めたのだ。
天竜人だから仕方ないではなく、世間知らずだから仕方ない。
天竜人だから仕方ないではなく、幼いのだから仕方ない。
天竜人だから仕方ないではなく、変わり者だから仕方ない。
天竜人だから仕方ないではなく、無邪気であるから仕方ない。
子供だから仕方ない、で済まされるように。そんなふうに振る舞ってきたのだ。
つまりそういうシャルリアだから、好き勝手が許されるのは血筋ゆえ当然のこと、加えてある程度の言動は上に目を付けられることはない。
だからこそ。
「お喋りするトナカイなんてはじめて会ったわ!」
――オレはタヌキじゃね……ん? 合ってる、合ってるぞ! オレはトナカイだ!
「白熊もお喋りするのねえ」
――熊ですんません。
なーんて軽口が許されるのだ。
でも、シャルリアは天竜人なので。天竜人のなかでも二つ名が付くほどに変わり者なので。
「たのしいから、」
――ちょっとだけ助けてあげるね。
何を、どう言っても。何をしても、全部が許される。
「靴、失くしちゃったの」脱ぎ捨てて。
「悪いひとたちから逃げなきゃいけないのに」指さして。
「外の良いひとたちに助けてもらわなくっちゃ」裸足のままで。
シャルリアは駆け出した。
扉に向かって。外に向かって。正義を背負う者がいる方向へ。
駆けだした小柄な少女――シャルリアの背中が遠ざかる。
彼女の態度がおよそ天竜人らしくないものであったことを理解できない人間は、海軍本部が近く政府の権力が色濃いこの場において極々少数だ。ある者は首を傾げ、ある者は安堵の息を吐く。他の貴族たちが気絶していったなかで気丈に意識を保ったままの天竜人など得体が知れなさ過ぎる。
だとしても、またひとつ嵐が去ったのが現状であった。
「……時間を稼いでくれるって聞こえたんだけど?」
航海士ナミの意訳である。
「天竜人がか?」
それはないだろ、というのが狙撃手ウソップの見解である。
「罠だったりしないかしら」
それにしてはワザとらしかったけど、はニコ・ロビンの考察である。
「罠でもイイ~!」
あんな可愛いレディになら騙されていい、というのが料理長サンジの心意気である。
「見事なターンでしたね。
ぜひお相手
「アーウ、あの生地は良かったな」
帆の補修に使いたいぜ、は船大工フランキーの着眼点である。
「どうでもいい」
別に、とは剣士ゾロの感想である。
「イイヤツなのか?」
とは、医師チョッパーの疑問である。
世界の天竜人相手にだって麦わらの一味は容赦がない、というか自由だった。どこまでも素直なものである。
「んんー、まあ――悪いヤツじゃないと思うぞ!」
最終的には、船長ルフィの総括である。
それ以上ではなく、それ以下でもなく。麦わらにとってのシャルリアとは、あからさまな悪意を抱いた人間ではなく、ただそれだけ、ルフィの納得だけで充分であった。
「なあロビン」
ただしチョッパーは気になることがあった。
「さっき言ってた〝
「ああ、それ。私も思った。ロビンの教えてくれたシャボンディ諸島のことと同列だったりする?」
チョッパーの質問に続くのはナミで、ショッピング中の説明にも関することなのかと思ったのだ。
「どこまで本当かわからないけれど」
ロビンは前置きをした。
二人だけではなく、何人かも聞き耳を立てている者を把握していたからだ。
「とっても可愛がられているんですって、彼女」
無垢で、純粋で。
良くも悪くも天竜人ゆえの狂気をそのままに、真っ直ぐで。
十五歳にしては小さな体躯に、加えて幼く夢見がちな言動。我儘いっぱいに育ちながらも、それを周囲が笑って許せてしまうくらいの甘え上手。可愛らしいものや綺麗なものに目がなく、衣装も調度品も全部お眼鏡に適ったものだけで揃えられている。
そんな彼女を可愛がる者たちは皆口を「妖精のよう」だと言う、らしい。
あの見目に、あの物言い。噂の真偽は別として麦わらの一味は、一部を除いてわからないでもないと頷いたのであった。
「靴、そのままでいいのかなあ」
ハートの海賊団、航海士であるべポは呟いた。
大きなテディベアがツナギを着用している姿の可愛らしさとは反対に、その口から出た声音は低い。ついでに小首を傾げる仕草も愛らしい。そうやって行末を案じながらも、白い毛で覆われた手が持つのは脱ぎ捨てられた靴である。
「って、ちゃっかり持って来てんじゃねーか!」
「おいおいおいお前
あの、とは勿論轟く悪名のほうである。シャチもペンギンの訴えに耳を傾けて、でも、とべポは言う。
「だって、あのままだと潰れてたよ」
事実だ。べポが持ち出さなければ建物の崩壊に巻き込まれ、瓦礫になかで使い物にならなくなるはずだった。
「そりゃあ、まあ、そうだろうがよ」
「でしょ」
「だからってお前が拾ってやる義理はないだろ」
事実だ。家族は慈善団体などではないのだから、それが天竜人相手でなくたって、他者の持ち物に配慮なんてしなくていい。
「でも……」
と、べポは口を開いた。
反論とか、そういうのではなくて。ただ何となくこうしたほうが良いような気がした、ただそれだけだったのだ。
上手く説明もできそうにない感覚に言葉が詰まって、余計に次の音が出なくなる。
「……いい、好きにしろ」
戸惑ったべポへの助け舟は
彼は虎でもなければ鶴でもなかったけれど、べポにとっては唯一の人間で、同じくシャチやペンギンにとっても唯一の人間である。
故に、最終的にべポが懐に仕舞った靴の話は終いになった。
シャルリアがシャボンディ諸島に赴こうと決めたのは、ポートガス・D・エースの処刑の報せを小耳に挟んだからであった。
下界とは物理的にも精神的にも距離をおく聖地であろうと、情報が言葉である限り、入ってくるものは入ってくるものだ。人の口には戸が立てられず、そしてシャルリアは我儘な天竜人の娘らしく外界も我が物だと言わんばかりに興味津々な子供である。一大事を知り逃すはずがない。
(そもそも知ってるんだし?)
と言うわけで。道すがら父と兄の言動に嫌悪を抱きつつも、彼らに追して
〝冥王〟シルバーズ・レイリーの覇気に耐えられるかは完全に賭け、であっても分の悪い勝負に出た理由はふたつ。原作でのシャルリアが意識を奪われたのはレイリーの恩人の友人を撃とうとしたからであり、――彼は
結果はあの通りである。ただ強者だからこその余裕もあっただろう。天竜人だろうが子供一人目撃者がいてもいなくても変わらないという考えが、きっとシャルリアを賭けの勝者にした。
(印象は残せた、かな? 悪い方向に知られてたのは想定内だったけど、やっぱり良い気分じゃないなあ)
なにせ彼ら彼女らは物語の主人公。かつてのシャルリアの心をときめかせた方々である。気にするなと言われるほうが無理な話。
(でもまあ裏を返せば天竜人らしく振舞えている証拠だから)
セルフ慰めだ。実際問題「あいつは良い天竜人だ!(超訳)」なんてことになっていれば、シャルリアはすでにこの世にいない。天上世界の、そのまたさらに
天竜人のなかにも変わり者がいる、そんな意識を麦わらの一味その他同盟御一考に植え付けられれば上々。そうでなくても人魚のケイミーや魚人のハチ、あるいはヒトデのパッパグの興味を少しでも手繰り寄せられたなら御の字だった。
少なくともシャルリアが惨たらしく死なないための一手としては。